第18話 不吉な予感 ②

 わずかな凹みに溜まった、土色に濁った水が勢いよく飛び散った。逃走する中、呼吸をしようと開けた口に雨粒が絶えず侵入する。


——鬱陶しい。


 それは雨粒に対してではなく、後ろから追ってくる襲撃者に対する苛立ちだった。


 5人分の足音が背後から響き続ける。女の高笑いを背中で受けながら俺は逃げる事だけを考えひたすら走った。


「西条、今日はお仲間がいないのかい?」


 フィオネスが煽るような口ぶりで言った。

 俺はその声を無視して走り続ける。


 木立の中で奴の仲間を六人殺ったが、仲間を呼ばれ仕方なく逃げてきた。今近くで追いかけてきている奴らのさらに後方から十人程度の集団が追待っている。


(このまま走っても追い付かれてしまう!)


「随分仲間思いになったじゃないか……、あんなに人を楽しそうに切っていた人間が……。仲間が傷つくのがそんなに嫌かい?」


——なんで、俺の過去を知っている?


 そう思ったが、その思考を頭の端に追いやり、俺は両手に投げナイフを握った。


 俺は強く地面を蹴り、空中で体を反転させた。両腕を曲げた状態で交差させ、勢いよく振り払う。風を切り裂く音を響かせながら、ナイフはフィオネスの両サイドにいる二人の頭に突き刺さった。倒れたその体は煙のように消えていった。


 足を着地させ、後ろ向きで何歩か軽くステップを踏む。慣性で後ろに行こうとする体を俺は前傾させ、足を強く地面につけた。 


 泥を散らしながら体は静止し、俺は左足を前に踏み締める。


 地面を強く蹴り、フィオネスに向けて俺は剣を鞘から振り抜いた。

 フィオネスは、身を捩って交わしたが、反応が遅れ止まれずに突っ込んできた襲撃者の体に吸い込まれるように剣身が入り込む。


 声をあげる間も無くその女は吹っ飛んだ。切り裂いた腹から血に見せかけた暖色の光を散らしながら崩れ落ちる。


 俺は振り払った剣を地面を掬うように側にいたもう一人に振り上げた。そいつは防ごうと身を引きつつ剣を水平に構えたが、剣同士がぶつかり、女の剣が打ち上がる。無防備になった急所を俺は剣で貫いた。


「そんな奴、倒したっていくらでも変わりがいるのよ」


 大きなフードの影に目を隠したままフィオネスは嘲笑う。


 俺は女の胸に突き刺さった剣を引き抜き、フィオネスの方を向いた。


 今、マントの下に麻痺毒を塗った投擲ナイフが携えてある。これでしばらくの間動きを止めることはできるが、司令塔であるフィオネスはここで仕留めておきたい。


 確実なのはフィオネスを麻痺させてからとどめを指す方法だが、こいつの反応速度は他の襲撃者と比べても格段に上だ。

 

 ナイフを投げても避けられる可能性が高い。それに追ってが、かなり近くまで迫っていることを考えるとあまり戦闘にかけられる時間はあまりない。


「もう……、ずっとだんまりして、つまらないじゃない。だったら、あなたの心に入らせてもらうよ」


 そう言うとフィオネスは両手をフードの淵に掛けた。フードの中から青い目が姿を見せる。


 両手がフードで塞がった絶好のタイミング。この好奇を逃すわけにはいかない。

 俺は目が光る前に麻痺毒を仕込んだナイフを女の顔めがけて投げ打った。


 フィオネスは予想外だったのか反応が遅れた。咄嗟に右腕を前に出し、顔をガードするも、ナイフの刃が女の手に触れたその直後、フィオネスは崩れるように倒れこんだ。


 とどめを刺そうと剣を振り上げると、何かが、風切り音を上げ、目の前を通過した。追ってが放った矢だとすぐに気がついた。矢は次から次へと放たれ、俺は已む無く逃げ出した。


 女の断末魔のような叫びが背後で響き渡る。


「クッソォオオ! 小癪な!!」


 麻痺時間は二分程度だが、その時間で十分距離を空けることができる。俺は全力で走った。


 区画ボスが待機するフィールドの前までたどり着いた。フィールドは区画を隔てる壁と同じく、石レンガの壁で囲われている。


 城壁のように聳える壁にはその雄大さに引けを取らない巨大な鉄扉の門が設置されている。


 フィオネスを麻痺させたおかげなのか、襲撃者との距離はあまり縮められていなかった。


 俺は門に手をかざした。

 すると巨大な鉄扉は重たい金属が擦れる音を響かせゆっくりと開きはじめる。扉が開き切るまでは中に入ることができない。見えない障壁が貼られている。この待ち時間が俺を余計に焦らせた。


 後方から僅かに足音が聞こえた。襲撃者が迫ってきていたのだ。さらに増援したのか人数は先程よりも増えている。


——もうダメか……。


 十人以上の敵を相手に勝てるはずがない。しかし、諦めるわけにはいかなかった。


 実乃莉を本選に連れていくのなら、余裕を持って攻略を終えたい。 


 なぜなら、実乃莉は対人戦のスキルがあまりにも未熟だからだ。進学するための学費を稼ぐためにはそれなりに本戦を勝ち抜く必要がある。

 だからこそ早く予選を突破し、なるべく本戦までの時間を残しておかないといけない。


 俺は武器を弓に切り替え、矢を弦に宛てがった。そのまま引き絞り、集団の真ん中に向けて矢を放つ。

 細かい照準はしなかった。集団の中の誰かに当たることを期待してさらに数発矢を放つ。


 矢が刺さり、一人、また一人と消滅していく中、武が悪いと思ったのか襲撃者は全員引き返していった。


 大扉は完全に開ききり障壁がなくなった。俺はすぐに中へと入る。俺がフィールドの奥まで入ると扉が閉まり始めた。


 扉が閉まり切るまでの間、俺は奴らが引き返していく姿をじっと見て俺は疑問に思っていた。


(なぜ、そんなにあっさりと引き返す? 奴等の脚なら俺を止めることができたはずだ……)

 その疑問は俺に一抹の不安を生み出した。


 やがて扉がずんっと音を立てて閉まりきり、俺はボスの方を向いた。


 正面に待機しているボスの青い目は俺をじっと見つめていた。 

 ライオンのような前半身と馬のような後半身、頭にはガゼルの角を生やし、蛇の尻尾が三つ。さらに全身の体色は黒に統一され、縄のように発達した筋肉で全身が覆われている。


 ボスのネームタグにはキマイラと記載されている。それがこのボスの名前だ。


 キマイラは耳がつん裂きそうなほどの咆哮を響かせた。キマイラの身体中の体毛が逆立ち体がわずかに膨らんだように見えた。


 俺は武器を弓から剣に切り替え、正面の巨大なモンスターに向き合った。


  ***


 獲物を取り逃した白装束の集団は元々待機していた狩場へと戻るため走っていた。


「フィオネス様。竜崎という男に拠点を知られているため、西条は攻め入る可能性があります。我々は主人と西条が接触することだけは防がないといけません」


フィオネスは部下からの非難に苛立ちながら言った。


「騒ぐな。そんなことはわかっている!」

「では、どうなさるおつもりですか!?」


 フィオネスは俯きながら考えた。そしてすぐに手段をおもいつく。


「西条の残りのログイン可能時間はどのくらいだ?」

「あと一時間を切っています」


「なら、その時間を潰させればいい」

「しかし、どうやって!?」

「もう一度誘い込む。奴の仲間を使って」

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