閑話─ナイラル家の末っ子5
「今日のアインくん、何か様子が変じゃないですか?」
「確かに……昨日までは特に変わった様子はなかったと思うが……」
アインザムが運命とも言える──かもしれない──出会いを果たした翌日。
彼が所属する組合勇者のパーティ【雷撃団】は、当初の予定通りガルガリバンボンを討伐するために王都を旅立った。
その旅路の途中、アインザムはどこか虚ろな表情で時折溜息を吐いていた。そんな彼の様子を見て、魔術師のコステロと斥候のヴォルカンがひそひそと小声で言葉を交わし合う。
「あー、ありゃ女だな。間違いねえ」
そこへ、【雷撃団】のリーダーであるサイカスも加わる。
「どこかの店の女に懸想でもしたんだろ? アインもそういうお年頃ってわけだ」
がははははは、と笑うサイカスの頭を、盾役のジェレイラがごつんと結構強めに殴りつけた。
「このおバカ! アインをあんたと一緒にするんじゃないよ!」
そう言いながら、ジェレイラは視線をちらちらと弓使いのアルトルへと向けている。
アルトルが密かにアインザムに想いを寄せていることを、ジェレイラは知っていたからだ。
「痛ってえな! いきなり何しやがんだよっ!?」
「あんたはもうちょっと気配りってものを覚えたらどうなのっ!?」
「気を配っているからこそ、アインのあの様子に気づけたんだろうが! アインも少し女ってものを知れば、すぐにまともになるさ。よっしゃ、次の宿場町であいつを娼館に連れていってやるか! もちろん、コステロとヴォルカンもまた一緒に行くだろ?」
「あー、うん。その、なんだ?」
「アインくんをそこらの娼館に連れていくのは反対ですよ。彼を娼館に連れていって、それが原因で将来侯爵家のお家騒動にでも発展したら、私たちが侯爵閣下に怒られてしまいます。それにですね?」
「確かに三男とはいえ、アインはナイラル侯爵家の直系だもんな。馬鹿な娼婦がそのことを知ったら、適当に子供作ってアインの子だとか言い出すかもしれねえか。で、コステロ、それに何だ? 他にも何かあるのか?」
「時々娼館に行っていることは、彼女の前では言わない方がいいんじゃないですか?」
「あ」
ぎ、ぎ、ぎ、という変な音が聞こえてきそうな挙動で、サイカスが背後を振り返る。
と、そこにいた。
鬼が。
「ふーん。私というものがありながら、娼館なんて行っていたんだ? ふーん」
「い、いやな? これも男同士の付き合いってやつでな? ほ、ほら、ヴォルカンとコステロは俺と違って恋人もいないだろ? だからこいつらが娼館に行く時、付き合いで俺も一緒に……ってわけでな?」
「なぁにがってわけでな? よっ!! もういいっ!! あんたがそういうことするなら、次の町で私も男娼を買うからね! 文句は言わせないわよっ!?」
「い、いや、そ、その……ほ、本気じゃないよな……?」
「さあ、どうかしらね?」
ふん、と顔を逸らしたジェレイラは、それっきりサイカスを無視してずんずんと歩いていく。
「お、おい、ちょっと待てよ、ジェレイラ! お、俺が悪かった! もう二度と娼館なんて行かないから!」
ずんずんと歩くジェレイラの後を、サイカスがおろおろと追っていく。
そんな二人の様子を見ながら、ヴォルカンとコステロは顔を見合わせて溜息を吐いた。
「まあ、いつもの痴話喧嘩だな」
「ええ、いつもの痴話喧嘩ですねぇ」
今に始まったことでもない、サイカスとジェレイラの痴話喧嘩。すっかり慣れている二人は、どうせ明日の朝には仲直りしているだろうとただ楽観視するばかり。
そして、一人の少年は仲間たちのそんな騒動を気にすることもなく、ただぼーっとした様子で歩き続け、一人の少女はそんな少年を心配そうに見つめていた。
「ねえ、アインくん。何か心配事でもあるの?」
ガルガリバンボンが出没するという場所へと向かう【雷撃団】は、途中でとある宿場町で宿を取ることにした。
