第21話 最終決戦・終結
「う、うん……?」
一蔵がふと目を開けると、そこは周りに何も無い暗闇だった。大きな声を出して助けを求めても、出口を探して走っても何も無い。
「一体ここはどこなのだ?」
どうして自分はこんなところにいるのだろうと思いながら一蔵は腰を下ろした。確か……病院で手術を受けていたはずなのに。
するとその時、彼の頭にとある言葉が浮かんできた。
「あの世、なのか……」
手術は必ず成功する。医者はそう言っていたし、病院の者は皆精一杯の努力をして自分を助けようとしてくれたのだろう。
だが何かに失敗した。だから自分はこうして死んでいる。
「私はずっと、ここで過ごすのか」
空腹にならなければ、疲れることも無い。体の痛みも無くなったが、それとは別に言葉にできない程の喪失感が心にのしかかってくる。
終わってしまった。ああ、自分は何も残せずに朽ち果ててしまった。
「伊織、お前はずっとこんな所で過ごしていたのか……?」
一蔵は娘の名を呼んだ。彼女も苦しかっただろうに、辛かっただろうに。自分は伊織のために何もできなかった。
全てのことから目を背け、ゆっくりと眠ろうとした、その時だった。
「パパ、目を開けて」
「伊織……!」
いつの間にか一蔵の前には伊織が立っていた。病気で亡くなる直前に着ていたワンピース姿で、しかし、以前までとは比べ物にならない程元気そうな顔で。
「すまない伊織、私が、私が何もできなかったから……!」
彼女の顔を見ると自然に目頭が熱くなった。気持ちを抑えられず、一蔵は力強く伊織を抱きしめた。
伊織は一瞬驚いたが、すぐに柔らかい笑みを見せた。
「自分を責めないで、パパ」
こうして彼女と話すのは何年振りかも分からない。懐かしくもあるが、亡くなった時のことを思い出して一蔵は妙な感覚に襲われた。
「短い人生だったけど、私はパパと一緒にたくさんお出かけできて、外の世界に触れられて嬉しかったよ。これ以上無いくらい、パパは私に色んなものをくれた」
「色んな、もの……?」
でももっと自分がしっかりしていれば、伊織は長生きできたかもしれない。一蔵はそう言おうとしたが、彼女の視線に止められた。
「ありがとう、私を最後まで見守ってくれて」
二人を包む暗い世界に、ほんの少しだけ光が差し始めた。
「でもね、パパはこっちに来ちゃいけないよ。御影さんと一緒にこの街を守って、未来を明るく照らして」
伊織は一蔵から体を離し、彼の頭を優しく撫でた。
「でも私は御影のように強くない。私がいなくても、きっと御影は……」
「……また同じことを言ってる。そうやって諦めても、何も起きないし始まらないよ?」
一蔵の言葉に彼女は少しだけ頬を膨らませ、こう言った。
「パパは強いよ。そして、周りの人たちからちゃんと愛されてる」
光が強くなった。伊織から背中を押され、一蔵は明るい世界へと踏み出していく。
「みんながパパを待ってる。だからパパは、前に進んで」
最後に彼が見たのは、暗い世界の中で眩しい笑顔を浮かべる伊織の姿だった。
一方その頃、芦屋財閥の御影清良は夜の街を車で駆け抜けていた。
「そろそろ、手術が始まっている頃でしょうね」
今、病院では一蔵と医者が病気と必死に闘っている。川田製作所の凶行を止めるため、自分も負けてはいられない。
やるべきことをやりなさい、彼にそう言われたから。
「私は川田を倒す。今ここで、私の手で!」
車の速度が上がっていく。エンジン音を唸らせ、やがて法定速度ギリギリまで上がり、坂を上っていく。
目的地は当然、川田製作所会長の川田燗信が待つ谷上本社だ。
そして翌日の早朝、本社から数十台の大型車両が走り出した。怪しまれないように、車は様々な道に枝分かれして兵庫県庁と県警に向かっていく。
「よし、作戦は順調に進んどるな」
会長の燗信とは無線で繋がっていた。部下たちは現地に着き次第周辺の攻撃を始め、最終的には設置した爆弾を正午に起動させ大爆発を起こす。そして一斉に撤退するという作戦になっている。
