囮だけどただの囮な訳がない【黒騎士】
ガラルド王国の辺境とも言える場所に存在する、小さな村。
特に村の名称を呼ばれることもなく、住民たちもただ「村」と言えば自分たちが住むこの村のことだと認識するほど、閉鎖的な小さな村である。
もちろん、この村にも正式な名称は存在する。この村にも領主たる貴族はいるので、年に一度は貴族──爵位は男爵──配下の徴税官が訪れる。
それでも、村人たちは村の正式な名称を知る必要もなかった。精々が村長とその補佐役の数人が村の名称を知っていればそれで十分なのである。
そんな辺境の静かな村に、突如悲劇が襲いかかった。
今まで見たこともない魔物──巨大なカエルの姿をした怪物が、突然村を襲ったのだ。
村にはまともに戦える者は少ない。領主から警邏の兵士が派遣されているわけでもないので、狩人が数人と元傭兵という中年男性が一人いるだけ。
そんなあるだけマシ、といった程度の戦力で巨大なカエル──後に村人たちはガルガリバンボンと呼ばれる魔物だと知る──に太刀打ちできるはずもなく。
村はカエルの化け物に蹂躙されて全滅する……と思われたのだが、なぜかカエルたちは村人を殺すようなことはしなかった。
確かに、巨大なカエルに襲われて怪我をした村人はいる。中には腕や足を食いちぎられた者もいた。
だが、首領らしき一際大きな銀と黒の斑の皮膚の大カエルが持っていた、異臭のするどろりとした油を傷口にかけると、傷は見る見る塞がっていったのだ。
さすがに食いちぎられた手足まで元に戻るようなことはなかったが、それでも結果的に命を落とした者はいなかった。
その後、カエルどもは全村人を森の中へと追い立てるようにして連行した。
特に縄で繋がれるということもなかったが、誰一人として逃げ出そうとする者はいなかった。それだけ村人の周囲を固めるカエルの化け物が恐ろしかったし、逃げる先を思いつく者もいなかったからだ。
何とか領主様に連絡して、兵を派遣していただければ──と、村長やその補佐役たちは考えたが、それを実行するだけの勇気と余裕は彼らにはなかった。
そして、村人たちは森のとある場所へと連れて来られた。たくさんの木々が生い茂る中、一際太くて大きな樹の前。
その大きな樹の丁度目の高さに洞があり、その中につるりとした珠があることに村人たちは気づいた。
げこげこげこ、と銀と黒の斑のカエルが鳴く。
その鳴き声に応え、他のカエルたちが周囲の木々を薙ぎ倒していく。手にした棍棒をぶつけて木をへし折り、高く跳び上がって勢いをつけて蹴り倒し、口から伸ばした舌を巻き付け、そのまま締め付けて木の幹を砕いていく。
瞬く間に、周囲には拓けた空間ができ上がった。倒した木々は適当に周囲に投げ飛ばし、カエルどもがげこげこと高らかに鳴き声を上げた。
残されたのは一際大きな樹と村人たち、そして、彼らを取り巻く巨大なカエルの化け物。
銀と黒の斑の一番大きなカエルが、手にした剣のようなモノを振り上げると、それまでげこげことやかましかった他のカエルがぴたりと鳴くのを止めた。
次いで、カエルどもは奇妙な踊りのようなものを始めた。そして、怪物どもは踊りながら村人へと近づくと、手近にいる者を無造作に捕まえ──ぶちりとその者の片腕を食いちぎった。
周囲に響き渡る村人の絶叫。そして、どこか嬉し気なげこげこという鳴き声。
いよいよ自分たちはカエルに殺されるのだ。そして、殺された後はカエルの腹に納まるのだろう。
村人の誰もがそれを理解し、絶望に支配された時。
それは来た。
森の木々を掻き分け、漆黒の悪魔が現れたのだ。
鬼気とも瘴気とも呼べるような不気味な雰囲気を振り撒き、手にはその姿と同じく漆黒の巨大な斧。
「…………も、もしや、先ほどカエルが踊っていたのは、この悪魔を呼び出すための儀式だったのか……?」
誰かがぼそりとそう呟いた。そして、誰もがその呟きに内心で同意した時。
森から現れた黒い悪魔が、がしゃんと一際大きく鎧を打ち鳴らすと同時に叫んだ。
「聞けぇぇぇぇい、カエルどもっ!! これ以上罪もなき人々を苦しめるのは、組合勇者たるこのジルガが断じて許さんっ!!」
村人たちは、黒い悪魔の言葉の意味が理解できなかった。
もちろん、悪魔が使っている言葉は、彼らも日常的に使っている言葉と同じものである。よって、言葉の意味自体は理解できる。
しかし、理性以外の何かが、黒い悪魔の言葉の意味を拒否していた。
え? あの悪魔が組合勇者? 最近の勇者組合って悪魔も所属できるの?
あんな見るからに恐ろし気な悪魔が俺たちを助ける? それって悪魔流の冗談?
