第110話

 リリーの様子が少し変な気がした。

 昨日まで、素直に言うことを聞いてくれたのに、今日は打って変わって、あまり機嫌が良くないらしい。いくら手綱で合図を送っても歩調を上げてくれなかった。

 それに道端の草を食べ始めたり、いきなり座り込んだり。とにかくゆっくりと、時間をかけようとしてくる。

 そうやって予定だと三十分で進むような距離を一時間も使って、ようやく最後の街が見えてきた。だけど、使った時間からして寄ることは難しそうだった。携帯食料も残り一日分あるし、寄らなくても行けるかな。

 そう思っていたのに、リリーは進路を変える。

「ちょっと、なんで急に進路を変えるの?」

 と訊かなくても答えはわかる。馬は頭がいい。前の街で馬屋に預けられたとき干し草をもらっていた。

 つまり、馬屋に行けば干草を食べられると学習済みなのだ。

「腹が減っては戦はできぬか……」

 よくよく考えてみれば優人がイリオスを出発したのは昨日の朝。いくらなんでも追いつかれないだろう。

 それに死ぬとしたら最後の食事がバランス栄養食のビスケットと言うのは悲しすぎる。

「莉津子さん、優人くんは今どの辺ですか」

『優人は今イリオスから五十キロのところよ。三十キロくらい差があるわ。馬で駆け足できてもあと一時間半はかかるわ』

 応えてくれることが以外だった。まあ、一方的な通信方法だけど。

 莉津子が使ったのは、一方的に声を送りつけるタイプの通信方法だ。いわゆる無線とかで行う連絡手段。発言側がマイクのスイッチを押して発言。聞く側は、相手が要件を言い終えるまで待たなければならないというもの。ちなみにこちら側からの一方的に連絡事項を送りつけることはできない。

 だけど、こちらの発言は現実むこう側が常に聞けるように設定してあるから、話そうとすれば、このやり方でも充分話せるのだ。優人は、きかれたくないのか設定をオフにしていたが……。

「聞けば答えてくれるんですね」

『言うことを聞くとは思ってないけど、一応言っておく。他の手段も考えておきなさい。自爆は最終手段。その辺を履き違えるんじゃないわよ』

「わかっています。私も自殺の口実にしたくないんで。それに私だって彼と一緒にいたい。でもそれ以上に彼の未来の方が大事なんです」

「そう。わかったわ。

 一つだけ聞いてもいい?」

「なんですか?」

『なんで優人をおいて行ったの?』

「優人くん。私のことを大切に思ってくれるから、彼がそばにいたら絶対に私を止めると思うんです。もう無理矢理にでも、自らが犠牲になってでも」

『当然ね。だから立ち合ってほしくないと』

「ええ」

『話したかったらいつでも話しけてきなさい。こっちはちゃんと聞くようにしておくから。あと最後になるかもしれないから食事はちゃんと楽しむのよ』

 そこで会話は止まった。

 何を食べようかと辺りを見回せば胃を燻るようなビジュアルが散在し、匂いも漂っている。

 鳥を丸ごと香ばしく焼いたもの。ひき肉と野菜をぎっしりと詰めて焼き上げたパイ。あとシチューらしきもの。どれも和か洋で言ったら圧倒的洋。

 ——どうせなら和食がよかったな。

 木戸倉が日本人だからと、和食のお店もあるかと淡い期待を抱いていただが、通りを端から端まで見てもなかったので、諦めてローストチキンのお店に入る。付け合わせにパンとサラダ。コンソメっぽい味のスープもいただいた。

 最後の食事だというのになんとも普通になってしまった。どうせなら滅多に食べないパイの方にすれば良かった、と後悔する。普段は食べないホールの、しかもスイーツではないパイは特別感が一層引き立ったのに。

 実乃莉はせめてもの抵抗で、パイの屋台でアップルパイだけ買った。片手サイズのパイを胃袋に収めるとリリーを迎えにいく。

「戻ったよ、リリー。早く行こうか」

 声をかけるとリリーは首を縦ではなく横に振った。

「どうして? 行きたないの?」

 訊くと喉をぶるると鳴らす。

 もしかしてテグーを待っているのかな? 

