第19話 無愛の子 ①

 二人を街に残してきて大丈夫だったのだろうか……。


 その疑念が頭を埋め尽くしていた。キマイラと戦うなか、その思考が頭から離れない。


 いっその事ログアウトさせた方が良かったのでは……、とも思えてしまう。


 しかし、その思考をキマイラによるスタンプ攻撃——前足を打ち付ける攻撃——が打ち破った。


 剣で受け止めた瞬間、背丈が縮むのではと思うほどの衝撃が全身を駆け巡った。俺は力を振り絞り、頭上から被さるキマイラの脚を押し返した。

 

 キマイラの足が一瞬だけ浮き上がり、その隙に後方へ飛び退く。


 キマイラは次の攻撃の準備段階なのか、身を屈めこちらを凝視していた。


 二人は街の中にいる限り安全だ。目の前のモンスターに集中しろ。そう言い聞かせ、俺は剣を振った。何度も何度も……。だが、一抹の不安のせいで剣が空回りする。


——冷静になれ!


 いくらそう念じても、一撃一撃に重みが無くキマイラのH Pをわずかに削るだけだった。


 更に言い聞かせればするだけ、——早く倒さないと——と思ってしまい、焦りがどんどん増していく。


 気が一点に定まらないなか、キマイラの巨大な爪が俺の腹を抉った。臓物が痺れるような不快感が俺の何かを刺激し、思考が一気に冴え渡る。


 目の前にいるモンスターは意思のないA Iだが、なぜかそいつに集中しろと言われているように思えた。


(そうだよな……。ちゃんと戦わないと失礼だよな……)


 俺は息を深く吐き目前の巨体に目を凝らした。キマイラは様子を伺っているのか、こちらを凝視しながらゆっくりと移動している。


 俺はキマイラの攻撃を軽くかわし、突き攻撃を放つ。怯んだところに更に一撃、更にもう一撃と攻撃を叩き込んだ。


 キマイラは一瞬よろけたが、すぐに体制を立て直し、こちらに向かってきた。


 目の前でキマイラが飛び上がり右前足を大きく振り上げた。スタンプ攻撃を繰り出そうとしている。


 俺は右足を踏み込み、右側に飛んだ。真横で地面が揺れ動くのを感じながらキマイラの側面へ回り込む。俺はキマイラの脇腹から剣を深く差し込み水平に押し込んだ。


 自分にも訳が分からないほど滑らかに剣が動き、キマイラに大きなダメージが与えられた。


 激昂したキマイラは一度俺から距離をとった。姿勢を低くとった途端、鉤爪を使い一気に間合いを縮めてくる。


 ここでも体が冷静に動く。正面から飛びかかってくるキマイラに、俺も正面から突っ込んだ。

 

 視界左から飛んでくるキマイラの右前足。その攻撃をするりと躱し俺は剣をキマイラの胸へ深く突き刺した。

 キマイラの体の中で、風船のようなものが弾けた。それと同時にキマイラの体は光の粉を放って爆散した。


 入手したアイテムや経験値を確認することもなく俺は走り出した。急いで、あの家に帰りたい。二人がそこにいることを願いながら俺は走った……。


 ゲートをくぐり、第三区画へ入るとそこは都とでも言うべき壮大な街並みが広がっている。

 第三区画はそれまでの第一区画、第二区画とは打って変わりフィールドはほとんどなく、区画のほとんどが巨大な街で埋め尽くされている。


 ゲートから真っ直ぐ伸びる道は人が十人以上横に並んで歩いても問題ないくらいだだっ広い。


 その道の先にはプレイヤーを圧倒させるほど巨大で魅了させるほどに神秘的な神殿が神々しく佇んでいた。


 あとは、至る所に設置された転移盤で《壱の街》に戻り、二人に顔を合わせればそれで今日の攻略は終しまいだ。そのはずだった……。


 けれど、そうはならなかった。プレイヤーハウスに戻っても二人の姿はなかったのだ。


——どこへ行った……!?


 俺はマップを開き、すぐに二人の居場所を確認した。マップ上にマーカーが打たれていたのは第二区画の北側、丁度襲撃者が待ち構えていたあたりだ。そして、淳のネームタグに『D E A D』の赤文字が付け加えられた。


(淳がやられた。次は実乃莉か……)


