第2話 少女との出会い①
ある夏の日の昼下がり。午後の睡魔に襲われている時だった。
勉強机に突っ伏し、うとうとしていた俺は突然鳴り出した着信メロディーに眠気を吹っ飛ばされる。
必要以上に騒ぐその携帯端末の画面をタップし、耳元に近づける。端末からは聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
『おう、
「竜崎、もうとっくに届いているよ」
『そうか……今年も、もちろん出るよな』
「ああ……、言われなくてもそうする」
『ならよかった。俺はお前と剣を撃ち合えるのを心待ちにしてたんだ。出なかったら承知しねえぞ』
「お前が許そうが許すまいが、俺の母親が許してくれないよ」
『確かに……。お前は運営元の社長の息子だしな』
「皮肉に聞こえるのは気のせいか?」
『気のせいじゃないな。まあ、わかっていたならいい。決勝でまた戦えることを楽しみにしてるよ。じゃあな』
そう言うと竜崎は通話を切った。
「もう1年経ったのか……」
『グラディエイトリアルコンバッツ』(略G C)は
そこで俺が優勝したのは去年の一回だけ。
つまり、竜崎は俺に勝ち逃げされないよう、催促するために電話をしたわけだ。
そんな竜崎の気持ちもなんとなくわかる。
去年の決勝戦。俺と竜崎の戦いは時間内に決着せず延長した上、それでも決着がつかなかった。
最終的には、お互いのH P残量で勝敗が決定した。しかも、H Pの差は数ドット。これだとどちらの実力が上だったのかはっきりしないし、あいつが納得できないのも頷ける。
俺は椅子から立ち上がり、部屋の端に置いてある大きい白色卵型の椅子に腰掛けた。
この椅子はポータルチェアというもので、これを使うことで誰かが電子空間に作った異世界へ意識を飛ばすことができる。
背もたれに体を預け、付属のヘルメットを頭にはめた。肘掛けにあるスイッチを操作し、背もたれを後ろへ倒す。
すると、背もたれが倒れるのと同時に、座面が前にスライドし、レッグレストの位置が上がっていく。
やがて寝るような体勢になり、完全にリラックスした姿勢になった。目を閉じて、ヘルメットについた電源スイッチを押し込む。
一度、意識が遠のき、聴覚や嗅覚などを含む全身の感覚が遮断された。やがて暗かった視界が明るくなり、そこに複数の文字列が浮かび上がる。
ログインができるワールドの名前だ。俺は今から向かう《アナザー・ワールド》を選択する。
その瞬間、視界が一瞬にして強い白光に包まれ、俺はその仮想世界へフルダイブした。
***
眩しかった視界が落ち着いた。目を瞑ったまま、感覚が正常かを確かめる。
耳を澄ますと近くで噴水の音がした。頬を撫でる心地よい風に乗って海の潮の匂いがほのかに香る。
聴覚、嗅覚、触覚も正常だ。
俺は感覚が戻ってきたことを認識し、ゆっくりと瞼をあげた。
目の前にはおしゃれな噴水。
周りにはヨーロッパの街並みを彷彿とさせる風情のあるおしゃれな建物が並ぶ。
空からは偽物だが本物に限りなく見た目を寄せた太陽が辺りを燦々と照らす。
それがこの世界、《アナザー・ワールド》。商業用に開発された仮想世界だ。
しかし、それは建前に過ぎない。この世界の実態は人間をどこまでも堕落させた世界である。
建物の中には企業が経営するショップが入り、購入したものはネットショップと同様に現実の家に届けられる。
実物に限りなく近い物を、見て触れられるというのはこの世界特有のものだ。
そして、この世界には映画館や遊園地といった娯楽施設まである。
そういった娯楽までもが、家から一歩も出ずにできてしまうようになってしまったのだ。
一般開放された当初は、その便利さゆえに健康被害を危惧する声も多く聞こえたが、それが今となっては学生から中高年と幅広い世代が日夜問わずログインをする。
一日の利用者数は国内だけで一千万人を超え、運営しているV R P——俺の母親が経営する会社——はその年商の高さから、世界的トップ企業に仲間入りしたのだ。
そのことは俺にとっても誇らしいことだった。
会社設立してからわずか九年。その僅かな年月でここまで成長させてしまったのだから。
だが、それは俺にとってプレッシャーだった。
——俺が継ぐことになるのか……。
正直、人のために働こうなんて思いもしないし、思いたくもなかった。だが、母さんが積み上げたものを器の小さい他人に渡すというのも、嫌な話である。
(仕方ないよな……。仕方ないことだってある)
いつものことだ。こうやって無理やり納得するしかないのだ。自分の運命はそう簡単には変えられない。
そう思いつつも俺は会場へ向かった。
通りを10分ほど、歩いたところで、俺は嫌な光景を目にしてしまった。
男二人が少女の両腕を強引に引っ張り、裏路地に連れ込もうとしていたのだ。
ここは表通りではあるが、怪しげな骨董品を売る店ばかりで、人気が常時少ない。
さらに裏路地にはホテルが運営されている。もちろんこんなところで寝泊まりするはずがないので、いかがわしい目的のものだ。
