激戦の黒騎士
げぇぇぇぇぇぇろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。
巨大な銀色の体から発せられる、これまた大きな咆哮。
その咆哮には、明らかに苦痛の色が混じっていた。
そして、苦痛の咆哮を上げた【銀邪竜】は、自らにその苦痛を与えた小さな存在をじろりと見下ろす。
自分と同じ魂の欠片を宿した者。自分に痛みを感じさせたのは、やはり同じ魂の欠片を有するからだろうか。
それとも、単にこの小さな者が、自分に痛打を与えるだけの実力を持っているからなのか。
そして何より、この小さな者が纏っている武具を、【銀邪竜】は……否、銀邪竜が宿した魂が覚えている。
漆黒の武具。かつて【獣王】と呼ばれし存在の魂の欠片。そして、小さな者自身の実力。その全てが揃ったことで、自分に痛みを感じさせるだけの打撃を与えたのだろう。
つまり、目の前のこの小さな者は、単なる餌ではなく明確な敵。
過去、自分を弱らせ封印させた小さな者どもと同じ、自分を傷つけることが可能な者なのだ。
そう判断した【銀邪竜】は、足元にいる小さな黒き者を改めて見下ろした。
自ら与えた傷口を見上げながら、ジルガはふむ、と考える。
「やはり、怪我の回復が遅いな。この黒地剣に、回復を阻害するような能力があるのは間違いなさそうだ」
ジルガの言うように、黒地剣エクストリームで与えた傷の回復は明らかに遅い。回復自体は行われているようだが、他の武具──黒雷斧フェルナンドなど──で与えた傷に比べると、目に見えて回復が遅いのだ。
「となれば、今後は黒地剣を主に用いて攻撃を組み立てるか」
改めてエクストリームを構え直し、ジルガは【銀邪竜】の巨体を見上げる。
「いくら巨体であろうとも、生きている以上は急所のひとつやふたつはあるはずだ。まずは、定石通りの箇所を狙ってみるとしよう」
そう呟いた直後、ジルガが激しく地を蹴りつける。
颶風を巻いて【銀邪竜】に接近するジルガ。そのジルガを迎撃せんと、【銀邪竜】は口から腐食性の毒息を吐く。
しかし、毒息ではジルガは止まらない。止められない。
普通の武具やそこらの遺産であれば、【銀邪竜】の腐食ガスに触れた瞬間に腐れ落ちるだろう。だが、ヴァルヴァスの五黒牙は【銀邪竜】の腐食ガスに晒されても全く変化を見せない。
もっとも、全ての攻撃に耐え切る黒魔鎧ウィンダムでも、装着者の呼吸は必要である。そのため、ジルガは【銀邪竜】が毒息を吐き出そうとした瞬間、呼吸を止めて毒息に備えた。
さすがに呼吸の際に毒息を吸い込めば、彼女の呼吸器系に甚大なダメージを与えるのは間違いない。
ジルガは【黄金の賢者】より【銀邪竜】が腐食性の毒息を吐くことを前情報として聞かされていたので、毒息を吐く予備動作を見切り、それに合わせて呼吸を止めたのである。
吐き出された毒息をものともせずに真正面から突破したジルガに、【銀邪竜】の巨大な眼が更に見開かれた。
そして、再び一閃される黒刃。
凪いだ水面のような、一切のブレのない見事なまでの横一閃は、巨大銀ガエルの左前脚を深々と斬り裂く。
更に、【黒騎士】は軸足を基点にして鋭く一回転。先ほどの横薙ぎよりも遠心力によって速度と威力を増した掬い上げの一撃を放つ。
そこに黒地剣の遠距離切断能力を乗せる。結果、本来なら届くはずのない高さにある【銀邪竜】の喉からどす黒い血液を大量に噴き出させた。
ざん、という音と共に、シャイルード王は手にしたハクロの刀身を深々と【小邪竜】の体に埋め込んだ。
そして。
「『吼えろ水月』!」
ハクロが宿す特殊能力──液体操作を発動させる「鍵なる言葉」を口にした。
