決戦の準備と【黒騎士】

「この愚か者がっ!! 耳長猿をまんまと逃がしおってっ!!」

 激怒し、激しい言葉を叩きつけるのは銀の巫女姫の、妹姫。

 彼女はその大きく開いた口から青い光を吐き出し、その青光が彼女の目の前に控える巨大な異形──銀の剣の体を深々と斬り裂く。

 異形の巨体のあちこちには既に深い裂傷がいくつも刻まれ、妹姫が怒りのままに異形の英雄に容赦なく罰を浴びせていた。

「妹よ、それぐらいにしておきなさい。銀の剣にはまだまだ働いてもらわねばなりません。ここで使い物にならなくしてはなりませんよ?」

「ええい、ありがたく思うのじゃな、銀の剣よ! 姉上様に免じてこれで許してやろうぞ!」

「…………誠に……ありがたき……」

 どれだけ体を切り裂かれても、苦悶の声を上げることなくその場に控えて頭を下げていた異形の英雄が、よろよろとその頭を上げた。

「この失態、次の戦いで償いなさい。いいですね?」

「…………御意」

 銀の巫女姫、その姉姫が目の前に控える銀の剣へと両手を翳す。そして、その両手からじんわりとした魔力の波動が溢れ出し、銀の剣へと注がれる。

 異形の英雄の銀色の皮膚。そこに刻まれた真新しい裂傷が、見る間に塞がっていく。だが、傷を癒して傷口を覆うのは、銀ではなく赤黒い皮膚。

「その赤黒い皮膚は呪詛です。次に同様の失敗をした時、その赤黒い皮膚はあなたの体を覆い尽くし、息の根を止めるでしょう。つまり────次はないということです。ゆめゆめ、忘れることなきよう」

「…………は」

 感情の篭らない冷たい目で、控える銀の剣を見下ろしていた姉姫は、背後に控えるもう一体の異形へとその視線を向けた。

「して、銀の杖よ。銀の槍を倒したという者について、何か分かりましたか?」

「はい、巫女姫様」

 背後のもう一体の異形──銀の杖と呼ばれたソレは、待ちかねたようにその巨大な口を開いた。

「逃げ帰った槍の部下に聞いたところ、槍を倒した者の正体は不明とのことです」

「不明──? なぜです? 槍の部下たちは槍が倒された場に居合わせたのでしょう?」

「姉上様の言われる通りじゃ! その場に居合わせておきながら、槍を倒した者の正体が分からぬというのはどういうことじゃ?」

「おそらく、相手は毛なし猿だとは思われるそうです。槍は角のある猿どもを贄として、主様復活の儀式を執り行っておりました。ですが、そこに乱入したモノが…………」

「銀の槍を倒した、ということですか。ならば、銀の槍を倒したのはその角のある猿の仲間ではないのですか?」

「それが……その乱入したモノは、全身を黒いモノで覆っていたとかで……正体までは不明とのことでした」

「全身が黒い謎の存在じゃと? それは毛なし猿の仲間なのかえ?」

「いえ、戻った槍の部下によりますと、あの禍々しさはとても毛なし猿とは思えないとのことでした」

「……禍々しい黒いモノ……果たして、何者なのか……いえ、今はそれに関しては置いておきましょう。それよりも、我らが主様の封印の方はどうですか?」

「剣と弓、そして私が集めた贄を使って穢れを発生させることで、毛なし猿が施した主様を縛る封印はかなり緩んできました。このままであれば、遠くない内に主様はご復活されるでしょう」

「おお! おお! でかしたぞえ! 主様がご復活されれば、この世界は我ら銀の一族のものじゃ!」

「ええ、妹の言う通りです。ですが、槍を倒したという黒き禍々しきモノ……油断はできません。たとえ何者であろうとも、我らが主様のご復活を邪魔するのであれば……」

「は、既に弓が黒き禍々しきモノを探るように動いております」

「さすがは我ら銀の一族が誇る四英雄の一角。既に動いておったかえ」

「銀の剣、銀の杖。あなたたちは引き続き主様を封印から解放することを優先しなさい。件の黒き禍々しきモノのことは、弓に任せておけば問題ないでしょう」

「くくく。近い! 近いぞえ! 我らが主様のご復活は近いのじゃ!」

「全ては我らが主、【銀邪竜】ガーラーハイゼガ様ご復活のために! そして、我ら銀の一族の繁栄のために!」

 銀の巫女姫がその長い両手を振り上げて言う。

 それに合わせて、銀の剣、銀の杖、そして妹姫が主たるガーラーハイゼガを讃える言葉を連ねていく。

 しかし、それは人間には全く理解できない言語であり、もしもこの場に人間が一人でもいたのならば、彼らの唱和はとある動物の鳴き声にしか聞こえなかっただろう。




「え? ジルガさんとライナスさんが正式に婚約っ!? うわー、おめでとうございます!」

「婚約……って、結婚の約束をすることだっけ? え? ジルガさんとライナスさんが結婚? いまさら?」

 いろいろあって、いろいろだった日の翌日。

 昨日の夜は王城に泊り、昼過ぎに目覚めた【黄金の賢者】レメットから【銀邪竜】復活に関する話を聞き、日暮れ近くになってようやくナイラル侯爵邸へと戻ったジルガとライナス、そしてトライゾン。