ガルガリバンボン討伐は緊急依頼ではあるが、急ぐあまりに体調管理を疎かにしては意味がない。不完全な体調で挑めるほど、ガルガリバンボンは甘い相手ではないのだ。
万全の体調を維持するため、休める時にはしっかり休む。それもまた組合勇者には必要なことなのである。
そんな宿場町での夜。
【雷撃団】全員で宿屋に併設されていた食堂で夕食を摂った一行は、明日に影響のない範囲で各自のんびりと過ごすことにした。
サイカスとレジェイラは連れだって町の見物へと出かけ──明日の朝を待たずして仲直りしたらしい──、コステロとヴォルカンもそれぞれ町のどこかへと消えていった。
宿に残ったのは、年少組であるアインザムとアルトルの二人。
大人組が誰もいなくなったのを機会と捉えたアルトルは、今日一日ずっと気になっていたことを本人に直接聞いてみるために、彼が泊っている部屋を訪れた。
もちろん、アルトルとしては悩みに悩んだ挙句、あらん限りの勇気を振り絞っての行動だ。
ちなみに、アインザムはサイカスと、アルトルはレジェイラと、コステロとヴォルカンが相部屋である。
そして、アルトルに尋ねられたアインザムはびっくりした表情を浮かべつつ答えた。
「え? 僕、いつも通りだったと思うんですけど……違いましたか?」
「うん。今日は一日ずっと心ここにあらずって感じで……何か心配事でもあるのかなーって。例の婚約したっていうお姉さんのことが気がかりだったりする?」
「い、いえ……僕は姉の婚約者と直接会ったことはないんですけど、父や兄たちの話を聞く限りでは信頼できる人物のようなので、姉の婚約に関してはそれほど心配していませんね」
正確に言えば、姉の婚約者に関して父は必要以上に信頼しているようだったが、兄たちはどこか忌々しそうな感じだった。
まあ、自分と同じかそれ以上にジールディアを大切にしている兄たちだ。妹であるジールディアが突然婚約したことで、寂しい思いをしているだけだろう。と、アインザムは推測している。
「うーん……お姉さんのことじゃないなら……」
腕を組み、何やら考え込むアルトル。そのアルトルの視線が、ちらりとアインザムへと向けられる。
「……リーダーが言っていたように、好きになった女の子でも現れた?」
意を決して。
対人関係の回りくどい駆け引きなどできないアルトルは、真正面からぶつかっていく。
対して、こちらもまだまだ対人関係のあれこれが不慣れなアインザムは、アルトルの言葉を聞いて宿の薄暗い灯りの中でもはっきりとわかるほど、その顔を赤く染めた。
「え、えっと……べ、別にそういうわけでは……そ、その……」
視線をあちこちに彷徨わせ、自分の体のあちこちを手で触れながらアインザムは言葉を紡ぐ。
その態度で、アルトルにはわかった。わかってしまった。
「そっかぁ……で、やっぱり、相手は貴族のお嬢様?」
三男とはいえ、アインザムは侯爵家の令息である。当然、その結婚相手は──少なくとも正妻は──貴族の令嬢になるだろう。
そんなことはアルトルもわかっている。だから、最初から彼女は二番目以降の愛人か側室を狙っていたのだ。
狙っていたのだが。
アインザムに想い人ができたと知り、彼女の胸の奥にずきりとした痛みが走る。
その痛みを表情に出すことなく、アルトルはあえてわざとらしく「にしし」と笑う。
「いやー、やっぱお貴族様はお貴族様と結婚するんだねー」
自分で言っていて泣きそうになりながら、奥歯を噛み締めて必死にその涙が流れ落ちないように努力するアルトル。
そんな彼女の気持ちに気づかずに、アインザムはぽつりぽつりと胸中を語る。
「……別に貴族の女性というわけでもないんですが……」
「え? え? そうなの? じゃ、じゃあ、も、もしかして……」
──もしかして、相手はアタイだったり?
