求婚と【黒騎士】

「ジルガ…………いや、ジールディア嬢。私の妻になってはくれまいか?」

 彼女の手の甲──漆黒の手甲に覆われている──に唇をそっと落とした後に顔を上げたライナスは、じっとジールディアの目を見つめながら続ける。

「俺は近く正式に公爵となる。侯爵家の娘の嫁ぎ先としては申し分ないはずだ。それに、ナイラル侯爵家の当主にも、君を妻に迎えたいという意思を伝えてある」

 ジールディアが弾かれたように父を見れば、当人は優し気に微笑みながら頷いた。

 侯爵家の娘が嫁ぐに相応しい地位。そして、当主の意思。

 かつてジールディア自身が告げた、彼女が結婚するための条件全てをライナスは調えたのだ。

 それまで地位に興味のなかった白い魔術師が、突然公爵位を得ることを望んだ理由──そんなものは語るまでもない。

「だ、だが、ライナスも知っているように私は呪われて……」

「君の呪いを解くために、これまで同様協力する。おそらく、レディルやレアスも俺たちに力を貸してくれるだろう。いつか必ず、皆の力でその呪いを打破しよう。それに…………」

 ライナスはすっとジルガ……いや、ジールディアに身を寄せると、彼女の耳元でそっと囁く。

「たとえ呪いが解けなくても、跡継ぎを作ることはできるだろう?」

 その囁きはジールディアにしか聞こえなかった。だが、彼女は顔を真っ赤にしつつ──兜のせいで外からは見えないが──慌てて周囲を見回した。

「ら、ららららライナスっ!? お、お父さまたちがすぐ傍にいるというのに何を…………あうう、もうっ!! もうっ!! もうっ!!」

 照れた反動か、ぽかぽかとライナスの背中を叩くジールディア。実際はそんな可愛い音ではなく、結構ダメージの大きな重そうな音であり、叩かれた本人はげふげふと顔を歪めながら苦しそうに息を吐いていた。

 そして、そんな彼らを周囲の人々は温かく──いや、生温かく見つめていた。

「あー……ジールディア嬢、兄貴の求婚にはっきり答えていねぇけど、答える必要ねぇよな、コレ」

「ルードの言う通りだな。どうだ、トライ? 娘の嫁ぎ先が決まった父親の感想は?」

「正直複雑ではある。だが、嫁ぎ先がなくて嫁き遅れるよりマシだ。ライナス様ならば、仮に呪いが解けなくても受け入れてくださるだろうしな。それよりも殿下……殿下には申し訳ありませんが……」

「ああ、気にしないでください、ナイラル将軍。確かに失恋した痛みはありますが、ジールディア嬢のためにも潔く引き下がりましょう。ここで文句を言ってしまうと、私はただ器の小さいだけの男に成り下がってしまいますので」

