第32集
大宰府に向かった江間小四郎から続報が届いたのは、範頼渡海から半日後の夜のことだった。
「小四郎から」
「うむ。原田を成敗した文だろう」
「でかした!どれどれ…?」
勇んで読み始めた範頼は、少しして明らかに落胆した表情を浮かべた。
「如何された?」
「うむ…舟に関しての言及はない。小四郎も、こちらの様子はわかっておるはずだのに。ああ、原田とかいうのは捕らえたと」
「戦勝には間違いないが…か」
大宰府に舟はない。つまり、鎌倉方は何万と兵を集めようとも300艘で平家方に当たらねばならない、ということだ。
「九郎が来てくれぬかと、指を咥えて待っておるしかないと言うのか」
範頼は頭を抱え、嘆息した。季房もまた、どうにもならぬと天を仰いだ。その時、その九郎義経からの書状が届く。
「三河守殿、少将殿!大変じゃ!」
「なんじゃ、和田別当。いつも言うとるが落ち着かんか」
丸坊主だが法体ではない。別当とは鎌倉殿の家政機関の一つ、侍所の長官たる別当を意味する。名が和田小太郎なので和田別当と呼ばれるその男は、相模の三浦一族に連なる武士だった。
「見てくれ、これを!」
「なんじゃ…何々?」
「うむ?」
書状を紐解く範頼とそれを横合いから覗き込む季房。
「やったか、九郎!」
「なるほどのお…」
書状には、瀬戸内における平家の前進拠点「屋島」を義経が攻め落としたとの報と、舟一千艘をもってこちらに攻め下るとの言葉が綴られていた。
「重畳だな。さて、仕事が増えるな、これは」
「うむ、平家を彦島からも追い立てねば」
「ちょっと、ちょっと待て二人とも。追い立てて如何とする!?」
和田はヨシ、と動き出そうとした二人を引き留め、抗議する。
「如何とすって、決まっておろう?九郎の援護だ。二度と平家には本朝の地を踏ませぬ」
「然り。恨みは無いが、驕り高ぶる平家はもう要らぬ」
「しかし、しかしだな!我らの戦働きはどこにある!?」
「む」
「そうだなあ…」
和田の言いたかったことは、関東から出てきた武士皆の言い分だった。「御恩と奉公、なら。奉公、つまり戦働きをしないと御恩たる褒賞は貰えないのではないか?」と。
「我らはこの九州に来るまで、悪戦苦闘を繰り返した!しかし、鎌倉殿はどう見ておられるのだ!我らが好く戦っていると思っておられるのか!?」
「うむ、しかと皆の働きはお伝えしておる。別当が逃げ帰ろうとしたことも、逐一お知らせしておる」
「ぐ…!」
そう、和田は侍所別当という高官の地位にありながら、戦費の高騰と士気不足に喘ぎ、独断で兵を返そうとしたことがある。範頼が急報を発し、鎌倉殿頼朝からの𠮟責の手紙が和田を見舞ったことも記憶に新しい。
「ならば、三河殿がしかと我らの働きをお伝えしておられるということでよろしいな!?」
「然り。全く問題ない。逐一、その者の住所姓名を兄に報告しておる」
「…そういうことであれば、よろしかろう。では、御免」
ズンズン、と下がって行った和田。後にはぐったりとした範頼が残された。
「大変だな、三河殿」
「うむ…西に向かうにつれ、兄上の苦労が分かるようになってきた。自前の兵もおらぬ俺には、彼ら『鎌倉殿の御家人』が生命線だ」
「すまぬなあ…某がもっと兵を率いておれば力になれるものを」
ちょっとは力を得たつもりの季房だったが、まだ足りないと実感し、項垂れる。それを見て、範頼は力なく手を振る。
「そんなことはないぞ、少将。そなたの連れて来た佐用の兵は貴重な俺側の兵だ。そなたと彼らが来てから、俺の意見が強くなってきたように思う」
範頼の平家征討軍は鎌倉殿の直臣、「御家人」たちの寄り合い所帯だ。千を超える大軍を率いる和田や三浦、兵が少なくとも加藤七位などの意固地な武士も多く含む。そんな中に在って、自分の意向を尊重してくれる季房は貴重な存在であるため、範頼は頼りにしていた。
「とにかく、今日から彦島に向けて進撃する。少将、九州の留守を頼む」
「承った。小四郎のお守だな?」
「そうだ。彼奴もいい加減に、鎌倉殿義弟として独り立ちしてもらわねばならん。あまり優しくするなよ?」
「うーむ、守ってやりたくなる御仁だからなあ…」
「そこをどうにか」
はっはっは!と笑い合う季房と範頼。一族は違うが同じ「源氏」で五位の官位を持つ者同士、通じ合うものが多いのがこの二人だった。
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