消失の黒騎士

 【黒騎士】が渾身の一撃を放とうとしていることは、それを見つめていた王国軍兵士たちにもはっきりと伝わっていた。

 だから、彼らは【黒騎士】が上段に構えた黒地剣を振り下ろした時、大きな歓声を上げたのだ。

 【黒騎士】の勝利を確信して。

 自分たちの勝ち戦を予感して。

 それ故に、大きく沸き上がった王国軍兵士たちの歓声。

 だが。

 だが、その歓声は次の瞬間にぴたりと静まり返った。

 なぜなら。




 【黒騎士】が全力で振り下ろした黒刃。その黒刃からは、空間を越える斬撃が放たれる。

 その威力は、【銀邪竜】に対して致命傷には至らぬものの、痛手を与えるに十分な重撃となるものだった。

 しかし、その斬撃が【銀邪竜】に届くことはなく。

 その大きなカエル面の直前、突然展開された禍々しい障壁によって、【黒騎士】が放った斬撃は遮られたのだ。

 【銀邪竜】もまた、【獣王】の魂の欠片を宿す者。その欠片の大きさは、【黒騎士】とほぼ同等。

 ならば、【黒騎士】が【獣王】の力を最大限に引き出して放った攻撃を、同じ【獣王】力で防げないわけがない。

 同等の力同士の衝突。斬撃と障壁。【黒騎士】と【銀邪竜】が発生させた力は、互いに互いを打ち消し合って消滅した。

 そして。

 【獣王】の力同士が衝突した衝撃音が消えるよりも早く、【銀邪竜】が次の行動に移る。

 おそらく【銀邪竜】は同質の力がぶつかり合った結果を予測していたのだろう。それ故に、次の行動へと迅速に移動することができたのだ。

 その【銀邪竜】が取った次の行動とは、小さく飛び跳ねて【黒騎士】との距離を詰め、同時に体の向きを変えることだった。

 カエルに似たその体の構造上、【銀邪竜】の後ろ脚は極めて強靭である。カエルがその後ろ脚の力で高く跳躍できるように、【銀邪竜】も同じことが可能なのだ。

 体の向きを180度回転させ、【黒騎士】に対して尻を向けた格好となる【銀邪竜】。

 それだけではなく、その恐ろしいほどに強靭で強大な力を秘めた後ろ脚が、【黒騎士】の方を向いたことになる。

 そして。

 ぐわんと空気が歪むほどの力が炸裂する。

 【銀邪竜】が、その強靭な後ろ脚を力一杯伸ばしたのだ。

 【黒騎士】へと向けて。




 渾身の一撃を放った直後のジルガに、それを回避することはできなかった。

 【獣王】の力を限界まで引き出し、最大の力を込めてエクストリームを振り下ろした彼女の体勢は、大きく前へと傾いていた。重心が前のめりになっていたのだ。

 そこへ、【銀邪竜】の強靭で強大な後ろ脚が襲い掛かる。

 最大の攻撃を放った直後という、体勢的にも精神的にも防御に不利な状態では、さすがの【黒騎士】もこれを回避することは不可能。

 それでも、彼女は手にしたエクストリームで後ろ脚による攻撃を防御ガードした。それができただけでも、彼女の戦士としての技量と資質がずば抜けている証拠だろう。

 しかし、そこまでだ。

 黒地剣でも後ろ脚による攻撃の全てを受け止めることは叶わず、ジルガの巨躯が大きく宙へと打ち上げられた。

 黒魔鎧ウィンダムによって、蹴り飛ばされた衝撃がジルガを襲うことはない。それでも、強烈な後ろ脚の一撃により、ウィンダムを纏ったまま宙を舞うことまでは避けられない。

 そしてそれこそが、【銀邪竜】の狙いであった。

 人間は大地から足が離れては自由に動けない。それはジルガも人間である以上は同じである。

 宙へと打ち上げられ、満足に動くことができない【黒騎士】に、【銀邪竜】の次なる一手が襲い掛かる。

 再び小さく跳躍し、体の向きを変える【銀邪竜】。宙を舞うジルガに向けて、再び頭を向けた【銀邪竜】の口が大きく開けられた。

 その口から、空中のジルガへと向けて薄紫のモノが迸る。

 それは舌だった。

 【銀邪竜】の口腔内に収められていた舌が雷光の速度で勢いよく伸び、空中で身動きできないジルガを一瞬で捕える。

 そして、伸びた時と同じ速度で舌が引き戻される。もちろん、舌先に搦め取ったジルガと共に。

 結果。

 ぱくりと閉じられる【銀邪竜】の口。

 【黒騎士】ジルガは、【銀邪竜】ガーラーハイゼガに生きたまま丸飲みのされたのだった。




 それを視認できたのはどれぐらいいただろう。

 王国軍の騎士や兵士のほとんどは、空中に飛ばされた【黒騎士】が突然消失したように見えた。

 もちろん、彼らはずっと【黒騎士】と【銀邪竜】の戦いを見つめていた。

 最後の【小邪竜】を倒した後、彼らにはそれしかすることがなかったから。

 彼らの目の前で繰り広げられる、人外の激闘。そこに割り込める者など、誰もいなかった。

 【剣王】の二つ名を冠するシャイルード王や、【言王】の最高司祭であるアジェイも例外ではない。

 そもそも、たった一人で【銀邪竜】と互角に渡り合える【黒騎士】の方が異常なのだ。

