翼のあるカエルと黒騎士

 山ほどの大きさの、三対六枚の翼を持った銀色のカエル。

 それが【銀邪竜】の姿だった。

「『竜』というぐらいだから、てっきり私がよく知る竜と同じような姿をしているとばかり思っていたのだが……」

「まあ、銀の一族の守護神だ。連中と似たような姿をしていても不思議じゃないな」

 大空を旋回する「宵の凶鳥」の上から、地上の【銀邪竜】を見下ろしつつ言葉を交わす黒と白。

 一方、自由を取り戻した【銀邪竜】は、なぜかその場から動く様子を見せず、ただ、空を見上げていた。

 そう。大空をゆっくりと舞う、巨大な黒い鳥を。

 いや、違う。

 【銀邪竜】が見ているのは、黒巨鳥ではない。その上に存在する、自分と起源を同じくするモノを見ているのだ。

「…………何か、見られているな?」

「ああ。【銀邪竜】ははっきりと君を見ているな」

 地上から、じっとジルガを見上げる【銀邪竜】。その巨大な赤い眼が、どことなく楽しそうに歪められる。

 そして。

──げぇぇぇぇぇぇぇこぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ

 先ほどよりも、更に大きな咆哮。

 びりびりと空気が震え、その振動は進軍する王国軍の足を乱し、空に浮かぶ「宵の凶鳥」が制御を乱すほど。

 古来より、竜の咆哮は恐怖を呼び起こすとされる。

 姿形はともかく、【銀邪竜】もやはり竜。その咆哮を浴び、兵士の中には浮足立って思わずその場から逃げ出す者もいた。

 いや、逃げ出せるのならまだマシだ。恐怖のあまりに身動きすらできず、その場で失神しる者もいるほどだ。

 とはいえ、それはあくまでも一般兵に限られる。騎士やその従士ともなれば、咆哮を浴びて手で耳を押さえたり、顔を顰めたりする程度の影響しかなかった。

「さすがは王国騎士団。よく鍛えられている」

「当然だ。この国の騎士たちは、私の父が鍛えているからな!」

 漆黒の鉄仮面でその表情は見えないが、ライナスたちは今の彼女が自慢げな笑顔を浮かべていることに気づいている。

 しかし、【銀邪竜】の咆哮は恐怖を与えるだけではなかった。

 ぼこりぼこりと音を立て、【銀邪竜】の周囲、銀色に染まった大地からナニカ──銀色の円形の物体──が生み出される。

 生み出された円形の物体の表面にぴしぴしと音を立てて亀裂が走り、すぐに中からナニカが生まれてきた。

「あ、あれって何なんですか……?」

「僕には小型の【銀邪竜】にしか見えないけど……」

 地面から生まれたモノを見て、レディルとレアスがそう零す。

 確かに二人が言うように、地面から現れたのは小型の【銀邪竜】としか言えないモノたちだ。

 大きさは通常種のガルガリバンボンよりも一回り大きいほどだろうか。二足歩行のガルガリバンボンと四足歩行のソレとは、単純に比べるのは難しいかも知れないが、【銀邪竜】本体に比べれば随分と小さいのは間違いない。

 だが、問題はその数だ。

 小型の【銀邪竜】──【小邪竜】とでも呼称する──たちは次々に生まれ出てくる。その数はあっという間に百を超えてしまう。

「あれは…………【銀邪竜】の眷属か?」

「おそらくそうだろう。どうやら、あの邪竜には眷属を生み出す力があるらしいな」

「そのような話、【黄金の賢者】様からは聞いていないぞ?」

「母とて【銀邪竜】の全てを知っているわけではないということだろう。いや、もしかすると、封印されている間に眷属を生み出す力を得たのかもしれん」

「そんなことがあり得るのか、ライナス?」

「なんせ、相手は人智を越えた存在だ。何があっても不思議ではないさ。まあ、厄介な能力であるのは間違いないがな」

 黒白の二人がそんな会話を交わしている間もガラルド王国軍は進軍し、新たに生まれ出た【銀邪竜】の眷属たちと接敵する。

 ガラルド王国軍の正規軍の数は、約三万。そこに各地から集った貴族の私軍が加わり、総数は十万に及ぼうとしている。

 対する【小邪竜】は二百ほど。数の上では王国軍が圧倒的であり、数が力であることは違いない。だが、単純に数だけでは戦局は決まらない。

 まず、【小邪竜】はどんどん生まれてくる。王国軍が【小邪竜】を倒す速度が生まれる速度よりも遅ければ、遠からず王国軍が敗北するのは間違いない。

 更には、各【小邪竜】の強さは騎士数人分ほどか。たとえ実数は少なくとも、王国軍と【小邪竜】たちの戦力は互角と考えるべきだろう。




 両軍がいよいよ接敵するよりやや早く、開戦の合図を告げたのは王国軍の弓兵部隊だった。

 指揮官の号令に合わせ、無数の矢が宙へと向かって放出される。

 放出された矢は空中で放物線を描き、落下速度という味方を得て【小邪竜】へと襲い掛かった。

 敵味方入り乱れた乱戦となれば、弓による攻撃はできなくなる。前線同士が接触するよりも一足先に、遠距離攻撃で相手の勢いを削ぐのが目的である。

 王国軍の陣形は左右が前方へと突出した、「双竜翼」と呼ばれる陣形。これは【銀邪竜】を素早く包囲し、四方八方から一斉に攻撃するための布陣である。だが、想定外である【小邪竜】の出現によってその戦術は崩壊してしまった。