「おお、さすがは我が息子! おい、トライとサルマン。ウチの息子の嫁に相応しい、いい娘を紹介してくれ。それこそ、ジールディア嬢に負けないぐらいのいい女をな」

「そうだな。いろいろと当たってみよう。我が国にはジールに勝るとも劣らない令嬢とてまだまだいるはずだ」

 と、四人は手にした杯をかちんと打ち合わせる。

 新しき公爵の行く末と、その伴侶となるであろう女性を縛る呪いが解けること、そして若き王太子の将来に幸多かれと願いながら。

 だが。

 だが、その時だった。

 この部屋の中に、突然何者かが現れたのは。




 最初に気づいたのは国王シャイルードだった。

 それまでののほほんとした表情を一瞬で引き締め、ジールディアより返却されていたエクストリームへと手を伸ばす。

 それと同時に、何者かが突然この部屋に現われた。

 それも、何もない空間から滲み出るように現れたのだ。現れた場所は部屋の中央、天井付近。

 シャイルードの視線に釣られるように全員が上へと視線を向けた時、その侵入者はどさりと床へ落下した。

 同時に、その人物の周囲にじわじわと赤いものが広がっていく。

 突然のことに驚いて一瞬動きが止まる一行。

 だが、シャイルードとジールディア……いや、【黒騎士】ジルガは誰よりも早く動き出し、特にジルガはこの場にいる全員を守るように数歩前進して身構えた。

「む……? 女性……?」

 だが、床に倒れているのは小柄な人物。その身なりから女性のようだ。

 そして、黄金に輝く長い髪とその髪から突き出した独特の長い耳が、彼女の正体を無言で物語る。

「れ、レメット様っ!?」

「お、オクフロっ!?」

 ジルガとシャイルードが同時に声を上げた。

 それをきっかけに、他の者たちもまた動き出す。

「ジール、何でもいい! 至急、治療用の神器を!」

「誰か! すぐに寝室を用意しろ! そして医師をすぐに呼べ!」

 部屋の外が一気に慌ただしくなる。

 信頼できる者だけを部屋の中に入れ、周囲の警戒を命じるジェイルトーン。

 ジルガは直ちに次元倉庫を開くとライナスと共に飛び込み、自身は黒雷斧フェルナンドを手にしてすぐに部屋へと戻って警戒に加わる。

 ライナスは次元倉庫の中から治療用の神器をいくつか選び出し、それを手にして母にして師であるレメットに駆け寄って治療を始める。

 なお、フェルナンドを手に入れてからというもの、ジルガはこの黒雷斧を愛用することにした。

 今まで使っていたハルバードとよく似た感覚で使えるし、また、ハルバードの耐久度がそろそろ限界だったこともあり、フェルナンドを新たな得物としたのである。

「ライナス、『癒しの乙女』は使わないのか?」

「あの神器は四肢の欠損さえも回復させるほど強力だが、治療に時間がかかる。今はそれだけの時間がない」

「おい、兄貴。オフクロほどの手練れがこんな致命傷を負うなんて、どういう状況だ?」

「分からん。知りたければ母さんから直接聞け」

「ってことは、オフクロは助かるんだな?」

「幸い、ジルガは治癒関係の遺産や神器を大量に所持しているからな。それらを使えば、十分助けられる」

 そう言いながら、ライナスは手にした飾り気のない小枝を振るう。

 この小枝は「生命の枝」。ジルガの集めた治癒系遺産のひとつで、病気や呪いには全く効果がないものの、怪我であればどんなものでも瞬時に治してしまう強力な遺産である。ただし、使用回数は一度だけの使い捨てでもある。

「ジール。これを使っても構わないな?」

「無論だ。そんな薄汚れた小枝ひとつでレメット様が助かるのなら安いものだ」

「いや、この遺産は決して安くはないのだが……」

 どんな怪我でも瞬時に治す治療用遺産。さすがに「癒しの乙女」のように肉体的欠損までは回復できないものの、この遺産がどれほどの価値を持つのか容易く想像できよう。

 そんな遺産を「薄汚れた小枝」と言い切るジルガに、この場にいた者たちが生温かい視線を送る。

「おい、トライ。おまえの娘の金銭感覚、大丈夫だろうな? 公爵夫人になったはいいが、あっという間に公爵領の財政を圧迫しねえよな?」

「だ、大丈夫だ……おそらく」

「私も幼い頃からジールをよく知っているが、決して湯水のごとく金を使う人物ではなかったぞ。とはいえ、それは彼女が呪われる前の話だからな……」

 シャイルード、トライゾン、サルマンが小声で囁き合う。そんな傍らで、ライナスが振るった「生命の枝」が黄金色に輝く粒子になりながらその形を失っていく。

 そして、輝く粒子は床に倒れるレメットの体に優しく降りかかり、じわりじわりとその体に滲み込んでいった。




「いやー、参った、参った、隣の神殿。まさかこの私が後れを取るとはねー。やっぱ、さすがの私も老いには勝てないってことかにゃ?」

 治療用遺産で何とか命を取り留めたレメット。治療が終わった後に王城の客室のひとつに運び込まれた彼女は、翌日の昼頃に意識を取り戻した。

「で、オフクロ。一体、何があったんだ?」

 今、レメットがいる客室には、昨夜の面々が揃っていた。そして、彼らを代表してシャイルードが、自身のもう一人の母親に問う。

 だが、レメット本人はもう一人の息子を無視して、自らが生んだ息子へと目を向けた。

「ふーん。決心しちゃったんだ? やっぱり、ジールディアちゃんのため?」

「分かるのか?」

「そりゃーね。これでも母親だもの。まあ、ライナスちゃんが決めたのなら、私はあーだこーだ言わない。ただし、一度公爵を名乗る以上は途中で放り出すんじゃないよ? もう、黎明の塔はあんたの家じゃないと思いなさい」

「無論、承知している」

「おいおい、親子の語らいもいいけど、俺の質問にも答えてくれよな。で、何があったんだ?」

「まったく、あんたって子は……昔っから私やミラベルがライナスちゃんに構っていると、決まって横から入り込んでくるんだから。今も甘え癖は直っちゃいないんだにゃー」

 すっと手を伸ばし、シャイルードの頭を優しく撫でるレメット。そして、頭を撫でられた現国王も、照れくさそうでありながらもどこか嬉しそうにされるがままであった。

 そんな三人のやり取りを見て、ジルガがぽつりと呟く。

「…………ライナスとレメット様、そして陛下は間違いなく家族なのだな」

「ああ、ジールの言う通りだよ。あの方たちは紛れもなく家族だ」

「我々が幼い頃、よくあのような光景を見たものさ。当時はまだ先代陛下とミラベル様もご一緒だった」

 昔を懐かしむように、トライゾンとサルマンが目を細めて目の前の光景を見る。

 それはかつて、彼らがよく見ていた光景。それはどこにでもある家族たちの光景。当時は五人で今は三人になってしまったが、それでもそこに流れる空気はまるで変っていない。

「…………ふむ、ところでお父さま」

「何だい、ジール?」

「お父さまと陛下は随分と親しいようで……聞けば昔馴染みだったとか。私、そんな話は聞いたこともないのだが?」

「う、ま、まあ、あれだよ、あれ。ほら、ジールなら分かるだろう?」

 目を泳がせまくる父の姿に、ジルガは不思議そうに首を傾げる。

 そんな親子の様子にふうと溜息を吐きながら、サルマンは話を進めることを選ぶ。

「レメット様。ルードではありませんが、何があったのかをご説明いただけますか?」

「ああ、うん、そうだね。サルマンちゃんの言う通りだ。ことがことだから単刀直入に言うよん」

 レメットはぐるりと一同を見回した後、その事実を口にした。




「──【銀邪竜】ガーラーハイゼガ。そう遠くないうちに、あの厄災が封印から解き放たれそうなんだよ」


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