竜笛と黒騎士

 ジルガは竜笛のひとつを手に取ると、それを鉄仮面の口元に押し当てた。

 その様子を黙って見守るライナスたち。

 だが、竜笛からは何の音も響くことはなく、ただ、地上から戦いの喧騒が聞こえてくるばかり。

「もしかして……ジルガさんって、鎧を着たままじゃ笛が吹けないんじゃ……?」

 思わずと言った感じで零すレアスに、ライナスはふるふると首を横に振る。

「竜笛の音は、人間には聞こえないんだ。人間が……妖精族や鬼人族など、人間に近い種族を始めとして、生物には耳で聞き取れる音の範囲というものがあるのだ」

「じゃあ、竜笛の音を聞き取れるのは……」

 何かに思い至ったらしいレディル。そんな彼女にライナスは優しく微笑みながら頷いた。

「レディルの考えている通りだ。とりあえず、俺たちも竜笛を吹いておこうか」

 ライナスに言われ、先ほどジルガから渡されたいくつかの竜笛を、順に吹いていく姉弟。

 いくら息を吹き込んでも、竜笛からは何の音も響かない。

 だが、その笛の音を聞いているモノは確かにいた。

 いたのである。




「あ? ジルガが竜笛を使うだと?」

「ああ。たった今、ライナス様から連絡があった」

 何名かの高位指揮官に連絡用の遺産が渡されているように、ライナスも連絡用遺産を所持している。その遺産を通じてライナスは、ジルガが竜笛を使うことを地上にいるシャイルード国王に知らせたのだ。

「そうか! いよいよ竜笛を使うのか! ははは! こいつぁ楽しくなってきやがったぜ!」

「喜んでいる場合ではないぞ。このままでは我が軍は確実に押し敗ける」

「分かってるよ! だから、ジルガも竜笛を使うんだろ? それよりも各指揮官に通達! が現れても敵じゃねえから、絶対に攻撃するんじゃねえと厳命しろ!」

「御意」

 サルマンは所持する連絡用の遺産を使い、各指揮官に通達する。

 ただ、連絡用の遺産というのは二つ一組で用いられるものだ。そのため、サルマンはいくつかの遺産を使ってそれぞれ対応する遺産を持つ指揮官へと国王の命令を伝えていく。

 いくつもの遺産をとっかえひっかえしながら通達するちょっと間抜けな筆頭宮廷魔術師の姿を見て、某国王は内心で笑い転げていたのだが、さすがにそれに気づいた者はいなかった。




「あ、あれって……」

 ソレを最初に見つけたのは、鋭い感覚を持つ鬼人族の中でも特に目のいいレアスだった。

 周囲に視界を遮るもののない上空であることも、彼がソレを一番早く見つけた理由のひとつだろう。

「おお、さすがに速いな!」

「竜笛を使われた時、彼らは通常以上の速度で飛べると聞いていたが、本当だったのか」

 レアスが見つけたソレは、どんどんと近づいてくる。それもかなりの速度で、だ。

 更には、近づいてくるモノの数が見る間に増えていく。

 あちらこちらの方向から、どんどんと「宵の凶鳥」を目がけて真っすぐに飛んでくるモノたち。

 距離が近づくにつれ、その姿もはっきりしてくる。

「りゅ……竜…………?」

「そ、それもあんなにたくさん…………」

 驚いているのか、それとも呆れているのか。

 赤、青、黄、緑、黒、白と、色とりどりの鱗を持つ巨大な竜たちが、どんどんと近づいてくる。中には金や銀、銅などの金属色の鱗を有する竜までいて、その様子を鬼人族の姉弟は呆然と見つめている。

