♤7 乙女協定とフランクフルト


「え……?」


 突然立ち上がったかと思えば、大きな声で「お断りします」と拒絶されてしまった。



「どうして? 汐音しおんちゃんのお兄さんも本を持っているんだよ? 他の禍星まがぼしの子たちを探して協力をしないと……」

「お兄様は決してそんな意味不明な女なんかに負けない!!」

「いや、だからソイツは呪術の本を……」


 少し困り顔をした紅莉を見て、汐音はそれを言い訳と取った。彼女は態度を軟化させるどころか、更に声を張り上げて抗議した。



「そうやって理由を付けて、紅莉ちゃんもお兄様に近付こうとしているの!?」


 丁寧な言葉遣いは変わらないままだが、彼女は猛烈に怒っていた。

 さすが兄妹と言ったところだろうか。その姿はどこか、妹の為に怒る洋一に似ていた。



「ちょ、ちょっと待ってよ汐音ちゃん。それはどういうこと?」


 紅莉の言うことも尤もである。身に覚えが無さすぎて、否定よりもまず疑問が湧いた。

 近付く、ということはなにも、物理的な話ではないだろう。



「最近、お兄様に近付いてくる女が居るの。あの女もお兄様と同じ禍星の子だからって……」

「あ、あの……」

「しかも他人の癖にいちいち馴れ馴れしいし、私のことを娘か妹のように扱ってきて……あぁ、なんて目障りな女……!!」

「女……? いや、そうじゃなくて。私は――」


 汐音は独りで勝手にブツブツと喋り始めてしまった。

 紅莉はどう説明したらいいのか分からず、アタフタとしている。


 何故か鞄からさっき貰ったばかりのパイを取り出して渡そうとするも、ペシッと払い落とされてしまった。可哀想に、パイは畳に叩きつけられてバラバラに割れてしまっていた。


 その光景をただ茫然と見ていた悠真だったが、流石に放っておけないと判断した。なるべく彼女を刺激しないよう、なるべく穏やかな口調で話し掛けた。



「あのさ、汐音ちゃん。紅莉は透影とかげになった俺を助けようとして、ここへ来たんだ。コイツは他人の大事な人を奪うような奴じゃないからさ……」

「悠真さんが……透影?」

「そう。俺も紅莉や洋一さんと同じ、禍星の子なんだ」

「あっ、ちょっと悠真君!? それは言っちゃ駄目だよ!」

「え? どうしてだ?」



 せっかく良かれと思って勇気を出して口を挟んだのに。隣りに座る紅莉は悠真を叱るような台詞を吐いた。当然、悠真はその理由が分からない。



「もう、そんな大事な秘密を簡単に言っちゃ駄目! 例え相手がこんなか弱そうな女の子でも、禍星の子だってことは秘密にしなきゃ!」

「え、でも紅莉は俺にすぐカミングアウトしたじゃないか」

「私は悠真君だから言ったの! これは命が掛かっていることなんだからね!?」


 そんなことは分かっている、とは思ったがさすがにここは口をつぐんだ。


 彼女が言いたいのはきっと、そういうことじゃない。

 洋一が懸念していたことを思い出した。教えたことで彼女まで巻き込まれてしまったら、とてもじゃないが責任なんて取れないのだ。



 だがすでに時すでに遅しだ。

 言ってしまった言葉が戻ってくるはずもない。忘れてくれと言ったところで、そんなわけにもいかないだろう。



「もう! 悠真君はもう黙ってて! 汐音ちゃん、ちょっとこっちに」

「え? え、えぇ……」


 紅莉は座布団から立ち上がると、無理やり汐音ちゃんの腕を掴んで布団から引きずり出した。そして、部屋の隅に連れて行ってしまった。



「(な、なんだよ……俺は蚊帳の外か?)」


 紅莉を庇おうと思った故の行動だったはずなのだが。

 その本人に怒られただけではなく、のけ者にまでされてしまった。まさに踏んだり蹴ったりである。


 悠真は紅莉へのせめてもの抵抗だと、バラバラになったパイを拾い、封を開ける。

 それをパリポリと齧りながら、脳内で愚痴を吐いていた。



 いや、しかし。

 たしかに紅莉の言う通り、迂闊だったかもしれない。



 そもそも、禍星の子を標的に襲われたのだってまだ昨日の話だ。

