第20話 無愛の子 ②
遠巻きに立ち並ぶ木の影からある場所を眺めていた。
マップに表示された優人の位置を示すマーカーは幹道のど真ん中を示している。そこは身を隠す場所など全くないうえに、人の気配を感じることがなかった。
本当に罠だったのだろうか? 実乃莉は不気味に思い、淳に声をかける。
「誰もいないみたいだし帰ろっか」
「ああ、あんまりここに長居するのは良くないだろう」
「…………!」
身の毛がよだつ殺気が背後からした。
「淳くん。急いで緊急転移……」
振り向いたらそこには白装束の女が立っていた。しかも一人ではない。大人数で………。
緊急転移ボタンを押そうと動かした手は早々に掴まれ、淳と実乃莉の動きは封じられた。
そして、四本の剣が次々に淳の体を貫く。顔が恐怖で歪み、断末魔のような叫びを発し、淳のアバターは一瞬で光の粉を飛散させ消滅した。
何もできない実乃莉の姿が滑稽だったのかフィオネスは高笑いをする。
怒りを滲ませた震える声で実乃莉は言った。
「優人くんはどこ?」
「あ……? 優人? そうね、彼ならそろそろあなたたちのお家に帰ったんじゃない」
フィオネスは澄ました顔で続ける。
「あなたなら引っかかってくれると思っていたわ。彼の苦しむ音を聞かせたら絶対に飛んで来るって。まさかここまで簡単に引っ掛かってくれるとは思ってなかったわ。でもね、あなたは悪くないの。だって本当に切り刻んでいたんだもの。本当の事だと思ってもおかしくないわ」
「まさか、仲間の足を斬ってたの!? なんてひどいことを…………」
「下っ端の仲間なんて駒にすぎないわ。だいたい余計なのよね。五感がわかって意思のある奴隷って、使いずらいったらありゃしない。なんであの人はこんな半端な機能を持たせてしまったのかって何度も思ったわ……。でもまさか、最後の日に役に立つとはね」
そう言うとフィネスはフードを捲り上げ、冷ややかな笑みを浮かべた。
「今回はこの間よりも、もっと痛ぶってあげる」
青い目から発せられた強い光が実乃莉の瞳に侵入した。その刹那、実乃莉の周りの景色は一瞬にして暗闇に移り変わり、姿も幼少期のものへと変化していく。
そして目の前に二人の大人が現れた。
その二人を見た瞬間、実乃莉は目を逸らした。だが、逸らしても逸らしても、その幻影は視界の真ん中に張り付き頑なに消えようとしない。
『目を逸らしても無駄よ。あなたのお父さんとお母さんの姿を目に焼き付けなさい』
***
前に住んでいた家。幼い頃、お父さんとお母さんと三人で住んでいたマンションの部屋に私はいた。
父はテーブルに突っ伏し、その横で母がイラついた様子で父を見下ろしていた。
「あなた、仕事を首になってからもう随分経つけど、まだ就職できないの?」
「つける仕事なんてあるわけねえだろ……」
テーブルの上に両肘を付き、頭を抱える父に母が執拗に問い詰める。
「ないんじゃなくて探してないだけでしょ。早く見つけて」
「仕方ねえだろ。A Iが色々とやってくれる時代になったんだ。俺みたいなやつは社会から必要とされなくなったんだよ」
「それって、あなたが無能だっただけでしょ。これからどうするのよ? 私の稼ぎだけじゃ暮らしていけないわよ」
「生活保護でも貰えば良いいだろ。健康体なら全員が働ける時代は終わったんだ。もらえるものを貰って生活すればいい」
「ふざけないで。そんなみっともない生き方できるわけないでしょ」
「そんなこと言ってられる状況かよ。文句があるなら俺を首にしたやつに言ってくれ」
「もういい。そうやって人のせいにするの
ね。自分に能力がないことを棚に上げて……。あなたには心底失望したわ。
これ以上あなたに足を引っ張られる人生なんて絶対嫌。離婚しましょう。紙はもらってあるから早く書いて」
母が、カバンから緑色の紙を取り出し、テーブルの上に置いた。その上からボールペンと印鑑を叩きつける。
「さあ、早く!」
父は母の言う通り、署名と印鑑を押した。母はその紙を奪うように持ち去り、玄関へ向かう。
「ねえ、お母さん、どこに行くの?」
母は何も答えなかった。私がしがみ付くと母は私を突き飛ばした。