 そしてそれは、レディルたちだけではなかった。

 地上で戦う王国軍の中でも、竜たちの接近に気づいた者たちが現れ始めたのだ。

「先ほどの陛下のご命令通り、竜には絶対に攻撃するな! あれは味方だ!」

「ほ、本当にあの竜たちは味方なのですか? も、もしもあれが敵だったら……」

「陛下がそう言われた以上、我々はそのお言葉を信じるしかない!」

 そのようなやり取りが王国軍のあちこちで見受けられるが、おおよそ国王からの命令は遵守されたようだ。

 そうしている間にも竜たちはどんどん近づき、やがて「宵の凶鳥」を中心にゆっくりと旋回を始める。

「────主よ。我が唯一主と認めた人間の戦士よ」

 竜の中でも一際巨大な黒竜が、空中で留まりながら声をかけてきた。それは間違いなくジルガたちにも理解できる人間の言語だ。

「おお、おまえはルドラル山の【黒魔王】か! 久し振りだな!」

 それは以前、ジルガが倒した──いや、屈服させたルドラル山を根城にする黒竜だった。

「竜笛の導きにより、我は参じた。主よ、我に命を。主の命ならば、どのような命でも応じてみせよう」

「うむ、では命じよう。あのカエルモドキどもを叩き潰せ。たたし、人間には手を出すなよ」

「承知」

 黒魔王を筆頭に、全ての竜──その数、竜笛の数と同じ18体──は、鮮やかに身を翻すと地上とその上空にいる【小邪竜】へと襲い掛かった。




 竜笛。

 それは竜が自ら差し出した牙や爪から作られる特殊な笛だ。

 その音色は牙や爪の持ち主であった竜にしか聞こえない。

 そして、竜が自らの爪や牙を差し出すのは、自身を屈服させて忠誠を誓わせた者のみ。

 つまり、竜笛が聞こえたということは、その竜が忠誠を誓った者──主が呼んでいるということ。

 よって、竜笛が聞こえた竜は疾く主の下へと馳せ参じる。もちろん、嫌々ではなく喜々として。

 その際、特殊な力が働いて竜は通常よりも速く飛ぶことができる。主がどこにいようとも、すぐにその下へと駆けつけることができるように。

 こうして、ジルガが過去に屈服させた18体もの竜が集まったのだ。

 ジルガが屈服させたのは18体のみだが、これまで彼女が戦った竜はそれよりも多い。対峙した竜の中には、最後まで敗北を認めることなく討伐された個体もいるからだ。

 余談だが、竜笛は竜を屈服させた者以外でも吹くことはできる。だが、竜笛を聞いて駆け付けた竜が、主と認めた者以外に竜笛を使われたと知れば、間違いなく竜はその者を八つ裂きにするだろう。

 今回、ライナスたちも竜笛を吹いたが、駆け付けた場にジルガの姿があったことから、集った竜たちはライナスらをジルガの仲間、もしくは配下と判断して問題視することはなかった。

 こうして、竜笛に呼ばれた18体もの竜が、王国軍の援軍として加わったのである。

「本来、竜笛とは極めて珍しい物なのだがなぁ……それが18個も…………」

 と、空の上で白い魔術師が小さく呟いたが、それは誰の耳にも届くことはなかった。




 【小邪竜】たちが陣取る高度よりも更に上空から、二十近い竜たちが彼らに一斉に襲い掛かるその光景は圧巻の一言だった。

 竜たちはそれぞれ炎、稲妻、吹雪、酸、毒ガスなどを吐き出し、爪、牙、尻尾、翼を使って【小邪竜】を次々に屠っていく。

 まさに怪獣大激突とでもいうべき大激戦。さすがにその余波で王国軍にも僅かとはいえ影響が出てしまったが、負傷程度で死者は一人も出なかったので許容範囲といってもいいだろう。

 劣勢から一気に戦況が逆転したことで、ガラルド王国軍からは大きな歓声が上がる。

「おおおおおおっ!! あんなにたくさんの竜がっ!! なあ、サルマン、俺も前線へ出ていいよな? 竜たちの戦いを間近で見たいっ!!」

「馬鹿なことを言うなっ!! 総大将の貴様が前線に出てどうするっ!!」

 と、最もはしゃいでいたのが某国王に他ならなかったが。

 18体の竜たちは次々に【小邪竜】を倒していく。だが、【小邪竜】の数は減るどころかっ徐々に増えていく。倒してもそれ以上に新たに地面から生まれてくるからだ。

「…………主よ」

 「宵の凶鳥」上のジルガの所まで、ルドラル山の【黒魔王】が戻ってくる。

「カエルどもはどんどん増えている。このままではいつまで経っても終わることはない」

「おまえたちでも無理か?」

「無理だ。あのカエルどもは穢れた地より、カエルの王の力を得て生まれてくる。穢れた地を浄化するか、カエルの王を倒すしかないが……カエルの王自身も穢れた地から力を得ている。カエルどもを殲滅するもカエルの王を倒すも、まずは地を浄化するしかあるまい」

 だが、竜たちに浄化の力はない、と【黒魔王】は続けた。

「この場には各神殿から応援の神官が何人も来ているはずだ。国王陛下に連絡して、その神官たちにこの土地を浄化してもらうことはできないだろうか?」

「……難しいのではないか? これだけ広大な土地を一気に浄化するには、ここに来ている神官だけではとても足りないだろう」

 ジルガの提案を、しばし考えた後にライナスが否定した。

 この地はかつて、広大な面積を誇る湖だった。今は完全に干上がり、銀色に変色した荒廃した盆地のようになっている。

 おそらく、あの銀色に変色している盆地全体こそが、【銀邪竜】の影響を受けて穢れてしまった土地なのだろう。

 そして、これだけの面積を一気に浄化するには、従軍している神官だけではとても数が足りない。

 周囲から大至急応援の神官を集めるとしても、そう簡単に集まるものでもない。

 そもそも、浄化はそれなりに上位の術になる。その浄化が扱えるだけの実力を持つ神官自体が多くはないのだ。

「では、どうする? このままでは竜たちの加勢があってもいずれカエルどもの勢いに飲み込まれるぞ」

 ジルガの問いかけに、さすがのライナスも返す答えが見つからない。

 その時だった。

 がらがらと車輪が回転する音と共に、どこか間延びした女性の声が聞こえてきたのは。




「その浄化ぁ、良ければウチたちが引き受けましょぉかぁ?」



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