唖然とする村人たちを余所に、げろげろ、げこげことカエルどもが騒がしくなる。
その鳴き声に応えるかのように、黒い悪魔も手にした大斧をしっかりと構えた。
「覚悟せよ! 一切、手加減はせん!」
言葉と同時に悪魔の全身から噴き出す鬼気。村人の中でも特に気の弱い数人がそれだけで意識を手放し、幼い子供たちが恐怖にかられてぎゃんぎゃんと泣き出す。
そんな混沌とした状況の中、黒い悪魔がぐっと腰を落とすと、そのまま大地を蹴って駆け出した。
重厚な全身鎧を纏っているとは思えないほど、素早い黒い悪魔──いや、【黒騎士】ジルガの踏み込み。
彼女は瞬く間にガルガリバンボンの一体に迫ると、勢いを殺すことなく、構えた黒斧を真横に一閃した。
すぱん、という乾いた音と、びちゃり、という粘ついた音が周囲に響く。
乾いた音は、ジルガが持つ黒雷斧フェルナンドがガルガリバンボンの胴体を上下に斬り分けた音。粘ついた音は、ガルガリバンボンが周囲に臓腑と血をぶちまけた音。
二種類の音が
がちゃがちゃという鎧が鳴る音を置き去りにしたのかと思えるほど、素早く移動するジルガ。実際、それを呆然と眺めていた村人たちの目には、その巨体が消えたように見えていたほどだ。
そうやって、全部で八体いるガルガリバンボンのうち、三体までを屠った。
しかし、ガルガリバンボンもただ黙ってやられるだけの存在ではない。あっという間に三体もの同胞が倒されたことを悟ったカエルどもは、得体の知れぬ黒い怪物を倒すために動き出す。
げろげろ、げこげこと戦意を向上させる咆哮を上げながら、嵐のように暴れる黒いモノへと迫る。
毛のない猿にしては大柄でも自分たちに比べればずっと小さな黒いソレへ、二体のガルガリバンボンが振り上げた棍棒を力一杯叩きつけた。
がつん、という硬質な音が周囲の森に響き渡る。
振り下ろされた二本の棍棒を、ジルガがフェルナンドで受け止めた音だ。
単なる棍棒とはいえ、巨躯を誇るガルガリバンボンが操る凶器だ。その質量と破壊力はちょっとした攻城兵器と呼んでも差し支えないほど。
それが二本、ジルガに向かって叩きつけられたのだが、彼女はそれを真正面から受け止めた。
どっしりと腰を落とした体勢は、全く揺るぎを見せない。それどころか、上から押し込まれる二本の棍棒を、じわじわと逆に押し返しているほどだ。
「さすがの剛力だな。だが、まだまだだ。それに……私だけを見ていていいのか?」
その言葉が終わると同時に、ジルガたちの側面から無数の矢が飛来した。
放たれた矢は正確無比に、ジルガと対峙するガルガリバンボンの一体、その頭部へと集中する。
いかな巨躯を誇るガルガリバンボンとはいえ、生物には違いない。生物である以上、頭部が急所なのは明白であった。
側面から飛来した矢は、ガルガリバンボンの頭部に突き刺さり、その脳を見事に破壊する。
「レアスの腕もさることながら、ライナスの強化魔術も相変わらず見事だな!」
二体のガルガリバンボンの攻撃を受け止めていたジルガである。それが一体に減じれば、どうなるかなど明らかだ。
上から押し込まれる棍棒を易々と弾き上げ、がら空きになった銅へとジルガは黒斧をするりと滑り込ませる。
まるで柔らかい果物をナイフで切り分けるかのように、彼女はガルガリバンボンの巨体を両断してみせた。
「これで四体……半分倒したぞ?」
ぶん、とフェルナンドを振るって血のりを飛ばした【黒騎士】は、兜の中から自信に満ちた声を発した。
「………………いや、まさか、これほどとは……」
「噂には聞いていましたが、噂には誇張や歪曲は付き物ですから、全部が全部を信じていませんでしたが……勇者組合最強の【黒騎士】は噂通りってわけですか」
あっという間に四体ものガルガリバンボンを屠ったジルガを見て、騎士隊長のガイストとその副官は驚きを通り越して呆れていた。
捕らわれている村人とガイストの部下である数名の斥候たちを救出するため、騎士たちは森の木々に隠れながらガルガリバンボンたちの背後へと回り込んでいた。
そして、村人たちを救出する機会を窺っていたのだが……果たして、自分たちは必要なのだろうかと思わず疑問を覚えてしまうガイストだった。
だが。
「このまますんなりと倒せるとは思えません。まだ、あの一番大きなカエルが動いていませんから」
真剣な眼差しでジルガが戦う姿を見つめるのは、レディルである。
彼女は村人たちを救出するため、ガイストたちと一緒に行動していた。
「以前戦った銀色の大きなカエルは、ジルガさんも結構苦戦しましたから」
「うむ、先ほどジルガ殿自身もそう言っていたな。では、我々はもう少し様子を見て、あの銀と黒の斑のカエルが動いた時点で村人たちを救出する。いいな?」
その言葉に、彼の部下たちは無言で頷く。
そうしている間にも、ジルガは更に二体のガルガリバンボンを倒していた。
そして。
そして、遂に銀と黒の斑模様の皮膚をした、一際大きなガルガリバンボンが動いた。
その異形の背中から、黒く輝く翼のようなものを発生させながら。
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