13

「隠していること……」

 そんなものは無い。そう答えようとした瞬間、突然目の前が真っ白に染まる。

「っっ!?」

 唐突にフラッシュバックし始める記憶。それはノイズ掛かった映像と擦れたテープのような音で再生される不鮮明なものではあったが、その光景は見れば直ぐに思い出すことが出来る。

 ギィィ…………ギィィ…………と、それは静かに揺れ続けている。

 それに対して声を上げ、泣き叫びながら縋るのに、上を向いたままの表情は見えず、重力に引っ張られるようにして伸びた首はロープに食い込み今にも千切れそうで。

 そして少しずつ思い出される匂いの記憶。漂う臭気にこみ上げる不快感。

「そう……よ……」

 そう。目の前に映し出された映像は、静かに揺れる振り子となった人間の姿だ。それが彼女の忘れたいと願い、記憶の底に閉じ込めてしまったもの。蘇る映像が何なのか分かった瞬間、背筋を駆け上る怖気に思わず嘔吐き口元を手で覆う。

「私は……取り戻したかったの……」

 初めから兵器を創りたいと願った訳では無い。それを創る研究に没頭したのは、自分の失った家族という形をもう一度取り戻したいと願ったから。時を巻き戻すことが出来るのなら、再びあの温もりに触れることが出来るのではと考えたから。例えそれが偽りのものだったとしても構わない。やり直すためにリセットをし、そこから再スタートを切る。その為のチャンスが欲しいと。そんな願望があったからこそ、自分は行動を起こしたんだと一華は思い出す。

「そう。君は欲したんだよね? 失ってしまった過去という時間と家族という存在を。そして、君はその為の方法を手に入れた。それなのに何故、今になって後悔を感じているの? それを叶えられるという手前まで来ているのに、何を躊躇う必要があるんだろう? そういう感情って言うものは、一体何に対して感じているものなのかな?」

「それは……」

 目の前の兎は意地悪だ。その答えが分かっているからこそ、こうやって問いかけ言葉を引き出そうとしている。だが、一華はそれを拒む。言葉にしてしまえば何かが崩れてしまいそうで怖いと、耳を塞ぎ、視界を閉ざし、言葉を拒み首を振る。

「それは作り出してしまった命に対しての後悔。って事だよね?」

 しかし、兎はそれを許さなかった。確かに聞こえた言葉は、波紋を広げ何度も何度も頭の中でリフレインする。

「君自身、今まで作り出した命はあくまで『模造品』だと割り切っていたはずだよ。でも、ここに来て始めて迷いが出てしまった。その迷いを生み出したのは一人の実験体で、その一個体に対して、君は無意識下に特別な感情を抱いてしまっているんじゃない?」

「……ちが……う……」

「それが愛情であるのか、はたまた哀れみであるのかなんて、私には判らないよ。でもね、君の築いてきた価値感や理念というものを覆されるには、彼という存在は充分過ぎる理由だったりするよね?」

「……………………」

 場に降りる沈黙。耳が痛くなるほどの静けさに背筋が凍る。必死に言い訳を考えても、何も言葉が思い浮かばない。認めてしまえと誰かが囁く。認めてしまえば楽になると。それは……一体誰だろうと考えれば、その答えは直ぐ目の前にあった。

「……悔しいけれど、その通りよ」

 一華は覚悟を決め、兎の言葉を肯定するようにそう答える。

「私が後悔し始めた最大の理由は、彼の存在が原因。それは間違っていないわ」

 勿論、ライリーや城戸、ドクターに言われたことは判っているつもりだった。それを管理している以上、割り切らなければならない境界線というものは存在している。特定の個体に特別な感情を抱いてはならない。実際、今までは作り出したサンプルに対して、彼女自身が『悲しい』だとか『可哀想』そういう感情を強く抱いたことはなかった。だから油断していたのかもしれない。今回も大丈夫だと……そう、一華は思っていた。

「そうだね。だって、アレはとっても人に近すぎるんだもの」

 今まで浮かべていた意地悪な表情は一転、兎は柔らかな笑みを浮かべると、再び安楽椅子に腰掛け言葉を続ける。

「君が望んでそう創造した訳ではないと思うけれど、結果的にはそうなってしまったんだ。皮肉なもんだよね。彼は君に特別であることを意識づけてしまったんだから。そうやって芽生えた感情っていうのは……そうだね。例えるならば、子供を庇護する親。それに近いのかもしれないね」

 少しずつ、兎の喋る声が耳に馴染む声のトーンへと変化する。

「あな……た……」

 顔を上げ、兎の方へ視線を向けた一華はとても驚いた。何故なら、安楽椅子に座っていた兎の姿が、いつの間にか白いスーツを着た一人の男性の姿に変わっていたからだ。残念なことにその表情は、兎の顔を象った面に覆われ見えないが、その声はとても穏やかで心地が良い。

「人間は、遂に人を作り出すレベルにまで到達してしまった。多分これからも、寄り神に近しい場所へと目指し、その知識や技術は向上され続けていくんだろうね。でもね……忘れてはいけないんだよ」

