金貨の章
♦1 ガード下で
「夕方のニュースです。本日埼玉県氷川市にある宿泊施設にて、男性が倒れているとの通報がありました。男性は全身を刃物のようなもので刺されていたとみられ、その後、病院で死亡が確認されました。男性は三野和雄さんとみられ、警察は建物の入り口にある監視カメラに映っていた不審な女が何か事情を知っているとして行方を追っております。この近辺では先週、同様の殺人事件が――」
紅莉は悠真と河口駅で解散した後、家には帰らず荒川の河川敷に来ていた。
河川敷の土手は堤防代わりになっており、有名なウォーキングコースとなっている。
夕方時には運動不足を解消しようとする老夫婦や、犬を連れた主婦などが利用しているのを見ることができる。
紅莉はそのウォーキングコースから外れ、悠々と流れる川のそばに降りてみることにした。これからしようとしている作業をするのに、適した場所を探すためだ。
荒川、という名の通り、今日はやたらと川が荒れている。ここから二十キロほど下れば海だ。それほどの距離も、流されてしまえばあっという間に大海原だろう。
いつもならもっと穏やかだ。川の上流では雨が降ったのかもしれない。カフェオレのように茶色く濁っていて、水の中は何も見えない。
普段なら居る釣り人も今日は居ないようだ。作業するには都合がいいかもしれない。だができればもう少し、人目につかない場所が良い。
一度土手の上に戻る。登る時に下半身がズキズキと痛んだ。
河川敷の隣りには運動場があり、普段なら学生たちがサッカーやランニングに勤しんでいる。だが今日は随分と閑散としていた。その理由を考え、「あぁ」と納得した。
空を見れば、濃い雨雲がゆっくりとこちらへ向かってきていたのだ。いつ降り出してもおかしくない天気だ。これでは運動場は使えない。
運動場にしようか。いや、土手の上から見る人がいるかもしれない。丁度、今の私のように。
仕方なく、紅莉は鉄橋の下に向かうことにした。
埼玉と東京を繋ぐ主要な交通路で、たしか荒川橋梁と呼ばれていたはずだ。
ここは柱の影が多い。手短に済ませてしまえばバレないだろう。
紅莉は鞄の中から一つのスマートフォンを取り出して、地面に置いた。
そして拾っておいた石を右手に握りしめ、力いっぱい叩きつける。
何度も、何度も――。
これは自分のスマホでは無い。殺害された三野和雄のものである。
あとで落ち着ける場所でカレイドスコープの情報を調べようと、ラブホテルのあの部屋で本人から直接奪ったのだ。しかし、急ぐ必要ができてしまった。
帰りの電車の中で見たニュースに、スマホの持ち主が死んだと出ていたのだ。
それが自分が拘束し、部屋に放置したカズオなのだから焦るのも当然だ。
犯人として怪しまれていたのが自分達ではなかったのは非常に幸運だった。
先にその部屋に入ったのは自分と悠真だったし、指紋などの証拠は残ってしまっている。そもそも、カズオを拘束したのは自分なのだから、相当にマズい。殺人ではないにしろ、暴行や殺人ほう助にはなってしまう。
だが監視カメラが入り口にしか無かったお陰で、現状ではまだ疑われては無いようである。紅莉と悠真は二人でホテルに入った。片やカズオと犯人の女は一人。つまり、カズオが女を呼んだと警察は勘違いしているらしい。
ただ、カズオのスマホを今持っていることが問題だ。
持っていたはずのスマホが無くなれば、警察は怪しむ。当然、スマホがある場所を探そうとするだろう。たしかGPSか何かで探知できると聞いたことがある、精度のほどは分からないが、このまま家に持ち帰ったりなんかすれば紅莉が所持していることがバレてしまう。
警察に無実を証明しなきゃと悠真は言っていたが、紅莉はやめておくよう説得した。
犯人として逮捕はされなくても、警察に長時間拘束されたり、その後に監視されたりするリスクがあるからだ。
残された時間はそう多くない。呪術の本を持つ女をどうにかしなければ。
警察と関わるのは、全てが終わってからでいいのだ。
悠真も紅莉の説明を聞いて、いちおうは納得したようだった。
そして紅莉がカズオのスマホを持っていると聞いて、処分するのを手伝うといってくれた。
だが紅莉はそれを丁重に断った。一人の方が動きやすいからと理屈を捏ねて。
パラパラと割れたディスプレイが地面に散乱していく。
ここまでやれば多分大丈夫だろう。あとは川にでも流してしまえば完璧だ。
破片を手で集め、ハンカチの上に乗せていく。
少し息切れする呼吸を整えながら、ゴミと化したスマホをハンカチごと川へと投げ捨てた。
ぽつ、ぽつと紅莉の頬に雨粒が落ちてきた。
