第13話 消せない記憶
「なあ?」
「何?」
「もう大丈夫なのか?」
「平気よ、カウンセリング受けたし、薬も貰ったし」
実乃莉は手に下げている薬が入った袋を俺に見せつけるように吊り上げる。元気そうにしているところを見ると本当に大丈夫みたいでひとまず安心した。
バス通りをしばらく歩くと実乃莉は不意に立ち止まった。
「ここよ」
「ここって個室居酒屋じゃん。こんなとこ、昼間からやってるの?」
「やってるよ。こういうところは、昼間はランチメニューをやってるの」
そう言うと実乃莉はさっさと中へ入ってしまった。俺も続いて入る。中は小部屋が幾つも並べられ、扉の隙間から人の笑い声や話し声が漏れていた。
ホールスタッフに四人用の小部屋に案内され、俺と実乃莉は向かい合わせに座った。さっそく、据え置きのタブレット端末を実乃莉が手に取る。
「優人くん、何か食べる?」
「適当にデザートでも注文しといてくれ」
「オッケー。ドリンクは?」
「クラフトコーラ」
実乃莉は悩む様子もなくタブレット端末を操作し注文を終えた。しばらくすると料理が運ばれてきた。
扉が開き、顕になった料理を見て俺は絶句した。エビフライやらアジフライなどのフライが幾つも乗った大皿が真っ先に目についた。
実乃莉はフライの盛り合わせ定食なるものを頼んでいたのだ。恐る恐る俺は伝票を手に取り、値段を確認する。
合計三千円。流石の俺も昼飯でこんな散財をしたことがない。
いただきますと手を合わせ、実乃莉は目を輝かせながら食べ始めた。幸せそうに食べる実乃莉を見ながら俺はクラフトコーラを乾いた喉に流し込む。
(まあいいか……。こいつがこんだけ嬉しそうなら)
寮学生で節約中の実乃莉は多分これだけの物を食べる機会なんてなかなかないだろう。
それに使いきれない賞金がこういう形で無くなっていくのは見ていて気持ちがいい。
たまには奢るのも悪くないな。しかし、善人に限るが……。
「で? なんでここなんだ?」
実乃莉は口の中に入っていた食物を急いで咀嚼し飲み込んでから喋り出す。
「優人くんの過去の話を聞きたくて。なんで人を避けるようになったのか教えてほしい。
優人くん、こういうところじゃないと話してくれないでしょ。だからここにしたの」
俺は少しの間、黙って考え込んだ。実乃莉に話すべきなのだろうか……。
「やっぱり話すのは嫌?」
話すのには抵抗があった。自分の内面を晒すようなものだったし、それを話して何かが変わるとは思えない。
でも、こうやって話せる場を作ってくれた彼女の厚意を無駄にするべきではないというのもなんとなくわかる。
それに俺の中にもう一つの人格が潜んでいる。そのことはなるべく早めに伝えておかないといけない。
「別に話してもいいが、あんまり気分のいい話じゃないよ。食べ終わってからにしよう」
それを聞いて、実乃莉はこくりと頷いた。
デザートまでを食べ終えた。重たい沈黙の空気が二人の間を流れる中、俺は首に下げているペンダントを吊り上げ実乃莉に見せた。
「これ、なんだかわかるか?」
「ただのペンダントじゃないの?」
「違う。これはメモリアルペンダント。この中に遺骨が入っているんだ。妹の……羽衣の……」
俺はこのペンダントを肌身離さずにずっと身につけている。外すのは風呂に入る時と寝る時ぐらいだ。
「これがことの発端だった。十年前……、妹を亡くした後、俺は何日か学校を休んだ。心にポッカリと穴が空いたようでどうしても行く気になれなかったんだ。
それで母さんが用意したのがこのペンダント。このペンダントをしているとそこに羽衣がいる気がして寂しさが和らいだ。これがあると学校に行ける気がした……」
もちろん学校につけていくのは通常は許されていない。だけど母さんが事情を話してなんとか着用を認めてもらえた。
ただ条件がいくつか課せられた。一つは目立たないようにすること。もう一つは体育の時間は外して担任の先生に預けること。そして最後に紛失しても責任は取れないこと。
この三つの条件を呑んで俺はペンダントをつけて学校に行った。もちろん服の下に隠していた。
でも紐の部分まで隠せなかった。俺が登校して教室に入り、しばらくすると一人が言った。
「それなあに?」