 小さく響く何かが割れる音。それが何であるかは直ぐに判る。目の前に座る男の被っている仮面に次々に入る亀裂。分離していく小さな欠片が、少しずつテラスの床へと落ちていく。

「人もまた、神という存在に創られた模造物の一つであるんだよ。人は神に近付くことは出来ても、人が神に成ることは出来ないやしない。所詮、人は人でしかない。人は土から生まれ、また土へと返っていく。それが摂理であり真理であると言う事は忘れたら駄目なんだ」

 白い手袋に覆われた手が白い兎の仮面に重なる。ゆっくりと外されていくそれは、完全に顔から離れたと同時に、大きな音を立て弾け飛んだ。

「っっ!!」

 強烈な閃光で視界が霞む。一華は無意識に自分の顔を両腕で庇い、目を閉じる。

「一つだけアドバイスだ。君はこれから大切なものを失う。それはとても近しいものであり、君の心の何処かにある大切な感情の一つだろう。それに対して君は今よりも深く重い後悔の渦に呑み込まれることになると思う。でも、諦めないで。君が求めれば、ちゃんと答えは見つかるんだ。君が背負う罪の形は君にしか判らない。君の作り出した命の重さをきちんと理解してやれば、君はいつか探し求めていた答えに辿り着く事が出来るだろう」

 少しずつ光が収まり元の景色が戻ってくる。

「……ああ、そろそろ時間だね。さあ、行きなさい。縁があるのなら、またいずれ。何処かで会うことが出来ると思う。それまではさようならだ」

 告げられた言葉は『さようなら』。まだこの会話を終わらせたくないと咄嗟に吐き出した言葉。

「待って! 貴方は……」

 顔を庇っていた腕をずらした際、一瞬だけ見えたもの。目の前の安楽椅子に座る男の顔は、普段からよく見ている柔らかな笑みを浮かべる男の顔にそっくりで。

「嘘よ……」

 次の瞬間、再び強い光が辺り包み、目の前にあったものが全てが消えてしまった。


 目を開いた時、此処がどこなのか判らず混乱してしまった。自分の両手。その下にあるのは安物の黒いパンツに、随分と履き倒しているヒール。足下に広がる冷たいフロアタイルと、その先に見える誰かの足。

「あっ、起きた? 一華」

 顔をゆっくりと持ち上げると、視界に現れる他人の顔。覗き込まれた目の前の相手に思わず顔を顰めてしまった。

「どうしたの? 悪夢でも見てた?」

「貴方は……誰……?」

 今あるものは、夢の続きなのか現実なのか。その境界が曖昧で非常に判りにくいのが堪らなく嫌で仕方が無い。

「それ、本気で言っているの? そうだとしたら、僕、凄い悲しいや」

「ネア……ン……?」

 目の前の人物は、ネアンだと答えた。しかし、それは果たして本物だろうかと一華は疑ってしまう。その答えを知りたい。そう思ったからだろう。彼女がそっと手を伸ばし相手の頬に触れてみることにしたのは。

「うん。ネアンだよ。どうしてそんな事聞いたりするの?」

 重ねられる手の感触が嬉しかったのだろうか。一華の手を取ると、ネアンは触れた手に甘えるようにして頬を擦り寄せた。

「……ごめんなさい。少し、夢を見ていたみたい。今が夢の続きかと思って驚いてしまっただけよ」

 触れる事の出来る輪郭。それに覚えたのは安堵で、これが夢の続きではないことを理解し抜ける肩の力。

「もしかして、僕の夢を見てくれていたとか?」

「え?」

 何かを期待している。それは、目の前の相手の表情を見れば分かることだ。確かに、今見ていた夢の中には、この人物は登場してはいた。夢が終わる間際に見えたあの白いスーツを着た男は、紛れもなく目の前で笑うこの男だったのだ。だから、その問いに対してはイエスと答えられる。

「そうね。そうかもしれないし、違うかもしれない」

 だが、一華は敢えて、答えを曖昧に暈かして相手に伝えることを選択する。

「そっか。じゃあさ、その夢は楽しい夢だった?」

 詳しくは追求しない。その代わり、別の問いに対しての答えを頂戴とネアンはねだる。

「……良く覚えていないかな」

「……そっか」

 そこで一度会話は途切れた。気まずい空気が漂うのに、これ以上の言葉が続かない。どう話を切り出そうか悩んでいると、肩から床に落ちるものの違和感に気が付いた。

「そう言えば」

 背中から掛けられている薄手の上着。それは、この部屋に入ってきたときに羽織っていたものでは無いと一華は首を傾げる。

「この上着はどうしたの?」

「その椅子に掛けてあったよ。一華が風邪引くといけないと思って。勝手な事するなって怒る?」

 顔色を覗うような顔。余計な事をしたかと怯えるネアンに対し、一華は成る程と頷いてみせる。考えてみれば至極単純な話なのだ。その行動が自分に対しての気遣いから来るものだということは、直ぐに分かる。

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