奮戦の黒騎士
大地が揺れる。
大気が震える。
兵士たちが吼える。
銀色の爪と黒い刃がぶつかり合う度に、大地が揺れ、大気が震え、兵士たちが歓声を上げる。
【小邪竜】は既に全て駆逐された。王国軍は多大な犠牲を払いながら、竜たちはぎりぎりまで傷つきながら、この生きる厄災の眷属どもを退けることに成功したのだ。
残るは厄災本体──【銀邪竜】ガーラーハイゼガのみ。
そして、その【銀邪竜】と真っ向から対峙するは、全身を黒一色に染めた【黒騎士】。
【銀邪竜】の前脚に生えた銀色の鈎爪と、シャイルード国王より貸与された黒地剣エクストリームの黒刃が、兵士たちには目で追えぬ速度でぶつかり合い、しのぎを削る。
ぎん、ぎん、がん、がんと硬質な物同士がぶつかり合い、その度に衝撃で大地が窪み、土くれや岩塊が周囲に飛び散る。
多くの兵士たちにはその音と飛び散る飛翔物が認識できるだけだが、それでも【黒騎士】が【銀邪竜】と対等に渡り合っているのは理解できた。
硬質な音が響き、周囲に衝撃波が飛び散る度、兵士たちは歓声を上げる。
彼らにも分かっているのだ。現状、【銀邪竜】と対等に戦えるのは【黒騎士】のみであると。
もしもここで【黒騎士】が力尽きたら。
それはガラルド王国の──いや、人類の滅亡を意味するだろう。
もちろん、たとえ【黒騎士】が破れても、シャイルード国王を筆頭に王国軍は最後の一兵まで【銀邪竜】に抗うだろう。
竜たちもまた、【黒魔王】に率いられて【銀邪竜】に牙を突き立て、爪を振るうだろう。
だが、たとえ死力を尽くしても生きる厄災に勝利することは難しい。そのことを誰もが理解している。
だから、兵士たちは歓声を上げるのだ。
【黒騎士】の戦意を支えるために。
その大きな背中に少しでも力を与えるために。
今もまた、王国の兵士たちは大きな歓声を上げ続けるのだ。
兵士たちが上げる歓声は、確かにジルガに届いていた。
「ははは、まさかこの私がこれほどまでに応援されるとはな」
誰に聞かせるわけでもなく、彼女は呟いた。
これまで──黒魔鎧ウィンダムに呪われてから今日まで、ジルガは驚かれ、恐怖されてばかりだった。
ウィンダムの恐ろし気な見た目と雰囲気、そして周囲に漂う不気味な鬼気が、彼女を孤立させてきたから。
もちろん、組合勇者として依頼を達成し、感謝されたこともある。敬意を払われたこともある。
中には家族や【黒騎士党】たちのように、彼女の本質を理解してくれた者たちもいるが、それは圧倒的に少数だった。
多くの人々は彼女を恐れた。彼女自身、仕方ないことだと諦めていた。
だが、そんな彼女がこれほどまでに背中を押されている。
その事実が、【黒騎士】ジルガの実力を底上げしていた。
颶風を纏って銀の爪が迫る。それを、手にしたエクストリームの黒刃で迎撃する。
ぎぃぃん、という耳障りな音と共に、【銀邪竜】の鈎爪のひとつが折れ飛ぶ。
「……悪くないな。応戦される中で戦うというのも」
漆黒の兜の中で、彼女は艶やかに笑う。その笑みを想像できるのは、おそらくどこかの白い魔術師か、鬼人族の姉弟ぐらいか。
【銀邪竜】の爪の一本が折れ飛んだことで、更に大きな歓声が沸き上がる。
その更なる歓声に背中を押され、ジルガは更に速く、力強く踏み込む。
「まずは前脚の一本、もらうとしよう」
疾風のごとく地面と水平に振り抜かれた黒刃が、銀色に鈍く光る脚を一本、見事に両断してのけた。
その光景を上空から見下ろしていたレディルとレアスは、喜びと感心を通りこして呆れてしまっていた。
今、彼女たちが見下ろすその先で、ジルガが【銀邪竜】の前脚を一本、見事に切断してのけたのだ。
小山ほどもある【銀邪竜】。当然、その前脚の太さも相当だ。人間が操るにはかなりの大きさである黒地剣エクストリームも、【銀邪竜】の巨体にしてみれば相当小さい。人間と折れた小枝の先端ぐらいの対比だろう。
ジルガはその黒地剣を用いて、【銀邪竜】の太い前脚を切断したのだ。レディルたちでなくとも、目を疑うような光景である。
「………………すご」
「……ジルガさんはどこまでいってもジルガさんなんだなぁ……」
「…………ジルガのやることだしな……」
レディルとレアスだけではなく、ライナスまでもがどこか遠い目をしていたのはここだけの秘密である。
「いやぁ、あの子ならそこそこ【銀邪竜】の相手をできるとは思っていたけど、まさか互角以上に渡り合うとはねぇ…………こりは私の予想を越えちゃったね!」
突然横合いから聞こえてきた声に、「宵の凶鳥」の上にいた三人はそちらへと視線を向けた。
「やはやは! 来ちゃった! てへ」
上空の「宵の凶鳥」と並行して飛ぶのは、もちろん【黄金の賢者】レメット・カミルティその人である。
今は魔力がほぼ底を突いているレメット。その彼女が空を飛んでいるのは、魔術ではなく遺産を用いてだ。
「フライングブルーム」──「空飛ぶ箒」と呼ばれる、比較的多数発掘されている遺産であり、飛行速度や到達高度などその性能は個々で相当な差があることでも有名な遺産でもある。
どうやらレメットが有する「フライングブルーム」は、かなり上級の性能を有しているようだ。その「空飛ぶ箒」に横座りした【黄金の賢者】は、楽しそうな笑みを浮かべて地上を見下ろしていた。
「今のジールちゃんは、下手をしたらウチの宿六よりも強いかもしれないねぇ。あの子の実力を見誤っていたのか、それともこの土壇場で更に成長したのか……いやはや、おもしろい子だねん」
