番外編2 王城の庭師

「あの女……絶対に許さないからな!」

「あの女って……おまえが振られたっていう、【毒薬令嬢】だっけか?」

「最下級の男爵なのに、随分と羽振りがいい家の娘らしいじゃねえか」

「伯爵家の嫡子である俺が結婚してやるって言ってやったのに、あいつは……ドルバック家はそれを断りやがったんだぞっ!! そんなことが許されるわけねえだろうっ!?」

「それで? 許さないってどうするんだ?」

「決まっているだろうっ!! 俺たちであの女を徹底的に辱めて、誰とも結婚できなくしてやるんだよっ!!」

「おお、いいねぇ。その話、俺も乗るぜ」

「俺も、俺も! あの女、見た目はちょっとキツそうだけど、美人だし楽しめそうだ」

「よし、このまま後をつけるぞ。都合のいいことに、あの女はたった一人で城の中庭の奥へと向かっている。あっちは人目が少ないしな」

「くくく、あの女もホントに運が悪いよな」

「まさか、王城で俺たちに見つかるなんて、運が悪いなんてもんじゃねえよな」

「そいつぁ違うぜ? あの女の運が悪いのではなく、俺たちの運がいいのさ」

「確かに、突然オヤジに一緒に城に行くとか言われた時はかったりぃとか思ったけど、まさかここであの女に会えるとは、俺たちの運が良すぎるんだろうよ」

「ははは、違いない!」

「さぁて、そうと決まれば早速行動するか!」




「ここで何をしているのです?」

 ナタラーシャにそう誰何してきたのは、年若い男性だった。

 年齢は二十代の半ばほど。宵闇を集めたような黒髪黒瞳の、実に整った容姿をした男性だ。

 服装は庭師が仕事の際に着るような、効率重視の作業着。ナタラーシャの父親であるドルバック男爵も、似たような服装で野良仕事をしている。

 その男性は温室の入り口から動くことなく、注意深くナタラーシャを見ていた。

「見たところ、どこかのご令嬢のようですが……ここは立ち入りが制限されている区域ですよ?」

 男性の鋭い視線がナタラーシャに刺さる。

 見たところでは武器らしい物は身に付けていないようだが、もしもこの男性が王国の「暗部」に連なる者なら、見た目だけでは判断はできないだろう。どこにどのような暗器を仕込んでいるか、分かったものじゃない。

「ご、ごめんなさい。実は道に迷ってしまって……」

 正直に迷子になったことを伝え、ここに来たのはあくまでも偶然であることで押し通そう。実際、迷子になったのは事実だし。

 仮にここが王国の「暗部」に属する場所であり、目の前の男性が「暗部」の者だとしても、何も知らずに偶然迷い込んだ令嬢に、そうそう乱暴なことはしないだろう。下手に乱暴なことをすれば、その方が問題になる場合もあり、「暗部」としても都合が悪いはずである。すぐさま口を封じるような手段を取ることもあるまい。