 この界隈に関して無知に近い自分は、誰が味方で敵なのかも分かっていない。


 命の期限だって、今も刻一刻と削られつつあるのだ。焦りはあったとはいえ、今度からは自分も言動には慎重になるべきだろう。



 そうしてパイがすっかりなくなった頃。

 女性陣たちの内緒話も終わり、こちらへと戻ってきた。


 二人とも晴れ晴れとした笑顔を浮かべている。

 どうやら円満に解決したようだ。



「私達は和解しました」

「汐音ちゃん、協力してくれるって!」


 何をどう説得したのかは分からないが、取り敢えずは仲間を増やすことに成功したようだ。悠真はホッと胸をなでおろす。



「恋する乙女たちによる、不可侵条約です」

「不可侵条約……?」

「悠真君は気にしなくて大丈夫! あ、汐音ちゃん。連絡先教えてくれる!?」

「うん。最近ようやくパソコンを使って良いって、お兄様が許してくれたの。メールなら私もできると思うから」


 再び蚊帳の外に追いやられてしまったのか、今度はガールズトークを始めてしまった。



「じゃ、またね。紅莉ちゃん、悠真さん」

「絶対にまた会いに来るからね!!」

「元気でね、汐音ちゃん」


 部屋を出る二人を、汐音は満面の笑みで見送っていた。

 本当に部屋から出ないんだなぁ、と思いつつ、悠真は「またね」と言えなかった自分が少し情けなかった。はたして、七日後に自分は生きているのだろうか。



「で? 洋一さんは説得できそうなのか?」


 ようやく薔薇の洋館から抜け出すことに成功した。

 悠真はふぅと一息ついた後、さっきは聞けずじまいだったことを紅莉に確認した。



「お兄さんをどうにか説得するから、三日は欲しいって!」

「三日か……あんまり余裕は無いよな」


 なにしろ、あの女を探し出し、透影の呪いを解除させなければならないのだ。

 できればあんな化け物女とは二度と会いたくはないのだが、そうも言っていられない。


 まるで、鬼ごっこのようだ。

 今度はこちらが鬼となって、捕まえに行くしかない。



「そうなんだよね。だから、私達でできることは全部やろう?」

「あぁ。……といっても、他に何か案があるのか?」


 頼ってばかりで申し訳ないのだが、本当に分からないことだらけなのだ。

 ネットで調べたところで何も出てこなかったのだから、こうして正直に聞くしかないのだ。



「まぁ、いちおうは……」

「小さなことでも、何か手掛かりがあるんだったら頼むよ。紅莉だけが頼りなんだ」


 拝むように両手を合わせて頼み込む悠真。



「私だけが……頼り……!」


 その姿を見て、紅莉は猛烈な優越感を感じたのだろう。

 口裂け女も見ればビックリぐらい、口角を上げていた。



「え、えへへ。しょうがないなぁ。悠真君のためにも、一肌脱ごうじゃないの」

「できることなら何でもするからさ、どうにか頼む!」

「うんうん。私も悠真君の為なら何だってするからね!」


 完全に調子に乗っている紅莉は、壊れた人形のようにコクコクと頭を上下させた。



 取り敢えず、今日の所は一度家に帰って休むことにした。悠真の疲労がもう限界そうだったのだ。


 バス停へと向かう道中、紅莉がふと「あ、そうだ」声を上げた。



「そういえば汐音ちゃん。お兄さんには隠していたけど、あの子も禍星の子だよ」




 ◇


 悠真と紅莉が薔薇の洋館から帰宅している頃。


 啓介を殺害した日々子は禍星の子を次々と襲い、片っ端から影を奪っていた。

 夫が持っていた仲間の占い師のリストを使い、新たな獲物を追っていたのだ。



 恐るべきは、彼女は犠牲を伴う呪術を扱うことに、何の忌避感を持ち合わせてはいなかったことである。

 彼女のやり口は残忍で、そして非常に効率的である。日々子は見つけた標的を手当たり次第に透影にしたのち、その人間を生贄に使うようになったのだ。


 幸いなことに――被害者にとっては不幸だが――カレイドスコープの本拠地の周辺に禍星の子の多くが集まっていた。なぜなら啓介が運営する会員制のバーで、占い師として仕事をしていたからだ。



