♠5 薔薇の館


 呪物の書で呪われてしまった悠真は翌日、紅莉の案内でとある場所に来ていた。

 河口駅から電車に乗り、宮野駅へと向かい、そこからバスに乗り継いで二十分ほど掛けて行った先に目的地があった。


 それは薔薇ばらの生垣に囲まれた敷地にある、洋風の館だった。



「ここが紅莉の知り合いが住んでいる場所なのか? まるで風見鶏の館みたいだな」


 悠真は何年も前に家族旅行で立ち寄った、神戸の異人館に似ていると思った。

 この家には風見鶏は無いようだが、同じように壁はレンガでできているし、中に暖炉があるのか屋根の上には煙突のようなものが立っていた。

 風見鶏の館ほど立派で大きな館ではないが、それでも一般人が住むには十分すぎるほどの規模だった。


 当然、中の住人は金持ちなのだろう、というアバウトな想像は高校生である悠真にもできた。

 だが普通の家に生まれ育った自分には、実際にどんな人物が住んでいるのかまでは予想ができなかった。



『……少々、お待ちください』


 インターフォンを押すと、ボイスチェンジャーが使われたような中性的な声が聞こえてきた。


 仕方なく、家主が現れるまで二人は立ったまま入り口の門で立っていることにした。

 だが、どうにも悠真の調子が芳しくない。



「悠真君、大丈夫?」

「あ、あぁ。ちょっとボーっとしてたみたいだ」


 昨晩、公園から無事に帰宅することができた。しかし、悠真はずっと落ち着くことができなかったのだ。


 もちろん、女に襲われた恐怖もある。だがそれ以上に、自分の命が八日で尽きようとしているという事実をどうしても飲み込むことができなかったのである。



 嘘だと信じたいが、鏡を見れば自分の影が映らないという確固とした証拠がある。これがある限り、現実から逃げようとする悠真をどこまでも追い掛けてくるのだ。

 そう、まるであの女が死神として命を刈り取る瞬間まで常に自分を監視しているかのような錯覚に陥っていた。



 そんな状態で満足に眠ることなぞできるわけもなく、ほとんど一睡もしていない状態でここまでやってきた。いくら現役高校生で体力があるとはいえ、精神的にかなり響いていた。


 唯一心が安らいだのは、先ほどのバスの中だった。

 紅莉が隣りに居ることに安心して、少しウトウトすることができたのだ。



「(でも紅莉ってここまで頼りがいのあるやつだったっけか……?)」


 最近まで、悠真にとっての紅莉のイメージはそこまで良いものでは無かった。

 いつもオドオドとしていて、自分からは行動できない。どんくさいタイプだと思っていた。


 小柄で顔は可愛いということもあって、それはそれで小動物のようで可愛らしかったのだが……。


 今の彼女は、まるで中身が変わってしまったかのようだ。



「(いや、そんな彼女のお陰で俺は助かっているけれど……もしかして、それも透影のせいだったりするのか……?」


 昨日、紅莉は「透影になると性格が変わっていく」と言っていた。

 たしか、最初は考え方に変化が訪れる、とも。


「……そういえば俺って、こんなにもネガティブだったっけ? もしかして、もう何かが変わっちまったのか?」

「ねぇ、本当に大丈夫? 座って休んでても良いんだよ?」

「なぁ、紅莉。俺ってこんな性格だったっけか?」


 普通、自分の性格なんて人に聞いたりしないものだ。

 だがつい弱気になって、隣りにいる紅莉に聞いてしまった。


 彼女も一瞬、何を問われたのか理解できずポカンとしていたが、すぐに微笑んだ。



「悠真君ってクラスのみんなの前では頼れる男の子って感じだったけど。昔から何か失敗した時って、叱られた犬みたいにシュンってなってたよ?」

「うぇ? い、いぬ!?」


 てっきり「そんなことないよ」と否定でもしてくれるのかと思えば、まさかの犬である。

 予想外の答えに、悠真は思わず聞き返してしまった。



「うん。気付いてなかった? ほら、小学生の時とかさ、みんなで下校していたでしょ。星奈ちゃんが大事にしていたストラップの人形を、悠真君がうっかり水溜まりに落として汚しちゃったことがあったじゃない」

「え? 小学生の時に……?」


 悠真の小学生の時のことを思い返しても、そんなシーンはまったく浮かんでこない。あの時と言えば、休み時間に友人とサッカーをしていただとか、星奈のピアノ演奏がすごかっただとか、そんなことばかりだった。



「あの時の悠真君、公園の噴水で人形を洗おうとしたんだよ? 私がちゃんと洗剤を付けてからって言っても、今みたいに『どうしよう、どうしよう』って。星奈ちゃんも、途中からずっと笑ってた」

