第17話 不吉な予感 ①
本来、天気は一定のはずの《幻想世界》に雨が降り出した。空は鉛色の雲で覆われ、雨粒が屋根を叩く音が絶え間なく響く。外の気温は冬並みに下がっていた。
異常はそれだけではなかった。なぜかプレイヤーハウスの部屋の照明が付かないというエラーが起こったのだ。
これも奴らの仕業なのかは定かではないが、状況が悪い方に向かっているということだけは想像がつく。
今日は丁度予選開始から三週間が経過し、残っている参加者も五百人程度にまで減少していた。
例年なら本選出場者が決定していても良い頃合いだが、襲撃者による妨害が激しさを増し、有力者の攻略が大幅に遅れてしまっている。
俺と実乃莉はプレイヤーハウスで淳が周辺の聞き込み情報を持って帰ってくるのを待っていた。
待っている間、暇だったこともあり、俺は投擲用ナイフに小細工を施す。暖房用にくめた暖炉の灯りを頼りに作業を進めた。
脱脂綿を麻痺毒に浸し、それをピンセットでつまみ上げ、刃に丁寧に塗布する。これで、麻痺効果のついた投げナイフが出来上がる。
「それ、何に使うの?」
ふと、実乃莉が尋ねた。
「護身用だよ。何があるかわからないからね」
俺は十本程作り、アイテム欄に格納した。
突然、扉が開き、外から冷気と雨飛沫と共に一人のプレイヤーが入ってきた。
「淳、どうだった?」
淳は被っていたフードを脱ぎ、俺の方を見て言った。
「幹道は奴らで塞がれている。今日はやめた方がいいだろう」
——幹道はマップ真ん中を南北に貫く大通りのこと——
「どこかのパーティーが襲われたのか?」
「ああ……、本線出場経験のあるプレイヤーが二人もいるパーティーが襲われた」
攻略に行くためにアイテム欄を確認していた実乃莉は一旦手を止め淳の方を凝視した。
「やられたのは出場経験がない奴だけど……そいつら、今日はもうアイテム収集しかしないって……、俺たちも今日、行くのはやめた方がいい」
「いや、今日区画ボスを倒しに行く」
「お前、こんな土砂降りで視界が悪い中、数もわからない敵とどうやって戦うっていうんだ。明日のアップデートを待てば良いだろ」
「それはダメだ」
明日から中立アバターをマップ内から削除するシステムが導入される。中立アバターだと断定された襲撃者は一掃されるだろう。
そしたら安全に攻略ができるようになる。
だが、それは他の参加者もそのタイミングを狙っているはずだった。
「区画ボスは1パーティずつしか挑めない。そして今、全参加者がその攻略手前で足止めされているんだ。その状況がどれだけまずいのかわかっているだろ」
「ああ……、言いたいことはわかる。要するに椅子取りゲームになるからその前に攻略を進めておきたいっていうんだろ……」
「そういうことだ。竜崎は昨日突破してしまったし、あまりのんびりしていられない。それに道を通らずに行けば見つからずに済むかもしれない」
「だとしても、実乃莉はどうするんだよ。奴らの目を全部掻い潜るなんて無理だぜ。一緒に攻略なんてできないだろ」
「ああ……、だから実乃莉は置いていく」
隣で息を呑む音が聞こえた。実乃莉が俺にくってかかる。
「どうして!? 私が足手まといだっていうの?」
「そうじゃない。状況を考えてくれ。今は一人の方が動きやすいんだ。それに君は、この間、精神科に通ったばかりだろ。今日は大人しくここで待っていろ」
それを聞いて、実乃莉は不満げに俯いた。一つため息をつき、淳が口を開く。
「しゃーねーな。実乃莉、この世界だとこいつの言うことに従うのが得策だ。いう通りにしよう。だけどよ、優人。お前絶対無理するなよ」
「ああ、わかっている。まずいと思ったらテレポートするさ」
「優人、必要なアイテムがあったらクラフトしとくけど何かあるか?」