 ナタラーシャはそう判断し、正直に名乗ることにした。

「私はドルバック男爵の長女、ナタラーシャ・ドルバックです」

「ドルバック……? ああ、そういえば陛下が呼び出して、現在王城に滞在中でしたね」

 そんな男性の呟きを聞き、ナタラーシャは内心で冷や汗を流す。

 ──この男性、見た目は庭師のようだけどやはり「暗部」のようね。

 ただの庭師が、国王陛下の予定を知っているとは思えない。どうやら目の前の男性は、見た通りの人間ではなさそうだとナタラーシャは確信した。

「薬を届けるのを口実に、またに会いに行くつもりなのでしょうね、陛下は……」

 そんなナタラーシャの内心など気づく様子もないく、男性はどこか呆れたような、疲れたような様子で呟く男性。

「あ、あの……できれば、どこか道が分かる場所まで案内してくださらない?」

 早急にここから立ち去りたい。切実に。

 ナタラーシャはそう思い、男性に道案内を願い出る。

 「暗部」に属するだろう人物からは少しでも早く離れたいが、何も気づいていないことを装う以上、目の前のに道案内を頼むのは自然な流れだろう。

 このまま一人でこの温室を飛び出して、更にヤバい場所に足を踏み入れるのだけは避けたい。

「では、王城のどこかの控室までご案内しましょうか。ところで……」

「何からしら?」

 じっと自分を見る男性の視線から目を逸らしたいのを必死に我慢して、何とか笑みを浮かべるナタラーシャ。

「ドルバック家のご令嬢であれば、植物に通じていることでしょう。少々質問をしても構いませんか?」

「………………え?」

 ぴきり、と笑顔が引きつったのを自覚するナタラーシャ。

 もしかして、【毒薬令嬢】という自分の異名を知っているのだろうか? いや、「暗部」に属する者であれば、知っていて当然だろう。

 何か探りを入れようとしている? 思わず身構えるナタラーシャから目を逸らし、男性は温室の奥へと足を運ぶ。

「この花なのですが、どうにも成長が芳しくなくて……何か対処方法を知りませんか?」

 そう言って男性が示した場所には、黄色い花をつける植物が数株ほど植えられていた。

「あら、キイロメガリュウシソウじゃない。この花なら我が家でも栽培しているからよく知っているわ。この花を育てる時は、土壌の状態に気を付けないとダメなのよ」

 男性が示したのは、キイロメガリュウシ草。花だけ見れば、小さくて可憐な黄色い花を幾つも咲かせる植物なのだが、やはり猛毒を有する毒草である。

「うーん、見たところ、土壌の水はけが良くないみたい。この植物は水を好むけど、同時に水はけも重要なの。地面に直植えするよりも、鉢に植えて水はけのいい土を与え、水分管理した方が育てやすいと思うわ。あ、肥料も薄めの方を好むから要注意ね」

「なるほど、さすがはドルバック家のご令嬢ですね。実に詳しい。では、もう少し質問してもいいでしょうか?」

 その後も、男性はいくつもの植物についてナタラーシャに質問し、ナタラーシャもそれに応えていった。




「へえ。じゃあ、この温室で植物を育てているのは、お師匠様の指示なんだ?」

「はい。以前、師からもう少し植物について勉強するように言われまして。最初は書物を読んで学んでいたのですが、次第に自分でも育ててみたくなってしまい、気づけばこのような温室まで作って師に呆れられました」

 照れたような笑いを浮かべる男性。その笑顔を見て、思わずナタラーシャも微笑む。

 【毒薬令嬢】とまで呼ばれる自分と、ここまで植物について語ることのできる人物は珍しい。家族以外でここまで彼女と対等に語り合えるのは初めてだろう。

 だから、ついついナタラーシャも話し込んでしまった。好きなことを語り合うのは、やはり楽しかったから。

 だが、彼女はふと我に返る。

 ──ああああああああああああああ! どうして私は「暗部」の者と思しき男性と楽しく語り合っているよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?

 忘れていた。あまりにも植物について語り合うのが楽し過ぎて、忘れてしまっていたのだ。

 楽しく植物について語り合った相手が、王国の「暗部」に属する者かもしれないということを。

「どうかしましたか?」

 ナタラーシャが内心で葛藤していることに気づいたのか、男性が首を傾げながら問う。

「あ、ああ、申し訳ないですね。道案内をしないといけないのに、あなたとの会話が楽しくて思わず話し込んでしまいました。自分の周囲には植物について語り合える者があまりいないので、ついつい……」

「え? お師匠様がいるんでしょう? なら、その方とは?」

「師は私に学問全般を教えてくださいましたが、どちらかというと植物は苦手分野らしくて。この温室の植物たちについては、今日までほとんど独学でやってきたんですよ」

「独学って……独学でこれだけの植物を育てていたの?」

 ナタラーシャは改めて温室の中を見回した。温室内には様々な植物が栽培されている。彼女の実家でさえ栽培されていない珍しい植物もあれば、ありふれた植物もある。

 そして、それらが種別ごとに綺麗に整理されて育てられているのだ。

 この男性の性格もあるだろうが、ここまできちんとした管理を独学でやってきたとは、ナタラーシャにしても信じられない。

 もっとも、この温室内で栽培されているのが全て毒草という事実には首を傾げざるをえないのだが。

 何にしろ、目の前の男性が植物の栽培に関する相当な才能と実力を有しているのは間違いない。

 であれば、その才能と実力をドルバック家に役立てたいと考えてしまうのは、ナタラーシャも貴族の娘だからだろうか。

「ねえ、あなたって、王城で雇われている庭師なの?」

 さすがに「暗部」の者なのか、とは聞けないので、当たり障りのないことから訊ねてみる。

「いえ、私は庭師ではありません。ただ、好きで植物を育てているだけ……いわば、趣味ですね」

「なら……」

 ドルバック家に雇われないか? と、なぜかナタラーシャは口にできない。

 これだけの才能と実力を有する者であれば、ドルバック家でも好待遇で雇うことができる。

 「暗部」という危険な仕事をしなくても、ドルバック家の家臣として安全に暮らしていける。

 そうすれば、もっとこの男性と一緒にいられ────

「おいおいおい、こんな人目のない所で男と逢引か?」

 突然、そんな声が聞こえてきて彼女の思考は中断された。




 ナタラーシャと男性が思わず声の方へと振り向けば、そこに三人の男性がいた。

 歳の頃はナタラーシャと同じか、やや年上だろうか。

 身なりからして、貴族の令息のようだ。

 もっとも、ここは国王とその家族が暮らす王城なので、貴族以外では足を踏み入れることさえ難しい。

 更に言えば、貴族といえども予め許可を申請し、それが認められて初めて登城が許される。もしくは、王から登城を命じられるか、だ。

 普段からこの王城で働く者は例外だが、その者たちも出身や能力、人格などを厳重に審査された後に、王城の役人や使用人としてここで仕事をすることを許されるのだ。

 更に言えば、今、彼らがいるこの場所は、特殊な区域である。

 つまり、許可なくこの区域に立ち入るだけで罪となりかねないのだ。

 だから、ナタラーシャの隣の男性は鋭い視線を三人の令息へ送る。知らず迷い込んだのならばともかく、何らかの悪しき意思の下にここに立ち入ったのであれば、それは十分となりうるのだから。