 あまりに仲が良かったから優人と——この二頭、つがいかもね——という話をしたことがあったがけど、まさか本当にそうだとは……。

 でも待っているわけにはいかない。私は彼と遭いたくないから。逢いたくても遭いたくない。

「リリー、駄々こねたら置いてくよ。ここにいたら肌馬にされるかもしれないけど」

 そう言ってやると、諦めたのかしゅんと俯く。

 馬屋の主人に代金を支払い、リリーを連れて実乃莉は出発した。



 タゴラスを出発して川に沿って進むといよいよ山が近くなる。徐々に傾斜がついてきて、裾野に入ったことを実感した。

 両サイドから迫ってくる山々。農耕地区から森林に入ってさらに進む。

 そしてついに到着した。リリーとはそこで別れる。

「ここまでありがとう」

 手綱と鞍は外すのを嫌がったから着けたままにした。最後にお尻を叩いてやる。リリーは反対を向いて、来た道を戻っていった。

「さてっ」

 小さくなっていく背中を目で追うのをやめて実乃莉は正面を向く。

 死の渓谷。想像としていたのは鬱蒼とした、いかにもな雰囲気を醸し出す渓谷だったのだけど、そこにあるのは案外普通な渓谷だった。大きな山と山の間。自然的な山の傾斜とどこか不自然に見える垂直の岸壁。河が削ったのだろうか。

 人工的に掘削されて通されたであろう平らな道は、人一人通れる分の幅しかなくて、少し右を覗き込めば断崖絶壁。しかし、あまりに不自然。こんな綺麗な形の河があるだろうか。水面から顔を出す岩もなければ岸辺もない。あるのは崖の間を嵐の勢いで流れていく川だ。

 その光景はあまりに不自然だ。

 普通。上流に行けば行くほど水量は減っていく。水源に近づけば近づくほど、沢のうようにゴツゴツとした岩だらけのところを穏やかな水量で流れるはずなのに、ここのはどこかに巨大な水源があるような勢いで流れ下っていく。

 今まで〈エリュシオン〉で見てきたものが、現実世界と見間違うほど酷似していたというのに拍子抜けしてしまう。

 ここが本当にあの人が作りたかった世界なのかな。

 実乃莉はふと疑問に思った。どこまでもリアルを追求した世界のはずなのに、この場所だけあまりに作りがあまく、非現実的だ。アンデッドが蔓延っているという設定もAIの研究目的だけだったらいらなかったはず。

 ただ一つ、目的があるとするならば……。それは進入者の妨害だ。最果ての岬への唯一のルートに障害を置いておくというのは、この世界の第二の役目が、A I兵器の制御パネルのガードであるというのに理が叶っている。

 この道に必ず障害がある。それは動く死体となって立ちはだかるのかもしれない。

 実乃莉はゆっくりと歩を進める。道は狭くて暗い。踏み外さないように足元を確認しながら一歩一歩しっかりと踏み締めて進む。

 ちょうど両側の山々の頂上の狭間。その辺りに差し掛かった頃、大きく開いたところに出た。明らかに人為的に山肌を削って平らに整地したその場所は、フィールドのようにも見える。散々、〈幻想世界〉で目にしてきたゲーム的なフィールドだ。闘うことが前提のその場所は、数ミリの出っ張りも許さないほど平らで実乃莉は不気味に思って身構える。罠の匂いがぷんぷんする。ここでモンスターが湧きますよとその場所が言っているようで。

