4章 彷徨う目線
俺の日常は、概ね守られていた。体が健康そのものであったからそう思えるのかも
しれない。あんなおぞましい能力を使い、自ら腕を壊しておきながら、元の姿に戻り、頭から血が出ようとも、数時間後には、なに事もなかったような日常を迎える。
そのせいで感覚が狂わされていたといえるが。ついには、命の危険があったことすら忘れかけていた。。
そんな便利な体のおかげで、現在では、教室で、席を繋げて、寝場所を作ってみたり、図書室に入って、映画鑑賞をするなど、快適とは言えないが、この世界にすっかり慣れてきていた。別の意味では、学校を楽しんでいた。──ある一つを除けば。それは、化け物の存在だ。もちろん戦う。それしか道を知らないから。
しかし、最近はある疑問が浮かんでいた。抗う──化け物と戦うのは、世界に抗うということではないのだろうか。そんな無謀なことをする意味はあるのか。
こんなことを考えていても、答えは、どこにもなかった。自分自身にとっても抗うということを、確かに実感はしていたが、完全には理解していなかったため、漠然とした疑問に落ち着いていた。
×××
夏が終わり、しがみつくようにして暑さだけは残り、朝のニュースでも、温暖化の議題が上がっている時期だろう。それでも、カレンダーを見れば、十月になり、一年の終わりを無理にも意識せざる負えない。
俺は、健の席に座り、妄想にふけっていた。
自分の席と、一つずれているだけで見ている景色はここまで変わるものなのか。普段の健を思い出す。休憩時間になれば、誰かしらが来て話しかけられている姿。それなのに、すきを見て振り返り、笑いながら話しかけてくる姿。
そして、そこに昔は、もう一人話に入ってくる人物がいたことを想像してみる。
岬先輩の言うとおりになったのか。悲しい気持ちは、もう湧きあがらない。人が死んだ。本能的な恐怖でしかなくなってしまっていた。
今度は相良さんの席に座ってみる。そこから自分の席を見る。そこにはまた、違う景色が広がっている。──裏の世界というのもこれと同じなのかもしれない。
相良さんが話しているところを想像するが、それはなかなか、難しかった。そして同時にそれが虚しいことに気づき自分の席に戻り睡眠につく。
そんな夜更かしをしていたせいで、次の日の授業は、ほとんど、伏せて過ごすはめになった。
放課後いつもの散歩の過程で見つけた、空き教室にいすを並べ、その上で横になっていた。何度目だろうか。廊下から聞こえる声の内容を横目に、図書室から借りてきた(無断)、Stand by meを、自分にだけ聞こえる音で流し何もせず天井を眺めていた。
もしここに誰かが来たら、なんて考えはなかった。
扉を開ける音は、まどろみと、音楽によって、隠されてしまっていた。
「よっ!」
突如目の前に、影が覆いかぶさり慌てる。
「うわっ」
「直哉君なにしてるの?」
自分で言うのもなんだが、結構な驚きだったにもかかわらず、相良さんは、表情一つ変えていなかった。
とりあえず、教師でなかったことに安堵し、白い首に目をむける。それは、相良さんの顔目の前にあることで、起き上がれないから仕方ない。
「ちょっと相良さん、よけて貰っても……」
「あ、ごめん、ごめん!」
そういうと、相良さんは一歩引く。
俺は起き上がると、相良さんに向かうように、どっちかというと叱られる、教師と生徒のような、関係で座りなおす。
「なんで相良さんがここに?」
「それはこっちのセリフだよ。いま、クラスで文化祭の何やるか決めてたんだよ」
相良さんが、少し怒った口調でそう言う。それは失態だった。確かに思い返せばいつもより教室に人が残っていた気がする。
「ごめん」
「へへ、まあ、私も途中で抜けてきたんだけどねー」
相良さんは、さっきまで寝ていた椅子の一つを取ると、少し間をあけて、隣に座る。