「あとニ十分で到着します。渋滞に引っかかっている数台は遅れて到着しますが、それ以外は概ね予定通りです」
「ここからは戦場や、気を引き締めて臨みや」
部下たちは逮捕されることはもちろん……この作戦で命を落とすことも覚悟している。
従業員のおよそ半数は大震災で職や工場そのものを失った当時の若者で構成されており、今に至るまでのおよそ二十年間、復讐のためだけに生きてきた。
「ええ、必ず成功させてやりますよ」
そろそろ辺りの風景が市街地になってきた。だが、今日はどうも様子がおかしい。
「人がいない……!」
車に乗っていた男の一人がそう呟いた。避難指示を出した影響が少なからず出ているのか、神戸の中心地に行くにつれて人が少なくなってきている。
そんな状況の中、川田製作所の車だけは何台も連なって走っている姿はどこか異様さが溢れていた。
「おう、とうとう来よったで」
運転手が何かを発見して車を停めた。後続の車両も、それに連動するように停止していく。従業員の一人が無線機を持ち、そして全員が拳銃やライフルを手にして車を降りた。
「川田製作所の職員たちに告ぐ、今すぐ無駄な抵抗はやめて投降しなさい!」
それは警察の特殊急襲部隊、SATだった。恐らく大阪から来たと思われるが、川田製作所の職員は特殊部隊に囲まれた。
だが、彼らは全く表情を変えずにライフルを構えている。
「既に設置された爆弾は解除している。君たちが、ここで武器を持つ意味は無い!」
何とか戦闘を避けようと特殊部隊は説得を始めるが、職員たちが武器を下ろす様子は無く、一触即発の空気は続いている。
「君たちが行っているのはテロ行為に他ならない! 速やかに武器を捨て、投降しなさい!」
一方、谷上にある本社にも特殊部隊が到着して説得を始めていた。
「川田さん、奴らがすぐそこにまで来ています!」
正門前に部隊が待機しているのを見て、部下が急いで燗信に報告した。だが、彼は自室の椅子に逃げることなく座り続けた。
「こうなるんは分かってたことや。俺たちは最後まで、投降することなく戦い続ける」
「川田さん……!」
結論は考えるまでもなかった。たとえ爆弾が解除されたとしても、川田の職員たちは特殊部隊と全面衝突する。
「ここが踏ん張りどころや……行くで」
燗信は最後に無線に向けてそう言い放った。それが、始まりの合図だった。
「うおおっ!」
ある者は鈍器を持ち、そしてある者はライフルを打ちながら、盾で防御態勢を整える警察の特殊部隊に突撃を始めた。
「くうっ!」
盾を構えていたとはいえ、数発の弾が特殊部隊に命中し足や膝を抱えて蹲る。一歩遅れて、部隊からの反撃が来る。
そして彼らの武器はライフルだけではない。職員の誰かが投げた手榴弾が爆発し、辺りをすさまじい轟音が包む。
「ここから先には……行かせない!」
何名か倒れた者がいるが、ここで部隊が全滅すれば街が壊滅状態になってしまう。職員と特殊部隊との戦いは、しばらく続いた。
そして谷上本社でも、警察と川田製作所の間で戦いが巻き起こっていた。
「ここから先には行かさんで!」
激しい銃撃音や叫び声が響く中、正門の後ろから一人の人物が本社の中に向かって歩いていた。
職員たちや警察が戦っている場所を潜り抜け、ただ真っ直ぐ会長の方へと。
「川田は、あそこにいるのですか」
そう、昨日から本社前で潜伏していた清良だった。表情一つ変えず、その瞳は燗信がいる方向を向いている。
「お前……!」
その存在に気付いた職員が後ろから鈍器で殴ろうとした。だが、彼女はそれを直視せずに軽く避ける。
人の波を押しのけ、時に立ち塞がる者に蹴りを加え、歩みを進めていく。
「川田を倒し、この戦いを終わらせる……どきなさい」
「そうはさせねえよ!」
職員たちは清良を囲み、彼女の動きを止めた。一瞬だけ辺りが沈黙し、周りの呼吸音だけが聞こえてくる。
「天地流奥義、風林華斬ふうりんかざん!」
だが清良は力強い回し蹴りで複数の職員たちを倒し、正門前での戦闘を警察に任せて先に進む。
入り口では、二名の大柄な職員たちが行く先を阻んでいた。
