第7話 思わぬ遭遇

 駅周辺を五分ほど適当に歩き回り、一つの飲食店が俺の目に止まった。小さなラーメン屋だった。

 赤い暖簾のれんを入り口にかけ、鶏がらスープと醤油の香ばしい匂いを中から漂わせている。 


 入口は昭和を感じさせる引き戸式のドアだ。俺はその店に何故か惹かれた。ただ、珍しかっただけなのかもしれない。


 今ある飲食店はほとんどがチェーン店で、個人経営の店はほとんど見ないのだが……、生き残っているということはそれなりに美味いのだろうか……。


 俺は引き戸を開け、暖簾をくぐった。中は入り口から奥までカウンター席が10席ほど並んでいるだけでテーブル席はない。空いているようで、客は一番奥に一人だけだ。


 その一番奥の席に座っている人の顔は見知った顔だった。いや、知っているというより、さっきまで顔を合わせていたというべきだろう。実乃莉がいた。


 実乃莉は麺を箸で持ったままこちらを凝視している。息を吹きかけて冷ましていた口がやがてポカーンと大きく開き、目を見開いた。

 やがてその表情はこの世の終わりを見たかのような絶望の色に染まっていく。


 何か見てはいけない物を見てしまったように感じた俺は引き返そうかと思い半歩足を後ろに引く。


 すると、実乃莉は俺に手招きをし、隣の席を指差した。隣に座れ——ということなのだろう。俺は大人しく彼女の隣の席に腰を下ろした。


 俺が席に着くと気前の良さそうな店主が氷水を持って注文を取りに来た。

「何にします?」

 俺は壁に設けてあるメニュー欄を見る。

「えっと……、中華そば、あと……、トッピングに煮卵とメンマを追加で」

 店主は

「あいよー」

 と、言って調理場に戻っていった。

 店主が離れていったのを見計らい実乃莉が小声で呟く。

「まさか、こんなところで会うとは……」

 しかも、現実世界で話すのはこれが初めてだ。


「そうだな……」

「誰にも言わないで」


「は? 冗談よしてくれ。俺に言いふらすような友達はいねえよ。それに何食べたってその人の自由だろ」

「気にならないの?」

「気にならない。意識したこともないね」

 実乃莉は「そっか」と静かに呟き、食べるのを再開する。

 異性の友達が何を食べようと俺に取ってはどうでもいいことだ。だが、そんな俺でも気になることはある。


——こんな時間になんで外で食べてるんだ?

 普通に考えたら、受験生でもない女子高生がもうすぐ九時になろうという時刻に一人で外食していること自体が不自然だ。

 俺はその疑問を解消すべく質問してみた。

「何で一人なの?」


「私は学生寮に住んでるの。でも食事の時間はログインしている時間に終わっちゃったから外に食べにきたの」


 それを聞くと、ある可能性が頭をよぎった。


(寮に住んでいるということは親がいないかもしれないな……)


 二〇三一年の雇用革命の影響で親に捨てられた、あるいは親が自殺して孤児になった子供が多くいる。

 そして今、そういった子供は高校生くらいの年齢になって学生寮のある学校にこぞって入学している。


 特にうちの学校はV R Pが国の補助金を利用して全国各地で運営している。

 そのため私立でありながら学費も寮費も非常に安く人気がある。

 そして、身寄りのない生徒にとっては自分の将来を潰さずに済む唯一の方法でもあった。


 そうだとするなら、実乃莉には辛い過去があるはず。なのにどうして今はこんなに明るく振る舞っているのだろう……。


 知りたかったが、流石にそこまで質問する気にはなれなかった。関係を壊してしまう気がして怖かった。しばらく会話が止まったが、今度は実乃莉が俺に質問した。


「そういえばさ、前から気になっていたんだけど、優人くんって何で普通科なの?」

「へっ?」


「だって、優人くん頭いいでしょ。お母さん、脳科学者だったんだし、効率のいい勉強法とか絶対知ってるじゃん」


「知らないよ。俺は特進を希望したんだ。実際に試験にも受かってたし……。それなのに普通科に入れられたんだよ」


「そうなの?」

 実乃莉は大きく目を開き、驚いたように俺を凝視した。


「そうだよ」

「でも、それって不思議だよね」

「何で?」


「だってさ、優人くん……、会社継ぐことになるわけでしょ? 普通、進学させるために特進に入れると思うんだけどなー」


(その普通が通用しないのがうちの母親なんだよ!)