アスファルトの上にも、黒い染みがどんどん増えていく。
――帰ろう。
用事は済んだし、風邪なんてひいていられない。
明日も悠真と会う予定になっている。今度はどんな服で会いに行こうか。
ここ数日、毎日一緒に居られることが嬉しい。
今日なんて思いがけず彼がキスをしてくれた。帰る途中、我慢ができなくなって二件目のラブホテルに行ってしまった。透影のことが終わったら、なんて悠真は言っていたけれど、そんなの待てなかった。今が良いのだ。
悠真は私を選んでくれた。
だからこそ、絶対に彼を救わなければならない。
悪魔の愛読書を集めれば、必ずあの女は引き寄せられて自分からやってくるはず。
その時は、私がこの手で――。
「あー……念のために家に帰るのはやめておこうかな」
家の方角に向かい掛けて、足を止めた。
警察もそうなのだが、あの女が家に襲ってくる可能性がある。
カズオを殺したのがあの女ということは、直前まであの現場に自分達が居たことを知っているかもしれない。
能力を使って後を追って来ないとも言い切れないのだ。
まぁ来たら来たで返り討ちにすれば良いだけなのだが、必ず成功するとも限らない。
ここはマルコを頼ろう。
教会に匿ってもらえれば、対応のしようがある。
そうだ、悠真も誘おう。
家族にも危険が及ぶかもって言えばきっと来てくれるはずだ。そうすれば、もっと長く一緒に居られる……!!
紅莉は大粒の雨が降り落ちる中、悠真に連絡を取るべく自分のスマホを取り出した。
◇
――紅莉は大丈夫だろうか。
悠真は自分の部屋のベッドの上で終始そわそわしていた。
どうにも落ち着かない。
手にスマホを持ったまま、ゴロゴロとベッドの上をいったりきたり。
紅莉と繋がってからというもの、高揚感が鎮まってくれないのだ。
柔らかな感触、自分とは違う熱、脳に響く声。
そのどれもが初めての経験だった。
はてして、自分は上手くできたのだろうか。
紅莉は満足してくれたのかな。体調は――帰りは普通だったから大丈夫のはずだ。
本当は家まで送ってあげたかった。
名実ともに恋人関係になったといっていいだろう。
星奈は――もう知らない。
もう一度、話がしたいと送ったが、連絡は一切返って来なかった。
だから、『別れてほしい』――そう一言だけ、送っておいた。
もはやそのメッセージすら、見ているかどうかも分からない。既読にもなっていなかったから、もしかするとブロックされているのかもしれない。
でも、それならそれでいい。悪いのは向こうなのだ。こっちは歩み寄りを見せているのに、すべては拒絶する星奈が悪い。
「はぁ……紅莉は今頃、何をしているんだろう」
つい一時間ほど前に別れたばかりだというのに、もう会いたくなってくる。
明日も会う予定ではあるが、あの可愛らしい笑顔がもう一度見たくてしょうがない。
どうして俺は、紅莉と最初から付き合わなかったんだろう。
周りの評価に流されて、星奈ばかり目で追っていた。
紅莉とは何度も同じクラスになっていたし、話す機会だってあったはずなのに。
大人しいのは悪いことじゃない。控え目な性格だって相手を思いやる気持ちの表れだ。
今考えると、彼女をイジメから守って本当に良かったと思う。
あんまり助けたとか、そういう記憶は無かったけれど。でも本人がそういうのだからきっとそうなのだろう。
なんにせよ、紅莉が俺を好きになってくれて……俺が紅莉を好きになれてよかった。
こんなに心が温かくなることなんて、本当に初めてだ。
「はぁ……」
嬉しい気持ちに反比例して、今度は寂しさが募ってしまった。
何とか誤魔化そうとスマホのデータフォルダを呼出し、写真を眺めてみる。
画面の向こうの二人はシーツから胸上を出して、笑顔でピースをしている。
これはさっきホテルで撮った記念写真だ。
ちゃんとした写真はこれからデートした時にでも撮れば良い。
ちょっと恥ずかしいし、誰にも見せて自慢なんてできやしないが、現状はこれしかないのだから仕方がないだろう。
スマホを見ながらニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべていると、唐突にスマホが震え出し、次いで着信音が鳴った。
もしかして、と期待して画面を見てみれば、そこには想い人の名前が。
噂をすれば影が差す。紅莉からメッセージがきたのだ。
やった、と思いながらアプリを起動する。
するとそこには、『今から電話できる?』とあった。
嬉しい。
向こうも俺と話したいと思ってくれたのだろうか。
さっそく大丈夫だよ、と返してから自分からコールボタンを押す。
