一、東の南国へ
十一時間にも及んだフライトが快適とは言えなかったし、多忙を極めている同僚たちのことを考えれば、少しズルをした気分もしていたが、ニコは久しぶりの休暇に心躍っていた。
到着した空港では私たちの国の人間はいなかった。そんなことはお構いなしに、トムは楽しげだった。まるで今にも叫びそうな雰囲気だ。
「トム。落ち着け。」
なだめる私だが、
「何言っているのさ。僕にとっては初めての外国だよ。落ち着きもなくなる。」
「気をつけろよ。この国は観光客をカモにする犯罪が多い。自国と同じと思ったら大間違いだ。」
空港の出口に向かうと早速、タクシーの勧誘が来た。
「お客さん。車あるよ!」
「こっちが安いよ!」
「こっちは速いよ!」
するとニコが素早く前へ出て、
「失せろ!失せろ!もう車は決めてあるんだ!」
すると勧誘のドライバーたちはすごすごと下がっていき、
「あんなこと言わなくても。」
そうトムはニコに抗議したが、私は言う。
「白タクの区別ぐらいできないのか。さっそくカモにされるところだぞ。」
ニコがタクシーだと言って向かっていったのは、なんと軍用ジープだった。浅黒い肌をした人物が待っており、
「お久しぶりです。ニコさん。」
「頼むから空港内で待っていてくれ。こっちのほうが危うく白タクの餌食になるところだった。」
「申し訳ありません。私は空港内で待つことが許されていないので。」
「ニコ。この人は?」
「私の昔の知り合い。アリという。この国でフィクサーをしている。」
フィクサーというのは、外国人が危険な国を観光する際に手助けをする個人エージェントのことだ。この国は私たちの国の同盟国の島国の支配を受けているが、統治が行きわたらない場所もある。外国人が観光をするならフィクサーが絶対に必要になる。さっきの白タクの勧誘のように、純朴なトムが引っ掛からないようにするために、わざと手配したのだ。
そしてアリはこの国の植民地政府軍の兵士ということもあり、信用が置ける人物だった。
「荷物は私が入れます。お二人は後ろの席へどうぞ。」
ドライブが少し長いため、トムに頼んで義足を外してもらう。義足をつけているニコにアリは驚いた様子だったのか、少し固まってしまったが、すぐに気を取り直して運転席に向かった。
行先はホテル。時差ボケもあって、ニコもトムも疲れていた。今日はとりあえず、ホテルでゆっくり休もうということになった。
「それにしてもさっきは驚いたよ。」
ジープがアリの運転で発進すると、トムがつぶやいた。
「空港内でも白タクの勧誘が来るとはね。案内の人をつけてくれたことがよくわかる。」
「この国は安全とは言えません。」
そうアリはつぶやく。
「近頃は特にです。ここ最近、政府への反発の声が強く出てきて、治安が悪化しています。私たち軍も頑張っていますが、問題の根本的解決にはなりません。」
「問題って、もしかして植民地支配のこと?」
「お恥ずかしながらそうです…。」
この国は百年以上前から、東の島国の帝国の支配下にある。植民地からもたらされる富は帝国の貴重な財政源でもあった。あの帝国が七つの海を制覇した遠因は、この国を掌中に収めていたこともあるのだ。ただし、これまではなかった植民地支配への反発も最近強くなってきた。自分たちはどんなに頑張っても、遠い宗主国を富ませるだけで自分たちにはそのおこぼれしか与えられない…。不満は充満し、はけ口を求めて、国民は反政府デモを起こす。植民地の富欲しさにデモが起きるたびに、機動隊が出動し、警棒で殴る、放水する、催涙スプレーを顔面の至近距離から噴霧するといった過剰な制圧も海外で問題視されている。
「ほら、あそこでやっている演説もそうですよ。」
アリが指さす方向には、声はよく聞こえなかったが、多くの人間が集まり演説台に登った人物のスピーチを聞いている。すると軍警察がやってきて、集団を解散させるといった光景があった。
「ダニーの奴、とんでもない国を紹介したものだ。」
ニコもあきれていたが、アリがつぶやく。
「私もこの国の人間として、彼らの気持ちがわからないでもありません。しかし、帝国による支配は続くでしょうね。」
アリが案内してくれたホテルは、街の目抜き通りにある高級ホテルだった。インペリアルという名前にふさわしく、ドアマンの応対も洗練されていた。
ロビーのカウンターで自分たちの来訪を告げると、すぐにスイートルームへの案内がされた。ホテルの予約もすべて事前にダニエルがやってくれていたのだ。
部屋は冷房が程よく効き、あらゆる備品が一流だった。帝国風の様式の部屋だ。
「ひゃあ。ここは天国だな。」
キングサイズのベッドに座りながら、ニコはつぶやいた。
「貧しい生活をしている現地の人には悪いけどね。」
トムが憂鬱そうにつぶやく。
「考えても仕方がない。私たちにできることはほとんどない。可哀そうだからと言って、物乞いに小銭を渡すのがいいことなのか?私はそうは思わない。それは見下している行為だからだ。」
「言いたいことはわかるけどさ…。こうも不平があると…。」
「何度も言うが、仕方がない。君が悩んだところで解決できる問題でもないからな。それよりもさっき聞いた話だけど、このホテルではうまいローストビーフが出るんだってさ。ワインとともに楽しみじゃないか。もっと前向きに考えよう。」
トムは納得していない様子だったが、
「まあね…。うん。楽しく過ごそう。」
こうして異国での滞在一日目が過ぎていった。
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