結果、ハクロを突き立てられた【小邪竜】は、体内の水分という水分をハクロの液体操作によって体外へと強制的に排出させられて絶命する。
後に残されたのは、体の水分を全て失って干からびた【小邪竜】の哀れな骸のみ。
「おお、使ってみて改めて実感したが、このハクロって剣はすげぇな! オレにはエクストリームより使いやすいぐらいだぜ!」
干からびた骸からハクロを引き抜き、ぶんと一振り血払いをした刃に目をやるシャイルード王。
汚れや血油は一切残されていない、美しいまでの銀色にシャイルード王の顔が映し出されている。
「おいおい、シャイルード王! その剣は一体何だっ!? とんでもねぇ能力じゃねえかよっ!?」
間近でハクロの能力を目の当たりにした【言王】シルバーンの最高司祭、アジェイ・サムソンが驚きと同時に新しい玩具を見つけた子供のような期待を露わにする。
「こいつか? こいつぁ、将来の姉貴がオレにくれた剣だ! ははは、いいだろ? でも、誰にもやらねぇぞ? こいつぁもう、オレんだからな!」
「くそ、シャイルード王だけずるいぞ! 俺にも何かくれるように、その姉貴とやらに頼んでくれ!」
「嫌なこった! それよりも、後ろに気ぃつけた方がいいぞ?」
「後ろ?」
言われて振り向いたアジェイの視線の先。そこには彼を飲み込もうと大口を開ける、一体の【小邪竜】が迫っていた。
「おわあああああああああっ!!」
思わず悲鳴を上げながらも、戦斧を迫るカエル面に力一杯叩き込む。
それでも、その攻撃は【小邪竜】にはとっては致命傷には至らない。怪我をして僅かに後退したその【小邪竜】を、上空から飛来した一体の黒竜──ルドラル山の【黒魔王】がその喉笛を食いちぎって絶命させる。
「ヒトの王よ。戦況は徐々にだが我らに傾いてきているようだ」
「ほう。お前さん、戦況が読めるのか?」
「我ではない。我が主の仲間である白い魔術師が、空の上から判断したことを伝えただけだ」
「兄貴の判断なら間違いねえだろ。よぉぉぉし、この勢いに乗り遅れるな! 一気にカエルどもを蹴散らすぞ! 黒竜! 竜たちにも伝えてくれ!」
「承知」
シャイルード王はハクロの銀色の刃を高々と天へと掲げた。
それは、まさに王国軍の戦意の表れ。突き上げられた刃と同じように、戦意も向上させた王康軍は、一気呵成に【小邪竜】へと挑んでいく。
「…………情報は伝わったようだな」
空に浮かぶ「宵の凶鳥」を操作しながら、ライナスは通信用の遺産を用いて、詳しい戦況を地上にいるサルマンへと伝えていた。
やはり、空から戦場一帯を俯瞰して見ることができるのは、戦術的にかなりの強みだ。
戦場における優勢な箇所と劣勢な箇所が、全て見て取れる。その情報を地上に伝えれば、サルマンが上手く采配を振るってくれる。
更には、時々「宵の凶鳥」へとやって来るルドラル山の【黒魔王】にも、伝達を頼むこともある。ついさっきも、近づいてきた【黒魔王】にシャイルード王への伝達を頼んだところである。
「あのでっかい黒竜、なんでちょくちょくこちらに来るのかな?」
「うーん、なぜだろう? ライナスさん、分かりますか?」
「宵の凶鳥」を操船もあるため、地上にばかり目を向けられないライナスの補佐のため、船上より地上の様子を詳しく観察している鬼人族の姉弟が不思議そうに尋ねた。
「さて、竜の考えることまでは俺にも分からん。だが、俺たちにジルガから何か言葉が届いていないか、確認したいのではないか?」
「ジルガさんから?」
「竜にとって、自ら主と認めた者は絶対らしい。おそらくだが、あの黒竜なりにジルガのことを心配しているのだろう」
実際、ライナスの推測はほぼ当たっていた。
【黒魔王】を筆頭とした竜たちにとって、大切なのはジルガだけである。極論してしまえば、全ての人間が滅びてしまおうがジルガさえ無事なら竜たちにとっては大した問題ではないのだ。
その竜たちが人間と共闘しているのは、もちろんジルガがそう命じたからである。
そして今、【黒魔王】もジルガの命に従い、人間と竜とが意思を疎通させるための中継役を担っている。
できれば、ジルガとだけ共闘すればいいと全ての竜たちが考えているが、他ならぬジルガの命令によりそれが叶わない。
【黒魔王】はジルガの命令に従って意思疎通の中継役を続行しつつ、ジルガに何か問題が起きていないかと気にしてもいた。
だから時々、空に浮かぶ遺産に乗っている人間の様子を窺うのだ。この遺産に乗っている人間が、ジルガにとって最も近しい存在であると気づいていたから。
もしもジルガに何かあれば、遺産に乗る人間たちが何らかの行動を起こすだろうと【黒魔王】は思っている。
そして、ジルガを心配しているのは【黒魔王】だけではない。ライナスやレディル、レアスもジルガのことは気になっている。
しかし、彼らはここから離れられない。
上空から戦場の情報を地上に伝えるという重要な役目がある以上、ライナスたちはジルガの援護に行くことはできないのだ。
もっとも、ライナスたちがジルガの援護に向かっても足手まといになるだけかもしれないが。
それほど、【黒騎士】と【銀邪竜】の戦いは苛烈なものなのであった。
真横から襲いかかる重い一撃。
それをジルガは全身全霊の力で踏ん張りつつ耐え凌ぐ。
まるで巨大な岩塊がぶつかったかのような、【銀邪竜】の前脚による横殴りの攻撃。
その重撃を、ジルガは黒地剣で受け止める。しかし、防御してなお、【銀邪竜】の攻撃はジルガの体を吹き飛ばそうとする。
それに耐えるため、彼女は下半身に全身全霊の力を込めて踏ん張る。
かつて、神々でさえも傷をつけることが難しかった黒魔鎧ウィンダムの防御力と、そのウィンダムが装着者に与える身体強化能力──それほど強力なものではない──がなければ、とても耐えられなかっただろう。
だが、その攻撃に見事耐え切ったジルガは、今度は自分の
【銀邪竜】の横殴りの重撃を耐えるために力を込めていた下半身。その力を今度は前進するための推進力へと変換する。
溜めに溜められた下半身の力が爆発、撃ち出された
そして、先ほどの喉元の傷の上から、更なる裂傷を刻み込む。再び喉から大量の血液を撒き散らしつつ、【銀邪竜】の巨体が苦痛のために仰け反る。
そこへ、ジルガは更なる追撃を叩き込む。
がら空きになった巨体の下へと潜り込み、再び下から上への斬り上げ。人間で言えば鳩尾の辺りに深々とした傷が刻まれ、そこからも大量の出血を強いる。
更には、上へと振り切ったエクストリームを両手でしっかりと握り締め、今度は上から下への斬り下ろし。先ほど刻んだ傷と同じ個所を、見事なまでに再び斬り裂いた。
これも全てはジルガの卓越した身体能力と、その身体能力を遺憾なく発揮する彼女の戦闘センス、そして、鍛え上げられた身体能力を更に底上げする黒魔鎧の能力。
これらの全てが見事に噛み合うことで、【黒騎士】は厄災とまで呼ばれた【銀邪竜】を相手に互角以上に戦えている。
だが。
だが、現状押されている【銀邪竜】の巨大な眼には、焦りは全く見受けられず、それどころか冷静に目の前の敵を見下ろしている。
「…………やはり、強いな」
じっと自分を見下ろす赤い眼を見返しながら、ジルガは誰に聞かせるでもなくそう呟いた。
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