♣2 悪魔の愁いを帯びた瞳


 悠真をひたすらに揶揄って遊んでいたマルコだったが、それに怒った紅莉に引っ張られてどこかの部屋へ連れて行かれた。


 その後すぐに二人は戻ってきたのだが――



「え、なに? この状況……」


 どういうわけか、マルコは神父服からメイドの給仕服へと着せ替えられていた。

 その姿のまま、メイドの彼は慣れた手つきでカモミールティを悠真に提供し始めた。



「これは、罰だよ」

「罰?」

「人の所有物を奪おうとした罪。大丈夫だよ。そういうの、好きだからコイツ」


 カチャリ、と少し雑な動作でカップをソーサラーに置くと、紅莉は冷たい視線をマルコに向けた。それは部屋の温度が数度下がったと錯覚させるほど冷え切っていた。



「(誰が誰の所有物なんだろう)」


 悠真は敢えて言葉にせず、スルーすることにした。

 大人しい人を怒らせると怖い、ということが良く分かっただけで十分である。


 それにしても、マルコは男なのにメイド姿が良く似合っていた。

 彼は背が高いし、どちらかと言えば堀の深い顔も本場のメイドっぽく見える。


 流麗な所作と相まって、ただのコスプレと言うにはいささか本格的過ぎる。



「どうかな、悠真君。似合ってる?」

「え? あ、はい。猫耳とか付けてもいいんじゃないっすか?」

「残念ながら、それは採用できないね。ボクは猫が嫌いだし、犬派なんだ」

「そ、そうですか……」


 冗談、というか揶揄からかわれた意趣返しのつもりだったのだが、マルコには通じなかったようだ。むしろワザと声のオクターブを上げて遊んでいる。


「はぁ、お茶が美味しい」

「ふふ。そう言ってくれると嬉しいわ」

「女口調はやめてください」


 疲れていたのか、心なしかハーブティの鎮静効果がより効いてくれている気がする。

 マルコが作ったらしい焼き菓子も食べてみたが、そちらにも何かのハーブが練り込んであるらしく、とても味も優しい甘さがあって美味しい。



「……むぅ。私もメイド服着ちゃおうかな?」

「紅莉はお願いだから、そのままでいてくれ。可愛いメイド姿の紅莉を見たら、俺の心臓がもたないかもしれない」

「え~? うーん、それじゃあ仕方ないなぁ」


 かなり恥ずかしいことを言っていることに、悠真本人は気が付いていない。

 だがそのお陰ですっかり機嫌がよくなった紅莉は、ニコニコとした顔で焼き菓子を貪り始めるのであった。



 ◇


「マルコはね、本の悪魔なの」

「え……?」


 ハーブティのお陰で平静を取り戻した悠真だったが、今度は紅莉の言葉に耳を疑ってしまった。


 ――悪魔。


 悪魔と言えば天使と対を成す存在で、人に対して悪さをする架空の存在だ。

 少なくとも、のんびりと人間と一緒にお茶をたしなむようなものではない。


 それに、なんというか彼は邪悪さを感じられないのだ。

 悪魔というよりも、どちらかと言えば天使に近い。美術館に置かれている彫刻のような芸術的な美しさも相まって、一種の神々しさすら感じられてしまう。


 だがあの紅莉が、マルコは悪魔なのだという。

 多少のオカルト話は信じられるようになってきた悠真だったが、さすがに悪魔はまだ受けれられる余裕は無かった。



「いや、仮に本当にマルコが悪魔だとして……どうして教会に居るんだ?」


 悪魔は神にあだなすから悪魔なのだ。神のお膝元とも言える教会に居るのは、いくらなんでも場違いが過ぎる。神を馬鹿にしている、という意味であるならばおかしくはないかもしれないが。



「ボクは神を信じているし、信奉しているからね」

「え……悪魔なのに、か?」

「天使と悪魔は位の違いはあれど、で同格なんだよ。悪魔だけにね」

「マルコ、悠真君の質問に真面目に答えなさいよ」

「えぇ~? ボクは答えられる範囲であれば誠実に答えているよ?」


 サラサラと流れる黒髪をかき上げながら、マルコは口で大きな弧を描いた。口紅も塗っていないのに、血のように赤い。あれはきっと、ワザと挑発的な笑みを浮かべて悪者ぶっているのだろう。実にお茶目な悪魔だ。