ハラスメント防止のためのシステムは実装されており厳重に処罰されるが、残念なことに腕を掴んだくらいでは発動しない。
そしてそのシステムはホテルの中に入ってしまった時点で自動的に解除されてしまう。
俺はメニューウィンドウを開きイマージェンシーボタンを指でタッチした。
これで、しばらくすると警備AIが駆けつけるが、それを待っている時間はなさそうだ。
少女の抵抗は虚しく、彼女はずるずると引き摺られていく。少女の姿が建物の影に隠れる寸前、俺は彼女と目があってしまった。
必死に助けを求めるその瞳を見て、俺は見過ごすことはできなかった。
俺は早足で少女が連れ込まれた裏路地に入る。道幅は大人三人が横に並ぶことができるギリギリの幅しかない。
奥の方にネオン管の置き看板が設置され、暗く影った通りをピンク色に染めていた。
少女の嫌がる悲鳴じみた声がまっすぐ俺の耳にも入ってくる。
足音で俺の存在に気付いたのか男は二人とも、こちらに顔を向けた。
「なんだ、テメー!?」
「ただの通行人だ」
二人は見るからにチンピラだった。だぶだぶズボンにタンクトップ。髪を固めて整形した刺々しい髪型。いつの時代の人間だよとツッコみたくなる。その一人が俺を睨みつけた。
「ヒーロー気取りかおめえ……、だっさ」
言わせておけばいい。こいつらに言葉のやりとりは不要だ。
俺から見たらこいつらは野生の猿同様の存在。自分達の獲物を確保し、それを奪おうとするものが現れれば攻撃的になる。なんとも単純思考な人間だ。
「おい、なんか言えよ。舐めてんのか!!」
男は勝手に激怒し、俺に殴りかかってきた。男の拳がまっすぐ俺の顔に向かってとんでくる。
しかし、その動きはかなりゆっくりに感じられた。剣の打ち合いと比べたら素人の拳など遅すぎる。
俺は上体を左に反らせ、軽々と男の拳を避けた。そして、男の溝うちに右拳をねじ込み、続けて左拳を顔面に叩き込む。
男は鼻と腹を押さえ悶絶し始めた。
《アナザー・ワールド》では痛覚がリアルと同じように感じられる。こう言った犯罪行為から抵抗する唯一の手段だからだ。
今、目の前で悶絶している男は現実世界と同じ痛みを体感している。もちろん俺の拳にも痛みがある。
「てめー……、何しやが」
言い切る前に俺は回し蹴りをし、男を壁に叩きつけた。男の頭が壁に激しく衝突し鈍い音が鳴る。男は壁に寄りかかり、そのままずるずると地面に崩れ落ちた。
俺はもう一人の男を睨む。そいつはいまだに少女の手を掴んでいたが、俺が睨んだ瞬間ビクッと強張った。
「さっさと離したほうがいいんじゃないのか? どのみちお前らは警察に突き出される。痛い目に遭わない選択をとったほうが賢明だぞ」
《アナザー・ワールド》を含む仮想世界での性暴力は重罪と定められており、未遂であっても警察沙汰になる。
アバターの持ち主は登録情報からすぐに割り出され、アバターの視覚映像や音声情報は証拠としてすぐに警察に提出される。
つまり状況証拠が揃ってしまっている以上こいつらは罪からは逃れられない。
「痛い目にあいたいんだったら、付き合うが……」
男は最後の足掻きだったのか絶叫をあげ、俺に突っ込んできた。
——やめておけば良いものを……。
俺は男の拳を屈んでかわし、次いでその伸びきった腕を掴む。
そして、俺は男に背負い投げを繰り出した。男の体が数メートル吹っ飛ぶ。
地面に強く投げ出されたその体はピクリとも動かなくなった。
チンピラどもが動かないことを確認し、俺は少女に声をかける。
「大丈夫か?」
「ええ、助けてくださりありがとうございます」
「ここは、極端に人通りが少ない。あまり一人で歩かないほうがいいぞ」
「はい、気をつけます」
そうにこやかに返事をした少女はとても綺麗だった。
艶やかな黒髪に、卵型の輪郭、クリッとした大きな二つの目の間にはすっきりとした鼻筋が通っている。唇は桜色で肌は透き通った白。誰がどう見ても美少女というだろう。
ここでのアバターは現実の見た目とほぼ同じになる。ポータルチェアがログイン前に顔の骨格をセンサーで読み取るからだ。
その情報をもとにアバターは毎度、現実のものに限りなく近い形で生成される。つまり、この世界で美少女なら現実世界でも美少女なのだ。
(なるほど、今ここで伸びているこいつらが狙った理由も少しわかるな)
俺は一人で納得をし、来た道へ戻ろうと足を進めた。すると、すぐに後ろから肩をちょんちょんと突かれる。
「何?」
助けた少女がやったのかと思い俺は振り向いた。だが俺の視界に入ってきたのは別の人物だった。
青い衣服に身を包んだ巨漢が俺を見下ろしている。俺はその男の体を足元から順に見やった。
黒い革靴に青いスラックス、黒いベルトに青いシャツ、その上のジャケットも同じく青。
そして顔はいかついゴリラ顔。
被っている帽子は黒いツバと額にひまわりの紋章が付いた青い帽子。これは警備員の制服……。
「西条優人、暴力行為は禁止されている」
「そうですね」
「わかっているなら話が早い」
そう言うと警備員の男は、俺の両腕に手錠をかけた。
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