#14
――ホーリーは老執事を引き連れ、会場のダンスホールへと来ていた。
周りには鮮やかなドレスや装飾品に身を包んだ淑女たちが集まり、グラスを持った燕尾服の紳士たちが、皆に微笑ましく挨拶を交わしている。
互いに会釈しながら優雅に踊る何組かの男女の姿も見える。
19世紀には、このような社交界の文化は廃れていたが、今でも根強い人気があることを思わせる光景だ。
「ふん、時代錯誤もいいとこだな」
だが招待されたホーリーは、まるで退屈な芝居でも観せられているかのように鼻を鳴らしていた。
先ほどジムたちの女装を見てほくそ笑んでいた人物とは、まるで別人のようにその顔をしかめている。
彼女が不機嫌そうな表情をしているせいか、周りにいる紳士淑女たちも怖がって近づかないくらいだ。
そんな紳士淑女の中から、一人の男性がホーリーの前に歩いてくる。
「ようこそホーリー少将。私の開いた舞踏会は楽しんでもらえているかな?」
現れた男が穏やかに微笑みかけると、ホーリーは顔をしかめながらも笑みを返した。
後ろにいた老執事のほうは彼女とは違い、慇懃にその頭を下げている。
「エイブラハム……。私が楽しんでいるように見えるか? もしそう見えるのなら、貴様の両目は腐っているぞ。大事になる前に、私がこんがり焼いてやろうか?」
引きつった笑顔で恐ろしいことを口にしたホーリーに、周囲にいた紳士淑女からざわめきが聞こえ始めていた。
だが、エイブラハムと呼ばれたこの舞踏会の主催者は、そんな彼女に臆することなく声をかけ続ける。
「ハハハ、それはご遠慮願いたいな。私のことなどよりも、今夜こそ君のドレス姿が拝めると思ったのだが。残念、まさか舞踏会にまで軍服で来るとはね」
「フン、貴様が灰になったら着てやってもいいぞ」
「おいおい、それではドレス姿が見れないじゃないか。相変わらず手厳しいな、君は」
男のフルネームはエイブラハム·ストーカー。
エイブラハムは自らを東欧の田舎貴族を名乗っており、数年前に突然英国へとやって来た。
さらに彼は莫大な富と途方もない権力を持っており、その博識と優雅な立ち振る舞いにより、一躍ロンドン社交界の花形となった人物だ。
その力は軍や政府にも繋がっており、ホーリーとは、以前に軍主導で行われた式典で顔見知りになった仲である。
エイブラハムは余程ホーリーのドレス姿が見たいのか、事あるごとに彼女をパーティーに招待していた。
これまではずっと招待を断っていた彼女だったが、特殊調査隊シャーロック結成後――どうしてだがエイブラハムの誘いに応じ、舞踏会に参加することを決めた。
しかし、顔を合わせた途端に悪態をついているのを見るに、やはりホーリーは彼のことが嫌いのようだ。
「それにしても執事を連れて舞踏会に参加とはね……。連れていた
「ほう、東洋人に興味があるのか。ならば、近いうちに紹介してやる。もちろんそいつだけでなく全員な。貴様が驚くような奴もいるしな」
ホーリーの引きつった笑みが、相手を嘲笑うようなものへと変わっていく。
口角は三日月のような形となり、その目はまるで獲物を狙う鷹のようだ。
だが、そんなホーリーを見てもエイブラハムの態度は変わらない。
彼はニッコリと優雅に微笑みを返す。
「それは楽しみだね。では、私はこれにて失礼させてもらうよ。まだ挨拶回りが終わっていないものでね。君も今夜の舞踏会を楽しんでくれたまえ」
そして、エイブラハムはホーリーの前から去って行った。
ホーリーはそんな彼の背中を睨みつけながら、再び不機嫌そうに鼻を鳴らす。
そのときの彼女の表情は、今に見ていろと言わんばかりに敵意が見て取れるものだった。
「フン、モンテ·クリスト気取りも今のうちだ。せいぜい束の間の優位に浸っているがいい。おい、ヘイミッシュ」
「はッ、お嬢様」
ヘイミッシュと呼ばれた老執事は、その高齢とは思えない屈強な身体を曲げ、彼女に頭を下げた。
顎が張って首が太く、整えられた口髭を持つヘイミッシュの見た目は、執事というよりはホーリーのボディガードのように見える。
「あいつに言われたように、私たちも舞踏会を楽しもうではないか。貴様も今夜は飲んでいいぞ。好きなだけやるといい」
「ありがたき幸せ。では、早速シャンパンをお持ちします。少々お待ちください」
ヘイミッシュはそう返事をすると、深く落としていた頭を上げてグラスとアルコールを取りに向かった。
残されたホーリーは、独り舞踏会のダンスホールを見渡す。
「そうだ……。今夜の舞踏会がシャーロックのお披露目となる……。女装でないことが残念だがな」
ホーリーはそう呟くと、クククと笑みを漏らしながら肩を揺らした。
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