杖の章
♣1 教会に棲む悪魔
手相を扱う
悠真は紅莉とあの夜に会った公園で待ち合わせをしていた。
「お待たせ、悠真君!」
「おはよう、紅莉……なんだか、すごいな」
「えへへ。こういうの、一度やってみたかったんだ~」
ベンチでぼうっとしていた悠真の背後から、紅莉が元気よく声を掛ける。
振り向いた悠真は彼女の姿を見て、唖然としていた。
ピンクで縁取られたスニーカーにストライプのスカート、フリル付きの白シャツ。
学校で見る制服姿や、昨日薔薇の館に行った時とはまた違ったお洒落なコーディネートをしている。
悠真が抱いていた少し暗いイメージとは真逆の、爽やかな初夏のファッションだ。
片や自分は特に何も考えず、いつも通りの服装で来てしまっていた。
本来ならば紅莉の服装を褒めるべきところなのだろう。確かに可愛いし、普段とのギャップにも心が動いたといえばイエスというしかない。
しかし寝不足で上手く働かない自分の頭では「すごい」などという、なんとも語彙力の低い単語しか出てこなかった。
だが、今はそう。女子と日曜日に二人きりで会うという意味を理解し、頬を赤くしてしまう。
つまりは、デートである。
「じゃあ、悠真君。行こっか」
「あ、あぁ……」
紅莉は固まって動かない悠真の手を取り、公園の外へと歩き出した。
「(いや、これはデートなんかじゃないだろう)」
透影のタイムリミットは残り六日になってしまっている。タロットのスートとやらに合わせて性格に変化が現れるというのであれば、すでに何かしらの変化が訪れているはずだ。
紅莉は明らかに陽気になっているし、対して自分は何に関してもネガティブな思考だ。自分が自分でなくなってしまうようで、泣き叫びたくなる。
「ねぇ、悠真君。今日の悠真君もカッコいいね!」
「え? そ、そうかな? ……ありがとう。紅莉も可愛いよ」
「ホントに!? やったぁ~! 実はね、昨日の夜からずっと何着ようか考えてたの! ライダースジャケットにスキニーパンツの方がセクシーかな~とか思ったんだけど、悠真君はスカートの方が好きって言ってたでしょう?」
「そんなこと言ったっけ!? 別にセクシー系が嫌いって訳じゃないけど?」
「あはは、悠真君のエッチ~!」
とはいえ。そういう事情だからこそ、楽しそうな紅莉に癒されているのも確かだった。
「(俺の好みか……俺の好みって何だったっけ? 星奈……そういえばアイツ、いつからギャルっぽい服をするようになったんだっけ」
ギャルが苦手、というわけではない。
だけど星奈にはお嬢様のような、綺麗めな服の方が似合うと思っていた。もちろん、元が良い彼女は何を着ていても可愛かったのだが。
まぁ、彼女はあまり人に合わせるようなタイプではない。いつも自信に溢れていた。
紅莉のように自分の好みを探ったり、好かれようと何かをしたりしていた記憶は一度もない。
そんな事をしなくても、向こうが勝手に好きになって来るのだから、わざわざ他人に合わせる必要性が無かったんだろう。
「(これが尽くされる、ってやつなのか?)」
星奈と付き合っていたからこそ、悠真は紅莉の態度が新鮮だった。
昨晩だってそうだ。何度かメッセージを送ってみたのだが、星奈からメッセージが返ってくることは無かった。
不安に押しつぶされそうになった悠真は遂に、自分から紅莉に電話を掛けた。
彼女の声が聞きたくなってしまったのである。
そしてそれは正解だった。
あれだけ頭の中を占めていた負の感情が、紅莉と話している間は消えていた。
それに加えて、今日は服の件があった。
何気なく言ったことを考慮して、自分に合わせてくれた。自分の事をしっかりと意識してくれているということが、こんなにも嬉しいことだったとは。
自分の為にあれこれと尽くしてくれている紅莉の姿は、死のプレッシャーで冷え切っていた悠真の心に再び熱を取り戻す。今も左手から伝わる彼女の暖かさだけが、自分がまだ生きているのだという何よりの証拠だった。
公園を出た後も、二人は手を離すこともなく、夏の暖かな太陽の下をのんびりと歩いていた。