「~♪」


 神をも畏れぬ所業。

 だが彼女の本質は非常に信心深いものであった。


 普段から神に祈りを捧げるのが日課。

 今も神を讃える「ハレルヤ」を歌っていた。


 そう、彼女は己の神を信じている。

 さらにいえば、自身の行いに対し、深い罪悪感を覚えていた。


 他人を傷付け、恐怖を与え、魂を奪うという残虐な行為を、心から嫌悪していた。


 自分への罰も与えている。

 人を殺すたびに、自身の左腕に正の字になるように傷をつけていた。凶器である、錆び付いた裁ち切り鋏で。


 そして謝罪として――本人は善意のつもりで――犠牲者の身体の一部を切断し、コンビニで貰える弁当用のビニールの袋に入れ、あの兎のトートバッグにしまって持ち歩いていた。




「な、なによアンタ……!!」


 日々子は今、次の標的である二十代の女を見下ろしていた。

 これから夜の仕事に向かうつもりだったのだろう。彼女は独り暮らしにしては広すぎるマンションのリビングで、身支度をしている最中だった。



「本……本はどこ……?」

「――ひっ!?」


 逃げようとしたのか、それとも警察を呼ぼうとしたのか。

 床に転がっていた水晶玉を踏んでしまい、転んでしまった。その衝撃でテーブルの上にあった有名ブランドの化粧品が、転がってパラパラと落ちた。



「いったぁ……」


 飼い主に驚いたチワワが、キャンキャンとえる。

 彼女を守ろうとしているのかもしれない。



「駄目っ、メル逃げて……!!」

「……本はどこにあるの?」


 しかし日々子は犬には全く興味がないのか、そちらには一切目もくれない。代わりに部屋をグルリと見渡していた。


 ピンクを基調にしたベッドやカーテン、人気の小型犬に最新型のノートパソコン。ベランダの外にはゴミ袋に詰め込まれた缶チューハイの空き缶の山。


 日々子が探しているものは、どこにもない。



「どこに隠しているの……?」

「なんなのよぉ、知らないわよぉ……!!」


 誰にも邪魔されることの無い、彼女だけの世界。そのはずだったのに、今では日々子という異物が紛れ込んでいる。


 男を魅了するためのメイクは今、涙で歪んでしまっていた。

 それもそうだろう、目の前に死神が立っているのだから。


 部屋に充満していた甘ったるい香水とは別の刺激臭が漂い始める。



「占星術を纏めた本……貴女が持っていたのは知っているわ」


 見た目や口調とは裏腹の、清涼な声。

 日々子は顔を女に向けたまま、視線だけを部屋の壁へと移動させた。その先には占星術で使うホロスコープが飾られていた。



「う、あ……アレはもう私の手元には無いわよ!」


 何かが思い当たったのか、女は焦ったように叫ぶ。



「どうして……?」

「売ったからよ! 中身はもう覚えたし、アプリがあれば占い自体はできんのよ! キャバの方が店に太客が来るし、お金はそっちのが儲かるし!!」

「ここに、無い……?」


 誤魔化すつもりは、本当に無かったのだろう。

 彼女にとって、その本とは大事なモノでは無かったのだ。日々子に言われるまで、すっかり忘れていたほどに。


 あくまで占いは金稼ぎの道具。

 他に代用できるツールがあるのなら、本に価値を感じられなかった。



「なに、お金が目的? 残念だったわね、高額で売れたけどもう使っちゃったわよ」


 だが、あくまでもそれは彼女にとっての話だ。

 本が無いと言えば、自分には用はないはずと踏んでの発言だった。



 しかし、それはまったくの逆効果にしかならなかった。

 目の前に居る異様な女にとっては、本を手放すというのは神を捨てる行為そのものだったのだから。



「どこに売ったの?」

「知らないわよ、ネットオークションで売ったんだもん! 相手のことなんて分かるわけないじゃない!」


 女は日々子が怒っていることにも気付いていない。