「はあっ!」
そのうち一名が振りかざしたナイフを避け、後ろに回り込ませた。その間に清良はもう一名の首に手刀を叩きこんで気絶させる。
「ぐああっ……!」
後ろに回り込んだ男は、追撃をされる前に蹴りを加えて吹き飛ばした。取り落としたナイフを拾い、離れた場所に放り投げる。
「皆さん、どうかご無事で」
清良は後ろで鳴り響く爆音に背を向けて、本社の屋内に潜入した上で燗信のいる部屋を目指した。
「待てやぁ!」
社内を進んでいくと、武器を持った川田製作所の職員がまたしても行く手を阻んだ。しかもここは廊下、狭いので逃げ場が無い。
振り切ることは難しい。戦闘は避けられないのか。
「ここまで来たんは褒めたるけど、覚悟しいや」
立ち止まったら銃で撃たれてしまう、考えている暇は無い。
「それなら……!」
すると清良は驚きの行動に出た。恐るべき速度で壁を蹴って飛び上がり、呆気にとられる職員たちの肩を踏んだのだ。
そして彼らを足場にしながら、離れた場所まで逃げようとする。
「くそっ、やりやがったな!」
静かに着地した清良を追いかけ、階段の方へと向かう。
「はああっ!」
不安定な足場で攻防戦が繰り広げられる。一人、また一人と、清良は職員たちを蹴り飛ばして階段から落としていく。
リーダー格の男が後ろから現れ、清良は踊り場まで上がってきた。
「川田さんの元には行かさんで!」
拳を受け止めた。その力から込められた思いや、魂がこちらに伝わってくる。向こうも半端な覚悟では戦っていない。
「私も、こんな所で立ち止まってるわけにはいかないのですよ!」
だがそれを超える思いで男を殴り、壁に突き飛ばして気絶させた。念のため相手が死んでいないかを確認し、早足で階段を駆け上る。
「待っていなさい……川田っ!」
二階に辿り着いて廊下を走り抜けると、燗信のいる部屋まではもうすぐだった。
そして川田は、ようやく部屋の外が騒がしいことに気付いた。
「ん、一体どうしたんや?」
周りに立っていた部下も遅れて気付いた。物音が屋外からではなく、廊下の方から聞こえてくる。
足音だけでなく、何かがぶつかる音や怒号も耳に入ってきた。
「廊下の様子を見てくれるか?」
「分かりました……」
部下の一人が燗信の指示を受け、ドアを開けて様子を見に行った。すると、足音がこちらに近付いてきた。
「何やお前は……うおっ!」
次の瞬間、部下が何者かに吹き飛ばされて壁に激突した。突然の出来事に、残っていた部下と燗信は動く暇も無く硬直した。
しばらくするとドアが静かに開き、その何者かが姿を現した。
「遂に境界線を越えましたね、川田……!」
御影清良は呼吸を荒くしながら、燗信の目の前に再び現れた。
「また来たんか、お前も案外しつこいやっちゃな」
燗信は呆れた顔をしながら、隣の部下に目配せをした。すると彼は金属バットを持ちながら清良に飛びかかった。
「お前が挫けるまで、私は何度でも這い上がってみせる!」
相手の動きを寸前で躱し、張り手を使って男から一定の距離を取る。さらに相手が怯んだ隙に回し蹴りを使い、瞬く間に倒した。
「はあっ……!」
軽い身のこなし、そして力強い一撃。全てがまさに完璧ともいえるものだった。燗信はそんな彼女を睨みながら棚を探り、何と巨大なチェーンソーを取り出した。
「ここで……終わるわけにはいかんのや!」
触れる者全てを切り裂くような回転音が恐怖を煽る。清良は何としても自分を倒さんとする燗信の執念に、思わず眉を顰めた。
「俺は、俺たちは必ずこの兵庫県を破壊する!」
燗信はチェーンソーを振りかぶって襲いかかった。近くにあった椅子が斬られ、家具をなぎ倒しながらなりふり構わず突進してくる。
動きが読めない。清良は苦戦しながらも、攻撃を避けていく。
「くたばれやぁ!」
とうとう彼女は壁に追い詰められた。徐々に彼との距離が縮まり、チェーンソーの回転音が大きく聞こえる。
「くうっ……!」
寸前で屈むとチェーンソーは壁に突き刺さったが、何と壁面を引き裂きながらこっちに向かってくる。