「そ、そんなことあったっけ」

「うん。だからまだ、大丈夫」


 そういう紅莉はニコニコと悠真を笑顔で見上げていた。

 なんだか、そこまで言われると悠真も大丈夫な気がしてくるから不思議だった。



「(星奈……そういえばアイツ、昨晩メッセージ返って来なかったな)」


 彼女であるはずの星奈にも相談しようと、電話をしたい旨を送ったのだが、



「星奈:ごめん、今調子が悪いの」


 といってその後は既読すらつかなかった。

 なんとも寂しい気持ちになって、普段以上に男友達とのグループチャットに精を出した。


 そして、別れたばかりの紅莉にメッセージを送っていた。



「……ありがとな、紅莉」

「ふふ、うん」


 死ぬタイムリミットが迫っている人間たちとは思えないような、甘ったるいムードが二人を包む。

 傍から見れば、悠真と紅莉はカップルのようである。



 だが、この空気に耐えきれなくなった者が居た。



「おい、もうそろそろ良いか? 空気読むのも限界だぞ、こっちは」


「「あっ……」」


 声のした方を見れば、家主と見られる男性が立っていた。


 カジノのディーラーが着るようなベストを纏っている。見た目は三十代ぐらいだろうか。顎髭を蓄えているせいで若干老けて見えるが、話し口調と皺の無い肌艶などからすれば四十は越えていないと思われる。


 それよりも悠真が気になったのは、顔面の右半分が爛れた火傷の痕で覆われていたことだった。



「待たせたのはこちらだし、それに関しては申し訳ないと思うが。ここは人ん家だからな?」


 悠真が火傷の痕から咄嗟に目線を外したことには気にした様子はなかった。その代わり、自分の家の前でイチャつかれたことが苛立たしいようだ。



「す、すみません……」

「あぁ、もういい。それよりも、さっさと入れ。なんだか話が長くなりそうだからな」


 ギロ、と紅莉の方を見てから、火傷の男はくるっと身をひるがえした。



「な、なぁ。あの人が紅莉の知り合い、なのか?」

「そうだよ。ちょっと気難しいけれど、良い人だから」


 紅莉は笑顔を絶やすことなく、男に続いて庭園の方へと歩いていく。

 置いて行かれるわけにもいかず、悠真も彼女の後について白薔薇のアーチを潜った。



「そっちの彼は初めてだよな」

「え? あ、はい。初めまして、白鳥悠真といいます。紅莉と同じく、河口高校の一年です」


 薔薇の庭園を歩きながら、簡単に自己紹介を済ませる。


 いったい誰が手入れをしているのだろうか、棘のある茎も見栄え良く丁寧に剪定されていた。


 花には詳しくないが、庭一面に生えているこれらを世話するには手がかかるだろう、というのは想像できる。もしかしたら庭師や使用人でも雇っているのだろうか。もしかしたら本物のメイドが見えるのかもしれない。


 品のあるワインレッドの薔薇を眺めながら、悠真は優雅に水やりをするメイド服の美女を想像していた。



観月みづき洋一よういちだ。それよりも俺の家に入るにあたって、幾つかルールがあるから、覚えておいてほしい」

「ルール、ですか……?」


 思っていた以上に簡素な自己紹介だったが、それに突っ込むわけにもいかない。

 それよりも彼の言葉を遮ってしまうと何だかマズそうだと、直感が告げている。聞き漏らすことの無いように、より意識して耳を向けた。



「我が家は防犯の為に色々とがある」


 仕掛けと言われ、悠真の頭にクエッションマークが浮かぶ。

 だが洋一は詳しい説明を付け加えることなく、そのまま話を続けた。



「家主が許可した場所以外には行くな。歩くな、触るな。これが守れないのであれば……」


 洋一は立ち止まり、自身の足元にあった仔猫大の庭石を片手で軽々と拾う。

 そして先ほど悠真が間近で見ていた、ワインレッドの薔薇が生えている根元にスッと放り投げた。



「うわっ!?」


 石が地面に落ちるや否や。どこからともなくボウガンらしき矢がビュン、と飛翔してきた。



「こういうことになるからな」

「ちょ、これって危な過ぎるんじゃ……」



 地面に刺さっているボウガンの矢を指差しながら、悠真が震えた声で抗議する。

 もしかしたら悠真がこれに刺さっていたかもしれないのだ。悪戯なんかじゃ済まされない。



「俺は警告したからな。何かあっても、警察を呼べないと思え」

「悠真君、ここは洋一さんに従って? 本当に危ないから……」


 紅莉はそう言うと、こっそりと鞄の中にあるスマホを悠真に見せる。

 何事かと思えば、画面には圏外と表示されていた。



「うぇ!? ドラマの中だけじゃなかったのか、そういうの……」

「本当は違法なんだろうけどね。意外にもネットで買えたりするらしいよ……」

「マジかよ……そこまでするか、普通?」


 どうやらここには、電波を妨害するジャミング装置まであるらしい。

 ということは。洋一の言うように何かあっても、誰かに助けを求めることができない。


 状況を理解すればするほど、自分の頬が耳の方へと引き攣っていくのを感じる。


 しかしまぁ紅莉の言うように、素直に従っておいた方が良いだろう。一体何が、あの神経質そうな火傷男を怒らせてしまうか、まだ分からない。


 アンティークでありそうな重厚な木製扉を抜け、館の中へと入る。

 玄関ホールは洋風の造りになっており、靴を脱ぐようなスペースはなかった。

 代わりに真っ赤な絨毯が出迎えてくれている。



「あの、この絨毯は通っても?」


 そう思ったらつい、聞いてしまった。

 言ってしまってからやっちまったと思ったが、気付いた時にはもう手遅れだった。


 少し前を進んでいた洋一と紅莉が同時に振り返り、二人とも同じような顔を悠真に向けた。



 ……これ以上、余計なことは何も言うまい。


 悠真は口をギュッと堅くつぐむのであった。

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