ナノマシンアレルギー
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──ナノマシンアレルギー
夏妃との食事の件について、凛之助は事務所の終業後に央樹に相談した。
今回もいろいろと依頼があった。
変わっていたのは性転換した息子の素行調査で、凛之助は元が男だと分からないような調査対象を見て目を丸くした。だが、央樹に言わせるならば、もうこの手の外科手術は珍しくもなんともないそうだ。なんと全員が元男という女性アイドルグループまで存在するそうである。
「流石に生殖能力はないのだろう?」
「今は人工子宮があるから、別に苦労はしないさ。人工授精して、人工子宮で育てて、そして子供を迎える。凛之助君はここら辺の事情は詳しくなかった方?」
「あまり知識はない」
元の凛之助もこの手のことには興味がなかったようで、知識はなかった。
「今は遺伝病も受精させる前の段階で遺伝子を組み替えちゃうから、ほとんど問題にならない。昔はいろいろと遺伝する病気があったんだけど、今はそういうのはほとんどないと言っていいね」
まあ、完璧じゃないけどと央樹が呟く。
「夏姉は遺伝病、なのだろう?」
「そう、俺より凛之助君がそこは詳しいでしょう? 夏妃ちゃんは生まれたときから両足がなかった。母体にあるナノマシン由来の病気だって言われているけど、大手ナノマシンメーカーは未だに否定している。あくまでこれは遺伝病だって」
ナノマシン。
それは凛之助も驚いた叡智であった。目にも見えない微小なオートマタを人間は作り上げ、それで病気を防ぎ、老化を予防し、大気中の汚染物質を除去し、医療・産業・軍事というあらゆる場所で使われている。
「そして、夏姉はナノマシンに拒絶反応を示している」
「そうだね。ナノマシンアレルギー。5000万人に1人という割合でそういう子が生まれてくる。母体のいる間にもう拒絶反応を示していて、急遽人工子宮で育成することになったんだって夏妃ちゃん言ってたね」
ナノマシンは全ての人間にその叡智の恩恵を与えなかった。
ナノマシンアレルギー。ナノマシンに対する拒絶反応。
アレルギーは程度はよるが、夏妃は環境ナノマシンを体内に一時的に取り込んでも平気だが、体内循環型ナノマシンなどにはアレルギーを示す。だから、栄養管理も、体調管理も、他の人間のようにナノマシンで行うことはできない。
凛之助はそういうアレルギーはなく、体内循環型ナノマシンで日々の栄養摂取と体調管理を行っている。ナノマシンはスマートフォンにリンクしており、ナノマシンから得られた情報はスマートフォンに通知される。
運動不足ならそう警告が出るし、栄養の偏りがあっても警告が来る。警告が深刻なものに変わると体内循環型ナノマシンが自動的に栄養補完と体調回復を実行する。人体の脂肪などの余分な有機物を分解、再結合し、栄養素を体内で生み出すのだ。
これほどの叡智には驚きしかないが、夏妃はこの恩恵を受けられない。
それどころは彼女はこのナノマシンアレルギーのせいで、彼女を車椅子から解放するはずの義肢すらつけられないのだ。
「今の義肢には全てナノマシンの技術が使われている」
「そう。昔のような義肢は存在すらしない。人工筋肉とカーボンファイバーで作られ、ナノマシンによって脳と同期する、そういう義肢しかない」
人工筋肉の存在を知ったとき、凛之助はそれを彼が忌み嫌う死霊術の類かと思った。死霊術は死者を冒涜し、人倫を冒涜する悪魔の技術だ。
だが、そうではなかった。いや、ある意味では死霊術に近いのかもしれない。
琵琶湖で飼育されている遺伝子改変された海洋哺乳類。そこから切り取った筋肉を、この世界では人工筋肉という名で利用している。人工筋肉にはナノマシンが満ちており、これを人体に接続することで、手足のない人間は再び歩き、再び家族の手を握ることができるようになった。
だが、夏妃にはそれは使えない。
夏妃にそれを使うには彼女のナノマシンアレルギーの問題を解決しなければならない。そうしなければ脳と同期させる体内循環型ナノマシンがアレルギーを引き起こし、命に係わる症状を発生させる。
だから、夏妃は今も車椅子なのだ。
凛之助は自分の魔法が使えないかとも考えた。
だが、無理だ。凛之助の回復魔法は対象者は自分だけだし、そもそも夏妃に使えたとしても、最初から足が存在しなかった夏妃の足を回復させることはできない。
「ところで、奥村さん。今度夏姉と食事に行こうと思うのですが、いい店はないでしょうか? 奥村さんなら何か知っていると思うのですが」
「うーん。そうだね。俺が昇進したときに行った店とかどうかな? そこまで格式ばっていないフレンチレストラン。ドレスコードも要らないし、確か車椅子もオーケーだったはず。義肢の進歩で車椅子の方はちょっとって店が増えてきてるけど、格式ばってないレストランだし、手ごろな価格だし、楽しんできなよ」
「そうさせてもらいます」
これで夏妃を誘う店が決まった。
しかし、夏妃の状況はあまりいいものではないということが分かった。この世界には人を若く、健康に保つための道具があるのに、夏妃だけはその恩恵に預かれない。これほど理不尽なこともないだろう。
央樹に店の場所を教えてもらい、スマートフォンにそれを記録し、いつでも夏妃を誘えるようになった。評判のいい店らしく、ネットで調べると星4つより少し上という程度であった。これは高評価なのだろうと思う。
夏妃にはいろいろと世話になっている。恩は返しておきたい。今のところ、凛之助は夏妃に養ってもらっているのだから。
夏妃には彼女の苦労の分だけ報いたい。この世界の異物である自分を受け入れてくれた人間なのだ。彼女の役に立てるならば、凛之助は人殺し以外のなんだろうとするだろう。それほどまでに凛之助は夏妃に感謝している。
夏妃にしてみれば弟であり、唯一の肉親である凛之助を養うのは当然のことかもしれない。だが、それに甘んじているわけには行かないと凛之助は思う。いずれ、給与も増えたら稼ぎを家に入れなければ、と。
「夏妃ちゃんのこと、よろしくな、凛之助君。あの子、君のためならば何だろうとするって前に言ってたから。それに報いて上げて欲しい」
「はい。もちろんです」
言われるまでもない。夏妃は凛之助の唯一の肉親で守護者なのだから。
「じゃあ、また今度は3人で飯食いに行こう。ラーメン屋というのもいいものだぞ」
ラーメン。
日本で生まれた食べ物。健康にはあまりよくないが、美味いそうだ。
「楽しみにしておきます」
「おう。じゃあ、また明日ね」
事務所は営業を終了し、央樹が施錠して外に出た。
「凛之助君。逃げ足はどれだけ早い?」
「そこそこです」
この体ではまだフィジカルブーストを試していない。
「不審な連中が事務所を出たときから後をつけてきてる。振り返らないように。適当なところでとっちめて、何が狙いか喋らせてやろう」
「協力します」
「いや。俺だけで十分だ」
央樹は腕をぐるりと回すと背後に方に向かっていった。
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