「そうだな、じゃあ麻痺毒を作っておいてくれ」
「了解した。実乃莉も手伝ってくれ」
そういうと淳は大量の雷花——麻痺毒の原料——をテーブルの上にどさっと出現させた。その横に鍋も出現する。
「花の部分を摘み取って鍋の中に入れてくれ」
不貞腐れた返事をし、実乃莉は渋々花を茎から外しはじめた。
彼女には悪いがこれは仕方のないことなのだ。
「二人とも街の外には出ないでくれよ」
俺はマントを装備しフードを被った。
扉を開け外に出ると、途端に激しい雨が吹き付けてきた。俺はフードが捲れないよう抑えながら、転移広場へ向かった。
転移盤に乗り、第二地区の街に転移した。すぐに北側の門からフィールドへ出る。俺は森の木立の奥へ入りマップを北上した。
森の中は雨の勢いが多少緩やかで、葉末に溜まった大粒の水滴がマントを叩く程度だった。
視界はかなり良好だ。近くに人の気配がしないか神経を集中させ、森の中を走った。
しばらく北上すると、木がない開けた場所が目についた。それが道だと気づいたのは五十メートルくらいのところまで近づいた時だった。
東西に伸びる大きな道は中心街と区画ボスのフィールドとの中間に位置する。あと半分だと思いつつも、俺は足を止めた。
襲撃者の気配を道の方から感じたのだ。木の陰に隠れ俺は様子を伺った。数は五、六人程度グループが二つ。そのグループが合流し何か話している。
「西条優人がこの辺にいる。近くを探せ」
(位置情報がバレているのか? 奴らがマップ情報にもアクセスできるとなるとかなり厄介だな)
区画ボスのところへ行くにはこの道をどうしても渡らないといけない。位置情報がバレているとなると、見つからずに行くというのは不可能だろう。
襲撃者が辺りを散策する中、一人がこちら側に近づいてきた。
(やはり、奴らとの戦闘は避けられないか……)
木の幹に姿を隠しながら、俺は静かに剣を鞘から引き抜いた。
***
雷花の薔薇のような香りが部屋中に満ちていた。実乃莉は百合の花に形が似た青と白のグラデーションが美しい花を茎から外し、目の前の鍋に放り込む。
(この人はなんでこんなに落ち着いていられるの……)
テーブルを介して反対側にいる赤髪の男は不安など一切ないと言わんばかりに穏やかな表情をしている。
目の前の男が少し無神経なのではと思え、不安と苛立ちが増していった。
「あいつが心配か?」
「心配に決まっているじゃん。なんでそんなに落ち着いていられるの?」
「俺はあいつを信用しているからな。ああ見えてあいつは無茶をしない堅実なタイプなんだ。だから、絶対に大丈夫」
「私だって、そう思いたい。だけど……」
この間、聞いた優人の話が頭をよぎる。
「もし、暴力的な人格に入れ替わったら、優人くんは元に戻れるの?」
「あいつから聞いたのか……」
実乃莉はゆっくり頷いた。
「俺は一度元に戻したけど、なんで戻ったのか分からない。元に戻せたのは奇跡的だった。
別人格が出てきたときな、すごく恐ろしかった。悪霊でも取り付いたんじゃないかって思ったよ。でも、今思えば、あいつが自分を守るために生み出したんじゃないかとも思うんだよな」
「どういうこと……?」
「だってそうだろ。耐え難い憎しみに苛まれたんだ。だから自分の心が壊れちまう前に別人格を生み出してなんとかその場を凌ごうとした。俺はそう思う」
そう言うと淳は雷花で一杯になった鍋を持ち上げ、花のエキスを煮出すためにキッチンへ運んでいった。
「ねえ、何をどうしたら元に戻ったの?」
「ああ………、あの時は確か……、あいつを背中から抱え込んで精一杯叫んだな………」
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