そっからクラスは大騒ぎだ。付けてきてはいけないはずのアクセサリーを付けたやつがいきなり学校に現れたのだから無理もない。
「……その時、淳が近くにいて、事情を説明してくれた。だけど、それで納得してくれたのは半数くらいで、質問攻めはとまらなかった」
実乃莉は違和感を感じたのか俺の話を遮った。
「でも、変じゃない? だって、みんな事情を知ってたはずでしょ。遺骨が入っていることを説明したら納得するはずじゃあ」
「担任が説明してなかったんだよ。色々とめんどくさがりの奴だったから話してなかったんだ」
「休み時間になる度に人が集まった。俺は何度も『見せるもんじゃない』と説明した……」
けれども、そいつらは自分の好奇心に促されるがままに見せるようにと要求してきた。
俺は拒んだよ。母さんにも見せびらかすものじゃないと言われていたし、そもそも着飾るためのものでもない。
俺にとってはこれだけが心の拠り所だった。もうほっといてほしかった。普通の生活に戻りたいのに、興味本位でなんでも聞いてくる。そんな奴らが邪魔だと思った。
事件が起きたのは体育の後だった。授業前に担任に預けに行ったが予想通りそいつは与らなかった。仕方なく机の奥、取られにくいように教科書の間に挟んでしまった。体育の後、そのペンダントがなくなった。
「……結局その後も俺の手元に戻ってくることはなかった」
「誰かに取られたってこと?」
「そう。盗った奴の名前は赤木蓮。忘れることはないよ。
その帰り道……」
俺は淳と一緒に帰っていた。行きよりも暗くなった面持ちを見て、淳は
「何かあったのか?」
と聞いてきた。俺がペンダントを無くしたと言ったら盛大に驚いた。
「それで先生に言ったのかよ」
「言ってない。あの人面倒くさがりだから」
「いうだけ無駄か……、でも、いつか戻ってくるんじゃないか。親に見つかったら大変だし」
「そうだといいけど……」
その時、誰かが俺と淳を追い抜いた。赤木だった。
「おーい、西条、これなんだかわかるよなよな?」
手に何か持っていた。俺のペンダントを見せびらかすように吊り上げる。それを見て淳は激昂した。
「お前!! それが何かわかってるのか!!」
「えーっと、なんだっけ、妹の骨が入ってんだっけー?」
「だから、大切なものなんだ。返してくれ」
「やだね、これがあるとお前が人気者じゃねえか」
何を言ってんだこいつって思ったよ。だけど、俺はこいつが望むようにするしかなかった。
「わかった。明日から付けてこない。だから返して」
「そんなの信じれないね。しばらくは俺が持っておく」
「お前……、ふざけんなー!!」
淳が殴りかかった。淳は俺が暴力を振るうのを苦手なのをわかっていた。だから、代わりに殴ろうとしてくれた。
けれど、その拳が当たることはなかった。赤木の運動神経はクラスで一位二位を争うほど優れていて、簡単に逃げられてしまった。
しばらく後を追ったよ。赤木が疲れ立ち止まるまでずっと追い続けた。
しばらく走ると赤木は走り疲れたのか橋の上で立ち止まった。そして……。
「おりゃー」
と、声を上げ、ペンダントを川に投げ入れた。
「……茫然と立ち尽くしたよ。しばらくそこから動けなかった。取りに行こうにも梅雨時期でね。川が増水してて取りに行けなかった」
「それで……、その後は」
実乃莉は恐る恐る聞いた。俺の話を自分ごとのように捉えているのか表情を濁す。
「結局ペンダントは取りに行けなかった。今つけているのは母さんが着けるはずだったものだ……」
翌日の登校中、赤木は俺に話しかけてきた。
「おっ! 今日はつけてないじゃん。よかったな、ちゃんと妹とお別れできて」
その言葉を聞いた刹那、何かが俺を支配した。拳を振り抜いた瞬間だった。この時、もう一つの人格が芽生えたんだ。
そこからしばらくのことは覚えていない。淳から聞いた話だと、俺はそいつを殴たらしい。馬乗りになって………謝れ、謝れと言って何度も何度も殴った。
俺は赤木が気絶した後も殴り続け、そいつの体がピクリとも動かなくなったのを見て、淳が背中から抱え込んで止めたんだ。
気がついた時には赤木は俺の目の前で血まみれで倒れていた。
俺の手にも血がついていて、ズキーンと鈍い痛みがしていたのを覚えている。
