第14話 会議

 莉津子は革張りのオフィスチェアに座り、秘書の黒田から渡された資料を見ていた。


 資料は自社経営の学校から送られてきた学力知能調査の結果報告書だ。


(今年も、知能が低下した……)


 そのことは脳科学者だった莉津子にとって由々しき事態だった。ベーシックインカムを導入したことによる弊害が顕著に現れ出したのだ。


 自社経営の学校に通う高校生を対象に行った学力知能テストは一般的な科目の学習到達度だけでなく、発想力や頭の回転の良さも測る。そのテストの平均点が年々、下がっているのだ。


 下げている要因はなんとなく莉津子はわかっていた。資料を見ていくと、点数を下げているのは普通科の生徒。普通科だけの平均点は四割を下回っている。


(学習意欲の低下が著しい。そもそも真面目にテストを受けていないわね。ベーシックインカムを導入した影響がこんなところにまで及ぶなんて……)


 働かなくても生きていけるベーシックインカムの導入は学生から学習の動機を奪ってしまったのだ。


 つまり、多くの生徒にとって学校という場は学ぶために通っているのではなく、単純にただの交友、つまり遊ぶために通っていることになる。

 莉津子はその事実を優人や、学校で働く教職員から聞いていた。


——このままだとまずい。


 学校は何も受験科目だけを教える場ではない。

 道徳的価値感を育む場でもあり、生きて行く上で必要な知識も学ぶ場でもある。


 これが疎かになってしまうと、人としてやっては行けない愚行をするようになってしまう。それによる影響はもうすでに目に見える形で現れていた。


 無職の人間による職のある人間への強盗の発生件数が、やたらと増えてきているのだ。


 それは道徳的価値観を失い犯罪を犯しても社会的に失うものが何もないという無職者による一方的な攻撃だった。


 そんなものが増えてしまっては棄国者が増えるのも仕方がない。しかし、企業も人員がカツカツの状態だ。


 これ以上人員が海外へ流出するならば、あらゆる産業が規模を縮小せざるをえなくなってしまう。何か対策をしないといけない……。


「いったい、どうしたらいいのかしら」

 そう呟くと、傍で書類を整理していた黒田が返す。


「ベーシックインカムを減額するしかないのでは? 当然死人が出るので、少ない時間で人を雇う制度を作る必要はありすが……」


「そんなことをしようとする政党に誰が投票するのよ。今の状態は、経営者側も無職の人たちも望んでいることなのよ。問題なのは大衆が望むことと国がすべき事は必ずしもイコールで結ばれるわけではないということ。

 凶暴化する民衆と資産の保護を優先する企業がこの国の社会を壊し続けている。そんな国にいつまで優秀な人は残ってくれるかしら」


「残りませんね。もう無理ですよ。みんな棄国の準備ができてしまっているのですから。今更どうにもなりません。私たちもいずれ別の国に移って帰化し、新たに法人を立てることになると思いますよ」


 そうだ……。結局いつもその答えに行き着いてしまうのだから、自分でも分かり切っていた。それでも、なんとか優人が棄国せずにすむ方法を探りたかった。


(本当にこれしかないのだろうか。優人にとって羽衣と遊んだ記憶がある祖国を捨てるというような選択はあまりしたくないはず。私にとっても家族で過ごした思い出のある国を離れて暮らすことはできるだけ避けたい


 けれど、仕方のないことだってある。私たちを守る法案が可決されない限り、私たちは自力で身を守る他ないのだから)


「社長。会議の時間ですよ」

 黒田の声を聞き、莉津子は資料をファイルに挟み、机の引き出しにしまった。部屋を出て、いつも以上に長く感じる廊下を早足で歩く。

 会議室の扉の前につくと、中から社員の雑談をする声が扉の隙間から漏れていた。


 扉が開く音と共に雑音は一斉に消え去る。社員全員の視線を浴びながら部屋の隅を足速に歩いた。自分の席へと腰を下ろし、置かれた資料に目をやった。


「始めてちょうだい」

 会議はいつも通り進行した。まず、各事業の報告。それぞれのプロジェクトリーダーが順番に進捗を報告した。

 そして、木戸倉が立ち上がりあるプロジェクトの成功を報告する。

「兵器用のA Iは昨日、米軍に納品しました。共同開発も終了し、残すは実演習のみです。このプロジェクトは無事に成功すると思われます」


 木戸倉がそう言終えた瞬間、社員の中から安堵の声が漏れた。このプロジェクトは日米の外交関係を大きく左右する国家プロジェクトだったからだ。莉津子も一つの呪縛から解放され胸を撫で下ろした。


 木戸倉の報告が終わり次いで、久保が立ち上がった。いよいよ今日の本題だ。莉津子は報告書に添付された資料に目を移す。


「今現在、グラディエイトリアルコンバッツは深刻な問題に直面しています。まず、本事業は外部の組織からサイバー攻撃をされている可能性があること。その妨害行為は既に半分以上のプレイヤーをリタイアさせるという事態になってしまいました。


