謎の公爵と【黒騎士】

「ちょ、ちょっと待ってください、父上!」

 父シャイルードから突然告げられた、ジールディアの結婚相手。

 それを聞かされたジェイルトールは、あまりの衝撃にしばらく身動きできないほどだったが、そこから回復するとすぐに父親へと詰め寄った。

「アーリバル公爵? そのような家名は聞いたこともありません! しかも、父上の兄ということは、私の伯父ということではありませんか! 私は伯父上……アーリバル公爵という人物に、これまで一度たりとも会ったことはありませんっ!!」

 普段の貴公子然とした態度からは程遠く、ジェイルトーンは唾を飛ばすようは勢いでシャイルードを問い詰める。

「まあ、落ち着けって。その辺りを詳しく説明するためにおまえを呼んだんだよ。おいこら、トライにサルマン、おまえらからもジェイルに何か言ってやれや」

 シャイルードは近くに座っている旧友にして悪友たちに視線を向ける。

「申し訳ありません、ジェイル殿下。アーリバル公爵からの結婚打診となれば、私としましても無視できません。あの方は私にとって、本当の兄のような方なのです」

「なあ、ジェイル。こう言っては少々君に酷だろうが、相手が悪すぎる。あの方は……アーリバル公爵は我ら三人にとって、どうしても頭が上がらない存在なのだよ」

 ジールディアの父であるナイラル侯爵、そして筆頭宮廷魔術師サルマンが困り顔でジェイルトーンに声をかけた。

「ですからっ!! そのアーリバル公爵とやらは何者なのですかっ!? 我がガラルド王国にはそのような公爵家は存在しないはずですっ!!」

 仮にも王太子であるジェイルトーンが、公爵家という大貴族を知らないわけがない。

 いや、ガラルド王国の貴族であれば、知らない者がいないと言っていいほどの大物であるはずだ。

 だが、ジェイルトーンはそのような公爵家がガラルド王国に存在するなど、これまで聞いたこともなかった。

「アーリバル公爵家は確かに存在しているぜ? ただ、これまでアーリバル公爵家の名前が表立ったことがないだけでな。まあ、それも仕方ないってもんだ。なんせ、つい最近まで空位だったのだからな」

「…………どういうことですか?」

「アーリバル公爵家は、俺が王位を継ぐ際に新設された公爵家なんだよ。親父が……先代国王ガーランド・シン・ガラルドが、王位を継がないに与えるために作られたのさ。ま、初代国王だからこそ可能なちょいとばかり強引な手段ではあるかもしれねえけどな」

「先代陛下のもう一人の息子……? え? 父上にはご兄弟がおられたのですかっ!?」

「ああ、実は兄貴が一人いるのさ。まあ、いろいろと事情やら複雑な生まれやらあって、成人する前にこの城から出て行っちまったから、俺たちより下の世代はあまり知らないだろうけどな」

「本来であれば、アーリバル公爵──あの方こそが王位を継ぎ、ルードの方がアーリバル公爵となるはずだった。だが…………あの方はご自分の生まれが王国に要らぬ混乱を招くかもしれんと、自ら王位を放棄されたのだよ」

「そして、あのお方はご母堂様と一緒に旅に出られた。以後、我々もあの方の行方は全く知りませんでしたが、最近になって王都にお戻りになられたのです」

 サルマンとトライゾンが、順番にジェイルトーンに説明していく。そこへ、シャイルードが勝ち誇ったような調子で付け加えた。

「ああ、城を出てからも、兄貴が俺の所に顔を出したことならあるぞ? まあ、ほんの数度だけどな」

 「な、なんだとっ!?」「聞いてないぞ、その話はっ!!」「そりゃ、おまえらに秘密にしておいた方が、俺ゃ楽しいからな。かかかか、これが優越感ってヤツだぜぇ」と、悪戯が成功した悪ガキのようににやにや笑うシャイルードに、二人の旧友兼悪友たちが散々文句を言う。

 ぎゃあぎゃあと仲良く罵り合う父親たちを見て、ジェイルトーンは呆れが多分に含まれた溜息を大きく吐き出した。

 そんな息子に、シャイルードは相変わらずにやにやしたまま告げる。

「もちろん、アーリバル公爵家には公爵という家柄に見合うだけの領地だってあるぜ? 形式上、現在は王領ってことになっていて俺が預かっちゃいるが、兄貴がそのつもりなら……公爵位を受け継ぐ気になったのなら、いつだって本来の持ち主に返すさ」

 王国南方の広大な土地。そこがアーリバル公爵家の領地である。現在は表向き王領として扱われており、シャイルードが信頼する家臣を代官として任命し、統治させていた。




「…………どこへ行った?」

 銀色の巨躯を持つ異形。銀の剣と呼ばれるその異形は、突き出た巨眼をぎょろぎょろと動かしながら、追跡対象──【黄金の賢者】とか呼ばれている耳の長い猿を探す。

 だが、見つからない。視覚だけではなく嗅覚や聴覚をも動員して対象である耳長猿を探すものの、その姿は発見できない。

 異形たちの主ともいうべき存在の復活が間近に迫っている影響で、ここら一帯の地形は大きく変容している。

 本来ならば、ここは大きな湖の底であるはずだった。だが、豊かに湛えられた湖水は全て干上がり、なだらかなすり鉢状の地形が露出している。元湖底とはいえ窪みや隆起はあちこちにあるため、小柄な耳長猿なら隠れる場所に困らないだろう。