赤木はしばらく入院することになった。俺も手を骨折していたことと高熱が出たことが重なり一週間くらい入院することになった。
ある日、俺の病室に一人の女性が入ってきた。赤木の母親だった。その顔は怒りと憎しみで歪み、俺を軽蔑していた。
はっきり言って俺にとってあいつがどうなろうと知ったことではなかった。俺は無意識だったし、元々あいつがペンダントを奪ったのがいけないのだから。仮にあいつが死のうと障害が残ろうとどうでもいいと思っていた。
その女と母さんは酷い言い争いをした。
子が子なら親も親だった。一方的に俺が悪いと言い出したのだ。
それでも母さんはうまく言い包めてその女を病室から追い出した。
「これ以上、あなたと話しても意味がありません。訴えたいなら裁判でもなんでもすればいい」
母さんの怒りに震えた声を初めて聞いた。
しばらく拳を握り締め呼吸を荒くしていたのを覚えている。
退院した俺は学校へ行った。その時、起こった現象を俺は忘れることはない。全員が俺を避けた。
まるで、見えない壁があるかのように一定の距離を取るようになった。今、思えばみんな怖がっていたんだと思う。だけど、当時の俺にとってはショッキングだったし、大きな絶望を感じた。
だってそうだろ? 来てほしくないときには寄ってたかってきたくせに、いきなり避けるようになったんだから……。
これが、俺が人を嫌いになった理由だ。嫌いになったと言うよりは見限ったの方が正しいかな。
その日の帰る前に担任からある一通の書類を渡された。
「怖いから来させないでほしい」という声が多数寄せられたという内容だった。
「……それから俺は学校に行かなくなった」
***
「簡潔にまとめると、俺が人を嫌いになった原因はそいつらが上部の情報だけで勝手に判断し、俺を悪者にしたからだ。咎めるべき人間は他にもいたのにな……。俺はそれが許せない」
話を終えると優人はコップに残ったクラフトコーラを飲み干す。
実乃莉は優人が不憫に思えて仕方がなかった。
(この先、人の悪い一面を見せつけられてきた優人くんはどうやったら報われるの……。
彼にとっての人という存在がその時のままなら、この先ずっと苦しむことになる。
だから社会のために働く運命を嘆いた。だから心を閉ざしたんだ。これ以上、自分を傷つけないために)
しばらく場の空気が静まった。実乃莉はその空気が重苦しく感じて、なにか言わなくてはと口を開く。
「私はあなたのことをちゃんと見ているからね。上部だけじゃない内面も。心の優しい人だって……ちゃんとわかっているから……」
動揺していたせいでうまく伝えられたかどうか、わからなかったけれど、なんとか言いきった。
それを聞いた優人は唖然とし、口をポカーンと開けて静止している。
(あれ? 私、何か変なこと言ったかな?)
「なあにその顔?」
その間の抜けた顔を見ると笑いが込み上げてきてクスッと笑みが溢れた。そんな実乃莉に優人は突飛な質問をする。
「前から気になっていたんだけど、実乃莉は俺に気があるのか?」
笑っていたところを、いきなり心臓を掴まれたのかと思うほどの衝撃が胸に響いた。
頬が熱くなり、鼓動がはやまる。
視点が躍る中、実乃莉は慌てて優人の言葉を否定する。
「違う。気があるとかそういうのじゃなくて、ただの友達。ただの友達?」
「自問してどうする?」
「うーん、ただの友達とも違うな……憧れの存在かな……」
あたふたしながらも答えを探す実乃莉が可笑しく見え優人は思わず笑った。
「ちょっと、笑わないでよ」
「いいや、ごめん。ちょっとおかしくって」
実乃莉は少し気恥ずかしかったが、それでも嬉しかった。
(優人くんが笑った。初めて……、私の前で……)
少しずつ心を開いてくれている。いま、実乃莉はそのことが嬉しかった。
「初めて笑ったね」
「えー、そうか?」
「少なくとも私は初めて見たよ」
照れ臭そうに頭の後ろに手を置く彼を見て自然と笑みが溢れた。それを見た優人は不思議そうに聞いた。
「なんでそんなに嬉しそうなの?」
「ひみつ……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます