互角の黒騎士

 鼻先、喉、鳩尾。

 ジルガが【銀邪竜】に対してダメージを与えた箇所である。

 もちろん、それは人間で言えばの話であり、【銀邪竜】にとってはそうではないのかもしれない。

 だが。

「…………どこも弱点ではなかったか」

 び、と黒地剣を一振りし、刀身に残ったどす黒い血を振り払うジルガ。

 人間であればどこも急所と言える部位だが、人間と【銀邪竜】とでは体の構造が違うのだろう。

 深々と斬り裂かれ、どくどくと流血を続けているが、【銀邪竜】の動きが鈍るような様子は見受けられない。

「単に急所ではないのか、それとも攻撃が浅かったのか……このような時、ライナスが傍にいれば適切に判断してくれるのだが……」

 ジルガはちらりと頭上へと視線を向ける。そこには、空飛ぶ遺産の船底が見える。あの上にいる彼女の相棒とも言うべき白い魔術師に今は頼ることができない。

「ライナスにはライナスの役目がある。そうそう頼りにしてばかりもいられないな」

 いつも傍にいる白い人影がないことを心の片隅で寂しく思いながらも、ジルガは改めて黒地剣エクストリームを握りしめる。

「次は心臓を狙ってみるか……だが、その心臓があの巨体のどこにあるかが問題だな」

 もとより、ジルガはカエルの心臓が体のどこにあるのか知らない。そして、【銀邪竜】は見かけこそカエルだが、普通のカエルと同じ場所に心臓があるとは限らない。

「となれば…………手当たり次第に攻撃していくしかないな」

 自分に言い聞かせるかのようにそう呟いたジルガは、次の瞬間に【銀邪竜】目がけて雷光のように吶喊した。




 ──忌々しい。

 【銀邪竜】は自分の目の前でちょこまかと飛び跳ねる小さな黒い存在に、苛立ちを覚えていた。

 【銀邪竜】からすれば、小さなソレ──どうやら人間という生き物だったと記憶している──など、瞬く間に圧し潰せるような弱々しい存在だ。だが、自分に痛手を与えうるこの黒い小さなモノはそうではなかった。

 前脚で圧し潰そうとしても、逆に押し返してくる。

 腐食性の毒息を吐き出しても、まるで効果がない。

 爪で引き裂こうとしても、全て受け止められてしまう。

 それどころか、こちらが攻撃する合間を縫うように反撃までしてくる始末だ。しかも、その反撃は無視できないほどの痛手を与えてくる。

 ──本当に忌々しい。

 今も苛立ちを乗せた前脚を振り下ろしたが、またもや受け止められてしまった。

 そのまま力任せに圧し潰そうとしたが、結果は今までと全く同じ。

 ──では、これならどうだ?

 【銀邪竜】は心の中でにやりと笑いながら、次の手に移った。




 まるで山が崩れたかのような、前脚による振り下ろし。

 それを、ジルガは黒地剣で受け止める。

 もしも彼女が手にしているのがそこらの遺産の剣であるならば、到底受け止めることなど叶わずにへし折れただろう。そんな強烈な重撃を、エクストリームは歪むことさえなく受け止めた。

 更に、ジルガは全身に力を込めて【銀邪竜】の前脚を押し返す。

 確かに、彼女が纏う黒魔鎧ウィンダムには、身体能力を強化する力がある。だが、その強化率はそれほど高いものではなかった。

 しかし、ヴァルヴァスの五黒牙が全て揃ったことで、ウィンダムの身体強化の割合も上昇したのだろう。その結果、小山ほどの巨体を誇る【銀邪竜】の攻撃を、受け止めるだけではなく押し返すことさえできるのだ。

 ジルガは両腕に一層力を込め、上から自分を押し潰さんとする【銀邪竜】の前脚を完全に弾き上げた。

 そして、そのまま更に踏み込み、がら空きになった喉へと向かってエクストリームを振るう。

 漆黒の刃が再度【銀邪竜】の皮膚を斬り裂き、周囲にどす黒い血液を撒き散らしてジルガの全身を濡らしていく。

 更にもう一太刀。追撃を行ったジルガだが、追撃の黒刃は空を斬るに終わった。

 なぜなら。

 【銀邪竜】の巨体が、ふわりと浮かび上がったからだ。

 【銀邪竜】には三対六枚の被膜状の翼がある。その全ての翼を大きく打ち震わせて、銀の巨体が宙へと浮かんだのだ。

 見た目はカエルそっくりでも、【銀邪竜】は竜である。当然、空を飛ぶぐらいはやってのける。

 【銀邪竜】はその大きな口を笑みの形に歪めながら、浮かんだままやや前進して──落下するかのように着地した。

 そう。

 ジルガの真上から。




 戦況は完全に竜と王国連合軍側に傾いており、残された【小邪竜】もあと数体といったところ。

 もちろん、王国軍に負傷者や戦死者は数多い。18体いた竜たちも、半分ほどが落命こそしてはいないものの重傷を負って動けなくなっていた。

 それでも、シャイルード王を筆頭に王国軍は勝利を確信していた。

「あと少しだ! 貴様たちにも見えているだろう? 勝利の女神がドレスの裾をひらひらと翻している姿が!」

 シャイルード王が冗談混じりに叫ぶ。士気を下げないように。最後まで戦意が尽きないように。

 そんな国王の声に、兵士たちが反応する。それまでより一層、剣を振るい、槍を突き立て、戦斧を振り下ろす。

 そして、少数だった【小邪竜】があと2,3体となった時。

 それは起きた。

「お、おい、あれを見ろ!」

 そう言って空を指差したのは、【言王】シルバーンに仕える最高司祭、アジェイ・サムソンだった。

 そのアジェイの声と視線に釣られて指差した方を見たシャイルード王は、すっかり愛剣となったハクロを振り上げたままを呆然と見つめた。

「…………や、山が……浮いてい……る……?」

 彼にはが山に見えた。いや、山にしか見えなかった。

 銀色に輝く山。山と呼ぶにはやや小さいが、それでもやはりは山に見えた。

 シャイルード王が見た山は、もちろん【銀邪竜】だ。小山ほどもある【銀邪竜】の巨体が、宙に浮いていたのだ。

 当然、その光景は戦場のどこからでも見えた。

 その空に浮かぶ山──【銀邪竜】は、少しだけ移動するとそのまま落下する。

 ずん、という腹に響く重々しい音が戦場全体に響き渡り、地面を揺らす。

 【銀邪竜】が落下するように着地したのを、王国軍の全ての騎士兵士たち、竜たち、そして空から戦況を見下ろしていたライナスたち【黒騎士党】の全員が見ていた。

 だが、それが見えたのは上空から俯瞰していた【黒騎士党】だけだっただろう。

 【銀邪竜】が落下したその真下に、黒づくめの重装の戦士がいたことに。




 【銀邪竜】が企てた新たな一手。それは己の巨体をそのまま武器にすること。

 体が大きいという単純なる事実が、それだけで驚異となるのは誰でも分かることだろう。

 その単純な事実を、【銀邪竜】は利用したのだ。

 忌々しい黒いモノの真上から、自身の巨体を落とす。

 巨体の重量は容易に黒いモノを圧し潰すだろう。そして、巨体ゆえにそう簡単には落下の影響範囲から逃げることもできまい。

 圧し潰した後は、潰れた残骸から離れるだろう魂を吸収してしまえばいい。人智を越えた存在たる【銀邪竜】には、魂の存在を感知する能力があるし、それを吸収して己の魂の一部とすることもできる。

 いくらあの黒いモノが屈強であろうとも、自分の体の下敷きになっては無事ではすむまい。

 【銀邪竜】は、あの忌々しい黒いモノがぐちゃぐちゃに押し潰された姿を想像し、その巨大な口をにぃと吊り上げた。




「う、嘘…………」

 その光景を目の当たりにしたレディルが、弱々しく呟いた。

「じ……じ、ジルガさんが……」

 姉の隣にいたレアスもまた、同じように言葉を失う。

「……………………」

 そして、ライナスもまた呆然としていた。そのせいで「宵の凶鳥」の制御が乱れ、危うく墜落しそうになったことでライナスは慌てて「宵の凶鳥」を制御する。

 だが、そのから驚愕の色が落ちることはなかった。

 レディルとレアスに至っては、ライナスがそこまで取り乱したのを初めて見たほどだ。

 しかし。

「あ、あれ────っ!!」

 それに気づいたのは、やはり目のいいレアスだった。

 【銀邪竜】の巨大な腹。ジルガを圧し潰すために地面に密着しているその腹の一点が突然裂け、血しぶきが噴き出したのだ。

 そして、その裂けた箇所から、真っ黒なナニかがのっそりと歩み出てくる。

 元より黒い全身から、【銀邪竜】のどす黒い血と肉片をぼたぼたと滴らせながら。

「……ふう。さすがに今のは死ぬかと思ったぞ……」

 そう零したのは、もちろんジルガである。彼女は手にした黒地剣エクストリームをぶんと振るって刀身から血油を飛ばす。

 どうやら、【銀邪竜】の巨体に圧し潰される直前、ジルガはエクストリームでその巨体の一部を裂き、そこへ体を強引にねじ込んだようだ。

 その後は同じようにエクストリームで【銀邪竜】の体を切り開き、体外へと脱出したのだろう。

 全ては黒地剣エクストリームが有する「切断」の能力があったからこそではあるが、その能力を最大限に活かして脱出できたのはジルガ本人の冷静な判断力と突飛な発想力、そしてそれを実行できるだけの実力があればこそだろう。

 全身から血と肉片を滴らせ、剣を構える姿は誰がどう見ても魔神のようであったが。

「……さすがジルガさん…………で、いいのかなぁ……?」

「…………いいんじゃないかなぁ?」

 その光景を上空から見下ろしていたレディルとレアスが困ったような顔をしていた。

 そして、【黒騎士】の無事を確認した白い魔術師は、そんな姉弟の傍で安堵の溜息を零したのだった。


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