近くに二人でいるのに、こんな格好は違和感だったが、顔見ないで済むのは、ありがたかった。
「どうして?」
「直哉君を追って?」
「……なんで疑問形……、それに絶対違う」
「ほんとうだよ! だって、直哉君ってみんながいる場所だと、話すの嫌なのかなって。どうかな?」
確かに最近は、相良さんのことをわざと避けていたが、それは、兄上の監視の目が怖いからだ。俺はそれを言うべきか逡巡するが、もしかしたら、それは相良さんを傷つけることになるかもと思い止める。きっと、自分のせいだと、責める。
「たぶんちがう」
「そうかな」
彼女の言葉を最後に空白が生まれる。あまりにもその時間が長かったので、隣をちらと見ると、足を揺らしながら、忘れていた今なおスピーカーからリピートされている曲を口ずさむ。知らない曲だったのか、とこどころ音程を外れながら、リズムを刻んでいた。
別に何をするわけでもない、それでも以前より有意義な時間が過ぎていく。それは彼女にとっては、覚悟の時間であったことを知るにはあまりにも平穏すぎた。
「二人きりになりたかったの」
彼女は、何の前触れもなくごく自然と、朝鳴く、カラスのように、ごく自然とその言葉を発した。
「ふぐっ⁉」
俺はそれに、つぶれたカエルのような声で返すほかなかった。
急に廊下の喧騒が大きく聞こえてくる。違う学年の授業が終わったのだろう。廊下には生徒の集団が、騒ぎながら通り過ぎていく。
俺はすでにここも安住の地ではなくなったことを理解した。いつここに誰かが入ってきてもおかしくない。
「えぇっと、これは、どっきり? それともいじめ?」
「うーん」
相良さんは本気で考えているかのように、上を見る。
「いじめかな? へへ、冗談」
そういって相良さんは自分の体を抱く。そのせいで、制服で、弛み隠されていた、胸が強調されなだやかに隆起する。自分の体温が少し上がるのを感じる。
「ははは、直哉君って、結構反応分かりやすいから気を付けたほうが良いよ。まあ、いいけどね」
ああ、最悪だ。もしこれをほかの人が見たら、放課後の男女の甘い一幕に、嫉妬交じりの言葉を一つや二つ投げかけたくなるだろう。。
しかし、俺は、人知れず追い詰められていた。自分の恥を明かされ、さらにこれから何が起こるのか微塵も予想できないこの状況に。
全身が熱く、一種の酔っているといわれる、状態にも似ているように思われた。まあ、イメージでしかないが。
というか、自分は相良さんにこんなことをされるほど、親しい仲ではなかったはずだ。朝の幻想を引きずっているのは、自分だけで、彼女は一つも意識していないだろうに。
「直哉君って今彼女とかいる?」
「な、なに……急に……?」
「私ね、健のことが好きなの」
彼女の大胆な告白は、電流のように全身を流れ、ちくちくと、痛みに代わる。
「彼女がいないにしても好きな人ぐらいはいたでしょ?」
「たぶん小学生と、中学生の時に一人ずついた気がする」
体の痛みが増す。一方的だがそんな告白をされてしまった以上、俺も正直に話すしかないじゃないか。
「また〝たぶん”なんて言葉でごまかすんだ」
威圧的な言葉。どうやら、納得しもらえなかったらしい。さらに彼女はこちらに言葉を求めるように、見つめる。
「相良さんは俺に何を求めているの?」
そこでようやく、相良さんが表情を崩してくれる。
「例えば、恋のキューピット、とか?」
相良さんが笑いながらそういう。さすがにそれは、大袈裟な例だと思うが、何となく相良さんの言いたいことはわかった。
「つまり、相良さんと健の仲介役をやれと?」
「そう。パートナーだね!」
「……飼い犬の間違いでしょ」
「もう、直哉君ったら、自分の性癖を押し付けてくるのはダメだよ!」
「と、とりあえず俺には無理だから。それなら、女友達とか、いつも話している、男子から選んだほうが良いよ。俺じゃあ何の手助けもできない」