そう言えば着信音、適当に設定していたせいで、今流行りの失恋ソングになっていたんだった。
……縁起が悪いから後で変えておこう。
数コールすると、紅莉は電話に出てくれた。
「もしもし?」
「あぁ、悠真君。今家?」
「うん。自分の部屋。紅莉は?」
電話越しでも可愛い声だ。ていうか全部可愛い。
ところで何か用でもできたんだろうか? 電話口では、車が通るような音がする。
もうかなりの雨が降っているはずだけど、まだ外に居るのだろうか。
「今ね、荒川の土手沿いに居るの」
「え、荒川の? あー、もしかしてアレを?」
「そう。まぁアレは無事に処理できたから大丈夫。それで、これからのことなんだけど……」
これからの話? 自分たちの交際について……ではないだろう。
本探しについて何か進展があったのだろうか。
「壊す前に確認したんだけど……カズオのスマホにね、あるメールが着てたのよ」
「メール?」
「うん。カレイドスコープについての問い合わせなんだけどね。なんでも、運営側になるにはどうしたらいいのかって質問をしている人が居たの」
「運営に? 会員になる、とかじゃなく?」
それはまた随分と自信家というか。売り込み方がアグレッシブな人がいたもんだ。
会社で言えば、社員じゃなくていきなり役員をやらせてくれと言うようなものだろう。それほどまでに実力があるか、身の程を知らないかのどちらかだ。
「履歴書みたいなのも送られてきていてね。見てビックリ。その人、私達と同じ高校生だっていうのよ」
「はぁ!? 高校生!?」
「しかも女性だったんだよ。だからカズオがその子のことを根掘り葉掘り聞き出して、挙句の果てには会おうともしていたらしいの……」
それを聞いた悠真は「あぁ、奴ならやりそうだな」と思った。
なにしろ、紅莉が会いたいとメッセージを送ったら、数時間後には本当にやってくるような男だ。
アイツ、根っからの女好きだったんだな……。
そんなケダモノに紅莉を穢されそうになったことを思い出すと、怒りが再び沸々と湧いてくる。
「その子、
「JK……生配信?」
「それで最近、占星術の本を手に入れたらしいの。その伝手でカレイドスコープを知って、自分もそこに所属しようと思ったみたいなのよ」
「なるほど……それで、彼女の居場所は分かりそうなのか?」
「うん。都内だから近場だったよ。住所も書いてあったから、明日行こうと思うの。それでね、悠真君……」
「ん? どうした?」
言葉に詰まってしまったのか、電話口の向こうで「あー」とか「えっと」と言う声が聞こえる。
「えっとね。たぶん警察の他にも、あの女が私達を追ってくるかもしれないの」
「あの女……って、あの化け物女が?」
「うん。一度は透影にしたカズオの所に来てトドメを刺しに来たでしょ? つまり……」
「俺達の所にも来る可能性があるってことか……」
なぜ透影にしたあとにわざわざ殺しに来るかは分からない。
いや、あの異常者が考えていることなんて分かるわけもないが。
「それでね、悠真君の所に来たら色々とマズいよね。だからさ、良かったらマルコの教会に避難しない?」
「教会に? あぁ、たしかに。家族まで狙われるわけにはいかないしな」
自分だけならまだしも、無関係な家族まで襲われたら大変だ。
一時的に非難するのは、悪くない考えだと思う。それに教会なら、人間には被害が及ばなさそうだ。迷惑そうな顔をする誰かさんが思い浮かんだが、それは敢えて気にしない。
「分かった。母さんには友達の家に泊まりに行くって言っておくよ。今から直接教会の方に向かえばいいかな?」
「うん。それでお願い。食事と寝る場所は、私からマルコにお願いするから大丈夫」
「……ありがとう。気を使ってくれて」
「えへへ。どういたしまして。それじゃ、向こうでね」
紅莉はそう言って電話を切った。
内容は深刻なものだったが、耳が幸せだ。
「っと、急がなきゃ。数日間は泊まることになるのか……母さん、なんて言うかな」
どうにか誤魔化さなければならないが、仕方ない。
取り敢えず、今日だけでも許しを得なければ。
母はおそらく夕飯を作り始める頃合いだ。伝えるなら、早い方がいい。
キッチンへ向かうためにベッドから起き上がる。そして持っていたスマホをポケットに入れようとしたところで、スマホが再び鳴った。
「……誰だ?」
紅莉かとも思ったが、違う。
画面に表示されていたのは、知らない番号だった。
――警察だったら嫌だな。
悠真は電話には出ず、電源を切って部屋を出た。
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