閑話─恋する王太子5
それは、ライナスがジールディアに夜の王城で求婚する数日前のこと。
「…………………………………………はふぅ」
「相変わらず突然やって来たかと思えば、重々しい溜息を吐きおって……」
「仕方ないじゃないですか……想い人たるジールディア嬢に、この3年というもの全く会えていないんですよ……」
いつものように前触れもなくサルマンの屋敷にやって来たのは、ガラルド王国の第一王子にして王太子のジェイルトーン・シン・ガラルドその人である。
自身が言うように、彼は想い人たるジールディア・ナイラルと3年以上会えていない。
ジールディアは表向き自領で病気療養中となっているので、そこへ王太子であるジェイルトーンが会いにいくわけにもいかない。
ジールディアの病気がジェイルトーンに移る可能性もあるし、王太子であるジェイルトーンが、何日も王都から離れるわけにもいかないからだ。
もちろん、これが公務であれば王都を離れることもあるのだが、さすがに恋する女性に会うためという理由だけで、王都を留守にするわけにはいかない。
いや、案外彼の父親にして現国王のシャイルードであれば、大笑いしながら「行ってこい」と言うかもしれないが。
いやいや、「行ってこい」ではなく「逝ってこい」が正しいのかもしれない。
「…………………………………………はふぅ」
再び溜め息を吐いたジェイルトーンは、サルマンの執務室に置かれているソファの上でぐだぐだごろごろと寝転がる。
「ったく、王太子が見せていい態度ではないな」
「今の私は王太子ではなく、一人の女性に恋するただの男でしかありませんから」
「やれやれ。そういう屁理屈を言うところは誰に似たのやら……」
それでも、ジェイルトーンの気持ちが理解できなくもないサルマンは、彼のことは放っておいて執務の続きへと注意を向けた。
ジェイルトーンがこの屋敷に突撃してきた時、彼はまだ仕事中だったのだ。
「…………またか。これで何件目だ?」
「どうかしたのですか、サルマン師?」
「うむ……ここ最近、王国のあちこちでガルガリバンボンの目撃が相次いでいる。更にはあの大カエルが出没した地域で、いくつかの村が壊滅しているのだ」
「ああ、その話なら私も聞きました。近く、騎士団を動かして調査すると父も言っていましたよ」
「今から騎士団を動かして果たしてどれだけ間に合うのか……だが、兵や騎士を動かすにはどうしても時間がかかる。おそらく先代陛下はその辺りも見越して勇者組合を組織したのだろうな」
正規の軍や騎士団を動かすには、どうしても時間が必要だ。
行軍に必要な食糧や水、予備の武具に馬に馬具、そして馬の餌と、集めなければならないものが大量にあるからだ。
もちろん、それらを集めるには金だってかかる。本気で軍を動かすには、時間と金がいくらあっても足りない。
だが、勇者組合に所属する勇者たちであれば、軍や騎士団よりも身軽に行動できる。
少人数単位で行動する組合勇者たちは、軍よりも圧倒的に小回りが利く。当然組合勇者を動かすにも報酬という経費はかかるが、軍を動かすことに比べればかなり費用を抑えることができる。
時間と費用を軽減しつつ、高い効果を期待できる。それこそがガラルド王国が勇者組合を運営する最大の理由のひとつであった。
「ガルガリバンボンの出没地域で壊滅した村……やはり、ガルガリバンボンが村々を襲ったのでしょうか?」
「おそらくはな。だが、気になることもある」
サルマンは報告書に改めて視線を落とす。
そこには、壊滅した村々では、どこも村の住民らしき遺体がほとんど発見されなかったと記されている。
家畜と思しき、食い散らされた動物の死体がいくつも転がっていた。だが、人間の死体はほとんどなかったと報告書にはある。
「あの大カエルが村人を食べてしまったのでは?」
「それでも、食い残しぐらいはあっても不思議ではあるまい? だが、人間の遺体らしきものはほぼ見つかっていないとのことだ」
「カエルらしく、人間を丸飲みにしてしまった……とか?」
「いや、あの悪食の大カエルには、食いちぎるための小さくも鋭い牙が無数にある。あいつらは普通のカエルとは違って、獲物を丸飲みにはしないのだよ」
無論、小さな獲物であれば丸飲みにすることもあるだろう。だが、ある程度の大きさを持つ獲物は、適した大きさに食いちぎってから食べるのだ。
「そういえば、あの大カエルには会話が可能なだけの知恵がある、という話を聞いたことがありますね」
「なに? そんな話は聞いたこともないぞ。一体、誰から聞いたのだ?」
これまでガルガリバンボンは目撃情報がかなり少なく、詳しい生態など分かっていない部分が多い魔物である。
実際、サルマンもあの大カエルが会話する知能があることを知らなかった。
「つい先日、王城で父の知人らしき魔術師殿と話す機会がありまして。その魔術師殿が言うには、最近ガルガリバンボンと交戦したことがあるらしく、その際にあいつらが仲間同士で独自の言語を用いて意思を疎通させているところを目撃したとのことでした」
