六、医者の志

 古書店「ふくろうの眼」を出た後、ニコはトムとユリナが泊まっている安ホテルを目指した。いくら入国時の審査が緩いといっても、偽造パスポート騒ぎがあった後だ。外国人がよく泊まる高級ホテルでは、身元の審査が厳重になることは避けられない。

そこで、喫茶店を出る前に店の公衆電話コーナーにあった薄っぺらい電話帳で、安ホテルを探しておいた。安ホテルなら、それほど厳重な審査はない。トムにユリナを託して、先にホテルへのチェックインを済ませたのだ。

ホテルは中心街から外れた場所にあった。街の中央から外れているだけ、リーズナブルなホテル。しかし訳ありの人間には、格好の隠れ蓑になる。

ホテルに入り、フロントでトムが取った部屋を確認し、階段を常人より遥かに遅いスピードで上がる。エレベーターなどという贅沢な設備はない。幸いにもトムが選んだ部屋は三階だった。

扉をノックし、

「義足の案山子だ。」と合言葉を言うと、ドアが開いた。

「ご苦労様です。」

 出迎えたのはユリナだった。

 部屋に入り、備え付けのテーブルにバックを置く。

「どうでしたか?」

 心配そうに問いかけるユリナだったが、

「順調だよ。明日の正午には本物のパスポートが手に入る。」

 ユリナはホッとした様子で、

「トムさんは食料の買い出しに出かけています。さすがに私が相部屋ではまずいだろうということで、もう一部屋取ってくれました。隣が私の部屋です。」

「そうか。」

 ニコは椅子に座り、テーブルに杖を立てかけた。

「何から何まですみません…。」

「別にそんなに恐縮することじゃない。そりゃあ他の人からすれば、信じられない話さ。私たちも話を本当だと思うこと自体、どうかしているかもしれないがね。」

 ニコはそう言い、バックから荷物を出した。

 この国の地図、ボールペン、クリップ、メモ帳、折り畳みナイフ、どれもこの町の雑貨店で手に入れたものだ。

「万が一に備えて、明日には銃が手に入る。とはいっても両足義足の私には拳銃が精一杯だがね。」

「拳銃…。」

「驚くことではないだろう。この町で君の考えていることをするには、手を汚す必要もある。」

「でもそれはやりすぎなんじゃないかと…。」

「女学生の考えはやめろ。」

 ふと気になってニコは問いかけた。

「一つ聞きたいんだがね。」

「…何ですか。」

「どうして王族でありながら医者になろうと考えた?よく知らないが一生遊んで暮らすこともできるだろうに。」

 ユリナは少し考えた様子だったが、話し出した。

「…実は、私、合衆国の大学共通模試で全教科満点だったんです。」

「…マジか?」

 合衆国の共通模試は世界基準の頭の良さを図る試験だ。当然、生半可な実力ではまともな成績は収められないし、この試験で全教科満点などニコは聞いたことがなかった。

「成績が発表されると、専属の家庭教師から言われたんです。『あなたは医者になるべきだ』って。」

 大学の医学部はどの国も最難関だ。人の命を預かる人間を育成する学部のため、入学してきた人間は将来が約束されたも同然である。このユリナは学校の成績だけで言うならば、この国一の医学生と言える。

「つまり、成績が優秀だから医学部に入ったと?」

「私は王族として暮らすよりも、自分が生きれる道を探して大学に行くことにしたんです。」

「……。」

「そうすれば自分の道が見つかるんじゃないかって。」

「わからんな。わからんよ。あんたの言っていることは。」

 自分を納得させるようにニコは言う。

「あんたはどんな道も選べた。何にでもなれる。すごいよな。恵まれている証拠だ。」

 段々とニコの口調が険しくなってきた。

「で?それで終わりなの?悲劇のヒロインさん。」

「ヒロインって…。」

「ホントすごいと思うよ。成績が優秀ってだけで人の命の守り手になろうだなんて。」

「……。」

「選ばれた人間の選択?そんなの胸糞悪いんだけど。自分がどれだけぬくぬくと暮らせたかもわかりもせずに自分探しの旅目的で医者になろうだなんて、どうかしてるよ。」

「……。」

「俺にはこれしかなかったんだよ。」

 ニコはズボンの裾をめくって両足の義足を見せた。

「一生施設で憐みの眼を向けられて暮らすよりも、何とか職を見つけて働いていた方が百倍ましだから。私、あんたに意地悪するつもりなかったけど、気が変わったよ。」

 ニコは鋭い目を向けて、困惑するユリナに問いかける。

「答えろ。あんた、なんで医者になろうとした?」

「私は…。」

 するとドアの錠を開錠する音が響き、ドアが開いた。トムが帰ってきたのだ。

「まあそう女の子を追い詰めるな。」

 トムが言った。

「待たせてすまなかったね。ユリナ。必要な食料や衣服は買ってきたよ。」

「どうも…。」

「それにしても…。」

 トムは続けた。

「将来の仕事やら使命やら…、重苦しいことを学生生活に持ち込みなさるな。」

 ニコは小声でぼやく。

「聞いてたんじゃねえか…。」

 トムはニコを無視し、

「成績がいいのなら、それを活かした仕事をする準備を進めればいい。大儀だの使命だのといった高尚な精神は後からついてくるものなんだ。」

「それって…。『今は何も考えなくていい』ってことですよね…。」

 ユリナは少し悲観した表情をしたが、トムは笑って、

「まあそんな思いつめなさるな。」と言った。

「さて、今日はもう遅い。ユリナ。隣の部屋に戻りなさい。」

「…わかりました。」

 ユリナは少し思い悩んだ様子で部屋を出て行った。

 ユリナが部屋を出た後、ニコはトムに問いかけた。

「言いたいことは?」

 トムは気にする様子もなく、

「何も。」と言った。

「言っても無駄だし、君の言うことも一理ある。それを責める気はないよ。」

 ニコはフンと鼻を鳴らし、テーブルに向かって明日の準備を始めた。

 トムは食料を冷蔵庫に入れて、ニコの義足を外した。

 まったくいいやつだ、とニコは思っていた。


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