 と、心の中でツッコミを入れて、俺は別のそれっぽい答えを返す。


「多分、見せたかったんじゃないかな……。将来、どういう人のために働くことになるのかってことを」


 実乃莉はふーん、と言いつつも納得がいかないという感情を醸し出していた。

 特進クラスにいる彼女にとって、俺が普通科にいること自体が由々しきことなのだろう。


 俺の高校は学年共通テストというものを年に三回実施している。

 毎回実施するたびに、そのテストで上位20名の生徒の名前が公表され、そのほとんどが特進コースの生徒で独占されるのだが……、俺は普通科の生徒で唯一その上位20名の中に入ってしまっている。


 実乃莉が納得いかないのも当然だ。なにせ、彼女らは毎日七限まで授業を受けているのだから。ちなみに上位二十人は難関大学合格レベルである。


(しかし、よくもまあ、熱心に進学しようなんて思うよな……、俺はこんなに嫌なのに……)


 あの実態を見てしまうとやる気なんて湧いてこない。でも、彼女らは何も知らずに努力している。無駄な努力に終わる可能性があるのに……。


 現在、補助金制度の廃止と学生の激減によって経営難を強いられている大学がほとんどだ。中には経営破綻した大学もある。

 

 学費が高騰していく中で、苦学生を救済する制度はいまだに確立されていない。

 

 そして奨学金も、就職できなかった時のリスクが大きすぎるがために、借りるという選択肢自体が消滅している。


 そのため、学費をはらえない生徒は国民として最低限の知識を得て、お払い箱になるのが実情だ。

 たとえどんなに頭が良くても……高校が最終学歴となってしまう。そうなってしまったら最後、就職なんてありえない。


 だからこそ実乃莉はG Cへの参加を決めたのだろう。自分の運命を変えるために。

 

 目の前にラーメンが置かれ、しばらくの間、俺は無言でずるずると音をたて、食べるのに没入した。

 

 ラーメンの味ははっきり美味しいとは感じなかった。醤油や鶏がらスープの味はわかるが何かぼやけた味に感じる。


 俺の横にいる彼女は、将来のために努力している。そう考えると決められた将来に悲観的になっている俺が嫌に思えてしまった。


 でも、仕方がないのだ。彼女と俺とでは見てきた物も見えている世界も違うのだから……。


 ぼやけた感情のままラーメンを食べ終えると、俺はコップに入った氷水を飲み干した。

 キンキンに冷えた液体が温まった胃に強く染み渡る。


 俺が立ち上がると、それを見た実乃莉もすぐに立ち上がった。


 年季の入ったレジカウンターでの会計を済ませ、俺は外へ出ようと引き戸をひいた。


 外の景色が見えた途端、昭和のレトロな雰囲気から一転、鉄筋コンクリートの塊が俺を現実に連れ戻す。

 将来、後継として俺が背負うものを考えてしまい思わず溜息が漏れた。


「はあ……」

 店から出た後、扉を閉め終え、振り向いた実乃莉は不思議そうに尋ねる。


「どうしたの? 溜息なんかして」

「親の跡を継ぐのが嫌なんだ。のうのうと生きているあいつらのために働くと思うと腹立たしくて仕方がない」

「そっか……」


 実乃莉は残念そうに俯いた。当然の反応だろう。でも、俺は知りたかった。


 働かなくても生きていけるのに、なぜそんなに努力できるのか……、何を見てそう思ったのか知りたくて仕方がなかった。俺は実乃莉に聞いてみた。


「実乃莉はどうして頑張れるの? 進学希望ってことは将来的に就職したいってことだよな?」


 それを聞いて、実乃莉は真剣な面持ちで考え始めた。その思考に答えが出たのかゆっくりと話始める。


「ねえ、優人くん……。私はね、社会のために働きたいって思っているの。私は支援制度があったおかげで、今こうして生きてるから……」

 薄暗く、街灯に照らされた彼女の顔が僅かに微笑む。


「私もね……、生きていても全然いいことがないって思ってたの。でも、そんな中でも手を差し伸べてくれる人は少ないけど必ずいてくれる……。うんうん、私の周りにはたくさんいた。あなたを含めて……」


 実乃莉は囁くように続けた。

「だからね……。優人くんの周りにもそういう人が増えたらきっと、考えが変わるんじゃないかな……」

「そうなのかな……」


 でも、実乃莉の言っていることはきっと正しい。俺の周りの環境がそういう人で増えていけば、きっと俺の認識も変わるだろう……。でも、そんな日は……高校生でいるうちは多分、来ない気がする。


 街灯が夜道を照らす中、閑散としたビル街を俺と実乃莉は歩き始めた。


  ***


 ……翌朝。

 運営から送られてきたメールに俺は驚愕した。あの後、さらにプレイヤーがキルされ、合計2万人がリタイアしたというのだ。


 運営側は対策としてP K行為を全面的に禁止し、情報提供を求めている。しかし、いまだにまともな目撃情報は集まっていない。

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