第109話

 その日の夜は野宿をした。獣よけに火を起こして、あり合わせの食材でスープを作った。入っているのは豆とトマトとセロリ。現実の食べ物と比べるとあまりに味気ない。

 だけど、これでいい。

 だって別に楽しむべきは食事だけではないのだから。

 ふと見上げた実乃莉は息を呑んだ。上には満点の星空があったから。

 強い光が全くないこの世界では星はうるさいほど主張してくる。

 一つ一つの光が宝石のようで落っこちてきそうなほどに煌めかしい。これは現実世界では決して味わえない光景だ。

 優人と富士山の麓のキャンプ場で見たあの星空よりも煌々している。あの時も壮大な眺めに自分はちっぽけな存在なんだなと思ったけど、今見上げている空はもっと広大で、それこそ宇宙の広さを実感させられるほどだ。

 この夜空が例え、この世界を構成しているザ・ワールドというコンピュータが演算で算出して生み出した偽の夜空であったとしても綺麗すぎる。

 しかし、実乃莉はあの時よりも高揚感が足りないことに気づいた。隣に彼がいないから。

 こんな時こそ感動を共有できる彼がいないから、やっぱり孤独を感じる。

 もう寝てしまうか……。

 実乃莉はスープを飲み干してさっさと毛布にくるまった。



 実乃莉がイリオスを発った翌朝。一日遅れて優人は日の出と共に行動を開始した。二泊分の銀貨をまだオーナーのいないカウンターに積み上げて宿を出る。急いで馬屋に行ってテグーを叩き起こし、まだ眠たそうな目をしているところに鞭を打って無理やり走らせる。

 門のところで門番に止められた。

 話を聞くと、どうやらこんな早朝に慌てて馬を走らせているのが怪しいとのことらしい。

 俺は門番に許可証を見せつけた。それでも門番は渋る。それどころか腰の剣をちらつかせ、戦うことを厭わない姿勢を見せると、先までの尻込みが嘘のように、門兵はあっけなく門を開けてくれた。

 門を潜ってテグーを走らせる。

 日の出の山は冠雪した雪を琥珀色に変えて、農夫はその景色に元気をもらったりするのだが、今の優人には関係ない。

 とにかく早く。実乃莉に早く追いつきたい——、という焦りを手綱に込める。

 テグーも最初こそ、その思いに応えようとしていたが、徐々にその足取りが緩やかになる。

 馬だって体力が無限にあるわけではない。ゲームの世界の馬はそうではないが、ここで生きているのはリアル相応の馬。歩いた方が体力が温存できる上、一日の移動距離も伸ばすことができる。

 今、テグーを焦りに任せて走らせたとして、移動距離が一日分も空いてしまっている。実乃莉に追いつくことは不可能だ。

「あるこうか」

 そう言って急ぐのをやめた。冷静を欠いて良いことなんてない。


 

 夜になって森の外れの平らなところで野宿をすることにした。

 火を起こして携帯食料で空腹を凌ぐ。味気なくてパサつくただ分厚いだけのビスケット。口の中の水分を持っていかれる。ポソつく口内にポットで沸かしたお茶を流し込んだ。ダージリンのフローラルな香りのする紅茶を一人啜る。温かい液体は身体を温めてくれても心を温めてはくれない。

 寒い。何かが足りない。

 火を囲む影が一つ、一人分足りない。どこか心に余計な空間がある。ぽっかりと空いた穴が……。

 足りない。いつも心を満たしてくれる彼女が……。

 横になって寝そべれば夜空を隠すものは何もない。満点の星空。リアルワールドの都心部とは違い、篝火程度の光しかないこの世界の夜空は、ついこの前、キャンプ場で彼女と一緒にみた星空と似ている。こんな現実世界とは違う偽物の空だっていうのに、俺を苦しめる。

 実乃莉、なんで一人で行っちゃうんだ。

 この孤独を埋めてくれたのは彼女だけだった。だから、彼女と一緒に生きる未来がこんなA I兵器に怯える世界であってほしくなくて、俺はこの世界にやってきたというのに、勝手に彼女は死の渓谷へ一人で向かってしまった。

 俺の気も知らないで。

 休まずに進みたい。彼女に追いついて引き止めないと、俺は一生後悔する。だから、早く眠ってくれ。



 眠った気はしないけれど時間はいつの間にか立っていたらしい。ウィンドウを出して時間を確認したら五時前だった。

 日の出まえで空が少し明るくなっている。紺混じりの水色。

「テグー、日の出前だけど、出発するよ。彼女は今日中に死の渓谷に辿り着いちゃうからな」

 デグーは仕方ないなと言いたげに立ち上がる。

 少し生意気な態度。気持ちはわかる。だけど我慢してくれ。

 俺はデグーに跨って、手綱を握った。

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