 彼らは邸宅に戻ってすぐ、昨夜あったいろいろなことを家族に報告した。

 ライナスが実は王兄であり近く公爵となること、ライナスの母親が【黄金の賢者】であること、そして、【銀邪竜】が間もなく復活するであろうこと。

 もちろん、【銀邪竜】に関することはまだ公表されていない。近々国王より正式に発表されるであろうが、今はまだ他言無用の極秘事項である。

 本来なら家族といえども伝えてはならないことだが、騎士団に所属するトライゾンの二人の息子たちは、【銀邪竜】との戦いで間違いなく戦場に立つことになる。よって、シャイルード国王の許可のもとに伝えることにした。

 今、ジルガたちがいるのは侯爵邸の居間。ジルガたち三人以外には、トライゾンの妻であるエレジアと、長男と次男であるネルガディスとイリスアーク、【黒騎士党】の仲間であるレディルとレアスの姉弟、そして、侯爵家執事長のギャリソン。

 みな、信頼できる人物ばかりであり、極秘事項を勝手に言いふらすような者たちではない。

「こいつ……い、いえ、ライナスが王兄殿下……?」

「このひょろい……じゃなくて、公爵閣下とジールが正式に婚約? え、えっとつまり……?」

 父から告げられたことが今一つ理解できないのか、それとも理解したくないだけなのか、きょとんとした表情でジルガ、ライナス、トライゾンの顔を順に見比べるネルガディスとイリスアーク。

「まあ、いろいろと関係が複雑になるのは確かだな。ライナス様が義理とはいえ私の息子になり、おまえたちの義弟となり、娘であるジールが国王陛下の義姉になるわけだ」

 普通ならあり得ない複雑な親戚関係だが、これも全てはライナスが通常よりも長い寿命をもつからであり、その長い寿命こそが彼が他者との交流をあまり持たなかった理由でもある。

 更には、シャイルード国王はアーリバル公爵家を現王家の分家として認めるつもりらしい。つまり、ライナスとジールディアは末端とはいえ正式な王家の一員になるわけだ。

 ライナスはもともと先代国王の直系であるから、この決断も間違ってはいないだろう。

 分家を作るのはメリットもあればデメリットもある。

 将来的なお家騒動の元凶になるかもしれないが、主家である現王家に適切な跡継ぎが存在しない場合は、分家から次の王を選ぶこともできる。

「百年先のことは百年先の奴らが考えればいいんだよ。ンな先のことまで俺が考える必要なんてねぇだろ?」

 とは現国王の言葉である。

「わたくしとしては、政治的な話よりも二人が望んだ未来が訪れそうなことの方が嬉しいわ。ね、レディルちゃん、あなたもそう思うでしょう?」

「はい、エレジアさん! ジルガさん……じゃないや、ジールさんとライナスさんなら、絶対幸せな夫婦になりますよね!」

「ってか、僕、もうライナスさんたちはとっくに結婚していたような気でいたんだけど」

 一方、女性陣及び年少組は素直に喜んでいる。

 特にエレジアは当初よりジールディアとライナスの気持ちに気づいていたようで、理想的な結果に落ち着いて本当に嬉しそうだった。

「だが、全ては【銀邪竜】をどうにかしてからだ」

 それまでの浮かれた雰囲気が、トライゾンのその一言で一気に沈静化する。

「確かに、親父の言う通り【銀邪竜】をどうにかしないと、俺たちに未来なんて訪れないからな」

「ああ。ジールの将来だけではなく、我が国の国民全ての命がかかっていると言っても過言ではない」

 騎士としての責任感からか、ネルガディスとイリスアークが重々しく言葉を交わす。

「で、具体的な策はあるのか、親父?」

「先代陛下でも倒せなかった【銀邪竜】……ミラベル様が神々へ嘆願してようやく封印できたという。正直、どうやって倒せばいいのか……」

「それに関しては、これから俺と母、そしてサルマンが何か策を考えよう。もっとも、具体的な案はまだ何もないが」

 それが賢者と呼ばれる者たちの仕事だ、と続けたライナスに視線を向けていたジルガが、ふと何かを思いついたように声を上げた。

「そうだ…………レメット様であれば、について何かご存じかもしれん。以前、勇者組合でについて知っている者を探したが、誰も知らなかったのだ」

「む? アレとはなんだ?」

「ライナスは竜笛りゅうぶえというものを知っているか?」

「竜笛? まさか、竜笛のことか?」

「おお、さすがはライナス。竜笛を知っていたか。では、その竜笛の作り方まで知っているだろうか?」

「い、いや、竜笛のことは聞いたことがあるが、その作り方までは……そうか。君なら竜笛を……」

「そういうことだ。もしも竜笛を作ることができたら、【銀邪竜】との戦いで役立つのではないかと思ってな。レメット様なら作り方も知っているのではないだろうか?」

「確かに母なら竜笛の作り方も知っているだろう……なるほど、【銀邪竜】との戦いにおいて、竜笛があれば重要な戦力になる。すぐに母に聞いてみよう」

 何やら二人だけで盛り上がるジルガとライナス。そして、そんな二人を呆然と見つめる他の者たち。

「ジール、そしてライナス様。一体何の話をしているのだ?」

 黒白二人のやり取りが一息ついた時を見計らい、トライゾンが一同を代表して尋ねる。

「なに、【銀邪竜】との戦いにおいて、光明がひとつ増えそうだという話さ」

 と、ライナスはにやりとしながら、居合わせた一同に竜笛についての説明を始めた。







~~~ 作者より ~~~


 これにて第5章は終了です。

 次章6章にて、本作も完結の予定。あと少しだけ引き続きお付き合いいただけると幸いです。

 さて、6章に入る前に、いつものように閑話を数話入れる予定。

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