 それでも、王国軍は慌てない。新たな敵の出現に素早く対応し、弓兵による先制攻撃を仕掛けて相手の出鼻をくじいていく。

 その指示を出しているのは、総大将であるシャイルード国王。彼は戦場がよく見渡せる丘の上に本陣を置き、そこから全軍を指揮していた。

 また、上空を飛ぶライナスから俯瞰した戦場の情報を得てもいた。

「相手に伏兵がいたとはな。まさかカエルにそんな知恵があるとは思ってもいなかったぜ」

「アレはカエルではない。見た目は翼の生えたカエルでも、人智を越えた存在なのだぞ」

 軍師として傍に控えるサルマンと言葉を交わすシャイルード。

「ま、組合勇者が銀の一族を倒せなかった場合も想定してある。前線で指揮を執るトライの奴もこちらの指示に素早く応じてくれたしな」

「トライを筆頭に、数名の指揮官にはミレット様よりお借りした通信の遺産を渡してある。伝令を走らせるよりも早く指示を飛ばせるのはありがたい」

「とはいえ、オフクロから借りた遺産は数が少なかったから、トライの他数名の分しかなかったのがちょっと惜しいけどな」

「【黄金の賢者】様とはいえ、あのような遺産はそれほど所有しておられまい」

「確かにその通りだ」

 今回の戦いにおいて、【黄金の賢者】ミレットは自身が所有する通信が可能な遺産を数点、王国軍に貸与していた。

 他にもジルガが──正確にはライナスが──次元倉庫から発掘した同じ遺産をいくつか提供したが、それでも全軍に行き渡るほどの数はない。

 そのため、トライゾンのような騎士団長など数名の高位指揮官にのみ、この遺産を渡してあった。だが、たとえ数名とはいえ本陣から指示が素早く前線に届けられるのは、大きな利点となっているのは間違いない。

 シャイルードはサルマンとの会話を打ち切り、じっと戦場を見る。

 両軍が接敵し始めた前線より更に奥。山ほどの巨体を持ちながら、全く動く気配を見せない【銀邪竜】に彼はやや眉を上げる。

「相手の大将、全く動いていやがらねえな。何か目的があるのか? それとも、まだ満足に動けねえのか?」




「押されているな」

 上空を舞う「宵の凶鳥」の上から戦場を見下ろし、ジルガは緊迫した声で告げた。

 彼女が言うように、王国軍と【小邪竜】の戦いは明らかに王国軍が不利だった。

 数は少なくとも、個体の強さが段違いであるため、王国軍は一方的に押されている。

 更には【小邪竜】にも翼があり、空を飛ぶことができるのだ。

 剣や槍の届かない上空へと舞い上がり、そこから腐食性の毒液を吐き出す【小邪竜】。

 上空の【小邪竜】へと弓兵部隊が必死に矢を射かけるも、撃墜するほどの効果はない。

 王国側にある航空戦力といえば、ジルガたちの「宵の凶鳥」のみ。だが、この空飛ぶ神器には戦力になる武装はなく、【小邪竜】と戦えば一方的に蹂躙されるだけだろう。

「どうする、ジルガ?」

「援軍を呼ぼう」

「援軍? もしかしてアレを使うのか?」

「ああ。そのためにミレット様に用意していただいたのだからな」

 ジルガは腰にぶら下げていた袋を取り外すと、その中に手を入れ、中身を無造作に取り出す。

「えっと……それって何ですか?」

「何かの爪……いや、牙かな?」

 ジルガが取り出したのは、レアスが言うように何らかの爪か牙のようだ。

 しかし、明らかに何か細工されており、ただの爪や牙でないのは明らかだった。

 不思議そうに手の中のソレを見つめる姉弟に、ジルガは鉄仮面の中でにやりと笑う。

「これは竜笛りゅうぶえと呼ばれる物だ。ずっと作り方が分からなかったのだが、さすがはミレット様、竜笛の作り方もご存じだったぞ」

 そう言ったジルガは取り出した竜笛のいくつかをレディルとレアス、そしてライナスにも手渡した。

「さあ、みんなでこの笛を吹くのだ。そうすれば援軍が来てくれる」

「えっと……この竜笛? を吹くのはいいんですけど……」

「これ、いくつあるの?」

「母によると、正確には18個もあるそうだ」

 どこか疲れたような様子のライナス。そんな彼を見て首を傾げる姉弟。

「さあ、片っ端から笛を吹くのだ。ああ、ライナス、地上の陛下にも援軍のことは知らせてくれよ?」

 そう言い置いたジルガは自ら率先し、手にした竜笛の一つを高らかに吹き鳴らした。


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