敢えて重苦しい話題を避けた。
クラスメイトの誰々が告白して振られただの、世界史の尾山が最近頭皮を気にし始めているだとか、そんなくだらない話をしていた。
女子と手を繋いだまま、こんなに心穏やかに話せる自分に悠真は驚いた。
星奈とデートをした時は緊張で何を話したかなんてちっとも覚えていない。
必死に考えたプランを実行することで頭が一杯で、楽しかったかどうかも不明だ。
……考えてみれば、案外これが原因だったのかもしれない。
連絡が来なくなったのも、不甲斐ない自分に嫌気がさした可能性がある。
今頃、他の頼りがいのある男と楽しんでいるのかも。
「どうしたの? 何か考え事?」
「……え?」
「また難しい顔してたよ? なんか、こう……ドラマのワンシーンで、イケメンがキリっとキメ顔した時みたいな」
いったい誰の物真似なのか、紅莉は眉を寄せて、ニヤリと口角を上げた。
童顔に近い彼女がやっても、ただ滑稽なだけで、言っているイメージとはかけ離れている。
「あはは。なんだよ、それ」
星奈のことを考えるのは一旦やめよう。
目の前の紅莉だって、本当は不安になっているに違いない。
それなのに、俺を気遣って、心を砕いてくれている。
自分の彼女がどうとか、比較するなんて失礼過ぎるじゃないか。
「……よし」
これだけしてもらっているのだから、自分も彼女のために何かできないか考えよう。
少しだけ気分が前向きになれた気がする。心の中で紅莉に感謝しつつ、手を握り直す。もう少しだけ、甘えていたい。彼女に必要とされていたい――悠真はそう思うのであった。
二人が過ごしたのは非常にゆっくりと感じられた時間だったが、実際には三十分も経たずに目的地に到着していた。
それは昨日見た洋館と比べると可愛らしく思える小さな教会だった。
「ここに手掛かりが……?」
事前に教会に行くとは聞いていたが、こうして実際に見てみると……普通だ。
教会を見たのは初めてなので、何が普通だとは言えないのだが……これと言って特徴もない。
あまりに違和感なく、周囲の街並みに溶け込んでいる。
こうして近くを通っていても、紅莉に言われなければ通り過ぎてしまいそうだ。
「……そういえば教会の方が近かったのに、どうして先に洋一さんの所に行ったんだ?」
洋一と汐音の住処は電車で行ける範囲だとはいえ、この教会のように家から歩いていける距離では無い。時間も限られているのだから、先にこちらへ訪れていてもおかしくはないだろう。
紅莉は痛い所を突かれたのか、少し目線を
「ここの
「主……?」
「神父が住んでいるんだけど、なんていうか……そう、中立なのよ。あの女の敵では無いし、味方でもない。だから私たちのことを助けてくれるとは限らないの」
なんだそれは、と悠真は耳を疑った。
向こうは人を殺そうとしている悪人だろう。そんな奴と敵対しない? そんなの、味方するのと同じだろうが。仮にも神に仕える神父なんだったら、善人の味方をしろよ……!!
悠真の眉間に皺が寄っているのを見た紅莉は、頬を掻きながら弁明することにした。
「彼はちょっとね、特殊なんだ。変わり者っていうか」
「紅莉がそこまで言うって……んん? もしかして、ソイツも禍星の子なのか?」
「まぁ、そうとも言えるのかなぁ」
この件の関係者ということは、その人物も禍星の子である可能性が高い。
少なくともここ数日、紅莉の紹介で出逢った人たちは皆そうだったし。
若干、言葉の歯切れが悪いことが気になるが……。
「それに彼は私を――」
「ん? 私を、何だ?」
「あ、愛してるのよ……」
「はぁ!?」
――愛している? 愛してるって、あの愛か?
いや、愛と言っても色々あるだろう。
家族に対する愛情とか、友人に向ける親愛とか、他にも……
嫌だ。
それは、なんだか嫌だ。
恋人である星奈にぞんざいに扱われ、冷え切っていた心を、一人の少女が精一杯の愛情で温めようとしてくれた。
そんな紅莉を、知らない男が愛しているだって……?