まずい、このまま逃げていては消耗するだけだ。
「やる気あんのか、お前は!?」
燗信の声が上から響いてくる。清良は何とか体を反らせながら、攻撃を掻い潜って彼に蹴りを加えた。
再び二人の距離が離れ、チェーンソーの音だけが虚しく響き渡る。
「その武器を下ろしなさい。爆弾が解除された今、お前がここで戦う意味は無いはずです」
「馬鹿にしてんのか、俺がここまでどれだけ努力してきたと思っとるんや!?」
燗信はチェーンソーを引きずりながら、何とか清良を倒さんと進み始めた。彼女も逃げることなく、その様子を見つめている。
「兵庫県を変えられるのは、この川田製作所だけなんや!」
額からは汗が流れ、息も荒くなっている。彼も確実に限界が近付いているはずだが、その目は憎しみで燃えているのが伝わってきた。
「ここまでの努力、ですか……」
今までの清良なら、きっと何も言わず彼を倒そうとしていただろう。けれど、彼女は川田がここまで歩んできた理由を知っていた。
だからこそ、彼が最後の一線を越えるのは何としてでも止めてみせる。
「調べさせて頂きましたよ、川田製作所の過去について」
燗信に武器を向けられながらも、清良は物怖じすること無く話し始めた。
「かつて川田製作所は小さな町工場だった。しかし阪神淡路大震災で工場が壊滅状態になったため、事業の継続も非常に難しくなった」
清良は静かに、しかし言葉の一つ一つに力を込めて話を続けた。
「そんな時、会長になった川田燗信は何としてでも会社を存続させようとした。武器や薬物の密輸密売、犯罪組織との関わりを持ってでも製作所を立て直し、自分たちを助けてくれなかった兵庫県に復讐しようとした」
「……黙れ」
燗信の体が小刻みに震え始めた。限界となっていた肉体に怒りが宿り、徐々に先程までの力が戻ってくる。
「その全ては思い半ばに力尽きた、お父様のために」
「黙れって言うとるやろぉ!」
今まで以上に怒りを込めた怒鳴り声を上げ、燗信は今目の前にいる清良を何としてでも、一秒でも早く叩きのめそうとする。
「今までお前が行ってきた悪行で、どれだけの市民が苦しんだと思っている!?」
しかし清良も負けじと叫びながら、激高してこちらに向かってくる燗信を投げ飛ばした。
「そんなことでお父様は喜ばない。復讐の連鎖は、今ここで私が断ち切ってみせる!」
今しかない。燗信は何とか立ち上がって清良を攻撃しようとするが、力が抜けてチェーンソーを取り落としてしまった。
自分ができる最大の一撃を、最大の敵に放つ。
「天地流最終奥義、朱継烈生しゅけいれつせい!」
彼女から放たれたのは張り手だった。何の変哲も無い、ただ高速で繰り出されるだけの単純な張り手。
「御影、清良ぁ!」
だが単純な技だからこそ、そこに最大の力を込めて相手を吹き飛ばすことができる。
「これで終わりです……はああっ!」
朱継烈生を撃ち込まれた燗信は数メートル向こうに弾き飛ばされ、椅子や机をなぎ倒し、壁にぶつかってようやく止まった。
「ぬう、ぁ……」
最後に彼は呻き声を上げ、何の抵抗もできずに床に倒れ込んだ。勝負は完全に、御影清良の勝利だった。
「知らなかったわけじゃ、なかったさ……」
後は警察の仕事だろう。清良が燗信に背を向けてその場を去ろうとすると、彼が掠れた声で話し始めた。
「俺が兵庫県の頂点に立っても、川田が世界一の企業になっても父さんは戻ってこない。俺のやるべきことはもっと他にあるんちゃうんかってな」
清良はそこでゆっくりと振り向いた、彼は天井を真っ直ぐと見上げ、全てが抜け落ちたかのような表情をしていた。
「でも俺は信じたくなかった。父さんはもうこの世にいないこと、それに兵庫県を支配してもどうしようもないということを……」
清良はふと動きを止め、方向を変えて倒れている燗信に歩み寄った。
「なあ、俺はどうすれば良いと思う?」
燗信はそう聞いてきた。自分で考えるべきだ、と言い放つのをぐっと堪え、清良は必死に考えた後このような答えを出した。
「考え直せば良いのです」
「考え、直す……?」
