奥村探偵事務所

……………………


 ──奥村探偵事務所



「私の知り合いで元刑事の人がいるんだ。その人にならリンちゃんのことを任せられると思う。どうしてリンちゃんが半グレ集団に殺されたのか。そして、これからも狙われるのか。ちゃんと調べてくれると思う」


 夏妃の車椅子は階段や段差などを平気で越えていき、、階段を上ることすらできた。いくつからの転輪が複雑に動くことで夏妃を支えていた。


「この雑居ビルの2階に事務所があるよ」


「どのような人物なのだろうか?」


「結構気さくな人だよ。ただ、ちょっと機械音痴。今日日珍しいよね。機械音痴って」


 夏妃はそう言うが、今の凛之助にもスマートフォンを始めとする電子空間やネット、そしてパソコンのことはチンプンカンプンだった。そのうち、そこら辺の記憶を取り戻すのを待つしかない。


「どういう経緯で知り合ったのだろうか?」


「ネットストーカーの相談を受けたときに私が仕事を助けたの。向こうから依頼が来てね。それを引き受けてから、ネット関係のトラブルは私が解決している。個人情報が漏洩した事件とか、SNSでのトラブルとか」


「あなたは本当に電子の女神なのだな」


「へへっ。これぐらいしか自慢できるものはないからね。これ以外にふたりで食べていく方法もなかったし」


「そうか……」


 凛之助の記憶にも肉親は夏妃だけだという情報がある。


「本当はね。伯父夫婦が引き取ろうかって話になったんだ。けど、伯父夫婦はいい噂を聞かなかったし、そもそも父さんたちとの仲も険悪だったし。だから、私が断った。その時私は18歳で大学に合格して学費も必要だったけど、奨学金で何とかして、大学を卒業した。それからは在宅プログラマーとして働き、たまにこういう依頼を受けたりして、そしてサイバーセキュリティコンサルタントの資格も取って、食べていってる」


 実はうちの家って相当なお金持ちなんだよと夏妃は自慢げに語る。


「だから、無理してリンちゃんが働く必要はないんだよ? お姉ちゃんは心配です。リンちゃんはリンちゃんだけど、これまでのリンちゃんじゃない。この世界のことを知らないか理解できないリンちゃん。本当に働ける?」


「努力はする。ただ、学校で理解できない話を聞くより、自分の能力を活かして、この世界についての理解を深めた方がいいと思うのだ」


「そっか。じゃあ、お姉ちゃんは反対しないよ。リンちゃんの決めたことだから」


「あなたには感謝している」


「あなたじゃなくて夏姉って呼んで」


「な、夏姉には感謝している」


「そうそう。その調子だよ」


 グッとサムズアップすると夏妃の車椅子は古い雑居ビルの階段を越えて上っていく。


 雑居ビルの2階に着くと『奥村探偵事務所』という看板が出ていた。


「探偵とは?」


「うーん。アニメとか漫画とかだと殺人事件を解決したりする凄い人がいるイメージだけど、実際は不倫の相談だったり、遺産配分を巡る調査だったり、それからこれから結婚する相手の素行調査の依頼だったりをこなす。割と何でも屋さん?」