「ふむ、それは実に貴重な情報だ。是非、私もその魔術師に会って話を聞きたい。その魔術師はまだ王城に滞在しているのか?」
「それが、王城に滞在しているのではなく、時々訪ねて来るようでして。父に聞けば詳しいことを知っているかもしれませんが、私では……」
ジェイルトーンが言うには、昔から時々その魔術師を王城で見かけることがあったそうだ。
その頻度はこれまでに数度程度という僅かなものでしかないが、どうやら父であるシャイルードともかなり親しい人物らしい。
「あいつにそんな魔術師の知り合いがいたとは……もしや、あいつのもう一人の母君である【黄金の賢者】様の縁者かもしれんな……」
シャイルードには実母以外にもう一人母親がいる。それは王国内でも極一部の者しか知らないことだが、シャイルードとは幼馴染であるサルマンはその極一部の一人である。
【黄金の賢者】に縁のある魔術師。そう考えた時、サルマンの脳裏にとある人物が浮かび上がった。
先代国王【漆黒の勇者】と【黄金の賢者】の間に生まれた、現王の兄にあたる人物。サルマンから見ても兄同様の人物で、幼い頃はよく世話になったものだ。
「もしやあの方が戻られたのか……? いや、それならそれでルードが自慢しそうなものだが……」
自分にとっても実の兄同様のあの人が王城に戻ったのであれば、シャイルードは絶対にドヤ顔で自慢するに違いない。それぐらいサルマンにも分かっている。
「あいつもあれで国王だ。それなりに人脈ぐらいはあっても不思議ではない……が、相手が魔術師であるのなら、私に一言ぐらいあっても……ううむ、だが、あいつのことだからなぁ……」
サルマンは、シャイルードのことをよく知っているからこそ考え込む。
そんな筆頭宮廷魔術師の姿を見て、ジェイルトーンが非常に済まなさそうな顔をする。
「父がいろいろとご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません……」
「いや、あいつのことは今更と言えば今更だ。ジェイルが気にする必要はない」
本当に今更だ、と、サルマンは先ほどのジェイルトーンよりも更に深い溜息を吐いた。
「しかし、ガルガリバンボンのことは捨て置けん。すぐに王国から勇者組合に調査の依頼を出すとしよう。騎士団が動けるようになるまで、少しでも被害を軽減させねばな」
そう呟いたサルマンは、先ほどとは違って引き締まった表情を浮かべているジェイルトーンへと視線を移した。
どうやら、「恋するただの男」から「ガラルド王国の王太子」へと立場を改めたらしい。
「すぐに王城に戻り、サルマン師がおっしゃったように手配します」
「依頼内容は、ガルガリバンボンの調査及び可能であれば討伐。更に生きたまま捕獲できた場合には特別報酬を出そう」
「捕獲は研究が目的ですか?」
「ああ。死体からでも分かることは多いが、生きたまま捕えることができれば、ガルガリバンボンの生態研究も進むだろう」
ガルガリバンボンはまだまだ謎の多い魔物だ。生態などが少しでも分かれば、対策を立てる役に立つに違いない。
「ですがガルガリバンボンには多少なりとも知恵があるわけですが……?」
知恵があるのであれば、ガルガリバンボンは魔物ではなく獣人に分類するべきかもしれない。
魔物と獣人との境界はまだまだ曖昧な点も多いが、そのひとつの目安が知恵の有無だと言われている。
もしもガルガリバンボンに本当に一定以上の知恵があるのであれば、あの大カエルは魔物ではなく獣人──つまり、亜人の一種ということになる。
それを生きたまま捕獲し、研究という名目で非人道的な行為を行えば、それが将来的に大きな火種になりうるかもしれない。ジェイルトーンはその点を心配しているようだった。
「その辺りをはっきりさせるためにも、可能であれば生きたまま捕えて交渉を試みたい。もっとも、たとえ相手に知恵があり交渉が可能であったとしても、向こうがこちらを餌としか認識していないようであれば、戦いを厭うことはありえないがな」
「師のおっしゃる通りかと。大カエルどもが我々に牙を剥くのであれば、我々は国を、無辜の民を守るために戦いましょう」
サルマンとジェイルトーンには地位と権力がる。地位と権力があるということは、それに伴う義務も生じる。
国とそこに暮らす民を守ること。それこそが王や貴族に与えられた最大の責務なのだから。
この日から、筆頭宮廷魔術師と王太子は非常に忙しい日々を送ることになる。
だが、数日後にそれを遥かに超える大きな事件が起こることとなることを、この時点の彼らはまだ知らない。
そう。
【銀邪竜】の復活が近い。
その報せは、ガルガリバンボンの問題よりも遥かに大きな問題だったのだから。
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