そんな勝手なことは許せない。
焦燥、嫉妬。タールのような粘っこくて汚らしい感情が、ひび割れていた悠真の心を埋めるように広がっていく。
負のオーラを纏っている悠真の手を、紅莉がそっと手を触れた。
そして「大丈夫だよ」と語りかける。
「私が愛しているのは、悠真君だけだから」
「え?」
「い、今のは忘れて!! さ、早く中に入ろ?」
「お、おう……」
ギリギリ聞こえるぐらいの、小さな声。それも、たった一言。
その言葉だけで、悠真は救われた気がした。
自分がどれだけ汚れようと、彼女なら「平気だよ」と言って、笑って許してくれるかもしれない。
絶対に、彼女は自分から離れていくなんてことはしない。
だから、俺も――
気付けばどちらも熟れた林檎のように真っ赤になっていた。顔をお互いに見ないようにして、二人は揃って教会の中へと入っていく。
悠真の心中には冷笑を浮かべる星奈の居場所は無かった。その代わり、紅莉が優しく微笑んでいた。
もう、誰にも渡さない。逃がしもしない。
男として頑張ろう。この困難を乗り越えたその時は、俺は彼女を……
これこそが、真実の愛なのだと悠真は確信していた。
今度こそ、この気持ちを大事にしよう。そう心に決めるのであった。
◇
「マジかよ……」
だが悠真の固い決心も、粉々に打ち砕かれようとしていた。
彼の前に、強大な敵が現れたのである。
礼拝堂を通り、二階へと上がった先にある居住スペース。
そこの小さなキッチンで、それは彼らがやって来るのを待ち構えていた。
「やぁ、紅莉。いらっしゃい」
――化け物。
悠真はそれを最初に見た時、彼をそう表現した。
穏やかに挨拶をした化け物は椅子に座り、優雅にティータイムを楽しんでいる所だった。
……化け物と言っても、それは人間の容姿をしていた。それも、恐ろしいほど整った顔の。
「今日はよろしく、マルコ」
「ふふふ。承知いたしておりますよ、御主人様」
「その呼び方、次にやったら絶対に許さないからね!?」
「おぉ、こわいこわい」
マルコというらしい、黒の神父服を着た男はちっとも怖がってはいない様子で、カモミールの香りが薫るハーブティーに口を付けた。
見た目の歳は二十代ぐらい。鴉のように真っ黒な髪。それなのに顔は日本人離れしている。名前からして日本人じゃないのだから、きっと外国の人間なのだろう。
甘ったるい台詞やキザったらしい仕草も、イケメンがやるとこうもサマになるのか。悠真は少し感心した様子でマルコを見つめていた。
「ふぅん、君が悠真クンかぁ……」
「どうも、はじめまして」
どうやらマルコは悠真のことを知っていたらしい。この部屋に入ってからコロコロと表情を変える少年の顔を見て、マルコは嬉しそうに目を細めた。
「……罪の匂いがしない。いいねぇ、こういう生まれたばかりの無垢な人間が、いったいどんな罪に染まっていくのか……ふふ、是非とも味わってみたい」
「えっ、ちょ……なに!?」
ゾクゾクっと背筋を嫌なモノが流れた悠真は、紅莉に助けを求める。
追い打ちをかけるようにマルコはチロ、と真っ赤な舌を唇から出した。どこか蠱惑的で、不思議な色気を感じる仕草だ。
「はぁ、これだから会わせるのが嫌だったのよ。気を付けて、悠真君。マルコは本当に見境ないから」
「はあっ!? いやだって、コイツは男なんだろ!?」
初対面でコイツ呼ばわりをしてしまったが、今はそれどころではない。
まだ童貞も捨てていないのに、命の次は貞操の危機だなんてどんな悲劇だ。
金切り声を上げた悠真を見て更に機嫌を良くしたのか、マルコは音も無く立ち上がると、彼に近寄り耳元でこう囁いた。
「ボクは女かもしれないよ? どう、試してみるかい?」
「んなっ!?」
胸元に人差し指をツンと差され、そのまま弧を描くように撫でまわされた。
さっきは背筋だけだったが、今度は全身を鳥肌が襲う。
この感覚は、あの兎トートバッグ女に襲われた時に似ていた。
いったい何を言い出すのだ、この男は。
いや、神父服を着ているせいで男だと思っていたが、それも怪しい。
顔が整い過ぎているし、肩幅が細くて胴周りはスレンダーだ。おまけに中性的な声をしているから、実は男の恰好をした女だと言われたら……うん、納得してしまいそうだ。
「ちょっと、マルコ!? いい加減にしなさいよ!」
「えぇ? だって面白んだもん、彼~」
「それ以上やったら、貴方を消すわよ?」
「……それは勘弁してほしいなぁ」
相変わらずヘラヘラとしているマルコだったが、「消す」という単語を聞いた瞬間に両手を挙げて降参ポーズになった。
あの優しい紅莉が生きている人間を消せるわけがない。きっと冗談なんだろうけれど……。
紅莉のドスの効いた声を聞いた悠真は、それ以上深くは聞けなかった。
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