♠6 引き篭もりの女の子


「とまぁ、そういうことがあったのよ……」


 応接間らしき部屋に案内された紅莉と悠真。立ち上がるのが難しくなるほど沈むソファーに腰掛けながら、昨日の遭った出来事について家主である洋一に説明していた。



「そうか。遂に動き始めたか……」


 手を組んで大きな溜め息を吐く洋一。

 その両手も火傷の痕で覆われてしまっており、痛々しそうだった。


 悠真は説明を全て紅莉に任せ、洋一は部屋を眺めていた。

 まじまじと人の傷痕を見ているのも失礼だと思ったのだ。


 洋風の部屋なだけあって、天井は高く、照明はシャンデリアだった。

 外から見えた煙突はやはり暖炉の為だったようで、海外の映画で観るような立派なものがあつらえられていた。


 しかしその暖炉は鉄板のようなもので完全にふさがれてしまっている。

 季節はもう初夏だし、服もTシャツで過ごせるほどに暖かい。それに煤などの手入れが面倒だとどこかで聞いたことがあるし、あまり使われていないのかもしれない。



 次に気になったのが、部屋の壁に掛けられている写真や絵の数々だった。いや、敢えて目に入れないように気を付けていたと言うのが正しいかもしれない。



「壁の絵が気になるか?」

「え? あ、はい。すみません……」


 紅莉との話が終わったのか、洋一が挙動不審になっていた悠真に声を掛けた。


 それがただの風景画であれば、悠真もそこまで気にはならなかっただろう。

 だが壁の絵や写真は……芸術とはとても思えない。


 ただ、人の手のひらがあったのだ。ペタペタと、蝶のように。



「ふんっ、謝らなくても良い。おい、紅莉。お前は彼に何も説明せずに、ここへ連れてきたのか?」

「だって、私が説明するよりも実物を見せた方が何倍も手っ取り早いでしょう?」


 悪びれも無くそう言ってのけた紅莉は絵には目もくれず、用意されたダージリンに口をつけた。



「まったく、コイツは。まぁ、いい。前置きが短いのは俺も助かるからな。俺は依頼人の手相を見る仕事をしている。だからこれらはいわば、資料みたいなものだ」

「手相、ですか。あぁ、なるほど……!」

「まぁ、蒐集かしゅうも半分は俺の趣味でもあるけどな。それで? 禍星まがぼしの子である彼はなんのアルカナだったんだ? 占いの種類は?」


 ――アルカナ? あぁ、紅莉が言っていたタロットのカードの話だ。

 禍星の子はタロットカードの種類で宿命があるとか、どうとか。

 だけど、自分が何のアルカナだったかなんで知らないし、占いなんて自分でやったことも無いぞ?