 ただ、悠真もここ数日でこの界隈の人間たちとの接し方を身をもって学んできていた。


 決して表面だけで相手を信じてはいけないし、自分をさらけ出しても駄目だ。ボロを出さないよう、身を引き締め直そう。



「ふふふ。まぁ信じなくてもいいけどね。悪魔も神の子なんだよ。違うのは、役目なだけでね」

「へぇ? 役目ね……。じゃあマルコはいったい、どんな役割を持っているんだ?」

「ボクが神様から授かった役目は、人の罪を見届けること。人が罪を犯すのを時に手伝い、人の罪を聞き、そしてゆるすことさ」


“罪”と聞いて、悠真は閉口してしまった。


 思ったよりも、重要な役目じゃないか。

 人に罪を犯させる、という点はいただけないが、他の部分はむしろ人類にとって益となる行為だ。むしろ天使がそれを担っていても別段おかしくもない。


 それならば、神の子であるという言い分もあながち間違っていない気がする。ただ、それが事実ならば、という前提であるが。



「まぁ、悠真クンは運がいいよ。ボクが直接人の前に姿を現すのは滅多に無いからね。今回は紅莉の紹介だからこうして一緒にお茶をしているけれど」

「マルコは下の懺悔室で人の悩みとかを聞いて、ひとりでニヤニヤ笑っているようなド変態だから。あんまり真に受けなくて大丈夫だからね」

「酷いなぁ。ボクはこの教会の神父として仕事をしているだけなのに」


 そういってマルコは空になっていた悠真のカップに、新たなハーブティを綺麗な所作で淹れ直した。悠真はその光景を、複雑な心境で見つめていた。




「ね? 言った通り、変わっている人だったでしょう?」

「いや、変わっているってレベルじゃない気がする。そもそも人じゃないんだろうし」


 信じる信じないはともかく。ここは一度、彼が悪魔だと仮定しよう。

 害が無ければ死神だっていい。


 それよりも紅莉は最初、マルコは“本の悪魔”だと言ったのだ。悠真はその“本の”という部分が気になっていた。


 なにしろこの数日の間は、本にまつわることが多かった。


 本を探す女。

 手相の本を持つ火傷男。


 そして紅莉。彼女は、自身も本を持っていると言っていた。



「紅莉。俺にマルコを紹介したってことは、何か本に関連する話を教えてくれるのか?」


 すでに自分の分のクッキーを食べ終わっていた紅莉は、マルコの席にあったマドレーヌに手を出し始めていた所だった。彼女は悠真が見事正解を言い当てたことが嬉しかったのか、頬をパンパンにしたままコクコクと頷いた。



「紅莉は食べるのに夢中みだいだし、ボクが直々に悠真クンに説明しようか」

「そうだな。せっかく悪魔が答えてくれるというんだから、お願いするよ」


「ふふ、良いだろう。そうだな、まずは昔話から始めようか」



 ◇


「事の始まりは、ある心の優しい巫女の思い付きだった――」


 遥かなる昔、農村に住まう一人の巫女が居た。

 ある年、疫病や日照りによる不作が続き、巫女の村にも多くの死人が出てしまった。


 当時は農業や医学は進んでいない。

 為す術がなかった巫女は家族や村人をどうにか救いたいと、すがる思いで天に祈り始めた。


 彼女は天啓を受けた。――呪いで民を救え、と。


 ただの偶然か、それとも本当に能力を授かったのか。

 それは定かではないが、巫女は呪いをすることで民を導き始めた。



「最初は試行錯誤の連続だった。動物の骨を用いた占いや、大掛かりな祈祷、鏡を使った儀式など、様々な方法を思い付いては実行し、そして板に書き留めたんだ」


 それはいわば、一つの実験ノートとも言えた。


 一部は上手くいったのだろう。

 いつしか実験が術となり、呪いは呪術となった。


 村人たちは巫女を崇め、やがて彼女の噂は全国へと広まっていく。



「だけど巫女は人間であって神ではない。いつかは死んだ」


 その巫女の死後、大量に呪術の方法が書かれていた板は人の手に渡った。


 あの巫女の秘儀が書かれているのだ。誰しもがその手法を研究し、どうにか己も実現させてやろうとして、次々に手が加えられていく。


 そうして長い時の中で、実験は幾度となく繰り返され、失敗し、研鑽されていった。



「もちろん、それは平坦な道では無かったみたいだね。いつしか媒体は板から紙へと変わり、本となった。秘匿と保存の為に石板や竹などが使われることもあった。本の名前は何度も変わったし、占いとは全く関係のない学問へと変化するものも生まれた。それでも、彼女の魂は死ぬことなく、受け継がれていったんだ」