「ふむ。確かに私の能力が活かせそうだ」


「でしょ? そこのところもお願いしてみるから」


 夏妃はそう言ってインターホンを押した。


『どなたでしょう?』


「臥龍岡夏妃。久しぶり、奥村さん」


『ああ。夏妃ちゃんか。入って、入って』


 またしても機械から人の音声がするのに一瞬戸惑ったものの、この世界ではこういうものが当り前なのだと凛之助は学習していた。


「奥村さん、こんにちはー」


「久しぶり、夏妃ちゃん。1年振りだっけ?」


 凛之助たちを出迎えたのは40歳中ごろの男性だった。


 髪の毛を七三分けにして、髭は綺麗に剃っており、清潔感のあるスーツ姿だった。


「それで、弟さんが事件に巻き込まれたんだって?」


「まだ完全にそうだとは言えませんけれど、怪しい状況には。その件を調べてもらいたいのと、この事務所でリンちゃんを雇ってもらえないかなって思って」


「え? 凛之助君、まだ高校生だったよね?」


 奥村と呼ばれた男が驚く。


「実を言うとリンちゃんは不思議なパワーに目覚めて、学校で勉強する意味がなくなったんですよ。本当ですよ?」


「冗談にしてもきついよ。ちゃんと高校卒業させて、大学卒業まで面倒見るって前々から言ってじゃないか」


「ちょーっと事情があってですね。まあ、見てもらった方が早いでしょう」


 そう言って夏妃が凛之助を手招きして呼ぶ。


「この人が奥村央樹さん。元刑事部捜査第一課の刑事さん。本当は警察でキャリアを重ねるつもりだったんだけど、部下が起こした不祥事のせいで連帯責任取らされて、自主退職する羽目になったの」


「それは言わないでくれよ……。もう忘れたいんだ」


「ごめん、ごめん。けど、リンちゃんの超能力は本物だよ?」


「何ができるんだ?」


 央樹が期待に満ちた目で凛之助を見る。


「今日、あなたはここにやってきて書類の確認をしていたが、何やら思うところがあったのか、途中で投げ出して、外に出た。それが3時間前。それから戻ってきて、1時間あまり書類を睨みパソコンで作業。買ってきた飲み物を飲んで、コンビニのプリンを食べてから、またパソコンで作業。そして今に至る」


「……推理したのか?」


「いいや。過去視だ。過去の光景を見て、告げた」


 央樹が驚きの表情を見せるのに、凛之助はあっさりとそう答えた。


「他に何ができるんだ?」


「未来視。記憶操作。洗脳。防御と攻撃に関する魔法。いろいろだ」


 凛之助がそう述べるのに央樹は考え込んだ。


「じゃあ、俺を洗脳してあの金庫を開けさせてみてくれ」


「分かった」


 凛之助が右手をかざす。


「あの金庫を開けろ」


「……はい……」


 央樹はあの半グレ集団がそうだったように弛緩した表情で金庫の網膜、掌紋の生体認証を行い、そのカギを開いた。


「はっ! ああ! 本当に開けちまってる!」


 そして、洗脳が解けると央樹が開いていた金庫に驚愕する。


「ほ、本物なんだな、その力……」


「本物だ」


 凛之助は言い切った。


「分かった。降参だ。こんなちんけな事務所にはもったいないぐらいの人材だが、うちで雇わせてもらおう。その、凛之助君が関わっている事件からの身辺警護も担当すればいいんだろう?」


「そうそう。私はこれだし、大人の人で頼れるのは奥村さんだけの。お願い!」


「夏妃ちゃんにお願いされたら断れないよ。凛之助君の身辺には気をつけよう。具体的にはどういう事件に関わったんだ?」


「半グレ集団から暴行を受けて」


「ヤクザを締め付けたら出てきた連中か。半グレ集団もピンキリだからな。殺人まで余裕でするような連中や、振込詐欺をやるような連中まで。だが、大丈夫だ。俺は警察で柔道の黒帯を取っているし、腕っぷしには自信がある」


 央樹はそう言って力こぶを作って見せた。


「では、明日からお願いしますね、奥村さん」


「ああ。何かトラブルがあったらすぐに連絡してくれ。夏妃ちゃんと凛之助君の頼みならすぐに駆け付けて対処するからな」


「ありがとう!」


 こうして凛之助は奥村探偵事務所で働くことになった。


「私はやっていけるだろうか、その、夏姉?」


「大丈夫。むしろ大活躍しちゃうかもよ?」


 その日は料理を作る余裕はなく、デリバリーのピザを頼んだ。


「これはどういう食べ物なのだ?」


「こうして切り分けてあるのをそのまま食べるの。熱いうちがチーズが伸びて美味しいよ。ダイエットコーラもあるからね」


「うむ」


 この世界で食べた最初の食事は大変美味かった。これまで味わったことのない味に戸惑いつつも、ついつい手が伸びてしまう。


 そして、夕食を終えると、凛之助の部屋に案内された。


 記憶にある部屋。


 元の凛之助の記憶にある部屋。


 凛之助は記憶を頼りにタブレット端末を手に取る。


 そして、脳の記憶力を強化し、貪欲にこの世界のことについて学び始めた。


……………………

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