 なんと説明したら良いのか分からず、首を傾げているうちに紅莉が助け舟を出した。



「あー、悠真君は昨日私が説明するまで、禍星の子だって事すら知らなかったんだよ。分かる前に透影とかげになっちゃったから、何のアルカナなのかも不明なの」

「は!? そんな事が有り得るのか!?」

「彼は占いとは無縁の世界に居たから……」


 紅莉の言う通りだ。鏡の中の自分の影を見れば何のアルカナなのか分かるって言っても、そんなの誰かに言われなければ一々確認するわけがない。



「はぁ。それでお前らは俺の所へ来たのか?」


 どうせソイツは他に知り合いなんて居ねぇだろうから、と付け加えた洋一はその人物を睨む。


 ソイツ呼ばわりされた本人は今、紅茶と一緒に用意されていたお菓子を食べ始めていた。

 丸いスポンジの中にカスタードのクリームが入った、宮城県の銘菓。それをハムハムと美味しそうに食べている。


 悠真は昨晩から殆ど何も口にしていなかったことを思い出し、食欲旺盛な彼女を見て少し羨ましくなった。



「うん、それもあるかな。あとできれば、その女に全部の本を奪われる前に私達と共同戦線を張って欲しいんだけど」


 最後の一欠けらを口へと放り込むと、何度か咀嚼したのちに紅茶でゴクンと流し込んだ。可憐な見た目に反して、随分と豪快な食べ方である。



「駄目だ。断る」

「どうしてよ? 洋一さんだって本を奪われたら困るでしょう? ちょっとは協力してよ」

「馬鹿なことを言うな! 俺には、禍星の子とは無関係な妹が居るんだぞ!? そんな危ないことに首を突っ込むわけにはいかないだろうが」

「あー、そういえば汐音しおんちゃんが居たかぁ……」


 怒鳴る洋一にちっともビビる様子もなく、むしろ納得した様子の紅莉は次のお菓子に手を伸ばした。


 今度は愛知県の特産品であるウナギが練り込まれたパイである。

 袋を開け、バリボリと齧り始めた。細かくなった欠片がポロポロと高級そうなソファーに散らばっていく。



「だいたい俺とお前の間柄は兎も角、彼とは初対面なんだ。そう簡単に信用できるわけがないだろうが!」

「相変わらず用心深いなぁ。悠真君は私の大事な人なんだから大丈夫だって……」

「(俺が、紅莉の大事な人……? それってどういう――)」

「相手が誰だろうと、お断りだ!! 帰ってくれ! 俺は妹を護るので精一杯なんだよ。頼むからこれ以上、俺の負担を増やさないでくれ!」


 そこまで言うと洋一はガバッと立ち上がり、部屋の扉を指差した。つまりは帰れ、ということなんだろう。


 悠真は「どうするんだよ、これ」といった視線を、隣りでマイペースを貫き続ける少女に送る。

 紅莉もさすがに「これ以上なにを言っても無駄」と判断したのか、つまらなさそうに鼻で息を吐いた。



「分かった。無理言ってゴメンね?」

「……分かったのなら、それでいい。すまん、俺には余裕が無いんだ」


 言い過ぎたと思ったのか、洋一は頭を掻き毟りながら謝った。



「いいよ。汐音ちゃんが大事なのは、私も知ってるから。それじゃ……」

「あ、あぁ。菓子なら好きなだけ持っていってくれて構わないから。……悠真もすまない。こちらも命が掛かっているからこそ、俺は家族を護らなくてはならないんだ……」

「え? あっ……あぁ、はい」


 ここは折れるしかない。迷惑を掛けているのはこちらの方なのだから。


 仕方なく悠真と紅莉は立ち上がり、帰り支度を始める。

 当然のように紅莉は机の上にあったお菓子を片っ端から、持って来ていたカバンの中に突っ込んでいた。



「(紅莉ってこんなにがめつい奴だったっけか……?)」

「悠真、コイツには注意しろよ」

「え?」


 部屋から退室しようとした悠真の腕を、洋一が掴んで引き留めた。

 そして彼の耳元で、紅莉には聞こえないよう、小声で注意をした。



「影を奪われるというのは、いわば自分の片割れを失うようなものだ。理性だとか、自制心だとか、そういうリミッターが外れることがあるらしい。君自身もどうなるかは分からないが、その……」