「うん。だから、いつも話している男の子に頼ってるの。それに、女子は、こういうのは、協力なんてしてくれないよ」
「なにそれ、こわっ。はぁ──まぁ、とりあえず、話だけは聞くよ」
「──ふー、よかったー」
相良さんは、腕を上げて大きく伸びをする。気づかなかったが、相良さんの顔は、リンゴのように艶やかに赤くなっているのがはっきりと分かった。
──告白か。人生でされたのは初めてかもしれない。
俺も大きく嘆息し、ひそかに感じる、喜びをかみしめる。
「それじゃ、早速やってもらうかな」
一難去ってまた一難。
「これからですか?」
「なんで敬語。なに? いやなの?」
相良さんは、ギリッとこちらを睨んでくる。
「そりゃぁ……」
「あっ。そうだ! 直哉君も秘密教えてよ。君だけが弱みを握ってんのはずるいもん!」
相良さんに言われてはじめてそのことに気づく。確かに、これはあくまで、相良さんからのお願いなのであって、そこに強制力は発生していない。
「はは、残念だね。もう少し仲良かったら、何か秘密を握れたのに。まあ、やさしさで無茶なお願いではなければ聞いてあげるよ」
形勢逆転。これでよほどのことは命令されないだろう。
「もー。なにそれー。急に偉そうだし」
くすくす笑う彼女を見て、大概のお願いを聞くことになるだろうと悟った。
「それで、なにをさせるつもりなん──」
──俺が言いかけたその時、教室の扉が開かれ、二人の男女が入ってくる。
「「⁉」」
相良さんを含めた三人はわかりやすく固まる。
それは、まるで裏の世界の光景のようだった。存在のない人間を、あの感覚をおもいだす。
そのおかげもあり、一番初めに動けた。
「それじゃあ、そろそろ帰ろうか」
相良さんの腕をつかむと、後ろの扉から出る。細い腕はしっかりとした感触を持っていた。
幸いなことに先輩二人は何か言ってくることも、追ってくることもなかったが、それでも、地面に写る自分の影から逃げるように、歩き続けた。
自分たちの教室がある階まで下りてきて、ようやく立ち止まる。その頃には、さっきの、英雄的気持ちの高鳴りは静まっており、恥だけが残っていた。あの場所で、カップルに見られたこと。意識的に彼女の腕を引っ張たたこと。その全てを後悔する時間やってきた。
「あはははは、──はぁはぁ」
それなのに相良さんだけが、愉快そうに笑っていた。なんなら後半はほとんど、過呼吸になるほどだった。
俺は、早く自分だけの安全な場所に避難したく、足はそちらに向けて動き出していた。
彼女は後ろから、ったったったと、小刻みなステップを踏んで、正面に躍り出、行く手を遮る。
「もう、待ってってば‼」
それにより、緊急脱出は強制的に制止させられる。
「な、なに?」
彼女の顔をそらすために、うつむいた先には、ほんのり赤く染まる腕がのびていた。
「ううん、違う、違う。むしろ、謝るのはこっちだよ。変なことに付き合わせてるんだもん! だから、さっきの続き」
「?」
「手伝うんでしょ。恋のキューピッド君」
そういって、心の根元を指で突き刺される。犯罪者だったり、天使だったり、人間にはなれないものか……。
相良さんの、協力者になった。俺は、安全地帯となった教室に、寝っ転がり、思い出していた。
相良さんがどうして自分に協力を願い出たのか。おそらく、健の友達の中で、ほかの人との関りが少なく秘密の漏れる心配がないなどという、安易なものだろう。人付き合いの悪さが、こんなところに影響してくるとは。……その良し悪しは置いておくとして。
教室の薄暗さに身をうずめていると、後悔の念ばかりが浮かんで悶える。我ながら、大胆なことをしたもんだと。
体温を持ったつややかな肌の感触が残る手を、何度か握りなおす。それは暗闇にわずかに残る灯火のように、心をぎりぎりのところで繋ぎとめてくれた。
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