「邪魔しないで!! 私の人生にあなたたち親子なんか要らない!」
靴を履き玄関の扉をあけ、母は出ていった。私は、母のヒールが外廊下の床を叩く音が小さくなっていくのをただただ扉の前で聞いていた。
母が出っていってから直ぐに父も変わった。再就職できない日々が続き、ストレスで残金を賭博に費やすようになった。
失業手当も使い切り今度は私に手を挙げるようになった。食べるものすら買えなくなり、とうとう父が壊れた。天井についている物干し用の吊り金具の輪っかにロープを通した。
「お前さえいなければ……」
それが父の最後の言葉だった。なんで私にそんな言葉を残したのかわからない。
私がいなければどうにかなると思っていたのか、今となってはわからない。
父が目の前で首を吊ってから私は宙吊りになった死体をしばらく眺めていた。
悲しいとは思わなかった。ただ、これからどうやって生きていけばいいのかわからない漠然とした不安と心細さが、胸を打った。
突然、フィオネスの声が聞こえた。
『驚いた。あなた、要らない子だったのね』
「…………」
『無反応か。じゃあもう一回見せよう。何周目で壊れるかしら』
それから2回目、3回目と思い出したくない記憶が流れた。
自分は要らない子。必要とされなかった。愛されなかった。その事実を突きつける光景が目の前で永遠とループした。
胸の内が締め付けられるように痛くなり、目から涙がこぼれ落ちた。
「やめて!! もう見せないで!!」
しかし、記憶のループは止まらなかった。
ついて行こうと捕まった母に突き飛ばされ、母が玄関から出ていき、自分が見捨てられたんだと悟ったその瞬間、父親がお前なんかいなければ……と言い残し首に縄をかけ首を吊ったその瞬間、その時の父の表情、その時の絶望感までもが心を踏みにじる。
だけど、地獄のような時間は突然終わった。再び暗闇が訪れる。
「大丈夫か……?」
一つの手が目の前に差しだされた。見覚えのあるその手に触れ、ゆっくりと顔を上げる。
優人くんが心配そうに私のことを見つめていた。私は彼に縋るように泣いた。彼も私の気持ちを察してか、背中に腕を回しぎゅっと抱きしめてくれた。
いつの間にか体は元に戻っていた。そっと、彼の顔を覗き込むと胸の内を冷ややかなものが滑った。優人くんは軽蔑するような目で私を見下ろしていた。
「君はそうやって俺を困らせるんだな……」
「えっ!?」
優人くんは肩を掴み、自分の体から私を引き剥がした。
「俺を利用しているだろ」
「違う…………。私はそんなつもりは……」
「ないわけないだろ。お前は学費を稼ぐために俺に近づいたんだから。俺を利用して運命を変えようとしたんだろ?」
「違う!! そんなつもりで一緒にいるんじゃない。私はあなたに助けてもらえたことがただ嬉しくて、あなたにこの想いを返したいだけなの」
「じゃあ、お前は俺に何をしてくれた」
「えっ!?」
言葉が浮かばなかった。ただただ、頭が真っ白になっていく。
「言えないよな。だってお前は俺に何もしてないんだから」
彼は私を一瞥し、背中を向け歩き出した。
「えっ!? 優人くん……どこへ行くの?」
「言わない。お前は邪魔だ」
「待って……、私を置いていかないで!!」
叫んでも彼は振り向かない。私は必死に彼を追いかけた。もう少しのところで手が届く、その時だった。
「……おおおおおおお!!」
という雄叫びと共に暗闇が破れた。黒いマントを被った誰かが次から次へと襲撃者を切り倒していく。
私は訳がわからず、その光景を眺めていた。
「っち!」
私は後ろから首に腕をかけられた。だけど、黒衣の剣士は迷うことなく剣を下から振りあげ、私の首にかかっていた腕を切り飛ばした。
私は女の舌打ちと共に突き飛ばされ、黒衣の人に抱き留められた。立つ気力も湧かずに膝から崩れ落ちる。
「……り、しっかり……。みの……」
何度も呼びかけるその声は私が信じた彼のものだった。
(優人くん、うまく聞こえないよ。でもよかった……)
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