黒い聖剣と【黒騎士】

「ち、痴女がいるっ!! 目の前にっ!! 痴女なんて初めて見たっ!!」

「ち、痴女ではありませんっ!! わ、わたくしは陛下のお言葉に従ったまでで…………ぅ、ぅぅぅ…………」

 真っ赤に染まった顔を伏せたまま、シャイルードの言葉に思わず反論するジールディア。

 以前も誰かに似たようなことを言われた気もしたが、羞恥が勝ってそれどころではない。

「ルぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅドぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!! きぃぃぃぃぃさまぁぁぁぁぁぁぁ、我が娘にとんでもない恥をかかせおったなぁぁぁぁぁぁぁっ!? 未婚の娘にこのような恥をかかせるなど、たとえ国王といえども許されることではないと思えっ!!」

「ちょっと待て、トライ。ここでの暴力沙汰はさすがにまずい」

「放せ、サルマン! いくら旧友とはいえ、許せることと許せぬことがある!」

「よし、いいぞ、サルマン! そのままそのバカを押さえていろ」

「貴様も貴様でこれ以上トライを煽るな!」

 深い溜息を吐き出し、二人の旧友を順に見比べるサルマン。

 そして。

「じ、ジールディア嬢……? ほ、本当に【黒騎士】ジルガはジールディア嬢だったのか…………し、しかも今、と、とんでもない姿で私の前に……こ、これはもう責任を取って娶るしかないのではっ!!」

 両手で己の目を覆い隠しつつ、ジールディアの眩しい裸身を見ないようにしながら、何やらぶつぶつと呟くジェイルトーン。

 だが、そこは正真正銘の王子様。心の奥で荒れ狂う男の本能を偉大すぎるほどの理性で抑え込み、着ていた上着を脱ぐと、いまだに片膝をついたままのジールディアに近づき──もちろん、彼女の姿は極力見ないようにしながら──、その上着で彼女の裸身を覆い隠そうとした。

 しかし。

 ジェイルトーンの上着がジールディアの体を隠したのはほんの僅かな間だけ。

 びりりという布が引き裂かれる音を立てながら、ジェイルトーンの上着は見る間にぼろ布へと変化する。

「ジェイル、それでは駄目だ。ジールを縛る呪いは相当特殊だからな」

 と言いながら、窓辺に吊るされていたカーテンをひっぺがして持ってきたのはもちろんライナスである。

 彼はカーテンでジールディアの裸身を覆い隠すと、そのまま彼女の手を取って立ち上がらせた。

「あ、ありがとうございます、ライナス……い、いえ、アーリバル公爵閣下──とお呼びすべきでしょうか?」

「いや、今まで通りにライナスと呼んで欲しい。君に堅苦しい呼び方はされたくないからな」

「そう…………ですか。良かった、わたくしとしてもあなたのことは今まで通りに呼びたいですから」

 状況や場所を忘れたかのように、互いに互いを熱く見つめ合う二人。

 二人のそんな姿を間近で見せられた王太子は、己の心の中で密かに築いてきた恋心が、完璧に砕け散ったことをはっきりと自覚した。




「私は言ったはずだ。娘はあの黒鎧に呪われていると」

「ああ、確かにそれは聞いたけどよ? 今思えば呪いの詳しい内容までは聞いちゃいなかったぞ?」

「言えるわけがなかろう。我が娘があの忌々しい黒鎧以外の衣服を身につけることができなくなったなどと……」

「まあ……確かに年頃の娘、それも貴族の令嬢であれば致命的な呪いだなぁ」

 騒ぎが一通り落ち着いてから。

 それぞれにソファに腰を落ち着けた一同は、ジールディアを縛る呪いについて話をしていた。

 ちなみに、ジールディアは既に鎧を纏って【黒騎士】ジルガの姿に戻っている。そんな彼女の右側には父トライゾンが、左側にはライナスが、まるで彼女を守護するかのように座っている。