 その間に世界は目まぐるしく変化していった。

 国がおこっては消え、新たな指導者が生まれては死んでいく。


 学問や技術は革命が起こり、流通の発展で情報は世界を一周した。

 交易や通信技術が発展した近代では、海外の手法も取り入れられ、研究者や専門家同士での争いも起きるようになった。


 反りが合わなければ幾つもの本に分かれ、または廃れる。時には権力者に焚書ふんしょされることもあった。


 それでも誰かに受け継がれている限り、巫女の本は不死鳥のごとく何度でも生まれ変わった。



「そして今から数十年前。ここ日本で万華鏡カレイドスコープと呼ばれる占いの集団が結成された」


 彼らはありとあらゆる占いの技術をめいぼくそう、の三つに体系化させた。

 そこから占星術、タロット、手相、パワーストーン、呪術、風水の分野を発展させ、協力し合いながらも六種の本が編纂へんさんされた。



「いやぁ、凄いよね。あのボロボロの板切れだったものがさ。気が遠くなるほどの年月を経て、再び彼らのもとで新たに生まれ変わったんだ。それに……巫女の魂も一緒にね」


 幾星霜いくせいそうの想いが奇跡を起こしたのか、六冊の本の内、一冊に魂が宿った。

 その本の所持者はカレイドスコープの創立者であり、彼らの中心人物だった女だった。



「その六冊の中でも、彼女が所有していたのはタロットの本だった。そしてその魂の正体が――ボクだ」

「じゃあ、悪魔の愛読書っていうのは……」


 前に紅莉が言っていた六冊の本。それを悪魔の愛読書と言っていたはずだ。

 そして自分を襲った女が狙っているのも――。



「あはは。その悪魔もボクのことだね。我ながら物騒な名前だよね、まったく」


 元はと言えば、人類の為に役立てようとしていたのだから、悪魔というよりは本の精霊といえるだろう。事実、彼はタロットの本の所持者を主と認め、力を貸すようになったのだから。



「ボクは占いで人を導く才を持った二十人の者たちに、アルカナの宿命を授けた」

「それが、禍星の子だったのか……あれ? アルカナって全部で二十一あるんじゃ」

「あぁ、ボクも宿命を背負っているからね。一人だけ仲間外れは寂しいだろう?」

「ってことはマルコも禍星の子なのか……」


 以前、紅莉に幾つかカードを見せてもらった時に、たしか「悪魔」のカードもあったはずだ。


 カードに描かれていた絵はけっこう恐ろしい絵だったが……。



「まぁ実際、カレイドスコープや禍星の子は良くやってくれたよ。彼らは目立ちすぎず、裏からこの国を救ってきた」


 非科学的な一面があるとはいえ、占いの力は絶大だった。

 根拠はなくとも、商売、紛争、天候から個人の健康までありとあらゆる事象を言い当てれば信じない方がおかしい。


 特に権力を持つ者というのは非常に目がさとい。

 カレイドスコープの面々はそれぞれの占いを活かし、すぐに彼らとのコネを築き上げた。必要とあれば自らが政治家の真似事をしたし、会社の経営にも乗り出した。

 大きな災害があれば事前、事後を問わず支援もした。



「それでもね。幾ら禍星の子達と言えど、時には救えなかったり、意図せず人を傷付けたりすることもあったんだ。彼らは嘆き、自身を責めた。法律という鎖に縛られ、善意というギロチンに掛けられることもあった」


 人間というのは万能じゃない。多少の力を持っていたって、全ての人を幸せにできるわけがない。彼らはそれでもできるだけ多くの人を救おうとしたのだろう。それこそ、最初の巫女のように。



「だからボクは神に代わり、そんな彼らの悩みを聞き、赦したんだ」


 マルコはテーブルの上で祈るように手を組み、悲しそうな表情を浮かべた。


 どうやら彼なりに苦悩があったみたいだ。

 そこで悠真は、さっきマルコが言っていたことが気になった。



「じゃあ、罪を犯すのに手を貸したっていうのは……」

「彼らの力の源はボクだからね。それはつまり、ボクが手を貸したも同然だろう?」

「そんな、マルコは……」


 ここまでの話を聞く限り、悠真は彼が悪魔だとはとても思えない。

 良くも悪くも、ただ純粋なだけであって。



「だけどね、やはり禍星の子も良い子ばかりじゃなかった」


 マルコは少し悲しそうに、自虐的な笑みを浮かべてそう言った。

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