 そう思った時、初めて奴らに遭遇した時に見せた彼女の表情が脳裏に張り付いた。途端に胸を突き上げるような痛みが疾る。


——もう、実乃莉のあんな顔は見たくない。


 俺は家を飛び出した。間に合うかどうかは分からない。だけどじっとしていられなかった。

 強い雨が降る中、俺はアバターが出せる最大速度で走った。


    ***


 煮出した雷花のエキスを空瓶に注ぎ入れると、毒物が気化しているのか顔が少しこわばった。

 しばらく正座して足が痺れた時のピリピリする感覚が肌にまとわりつく。


「顔……、近づけすぎると痺れるぞ」

 淳のその言葉を聞き、実乃莉は慌てて瓶口から顔を離した。


「ああ……痺れた」

「あとは俺がやっとくから、もうログアウトしていいぞ」


「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、私だけ抜けるなんてできないよ。それに、私、優人くんのことが心配だから」

「そうかい。じゃあ、あいつが帰ってくるまで頼むよ」


 実乃莉はいざとなったら助けに行くつもりだった。優人の力を信用していないわけではない。彼が誰にも負けない戦闘技術を持っているのは重々承知だった。


 でも、初めて襲撃者に遭遇した時、自分が受けたのと同じ攻撃を優人が受けてしまったら、彼の心はどうなってしまうのか。


 憎しみで埋め尽くされてしまうのではないか、そしてそれを引き金にもう一つの人格が目覚めてしまったら……。


 実乃莉は急に怖くなった。

 以前、ネットニュースで見たことがある。《ファンタジア・オンライン》時代に『幻想世界』でP Kが横行した時期があった。


 数ヶ月に渡り横行したP Kにより、一日で数百名のプレイヤーがキルされ、そのことが原因で人気真っ只中だった《ファンタシア・オンライン》のプレイヤー人口は目まぐるしく減っていった。


 やがて、利用者減少により運営はサービス終了まで追い込まれてしまい多大な損害が発生したはずだった。


 なのに、運営はそれに関わった人の情報を隠したのだ。そして、P Kをしていた人物は一人だったと言われている。


 その情報から思い浮かぶ人物は一人しかいなかった。


(優人くんの悪い人格が目覚めたとして、長期間、元の人格に戻らないことがあるのだとしたら……)


 そう思うと胸が締め付けられるほど不安になる。大丈夫……。彼ならきっと大丈夫。いくらそう自分に言い聞かせても、その不安は無くならない。


 思考と静寂を断ち切るように着信音が鳴った。それと同時にウィンドウが出現し、そこに表示された相手の名前を見て実乃莉は凍りついた。


 西条優人。そこにはそう書かれていたのだ。何かあったのではないかと急いで通話ボタンを押す。


「もしもし、優人くん。どうかしたの?」


 帰ってきた返事は求めていた声ではなく、

冷たい女の声だった。


「愛しの彼じゃなくてごめんなさい」


 フィオネスの人を小馬鹿にするような口振りが、実乃莉の不安に揺れる心を逆撫でした。


「今ね、彼をね、痛めつけてるの。痛覚遮断システムを解除して……、足先から少しずつ切理刻んでいるわ」


 いきなり言われても現実味がなかった。……というよりも信じたくなかった。


「うそ…………。優人くんがあなたたちに捕まるはずない……」

「あら、信じないの。なら彼の泣き叫ぶ声を聞かせてあげる」


 フィオネスが言い終えると、男の叫びが聞こえてきた。


 何かを噛まされているのか、こもった声だったが間違えるはずがない。


——優人くんの声だ。


 肉を切り裂く音と共に、聞くと胸が張り裂けそうなほどの苦しみを覚える悲鳴が何度もこだました。


「早く助けにきなさい。十分以内に来なければ次に心も痛めつける。それじゃあ待ってるわよ」


 その言葉を最後に通話が途切れた。


「行かなきゃ……」


 頭が真っ白になった。手足の指先が冷たくなり、背筋が鉛のように硬く重たく感じる。オロオロと動き出す実乃莉を淳が静止した。


「罠だ」

「でも、助けないと」


「優人が言っていただろ。奴らはアバターをコピーできるって。俺たちをおびき寄せるために演技しているとしか思えない」


「でも、もし、本当だったら!?」

 淳は反論出来ずに俯いた。

 

「……私は待っていることなんて出来ない」

 そう言うと実乃莉は家を飛び出した。

 淳が何か後ろで叫んでいたが、実乃莉の耳には届かなかった。


 家を出たあと、実乃莉はすぐに転移広場へ向かう。転移盤の上に乗り、行き先を第二区画に指定した。


 ウィンドウに表示された『はい』を押そうと手を伸ばすとその手を誰かが押し下げた。


「やめて! 邪魔しないで!」

「わかった。心配なのはわかったからもっと冷静になれ。迂闊に突っ込んだらやられちまう」


「…………そうだよね」

 実乃莉は一旦落ち着くためにゆっくり深呼吸した。焦りに先走った心が少しずつ静まり、落ち着きを取り戻す。


 ウィンドウに表示された『はい』を押し、実乃莉と淳は《弍の街》へ転移した。

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