 「どっかのメンヘラが買ったんじゃないの」とか「もっとふっかけてやれば良かった」などとペラペラと聞いてもいない情報を喋り出していた。



「そう……じゃあ、別の方の用件を済ませちゃうわね」

「だからさっさと帰っ――え?」

「あなた、啓介と浮気してたわよね?」

「は? 啓介と浮気って……あ、アンタまさか……!」


 そこでようやく、女は日々子の正体に気が付いた。


 カレイドスコープ代表、槌金つちがね啓介。

 女にとって彼は所属していた団体のトップであり、客のうちの一人だった。

 彼女をこの業界に誘ったのも啓介だったし、親よりもよっぽど世話になった恩人でもある。


 それは仕事を斡旋してもらったという意味でもそうだし、女の悦びを教えたという点でもそうだろう。男は身体さえ貸せば大金をもたらしてくれるというのは、彼女の中で一番の教えだった。



 そんな啓介には、日々子という一番のお気に入りが居たようだった。

 しかし根っからの遊び人である彼が、女ひとりで満足するわけがないというのは良く分かっていた。だから彼女も連絡も取り合っていたし、商売の女を紹介することもあった。


 ただ、最近ではその頻度も減り、女も啓介のことを忘れかけていたところだった。



 部屋に侵入してきた女は今「啓介と浮気」と言った。

 つまり、この女が啓介を殺した犯人だ、ということである。



「あ、アタシを殺しに来たっていうの!?」

「うふふっ。別に私は、貴女に恨みなんか無いわよ?」

「じゃ、じゃあ助けてよっ……!」

「でもね、あの人に捧げるなら丁度いいかなって」

「……は?」


 日々子は慈愛に満ちた顔で、肩にかけっぱなしだったトートバッグのファスナーを開いた。

 そして何かが入ったコンビニ袋を取り出した。


 その瞬間、部屋に新たな異臭が溢れ出す。

 それは生ごみを三角コーナーで数日放置したような、酷い臭いだった。



「うえっ……な、なにをする気なのよ……」


 日々子はビニール袋の中に手を突っ込み、何かを取り出した。



「ねぇ、貴女。お腹空いていないかしら? 私、フランクフルトを作ってみたの。うふふっ。そういうのお好きでしょう?」

「は? え、それ……なんなのよ、それは!?」


 日々子が手に持っていたのは、割りばしのような木の串に刺さったどす黒いナニカ。

 とてもじゃないが、フランクフルトとは思えない見た目をしている。

 更には何かドロっとした液体がポタポタと滴っており、異臭もそこから漂っているようだ。


 女は思わず腕で顔を覆いながら、ズルズルと後退った。



「逃げないでよぉ……」

「い、いや……お願い……」


 ガツン、とベランダへ続く窓にぶつかる音がした。それ以上、逃げ場は無い。

 女ができるのは、もはや命乞いだけだった。


 もちろん、日々子はそんなものは受け入れない。

 彼女は空いていた左手でバッグから黒い本を取り出すと、女の影を奪って拘束し始めた。



「ひっ!? う、ごけな……」

「はーい。あぁんして~」

「いや、やめて……」

「あぁんしなさいって言っているでしょうがぁああ!!!!」


 涙をポロポロと流す女に近寄り、喉元を足で抑え込んだ。

 そして無理やり女の口に啓介の肉片を突っ込むと、そのまま口内をグイグイと犯し始めた。



「ぐぇ、やめっ……あっあふっ、ごぁ」

「ほらほらほらァ~!!」

「あっ、ごほ。ぐぇ」


 日々子の華奢な見た目からは想像もできない、非常に強い力では女も抵抗しようが無かった。

 そして遂に、串の先端が女の喉元を突き裂いた。



「ふ、ふふ……」


 そのまま女が動かなくなるまで、日々子は女を踏みつけたまま。

 啓介の時のように、絶頂でしばらく身体を震わせていた。

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