 昨日、社長の御子息から聞いた話によりますと、妨害している何者かはハッキング能力のあるA Iを使用していることがわかっています。

 このA Iを育てている段階なのか実験運用の段階なのかは定かではありませんが、今回はそのことを踏まえ、今年のG Cを継続するかについて話し合いたいと思います」


「まだ、あやふやな点が多すぎる。様子見て判断するのではダメなのか?」

 誰かがそう呟いた。久保はその質問に対応する。


「はい。確かに決定するには不確かな点が多過ぎます。しかし私はあまり様子見をしている時間はないように思っています。


 我々を妨害する彼女らを仮に襲撃者と呼称しましょう。襲撃者は目的を世直しであると主張しています。


 しかし、現在わかっている情報だけではこの世直しというものが何を指すのか計り知れません。

 あらゆる可能性を視野に入れて慎重かつ迅速に対応して行く必要があります」


 次に木戸倉が口を開いた


「久保。確かに世の中に危険がないか慎重になるのは大切なことだが、俺たちは一企業の一社員としてここで働いている。経営の状況からも判断しないといけない」


 そう言うと木戸倉はある人物を目顔で指した。藤田守だ。二年前までポータルチェアの開発業務をしていたが、今は経理長をしている。

 莉津子は最初、作業着姿の藤田が目に焼き付いていて、彼のスーツ姿に違和感を覚えていたが、最近ようやくその姿が様になっていると感じるようになった。藤田は資料を片手に経営状況を説明し始めた。


「G Cを中止した場合、我が社の経営はかなり苦しいものになると思った方が良いと思います。

 まず、我が社は国民基金(ベーシックインカム)を全体の約4割を負担することが義務付けられており、同時に多額の税金も毎年、国に納めています。


 その金額は年々増加傾向にあり、それとは裏腹に国内では企業の内部留保や個人での貯金が多く存在しています。つまりは企業も、個人でさえも使うお金を減らし溜め込んでいる状態です。


 その影響もあり我が社の国内事業の利益は年々下がっています。そして我が社の主力事業であるA I事業にもそろそろ限界が来始めました。需要が落ち込み、買い手がいなくなってしまった状態です。


 ご存知の通り、G Cの経済効果は絶大で、毎年世界各国の大企業からスポンサー料が集まります。そしてアナザーワールド内で発行されるチケット代、こちらの収益もかなりのものです。  


 この二つがなくなった場合、我が社は、赤字経営を強いられることになるでしょう。それが続くのならば、経営破綻する可能性も考えないといけません」


「つまり、中止の選択肢はないと?」

「はい、我々は選択する余裕が残されていないのです」


「待ってください。世直しって、どんな危険があるかわかりません。もしテロのようなもので我々が加担したとなれば風評被害は避けられませんよ」


「そうなった場合、分かった時点で中止すれば良い。私たちはこの事業を捨てるわけにはいかないの。それに、私たちは日本国民の生活を背負わされている。ベーシクインカムという制度によってね。G Cを中止した場合、国の終わりが本格的に見えてくるでしょうね」


 国の経済が冷え切っている以上利益を国内から集めることは至難の業。市場を海外に移すという手もあるけれど、A Iの買い手が減っている以上、海外であっても資金を捻出するのは不可能に近い。


 それに今年のG Cは来年の世界大会実施に向けてあらゆる世界的大企業が視察する。うまくいけば多額のスポンサー料を収集でき、これまでにないドル箱事業として運営することが可能になる。


 さらに言えば、今回中止にしたとしても、問題を先送りにするだけになってしまうのではないか……。莉津子はそうとしか思えなかった。


「続行するしかなさそうね。でもその代わり、あらゆる対策は講じましょう」


「久保くん、新たに誓約書を参加者に送って。内容はわかるわよね?」


 久保は納得がいかないという表情を見せながらも返事した。

「はい……、分かりました」


「それから木戸倉、あなたしばらく暇よね」

「ああ、しばらく手は空いているが……」

「なら、あなたは彼の助っ人に入りなさい。 

 セキュリティーの強化とシステムの見直しを手伝ってあげて」


 木戸倉は嫌そうに返事をした。一大プロジェクトからの呪縛が解放されたばかりで申し訳ないが、彼に頼るしかない。


「さあ、今日の会議はこれでおしまい。みんな業務に戻って」


 一斉に社員が退出し始めた。その様子を見ながら莉津子は考えていた。


(白装束の襲撃者。それを操る人たちが本当に世直しをしてくれるのなら願ったり叶ったりだわ。たとえどんな犠牲を払うことになろうとも、私は甘んじて受け入れることができる。それで優人が生きていく未来が良くなるのなら……)

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