驚きの連続

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 ──驚きの連続



 クリフォト──今は臥龍岡凛之助は、自分が纏っているものは貴族の衣服などではなく、学生が身につける制服というものであることを認識した。このような仕立てのよい服は珍しくもなんともないということに驚かされた。


 そして、都市を歩く中でさらに驚いた。


 一面ガラス張りの建物や色とりどりの動く映像が投影された建物など、魔法を使っているとしか思えないようなものが、平然と並んでいたからである。


 だが、魔法ではないと凛之助の記憶が告げる。


 あれは液晶テレビというもので、魔法ではなく、電気というものの力で動いているそうだ。いや、この世界の文明のほとんどのものが電気のエネルギーで動いているのだと凛之助の記憶は告げている。


 先ほどから通り過ぎる度に驚いていた馬のない馬車。あれも電気。


 人々が指でなぞったり、耳に当てたりしている奇妙な板。あれも電気。


 空を飛んでいく巨大な翼竜のごとき存在。あれも電気。


 電気とはそんなに万能のエネルギーだったのかと凛之助は驚いていた。


 そういえば、と凛之助はポケットを漁る。


 あった。凛之助のあの板だ。記憶を辿るとこれはスマートフォンという通話から遊戯までできる万能の機械だという。このサイズと薄さでそのようなことができるとは、本当にここは魔法のない世界なのだろうかと凛之助は不安になってきた。


 ただ、連絡が取れる道具ということは分かったのだが、まだ記憶がはっきりせず使い方が分からない。どうすれば連絡が取れるのだろうか。この少年はどれほどの交友関係を持っているのだろうかと疑問に感じる。


 その時、突然そのスマートフォンが音を立てて震えた。


 びくっとして凛之助が危うくスマートフォンを落としかける。異世界では魔王をやっていたのに、こんな板切れに脅かされるとは我ながら情けないと思いつつも、凛之助は何が起きたかを確かめるためにスマートフォンを観察した。


 そこには『SNS通知:姉』という文字が表示されており、凛之助は首を傾げる。


 必死に少年である凛之助の記憶を辿ると、これはまさに相手と連絡を取る手段であることが分かった。そして、記憶にある通りにその文字を指で叩く。


『リンちゃん、まだ学校? 帰りにコンビニでプリンを買ってきてくれたら嬉しいな』


 文章の最後には笑顔を浮かべた丸い人の顔が付いており、そしてその次にまたスマートフォンが音を出すと『お願いします』と頭を下げている猫の絵が送られてきた。


「姉がいるのか……」


 考えたこともなかった。


 これまで兄弟姉妹がいたことは一度もなかった。神は必ずひとりの子供にだけ、魔王の刻印を押し、そのひとりだけを魔王として讃えられるようにしていた。そうしなければ、魔王の座を巡っての争いが起き、勝手に魔王が死んでしまう。


 神は必ず勇者に魔王を殺させたかったのだ。


 だから、姉という存在は初めての存在だった。


 凛之助は記憶を探るが、この手の記憶は思い出すのが難しい。人間関係とは物のエネルギー源が何かとかいうシンプルな記憶ではない。いくつもの記憶が積み重なっていき、そして人格に影響を与えるまでして、構築されているのだ。


 今の凛之助はかつての人格が死亡している。存在しない。それゆえに受けた影響が分からず、記憶を辿ることもできない。


 事実上、凛之助はこの体の凛之助の姉についての知識を持たないと言っていい。


「しかし、コンビニとは、プリンとはなんだ……?」


 どちらも聞いたことも、見たこともないものである。


 必死に記憶を辿り、コンビニというものについては分かった。


 何でも屋とでもいうべき店らしい。食事から、酒や本まで扱っているという。とんでもない店があったものだなと凛之助は驚愕した。


 そして、コンビニの位置を把握すると、店内に入った。


 本当に本が売られていた。下着と書かれた商品まで置いてあるし、奇妙なボトルに入った飲み物は数えきれないほど種類がある。


 しかし、だと凛之助は考える。


 私は今、金を持っていないぞ、と。


 そう、金がないのだ。あのチンピラどもに奪われたのかは分からないが、金と思しきものはまるでない。そこでまた必死に凛之助の記憶を辿る。


 すると、電子決済という記憶が出てきた。


 なんと、このスマートフォンという板で支払いが行えるそうだ。


 この世界は実は魔法があるのではないかと思い、それとなく魔力探知を行うが、反応は全くなかった。これも偉大なる電気の力かと凛之助は魔王としての敗北感を味わっていた。魔王である自分ですらもこのような偉業は成し得なかった。ただの薄っぺらい板に、これほどまでの機能を搭載するなど。


 まさにこれこそが叡智と技術の結晶だ。きっとこの世界の住民たちは高度な教育を受け、全員が賢者のようなものたちに違いないと、凛之助はコンビニでコーヒーを買って出ていったサラリーマンに尊敬の視線を向けた。


 今の凛之助はこの世界では全くの愚者だ。これからいくら学んでもこの世界の標準はおろか、最低限というレベルにすら追いつけないだろう。元の凛之助の知識がいくらあったとしても、凛之助の思考力を司る人格が時代遅れなのだ。


 敗北感に打ちひしがれながらも凛之助は姉から頼まれていたプリンを探す。


『おいしい卵たっぷりプリン』


 本当に小さなサイズの容器に入ったそれを手に取り、他のおにぎりや弁当、サンドイッチと言った見慣れぬ商品を見ながら、凛之助はレジにプリンを持っていく。


「袋は必要ですか?」


 袋? よく分からないが余計なものはいらないと『要らない』と凛之助は答える。


「決済方法をお選びください」


 電子音声が響く。


 凛之助が驚いたことに、この店頭にある機械が喋ったのだ。


 民間の、ただの商店にこれほど高度なオートマタに等しい機械を置くとは文明のレベルが違うと思いつつ、決済方法から電子決済を選び、記憶通りに決済を行う。


 ピロンと音がして、決済が終わったことが表示された。


「あっざーした」


 店員がそう言い凛之助はプリンを持って街に出る。


 後は自宅に帰るだけなのだが……。


 姉はどうすればいい?


 何と説明すればいい?


 何も知らないことはすぐにでもバレる。バレてしまえば説明しなければならない。彼女の弟の死について。そして、死んだというのに、蘇って生きていることについて。魔王クリフォトの転生について。


 半グレ集団にそうしたように記憶の一部を操作することはできる。だが、いつまでも騙すことはできない。所詮は一部の記憶を操作するだけ。全体的な記憶の操作を行えば、その人物の人格そのものがおかしくなってしまう。


 それにこの少年はこの世界におけるクリフォトの器になってくれた。死んでいたとは言えど、乗っ取ったことは事実だ。


 そのことについて謝罪はしておきたい。今の凛之助は魔王ではない。ただの少年だ。横柄に振る舞うつもりも、他人を傷つけるつもりもなかった。


 いや、ずっとそうだった。だが、神が、世界が、誰かを必ず傷つけさせたのだ。


「打ち明ける、しかないのか……」


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