言葉の意味がよく分からないといった様子の燗信に、清良は彼と向き合って真剣な面持ちで説明した。
「お前のしたテロ行為は許されることではない、もちろん罪を償う必要があります。そこで自分のしたことを、これからするべきことを考え直すのです。困っている人たちのために、自分が何をできるかを」
サイレンと共に複数人の足音が聞こえてくる。恐らく、警察が川田を確保するためにここまで向かっているのだろう。
「考え直しなさい、何度でも」
清良は立ち上がり、燗信にそう告げて今度こそその場を去った。
一方その頃、神戸の街でも警察が川田製作所の職員たちを連行していった。
「これでようやく、全てが終わったか……」
兵庫県警の高橋はその光景を見てほっと胸を撫で下ろした。怪我人は大勢出てしまったものの、警察と川田双方で死者は出なかった。
「こんな廃墟みたいな街、初めて見たかもな」
避難命令が出て人が出歩かなくなった神戸の街に、何と雪が降り始めた。
外は肌寒いが不思議と心細い気持ちは出てこない。きっと清良も川田との決着をつけ、無事に帰還している所だろう。
「さあ、次の事件を解決しなくちゃな」
高橋は頭に着いた雪を手で払いながら、兵庫県警の建物に戻った。
清良は燗信を警察に任せた後、真っ先に一蔵が手術をしていた病院に駆け込んだ。急いで階段を上り、病室のドアを勢い良く開ける。
「芦屋様!」
果たして無事なのか。一瞬恐怖で目を瞑った彼女だったが、すぐに元気そうな一蔵の声が聞こえてきた。
「ああ御影、この通り手術は成功したよ」
まだベッドから動けない状態ではあったが、彼は心配する清良に向けて手を振った。
「いやぁ、夢の中で伊織と会ったよ。お前はまだ元気なんだからちゃんとしろって怒られてね」
「ああ、本当に良かったです。芦屋様……!」
清良は迷いなく一蔵に飛びついた。燗信と戦った時とはまるで異なり、晴れ渡るような笑顔を見せて彼女は泣いていた。
「すまない、心配をかけてしまったな」
一気に溢れてきた涙は、どうにかして抑えようとしても止まらない。一蔵は清良が落ち着くまで、彼女の背中を撫で続けた。
「伊織、私はもう少しだけ頑張ってみせる」
外は雪が降っていた。彼は窓を見つめ、今はもういない娘の名を口にする。
「御影と共に前に進んで、そして自分の限界まで走り抜くさ……」
伊織はきっと自分の方を向いて笑っているだろう、今はそう信じていたかった。
そして雪は移動していき、やがて遠く離れた粟生の地に辿り着いた。
「速報が入りました。兵庫県庁と兵庫県警の爆破予告に関わった容疑で川田製作所会長の川田燗信が逮捕されました」
赤石探偵事務所を経営している赤石純は、ニュースで燗信が逮捕されたことを知った。
「御影さんが止めたのか、凄いな……」
清良は純よりも、そして彼が思っていたよりもずっと強かった。正直、探偵の助けは必要なかった程に。
だからこそ純は負けていられない。依頼を完璧にこなす一流の探偵になるためには、より一層の努力と経験を積む必要があると感じさせられた。
「本当、俺もまだまだだなあ」
純はそう呟きながら静かにお茶を啜った。連続殺人事件は終わり、川田製作所の騒動も収束した。だが事件は必ずどこかで起きるだろうし、純たちの活躍もこれからだろう。
「以上、お昼のニュースをお伝えしました」
しばらくするとニュースが終わり、クリスマスの特集に切り替わる。サンタクロースのコスプレを着たお笑い芸人が、一風変わったグッズや食べ物の紹介をしている。
「寒い冬にこそ、冷たいスイーツが美味しいですよ!」
外はいつの間にか雪が降り始めている。決して多くない僅かなものではあったが、それは粟生の豊かな自然をより美しい風景にしていた。
「……ん、明日はクリスマスイブか?」
時が経つのも早いものだと純はふと思った。つい昨日のことのように感じられる十一月もとっくに終わり、今日は十二月の二十三日だった。
続く
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