と、都合が良すぎる考えがアルトルの脳裏を過ぎるが、すぐにそうじゃないだろうとその考えを振り捨てる。
「そ、その……アルトルさんは、【黒騎士党】のレディルという女性のことを知っていますか?」
「え? 【黒騎士党】のレディル……? 確か、アインくんと同じで組合の規定年齢に達していないのに組合勇者に認められた女の子だったよね?」
【黒騎士党】。
現在の勇者組合において、その名を知らない者はほとんどいないだろう。
組合最強パーティとも呼ばれる存在であり、当然アルトルもある程度のことは知っている。
【黒騎士】ジルガが率いるパーティで、そのメンバーには【白金の賢者】と呼ばれる魔術師と、鬼人族の姉弟がいる。
鬼人族の姉弟は幼いながらも、その実力は勇者組合でも上位に食い込むほど。噂では最近、ぎりぎりながらも階位二桁に昇格したとか。
「もしかして……アインくんのお相手って……そのレディルって
アルトルのその質問に、アインザムは答えなかった。だが、答えなかったことこそが肯定であるとアルトルはわかった。
「あー……そりゃみんなには言えないね。特にリーダーは【黒騎士党】と【黒騎士】を異様にライバル視しているもんねぇ」
【雷撃団】にとって、【黒騎士党】は目標でありライバルでもある。特にリーダーであるサイカスは、異様なまでに【黒騎士】をライバル視している。よって、アインザムはレディルのことを仲間になかなか言い出せなかったのだ。
もちろん、異性に心惹かれたという事実が恥ずかしくて言えなかった、というのが最も大きな理由なのだが。
「で、でも……そのレディルって
言いにくそうにアルトルが告げる。
実際、勇者組合の中では【黒騎士党】に関する噂は数多い。当然、根も葉もないものから事実なものまで、様々な噂が流れている。
中でも、それまでずっと一人で活動していた【黒騎士】が突然パーティを組んだのは、メンバーの鬼人族の少女を愛人として囲うためだ、という噂がよく囁かれている。
旅先で宿に泊まる際、その少女と同じ部屋で寝泊まりしたのを実際に見たという証言もあり、【黒騎士】は幼女趣味だという説が結構信じられていた。
更には【白金の賢者】こそが【黒騎士】の愛人である、なんて噂もあったりする。
もしもアインザムの想い人が、本当に【黒騎士】の愛人であったなら。
アインザムを傷つけることになるという心配と、そのことでレディルという少女へ向ける想いが弱くなれば、という打算がアルトルの中で複雑に混ざり合う。
だが、当のアインザムはその話を聞いても特に気にした様子もない。
「それは単なる噂ですよ。【黒騎士】とレディルさんはそんな関係じゃありません」
【黒騎士】の正体を知るアインザムにしてみれば、【黒騎士】とレディルの愛人説は単なる噂でしかない。そのため、彼も【黒騎士党】や【黒騎士】に関する様々な噂を耳にするが、全く気にしてはいなかった。
「う、うーん……アインくんがそう言うならそれでいいけど……」
アインザムがどうしてそこまで言い切れるのか、アルトルは理解できなかった。
だが、アインザムの想い人が貴族の令嬢ではないのなら。
組合に所属する勇者であるのなら。
そして、組合勇者としてあまり仲良くなる機会がなさそうな相手なら。
まだまだ自分が付け込む隙があるのではないか、と考えて内心でにやりとほくそ笑む。
「同じパーティの仲間で一緒に行動している以上、アタイの方が有利だよね」
そのためには、今後はもっとぐいぐいと攻めてみようか。例えば──
例えば、年長組が全員出払っている今こそが、二人の距離を縮める絶好の好機なのではないだろうか?
特にサイカスとジェレイラは二人連れ立って出かけていった。喧嘩して仲直りした直後のあの二人は、帰りが
きゅぴーん、と少女の瞳が輝く。その輝きは獲物を狙う肉食獣のソレに近かった。
その後、少年と少女の間に何かあったのか、それとも何もなかったのか。
それを知るのは当事者である少年と少女だけである。
ただ、翌朝になって少年と少女の間の距離が、どことなく縮まっているような気がして【雷撃団】の仲間たちはちょっとだけ首を傾げるのだった。
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