「分かりました。心に留めておきます。ありがとうございました」

「あぁ……」


 洋一はそのまま掴んでいた悠真の左手をチラ、と見た。



「……幸運を祈る」

「あ、はい……」


 意味ありげな言葉含みをする彼の言葉に、悠真は同じように曖昧な返事をする。

 握る力がギュッと強められた。それはまるで「くれぐれも」という強調の意があるようにも思えた。


 少し痛む左手首を擦りながら、応接間の扉を閉める。

 さて、帰るか……と、重い足取りで歩き始めたのだが。



「お、おい紅莉! 何処へ行くんだよ」


 彼女が向かっているのは、玄関ホールの方では無かった。それどころか、まるで自分の部屋に戻るかのように、二階へと続く階段の方へスタスタと歩いて行ってしまった。

 さっき一緒に凶悪なトラップを見ていたはずなのに、一切の恐れもない。


「何やってんだよ、アイツ……!」


 こちらはお邪魔している立場なのだ。

 それに洋一は終始自分に対しては親切だった。口調は少し厳しいものだったが、節々に心配してくれるような優しさがあったのだ。


 そんな人にこれ以上、迷惑を掛けたくはない。


 焦った悠真は紅莉の後を追い掛けていく。



「危ないだろ、勝手に歩くなって言われて――」

「あっ、悠真君。そこ、危ないよ」

「えっ?」


 急にこちらを振り返ったかと思ったら、悠真の右足を指差した。



「そこ、罠があるから」

「ええっ!?」


 紅莉の後を進んでいるつもりだったのだが、どうやらここにも罠があったらしい。

 片足を上げた奇妙なポーズで固まってしまった。大阪の道頓堀にある、有名な看板のアレのようである。



「私は何度かこの家に来たことがあるから、どこに何があるかはだいたい知っているの。だから帰る前に、汐音ちゃんに会っていこうと思って」

「汐音って……洋一さんの妹の……?」


 たしかさっき、洋一が協力を断った理由を示した時に、その名前を言っていた気がする。大事な妹が居るから、彼女を護るために危険なことは出来ない、と。



「汐音ちゃんは私の知り合いなの。この家に来た時はいつも、二人で一緒に遊んでいたから」


 悠真が「嫌だ」と文句を言う前に「ここからは私が案内するから平気」と紅莉に手を引かれてしまった。洋館の中を、手を繋いだ二人がどんどんと進んでいく。


 悠真の顔はすっかり青褪めていた。

 洋一に「俺達を巻き込むな」と言われたばかりなのだ。それなのに汐音と会ってしまうのは、絶対にマズい気がする。



 ◇


「汐音ちゃん、居ますか?」


 二階の角にある部屋の前で、扉を二度三度、トントンと叩いた。

 しかし返事を待っても、扉の向こうからウンともスンとも音がしない。

 人の気配もないので、もしかしたら不在なのかもしれない。



「……居ないんじゃないか?」

「彼女が部屋から出ることは、滅多にないの。もう少しだけ待って」


 本当かよ、と思ったが紅莉はテコでも動きそうにない。

 同じようにノックと声掛けをしてから、更に待つことしばし。


「ん? 今、中で音がしたか?」


 何やら反応があった。床が軋むような、小さな物音。

 ドアに耳を当てて聞き取ろうかと思った瞬間。目の前のドアがギィと数センチだけ開いた。



「……紅莉さんですか?」


 紅莉の名前を呼ぶ声だ。

 姿は見えないし、本当に小さな声だが、たしかに聞こえた。


 隣りを見ればほらね、とにんまり顔が自分を見つめている。



「遊びに来たよ、汐音ちゃん。ねぇ、入っても良い?」

「……どうぞ」


 本当に大丈夫なのか?と疑ってしまうようなテンションの低さだ。


 一抹の不安を抱えつつ、罠だらけの廊下で立ちっぱなしになるのも嫌だった悠真は「お邪魔します」と言ってから、そろり部屋の中へ入っていく。



 部屋に入ってすぐ、悠真は驚いた。


 ここだけ和風の部屋だったのだ。



 床には畳が敷き詰められており、壁は土壁、窓には紙の障子がめられている。

 さっきまで寝ていたのか、壁の近くの床には布団が出しっぱなしだ。


 洋の部分と言えば、そこら中に大量の縫いぐるみが置いてあるくらいだろうか。


 他の部屋を全て覗いたわけではないが、なんだかここだけ国が違っているような気分になる。


 とは言っても、日本から出たことの無い悠真はこちらの方が落ち着けるのだが。



 部屋の主は客人を招き入れると、適当なクッション――これも何かのキャラクターなのか可愛らしい――を床に置いた。そして自身は寝床の上に座り、掛布団にくるんと包まった。



 汐音を一言で表すのなら、それは『日本人形』という言葉がぴったりだな、と悠真は思った。もしくは座敷童だ。


 彼女は七五三で着るような着物を見に纏い、赤い薔薇ばらのかんざしを頭に挿している。

 生気を感じられないような、不健康なほどに真っ白な肌。言い方はあれだが、痛々しい火傷が残る彼女の兄とは違い、汐音の顔には一切の瑕疵かひが無い。おそらく、日の光を全く浴びていないのが原因なのだろう。

 花壇を舞う蝶のように、手で捕まえてしまえば簡単に傷付けてしまいそうな、そんな儚さを感じていた。



「……紅莉ちゃんのお友達、ですか?」


 不躾にジロジロと眺めていると、人を品定めするかのような視線を返されてしまった。年下とはいえ、初対面の女の子に失礼なことをやってしまったと悠真は罰の悪さを感じた。



「そうだよ。紅莉とは同じクラスで……」

「ほら、汐音ちゃん。前に話したことのある悠真君だよ!」

「あぁ、そうなんですね……そう、この人が」

「カッコいいでしょ? 学校でも人気者で――」


 悠真は自己紹介さえさせてもらえず、紅莉と汐音の間で会話が始まってしまった。

 しかも内容が内容過ぎて、途中から会話に入りづらい。



「(紅莉、学校の外には友達が居たんだな)」


 仕方なく、悠真は別のことに思考を向けることにした。

 おそらく汐音は中学生なのだろう。しかし洋一の口ぶりとこの生活の様子を鑑みると、学校には行っていない気がする。……その理由は分からないが。



 だがまぁ、初対面の悠真でも二人の仲が良いのだろうと言うのは分かった。

 汐音が発していた警戒心が、紅莉に対してはあまり感じられない。


 楽しそうに話している二人の姿は、テンションの差はあれど、学校で普段よく見るような女友達と同じ光景だった。



 それよりも、悠真は汐音の手元が気になった。


 先ほどは綺麗な肌だと思っていたが、なぜか薄手の白い手袋をしている。

 和装とも合うには合うのだが、記憶違いでなければ、そういった手袋は屋外で使うものだったはず。


 よくよく観察してみれば、手首には幾つもの傷痕がある。視線を少し上げれば、首元にも黒ずんだ痕が――



「うん、それでね! 今日は汐音ちゃんにお願いがあって――」

「お願い?」

「うん。実は禍星の子に関して、洋一さんに協力をして貰いたくって……」


 悠真がボーっとしているうちに世間話が終わったのか、紅莉が別の話題に入っていた。


 もしかしたら紅莉が彼女に会いに来たのは、汐音に協力をお願いすることが目的だったのかもしれない。そうとなれば悠真も他人事ではない。胡坐あぐらから正座へと姿勢を正した。


 だが、ここでもそうは上手くいかなかったようだ。

 それまでニコニコと聞いていた汐音が突然、剣呑な顔つきになって立ち上がった。



「――お断りです!!」

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