そう言いつつ、レメットは「宵の凶鳥」へとひらりと危なげなく飛び移る。
「ここに来てもいいのか?」
「まあ、戦力にはなれないけど、せめて見守るぐらいは……ね」
息子であるライナスの問いに、レメットは地上を見下ろしながら答える。
おそらく、その視線の先にはもう一人の息子がいるのだろう。
「しっかし、ジールちゃんってば、エクストリームの力を完全に引き出しちゃってるねぇ。アイツだって、あそこまで引き出すことはできなかったのに」
剣の技量だけを言えば、今のジルガでも先代国王【漆黒の勇者】の域までは届いていない。だが、彼女が纏う武具であるヴァルヴァスの五黒牙がその実力を【漆黒の勇者】以上へと押し上げていた。
「装備の力を引き出すのも実力の一部ってね。今のジールちゃんの総合的な戦闘力は、間違いなくウチの宿六を超えているね」
レメットの言葉通り、かつて【銀邪竜】と戦った【漆黒の勇者】も、あそこまでかの厄災に打撃を与えることはできなかったのだ。【漆黒の勇者】が【銀邪竜】に勝利できたのは、二人の仲間と力を合わせたからである。
「この調子なら……ジルガが勝つということか?」
「そうだね。この調子なら…………ね」
いらいらする。
目の前をちょこちょこと動き回り、自分に痛手を負わせてくる黒くて小さな生き物にいらいらする。
何度圧し潰そうとしても。
何度爪で引き裂こうとしても。
何度毒息を浴びせかけても。
黒くて小さな生き物には、全く効果がない。
最初は単なる「エサ」だと思っていた。
小さな体に自分と同じ魂の欠片を宿し、簡単に取り込める「エサ」だと思っていた。
だがどうだ。
小さな小さな黒い生き物は、自分と互角以上に戦うではないか。
剛腕と共に爪を振るえば弾き返され、巨体で圧し潰そうとすればこちらの体が斬り裂かれる。
再生能力はなぜか低下し、なかなか傷は癒えない。
このままでは、こちらがどんどん不利になるだろう。
とはいえ、持久戦になれば間違いなく自分が勝つ。どんなに手強くても、所詮ニンゲンとは小さくて弱い生き物だ。栄養補給も休息もなしに、何日も戦うことなどできはなしない。
とはいえ、このまま持久戦に持ち込むのも、それはそれで自分の負けのような気がする。体格的にも生物としての存在的にも、圧倒的に有利な自分が持久戦でしか勝てないのであれば、それは敗北に等しいだろう。
で、あれば。
あの小さな黒いヤツに、圧勝してみせなければならない。
そうでなければ、自分の矜持が許さない。圧倒的な強者である自分が、圧倒的な勝利を収めるのは当然なのだから。
では、どうするか。
あの黒いヤツに圧勝するにはどうすればいいのか。
簡単だ。実に簡単なことである。
復活してからいまだ使っていない力を用いればいいのだ。
自分は圧倒的な強者。ただ単に体が大きいだけではないのだ。
自分にはまだ見せていない力があるのだから。
そう考えながら。ひどくいらいらしながら。
【銀邪竜】はその巨大な口の端を吊り上げた。
ざん、という音と共に【銀邪竜】の腹に裂傷が刻まれる。
致命傷には至らぬものの、それなりの深手を与えた手ごたえをジルガは感じた。
見れば、【銀邪竜】の喉から腹にかけて、いくつもの裂傷が見える。更に目を凝らせば、その裂傷がじわじわと蠢いているのも見えた。ゆっくりとだが、確実に再生しているのだ。
「このままではいつまで経っても決着は着かなさそうだな」
【銀邪竜】との直接対決が始まってから、それなりの時間が経過した。
今のところジルガ自身に目立った負傷はないが、彼女も人間である以上、どうしたって疲労は積み重なる。
対して、【銀邪竜】にはそれなりの打撃を与えてきた。
右の前脚を失い、鼻面の下から喉、腹にかけていくつもの深い裂傷。
それらはじわじわと回復してはいるが、今すぐに失われた前脚が再生するわけではない。
しかし、時間をかければそれだけ再生を許し、ジルガが不利になるだろう。
と、なれば。
「一気に勝負を決めるしかない、な」
すう、と一度大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出す。
そして、ジルガはエクストリームを大上段に構える。
じわり、と自身の体の奥底から何かが汲み上げられ、黒地剣へと流れ込むのが彼女には分かった。
ジルガ自身は知らぬことだが、彼女が宿した【獣王】の魂の欠片からエクストリームへと流れ込むのは、五黒牙本来の力を発揮させるモノだ。
【獣王】の魂の欠片からエクストリームへと力が流れ込み、それを刀身へと蓄えていく。
それに合わせて、黒地剣の刀身にじわりと禍々しいモノが纏わりつき、今にも暴れ出しそうになる。
その禍々しいモノを、ジルガは無意識で制御する。いや、彼女が宿した【獣王】の欠片が意識するでもなく制御しているのだろう。
そして、黒刃に纏わりつく禍々しいモノが最高潮に達した時。
ジルガは今まで以上に力強く踏み込んだ。
そして、上段に構えていた黒地剣を力一杯振り下ろす。同時に、それまで刀身に纏わりついていたモノが解放される。
同時に、それを見つめていた王国兵士たちから、それまでで一番の歓声が沸き上がった。
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