第11話 傷跡
目が覚めると見慣れた天井が真っ先に映った。小さい頃から毎日見ている自分の部屋の天井。
——俺はちゃんと生きているのだろうか……?
そんなことを思い胸に手を当ててみた。あれだけの痛みがあったにもかかわらず、心臓はいつも通りの平穏を取り戻している。どうやら俺は生きているらしい。
ゆっくりと目を動かしてみた。すると、視界の端の方でチラッと人影が写った。その人はこちらに近づき俺の顔を覗き込む。母さんだった。
「やっと目を覚ました。早く起きなさい」
——なんでこんな時間にうちにいるんだ?
そんな疑問が頭に湧いてきた。それに「やっと起きた」ってどのくらいの間、俺は寝てたんだ……。ヘルメット型のヘッドレストを押し上げゆっくりと起き上がった。肘掛けについているボタンを操作して背もたれを元に戻す。
「死んだかと思った……」
そんな言葉が俺の口からポロッと溢れた。
それを聞いて母さんは澄ました顔で言った。
「大袈裟ね……一般販売されているポータルチェアで人を殺すのは不可能よ」
「だけど、あれだけの痛みがでたら不安にはなるだろ……」
「痛覚遮断システムを解除したとて、脳に送る信号が異常な値になったら、電源が落ちる仕組みになっている。
その器官は外部との接続があるネットワークからは独立しているから、外部から強制シャットダウンを止めることはできない。あなたも知ってたはずだけど?」
そうだ。頭ではその仕組みを理解していたはずなのに、激痛を前にその思考に行きつかなかった。
寝起きのように頭が冴えない中、ある疑問が湧き起こった。
(二人はどうなったのだろうか……? そもそも俺は生き残っているのか?)
「なあ、俺はリタイアになったの?」
「あなたを含む三人のアバターは無事よ」
それを聞いて俺は胸を撫で下ろした。とりあえず二人も無事なのだ。
「そもそもなんでここにいるの?」
「あなたが私たちを妨害する何かと接触したのならすぐに話を聞くべきだと思ったからよ。だけど、あなたのハードは電源切れてるし、電話しても出ないし、でここまできたのよ。
そういうわけだから、二人にも連絡してくれる? 場所はどこでもいいわ。仮想世界でも……。どこかに集まるように言って」
俺は言われた通りに二人に電話しようと、机の上からスマホを取った。まずは実乃莉から……。繋がらない。何回か掛け直したが繋がらなかった。
「母さん、強制切断されたのは俺だけ?」
「ええ、そうよ」
(じゃあ、実乃莉はまだあの暗闇に……)
実乃莉はあの暗闇の中で苦痛を与えられているのかもしれない。そう思うといてもたってもいられなかった。
「母さん、寮まで送って」
「寮って学校の?」
「そう、早く」
俺はすぐに家を出た。車に乗り込むと、母さんはすぐに車を発進させた。自動走行車は最短ルートで学生寮に向かった。
車は寮の前に停車し、すぐに母さんは車を降りた。そして女子寮へと駆け出した。俺も母さんの後に続こうとしたが……、
「男子は禁制よ」
と母さんに制止させられ入り口で立ち尽くした。そのまま母さんは管理人に話を通し、建物の奥へ入っていった。寮棟は男子と女子で別れている。そのため、俺は立ち入ることができない。
外でしばらくし待っていると母さんと一緒に実乃莉が出てきた。
その姿は俺の知っている彼女からはかけ離れていた。顔色もくすんで見えるし、足取りも少しぎこちない。その様子を見ると胸がぎゅうっと締め付けられたように苦しくなる。
「大丈夫か……実乃莉」
心配になり俺は声をかけた。声を聞き取ったのか実乃莉は俺の方を向く。
「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」
実乃莉は笑顔を作った。だけど、その笑顔はいつも明るく振る舞うそれとは違った。つらいことを隠して出る上辺の笑顔、そう思えて成らなかった。
「病院へ送るわ。精神科を受診しなさい」
「何から何まですいません」
「いいの、いいの。こんな息子と一緒にいてくれてるんだから、このくらい気にすることないわ。あと、優人。あなたも来なさい」
「えっ!? 俺も?」
「そうよ……。本社に行って、久保くんと木戸倉に会って話をしてもらうから早く乗って」
俺は元々、実乃莉が心配でついてきただけだった。ここから家までそこまで遠くない。だから歩いて帰るつもりだったのだが、本社にまで行って、話をしろということは情報をさっさと落とせということなのだろう。
それに木戸倉をこの件に引っ張り出してくるところ、事を本気で抑えようとしていることが伺える。なにせ、木戸倉は仮想世界の開発者であり、A I産業を発展させてきた人物でもあるのだ。
俺はすぐに車に乗り込んだ。車は走り出し本社近くの病院前で停車した。お礼を言い車から降りた実乃莉の姿を俺は目で追う。
重い足取りのまま実乃莉は入り口に向かって歩いていく。
——いったい何をされたのだろう……。
そのことで頭がいっぱいだった。俺への攻撃は痛覚によるものだった。だけど、実乃莉のあの感じからして、違う攻撃を受けたのではないのだろうか……。
「あの子が心配?」
母さんが物珍しげに声をかけた。
「まあ……」
「あなたが他人を心配するなんて珍しいこともあるのね」
「そりゃあ、友達だからね」
「友達ねえ……」
「何?」
「あなたは十年も他人と付き合おうなんてしなかったじゃない。一体どういう風の吹き回しなのかしら?」
「ただの気まぐれだよ。たまたま友達になれそうな人がいたから交友を続けているだけ」
「そう……。たまたまでも、大切にするのよ」
母さんはそれ以降、あまり口を出さなかった。無言の時間で、俺はある事を思い出した。
そういえばフィオネスが言っていた。『過去の嫌な記憶を掘り返すことができる』と。
それは記憶を覗き見て、情報として再現するという意味なのか……。それとも、催眠術的な手法で記憶を思い起こさせるのか……。
もし、記憶を覗き見ることができる場合は他者の持つ情報を手に入れることも可能だと言うことになる。
つまり覗き見る対象の人物によっては機密情報を容易に手に入れることだってできるということになるが、どうなのだろう。
俺は母さんにそのことを聞いてみると、その考えはあっさり否定された。
「確かにポータルチェアを使って記憶を見ることが出来るけど、それはごく一部に限られる。例えば、自分自身の顔の記憶だったり、あと声とかもそう。日常的に見ている光景や、脳が優先的に記憶している情報しか読み取ることはできない。
仮に記憶の深部に入り込んだとしても、そこにあるのは定着する前の断片的な記憶だし、さらにその数は解読できないほど無数に存在する。
記憶の大海原から特定の情報を見つけ出すことなんてできないわ」
そうなると益々奴らの目的がわからなくなる。一体なんのために妨害をしているのだろうか……。
とにかく、実乃莉と奴らが接触しないように注意しないといけない。これからはもっと慎重に進めないと……。
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