「けどよ、エクストリームにゃ呪いを祓うような力はねぇぞ? 親父からもそんな話は聞いたことねぇしな」

「それは承知だ。だが──」

 ライナスはシャイルードたちに自分の考えを聞かせた。

 ヴァルヴァスの五黒牙が五つ全て揃った時、今までにない秘められた力が解放される可能性があることを。

「兄貴の話は分かるが、ホントにそんな力があるのかよ?」

「分からん。あくまでも可能性の話だ。だが、現状ではそれぐらいしかジールの呪いを解く方法は思いつかなくてな」

 ライナスの話を真剣な表情で聞くシャイルードたち。彼らはジールディアを縛る呪いを祓うことに協力すると約束してくれた。

 国王いわく、「あんな恥をかかせた以上、それぐらいはしねえとな」とのこと。

「じゃあ、ま、ほらよ、ジールディア嬢」

 と、シャイルードは傍らにあった黒地剣エクストリームを、何とも気軽にジールディア──いや、鎧姿のジルガへと放り投げた。

 これには、この場にいた全員がさすがに凍り付いた。

 王権の象徴たる黒地剣を、ぽんと放り投げるなど普通なら考えられないからだ。

 それでも、ジルガは難なくエクストリームを受け止める。

「ルードっ!! 貴様という奴はっ!! 王権の象徴たるエクストリームを放り投げるなっ!!」

「全く、ここが公の場でなくてよかった…………」

「父上…………今のはさすがに私でも擁護できません…………」

 顔を真っ赤にして怒るトライゾン、呆れ果てた様子のサルマン、そしてがっくりと肩を落とすジェイルトーン。

 そんな彼らを放っておいて、ジルガとライナスは受け取ったエクストリームに気を向けている。

「どうだ?」

「うむ、陛下の言われた通り、エクストリーム単体には呪いを解く力はないな」

「やはり、か。となると、問題は今、どこをほっつき歩いているか全く分からない師……いや、母のことだな」

「そう言えば、どうしてライナスはレメット様のことを師と呼ぶのだ?」

 難しい顔をしながら考え込む白い魔術師に、黒い全身鎧が問う。

「それは、いろいろとあってな。この城にいた頃ならともかく、あの人を母と呼べば当然父親は誰なのかと勘繰る者も多かろう」

「確かに、名高い【黄金の賢者】様に息子がいるとなれば、誰だって相手が誰なのか知りたくなるな」

「あの人の一番身近な男性と言えば、誰しも先代国王を連想する。そして、俺の父は実際に先代だ。それを知れば、あの人や俺を取り込もうとする者がいるかもしれない」

「それでこの城を出たってか。そんなこと気にせず、堂々と兄貴が王位を継げばよかったのによ。どうして王位を継ぐことまで放棄したんだ?」

 それまでトライゾンたちとぎゃーぎゃー騒いでいたシャイルードが、真面目な顔でライナスに問う。

「父の正妻はあくまでもミラベル母さんだ。そのミラベル母さんとの間に生まれたおまえの方が王位を継ぐに相応しかろう」

「べっつに【黄金の賢者】ほどの人物が相手なら、レメットのオフクロが親父の隣にいたって誰も文句を言わねぇだろ? そりゃ確かに妖精族ってことに目くじら立てる奴もいただろうが……」

「それだよ。それが最大の問題なんだ」

「どういうこったよ?」

「今の俺の姿が全てさ」

 ライナスの見た目はどう見たって二十代にしか見えない。対して、シャイルードたち三人は年相応の四十代に見える。

 事情を知らない者からすれば、ライナスがシャイルードの兄だとは誰も思うまい。

「妖精族を母に持つ俺は、普通の人間よりも寿命が長い。もしも俺が王位を継ぎ、王妃を娶って子が生まれたら……その子の寿命次第では王位を継ぐことなく、俺より先に神々の御許に旅立つ可能性さえある。それを考えると……俺が王位を継ぐわけにはいかないだろう?」

「そんなの、適当な頃合いをみて子供に王位を譲ればいいだろうが。で、その後は悠々と隠居生活を楽しむ……ああ、いいな、それ。俺も早く隠居してぇ。なあ、ジェイル? 明日にでも王位を継が……ああ、うん、冗談だってば、冗談」

 トライゾン、サルマン、そして息子のジェイルトーンから冷え冷えとした目を向けられて、シャイルードは愛想笑いを浮かべた。

「でも、今ならいいのかよ? 王じゃなくても、公爵位となれば王国貴族では頂点と言えるぜ? その公爵位を、兄貴の子に譲る機会はないのかもしれないぞ?」

「それなら大丈夫だろう。言葉にはしづらいのだが、自分で何となく分かる。おそらく今後、俺は普通の人間と同じように老いていくだろう。もしも俺に子供ができたとしても、その子に公爵位を譲ることができるさ」

「なるほど。他種族の血を引く者は、そのような体の変化を何となく感じ取ると言われておりますからな。ライナス様がおっしゃるのであれば間違いないでしょう」

 宮廷魔術師という知識職業ゆえか、サルマンが納得したように何度も頷いた。

 そして、トライゾンとライナスに挟まれる形で座っていたジルガがじっとライナスを見ていた。

 もちろん、兜に覆われたその表情を窺い知ることはできない。

「そ、そうか……ライナスがアーリバル公爵となるなら、当然誰かと結婚を……」

 小さな小さな呟き。そこに含まれた悲し気な響きに気づく者はいなかった。

 いや。

 いや、その小さな呟きを聞き届けた者は二人もいた。

 彼女の両隣に座る者たち──彼女に最も近い位置にいたその二人は、その悲し気な響きを聞き、同時に優し気な笑みを浮かべて漆黒の全身鎧を見る。

「安心しなさい。おまえの気持ちには私たち……私とエレジアは以前から気づいていたとも」

「…………お父さま? それはどういう……?」

 右側に座るトライゾンが優しく告げた時、左側にいたライナスが立ち上がった。

 そして、ジルガの正面へと移動すると、その場で片膝をついて彼女の片手を取る。

「以前、君は言ったな? 侯爵家の娘である以上、いずれどこかの家に嫁ぐことになる。その嫁ぎ先は当主である父親が決めるだろう、と」

「う、うむ、確かにそう言った。え? え? ま、まさか…………」

 ライナスに手を取られたまま、ジルガは父親の顔を見る。そこには、いつも以上に優しく微笑む父の姿がある。

「ライナス様より……いや、アーリバル公爵閣下より正式に結婚の申し込みがあった。私は、ナイラル侯爵家の当主として、アーリバル公爵閣下と我が娘の婚姻を受け入れた」

 それは、つまり。

「ジルガ…………いや、ジールディア嬢。私の妻になってはくれまいか?」

 はっきりとそう告げたライナスは、手にした彼女の手の甲にそっと唇を落とした。









 ~~~ 作者より ~~~

 仕事の都合で、来週の更新はちょっとお休み。

 次回は11月13日に更新します。

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