「あ、あなたたちは……」

 男性が三人の令息たちに声をかけようとした時、彼の隣のナタラーシャの唇から小さな声が零れ出た。

「彼らを知っているのですか?」

 ナタラーシャにそう訊ねる男性。訊ねつつも、先ほどの男性たちの様子から知り合いなのは間違いないだろうと判断する。

 そして、やはり双方の様子から、友人などの友好的な関係ではなさそうだ、とも。

「ああ? 何だ、おまえは?」

「見た所、城に雇われている庭師か?」

「おいおい、庭師風情が俺たちの邪魔をする気か?」

 ナタラーシャは令息の一人の言葉でようやく気づいた。先ほどまで隣にいた男性が、まるで自分を守るかのように自分と令息たちの間に立っていることに。

「改めて見れば、そっちの人物はゼイン伯爵家の長男ザビオン。そして、ジディビル伯爵家のステーム、ガルガドン子爵家のメリカーン……。ああ、なるほど。陛下は判断されたのか」

 三人の令息たちの家名と名前を言い当てた男性に、彼以外の者たちはぎょっとした表情を浮かべる。

「き、貴様……ど、どうして俺たちのことを……」

「ええ、もちろん知っていますよ。あなたたちのも……ね?」

 何か意味ありげなことを言いながら、男性はちらりと背後のナタラーシャを見る。

「そういえば、ゼイン伯爵家からドルバック男爵家に子息と令嬢の結婚を打診したと聞きましたが……」

「断ったに決まっているでしょ? いくら爵位が上の伯爵家から結婚の打診があったとしても、相手が悪すぎるもの」

「な、何だとっ!?」

 肩を竦めて嫌そうな表情を隠そうともしないナタラーシャに、ゼイン伯爵家のザビオンが一瞬で激昂する。

「確かに、今のゼイン伯爵家はあちこちに借金を作り、それを返済するのに苦労していると聞いています。なるほど、その返済計画の一角として、経済的に裕福なドルバック家に結婚の打診をしたわけですか」

「そういうこと。確かに男爵家の娘が伯爵家に嫁ぐのは、普通なら悪い話じゃないけど、今回の話は相手が悪すぎるわ」

「ええ、ナタラーシャ嬢の言う通りですね。さすがはドルバック男爵、といったところですか」

 微笑む男性を見て、ナタラーシャもまた微笑む。

 やはり、この男性は「暗部」の者らしい。異様なまでに貴族たちの事情を知っている。いや、知り過ぎている。

 本来なら、いや、先ほどまでのナタラーシャなら、男性を警戒して距離を取るはずなのだが、今のナタラーシャは何故か数歩、彼に近づいた。

 彼と出会い、語り合ったのは本当に僅かな時間だ。その僅かな時間で、彼女の彼に対する感情は完全に反転していた。

 そしてそのことに、彼女自身もまだ気づいていなくて。

「おい、庭師が俺を……次期伯爵家の当主を侮辱して、ただで済むと思っているのか?」

「私は侮辱などしていませんが? ただ、事実を述べただけですよ」

 と、怒りで顔を真っ赤にするザビオンに、男性は涼やかに笑う。

「貴様……もう許さねえぞ!」

 ザビオンとその仲間の二人が、懐に隠していた短剣を引き抜く。

 王城の中では、誰であろうとも武器を携帯することは許されない。

 例外は警備の兵士や騎士、重職に就く者とその側近が護身用に短剣を持つことは許されるが、それ以外の者が武器を携帯することは重罪に値する。

 おそらく彼らは、ナタラーシャを脅して良からぬことをするために、こっそりと短剣を忍ばせていたのだろう。

 温室の窓ガラスを通して差し込む陽光が、短剣の刃に反射してぎらりと光る。

 その光を見て、ナタラーシャは無意識のうちに男性の背へと縋りついた。

 そんな彼女へ優し気な笑みを向け、男性は告げる。

「安心してください。この程度の相手であれば、どうとでもなりますから」

「え? あ、あなた……」

「【漆黒】の孫にして【剣王】の息子、という立場は伊達じゃないんですよ」

 ぱちりと片目を閉じてみせる男性に、ナタラーシャは呆然と見入る。

 それは、彼女の胸の奥で艶やかな一輪の花が、完全に開花した瞬間だった。


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