 実乃莉は剣の柄に手を添えてゆっくりと足を踏み入れる。薄暗いフィールドの中に入っただけでは何も起こらない。

 この場所ではアンデッドが湧かないのかな……。

 実乃莉は不可思議に思いつつもそのまま進む。崖に沿って伸びる道に入ろうとした時、自分の呼気が前髪を揺らして足を止めた。

 自分の息が返ってくる。

 壁だ。見えないが壁が確かにそこにある。

 手で触れてみれば確かにそこに道を塞ぐ見えない壁があった。しかも、ご丁寧に触れれば青く発光するという機能付きの。

 実乃莉はたじろぎ、一歩さがった。

 過去にこれとよく似た事態を何度も見たことがある。それは敵を倒すまで出ることができない部屋。R P Gでごく当たり前のボス戦や強制的な戦闘時に用いられる。そして今いる場所はダンジョンでいうモンスターハウスなのだ。だから、モンスターを倒しきるまで出られない。ここでいうモンスター……、それは——。

 アンデッドが地の底から湧き出る。よくゲームで見る骸骨の姿ではない。青黒く、もやがかった、だけどシルエットはしっかりと撮れる。半透明の幽霊じみたそれが地面からスーッと現れると奇異な笑い声をあげる。

 キャハハハハ……と、どこか子供じみた。イタズラ好きなクソガキが、仕掛けた悪戯が作動するのを隠れて見ているところで、堪えられずに発してしまうような悪い笑い。 

 アンデッドは頭上を飛び交う。徐々に姿を増やしていき、最初は数匹だったのが、一〇匹を越え二〇に到達しようとした時だった。

 それが姿を表した。

 死体。

 どこから持ってきたわけでもなくそれは瞬時に現れた。まるでマジシャンが観客の目を盗んで鳩を連れてきたように。いきなり現れた死体を認識した瞬間、実乃莉は入り口へ駆ける。その悪意的なモンスターから逃れようと来た道に入ろうとしてもそこは閉じていた。悪寒が身体を支配する。逃げる道もない。見えない壁で封鎖されてしまっているからその場で戦うしかない。

 ごくりと唾を飲みこむ。粘っこい。過度な緊張。痛覚がリアルそのものという事実が実乃莉を恐怖に至らしめる。

 そしてその先の死も、また——。

 ——闘うしかない。

 実乃莉はリーディングライトを引き抜いた。死体が迫る。真紅の鎧を纏った兵士の骸が刃を振り下ろす。動きは遅い。実乃莉は兵士の腕を切り飛ばし、心臓に一突き入れる。だが、その骸が止まることはない。それは、もうすでに死んでしまっているのだから、もう一度命を奪おうとしても無駄なのだ。

 骸が消し飛んだ腕をそのままに、残った左手で掴みかかってくる。その手が真っ先に向かったのは首。兵士のゴツく大きな手が、自分の首をへし折ろうと力を込める。

 軌道が狭まる。息ができない。このまま終わっちゃうのかな……。

 まだ、何もできてない。

 できてないから闘うと決めたのに、また何もせず脱落する。

 そんなの嫌だ。

 彼のために闘うと決めた。彼に縋るだけのこんな自分が嫌で、何かしてあげたくて、何も返せずに終わるなんて絶対できない。

 実乃莉の右腕に力がこもった。骸の胸に突き刺さったままのリーディングライトを引っこ抜くと自分の首にまとわりつく腕を叩き切る。

 断たれた瞬間、ショックで硬直するその手を左手で剥がしとって実乃莉は骸の両足を掻っ攫った。四肢が無くなったそれは動かなくなった。

 いくら不死身の骸でも四肢がなくなってしまえば動くことはできない。糸の切れたマリオネットと同じだ。だけど、それは一抹にすぎない。

 死体がまた姿を表す。しかも今度は一体にとどまらず二体、三体と数を増やす。

「やっぱり、あれをするしかないよね」

 そこに人がいるわけでもないのに呟いた。きっとあの人が聞いている。この世界の外で聞こえているかもしれないその人にメッセージを残そう。

「莉津子さん。ごめんなさい。約束守れなくて」

『あなた死ぬつもりなの』

「はい」

『そう……。あの子、悲しむと思うけど』

「そうかもですね。でも彼の未来を守りたいので」

『わかったわ。やりたいようにやりなさい。けど、通話はこのままにしといて』

「わかりました」

 その後、向こうから何か話してくるということはなかった。実乃莉は目の前のことに集中する。

 ウィンドウを操作して火薬袋を出現させると地に置いた。


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