 【黒騎士】が【銀邪竜】に傷を刻む度、【黒騎士】が【銀邪竜】の攻撃を防ぐ度、兵士たちは沸いた。

 伝説の厄災とまで言われる【銀邪竜】とたった一人で互角に戦う戦士に対して、同じく戦いを生業とする騎士や兵士たちは羨望の目を向け、心からの称賛を送っていた。

 だからこそ、その【黒騎士】が突然消失したことで、彼らの歓声はぴたりと止まったのだ。

 王国軍のあちらこちらから、「え」とか「あ」といった短くも明らかに戸惑いを含んだ声が上がる。

 そんな中。

 状況を視認できた数少ない人物の一人──シャイルード王は、手にしたハクロを無意識の内にだらりと体の横に下げながら、誰に告げるでもなく呟いた。

「【黒騎士】が……ジルガが……【銀邪竜】に……食われた………………?」




「ジルガあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 空の上から絶叫が響き渡る。

 その絶叫の主──ライナスは、全てを見ていた。見てしまった。

 愛する者が。近い将来に伴侶となることが決まっていた女性が、目の前で異形に食われたのだ。思わず絶叫するのも仕方がないだろう。

 そして、絶叫こそしなかったものの、彼の近くにいたレディルとレアスもまた、その瞬間を目の当たりにして、呆然としてその場に座り込んでしまった。

「じ……ジルガさんが……う、うそ…………」

「【銀邪竜】に…………」

「まさか……こんなことになるとはのぅ………………」

 座り込む姉弟の傍ら、立ち尽くしながらレメットが零した。思わず、年齢相応の言葉遣いになってしまっている辺りが、彼女の動揺を表している。

 【黄金の賢者】たるレメットにしても、まさかジルガが【銀邪竜】に丸飲みにされるとは思ってもいなかった。

 特に、戦況は彼女が優勢だったがゆえに、このような逆転劇が展開されるとはレメットにしても予想外すぎたのだ。




 そして、絶望を感じているのは他にもいた。

 そう、ジルガに忠誠を誓う竜たちである。

 人間には非常に分かりづらいが、彼らもまた絶望を感じそれを表情として浮かべていたのだ。

 18体の竜たちは、ただ静かにその場を見つめるのみ。彼らの主たる【黒騎士】が消失したその地点を。

 その時。

 竜たちの取り纏め役である【黒魔王】だけが、ふと視線を僅かに逸らした。

 まるで、何かを感じ取ったかのように。




 上手く策略が決まった【銀邪竜】は、にぃぃと大きな口の端を吊り上げた。

 「敵」は、既に自分の腹の中だ。あとはゆっくりと「敵」が胃の中で溶けるのを待てばいい。

 とはいえ、あの「敵」の手には自分に深手を与えることが可能な黒い刃がある。

 胃の中で「敵」があの黒刃を手放していればいいが、そうでなければ危険だ。

 なんせ、あの「敵」は【銀邪竜】がその巨体で圧し潰そうとしても、あの刃を使って脱出するぐらいなのだから。

 だから、【銀邪竜】はその場で飛び跳ねた。

 自身が激しく揺れれば、胃の中の「敵」は満足に刃を振ることもできないだろう。

 自分の胃液でも、「敵」が纏うあの黒鎧は溶けないかもしれない。何となくだが、【銀邪竜】はそう思った。おそらくは、自身が秘める魂の欠片から、あの鎧に関する知識が流れ込んでいるのだろう。

 しかし、あの「敵」も生物だ。呼吸だけはしないわけにはいくまい。

 自身の胃の中にどれほどの空気があるのか分からないが、それでも生物が何時間も何日も生き延びるだけの空気はないはずだ。

 ならば、胃の中の空気がなくなるまで──「敵」が窒息するまで脱出させなければいい。

 【銀邪竜】は飛び跳ねる。胃の中から「敵」が逃げ出さないように。「敵」が黒刃を振れないように。「敵」が足場を固めることができないように。

 何度も。

 何度も。

 何度も、【銀邪竜】は飛び跳ねる。

 そのカエルに似た体は、飛び跳ねるのに適した構造であるのだから。




 目の前で小山ほどもある銀色の大カエルが何度も飛び跳ねている。

 その光景を見た王国軍の騎士や兵士たちは、まるで踊りを踊っているように見えた。

 強敵であった【黒騎士】を倒した【銀邪竜】が、歓喜のダンスを披露しているかのように見たのだ。

 この時になって、彼らも理解し出した。

 突然消失した【黒騎士】と、嬉しそうに何度も飛び跳ねる【銀邪竜】。

 その光景を目の当たりにして。

 騎士や兵士たちは、呆然と立ち尽くし、唖然として座り込み、手にした武器を取り落とし。

 彼らは理解したのだ。

 【黒騎士】が敗北したことを。

 このまま、自分たちが【銀邪竜】に蹂躙されることを。

 彼らは理解しつつ、目の前で狂ったように何度も飛び跳ねる【銀邪竜】を見つめていた。

 見つめることしかできなかったのだ。

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