 だが、ただ単に隠れているだけなら、異形の鋭い嗅覚や聴覚から逃れられまい。

 しかし、異形の感覚は周囲に耳長猿が存在しないことをはっきりと知覚している。

「……血の臭いは残っている。この辺りにいたのは間違いないはず」

 巨大な眼をぎょろぎょろと動かした異形は、湖底のごく一部の色が変化していることに気づいた。

「これは血の跡、か。やはりあの猿めがここにいたのは間違いないはず。だが、血以外の臭いは全くしない…………どういうことだ?」

 この異形──銀の剣が彼らの中で最強の一角であるのは間違いない。だが、その卓越した身体能力に比べ、その知能はやや低い。つまり、この異形は考えることが苦手なのだった。

「見つからぬものは仕方なし。ありのままを巫女姫様にご報告するまで」

 もしかすると、耳長猿を取り逃がしたことで何らかの罰を受けるかもしれない。姉姫の方はまだ思慮深く温厚な方だが、妹姫の性格は烈火のごとくである。妹姫のその気性を考えれば、異形たちの英雄たる銀の剣といえども、罰を受けることは確定だろう。

「だが仕方なし。これは我の不手際ゆえ、罰ならば甘んじて受けようぞ」

 銀の剣は背中に装備した飛行用の遺産を展開し、ふわりと宙に浮く。そしてそのままゆっくりと飛び去っていく。

 残されたのは、乾いた湖底の土に吸い込まれた、血だまりの跡ばかりであった。




「そういや、さっきおまえは兄貴に会ったことがないって言っていたが、気づかなかっただけでこれまで何度も会っているんだぜ? 子供の頃から結構兄貴には懐いていたし、最近だってほら、嬉しそうに話をしていたじゃねえか」

「え…………?」

 シャイルードにそんなことを言われ、思わずきょとんとするジェイルトーン。

 そして、父の言葉に思い当たることがあるのか、その顔が驚愕の表情へと変化した。

「え、え? も、もしかして、あの方が私の伯父上……? ちょ、ちょっと待ってください、だってあの方は父上たちよりずっと若く────」

「殿下がそう思われるのも無理はありません。私も再会した時は驚いたものですよ」

「それもご母堂様の影響だから仕方あるまい。あの方のご母堂様はゆえ、我々よりも成長や老化の速度が違うのだ。ジェイル、君は人間が他種族との間に子供を設けた場合、その子がどのような影響を受けるか覚えているかね?」

 かつて授業で教えたはずだぞ、というサルマンの言葉を聞き、ジェイルは恩師より教わった知識を思い出す。

「はい、もちろんサルマン師より教わったことは覚えております。人間と他種族の間に子供ができた場合、多くは人間として生まれます。ですが種族的には人間でも、親となった種族の影響もある程度受けて生まれてくる、でしたよね?」

 ジェイルトーンの答えに、サルマンは満足そうに頷いた。

 人間と他種族の間に子供ができた場合、九割以上の確率で人間として生まれ、残る一割弱でもう片方の親の種族となり、混血ハーフというものは存在しない。

 この原因には諸説あるが、他の種族が人間から枝分かれした存在だからだ、という説を支持する識者が最も多い。その理由として、人間以外の他種族間では子を成すことはできないから、というものが挙げられる。例えば、妖精族と小人族の間に子供は生まれない。

 だが、異種族間に生まれた子供は種族的には人間であっても、片親の種族の影響をある程度は受けて生まれる。

 例えば、人間と妖精族の間にできた子供は、普通の人よりも細身で知性や魔力などに優れ、逆に体力的には劣る場合が多い。

 他にも小人族ドワーフの影響を受ければ一般的な人間よりも小柄だが器用さや筋力に優れたり、鬼人族なら敏捷性や各種感覚に優れたりするなど。

 寿命もまた片親の影響を受け、妖精族の血を受ければ普通の人間よりも長い寿命を得たり、成長や老化が緩やかだったりもする。

 ただし、具体的な寿命は個人差が大きく、普通の人間とあまり変わりない場合もあれば、百年以上の寿命を得る場合もある。

 成長や老化も個人差があるものの、一定の年齢までは人間と同じように成長し、成人する辺りで成長が緩やかになる。

 そして、ほぼ成人した時の姿のまま年齢を重ね、やはりある程度の年齢に達すると人間と同じように老化していく。この老化が始まる年齢も、個人個人でそれぞれ違いがあるようだ。

 この老化が始まる年齢というものはかなり曖昧だが、普通の人間が老いを感じることがあるように、他種族を親に持つ者も漠然と老化の始まるを感じるらしい。




「ま、待ってくださいっ!!」

 サルマンの言葉の中に途轍もなく重要な情報が含まれていることに、ジェイルトーンは気づいた。

「お、伯父上の母君が妖精族……? そ、それってまさか…………伯父上の母君は…………」

 伯父の母親が妖精族だとサルマンは確かに言った。それはつまり、ジェイルトーンの祖父が妖精族との間に伯父を設けたということであり。

 祖父にして国父であるガーランド・シン・ガラルドの傍には、とても有名な妖精族の女性が一人いた。

 祖父と祖母と共に銀邪竜を封印し、三英雄の一人として数えられる妖精族の大賢者。

 そのことにジェイルトーンが思い至った時。

 不意にどこからか声が聞こえた。

 どこからかはよく分からない。声も何を話しているのか分からない。

 だが、声は二種類あることだけは分かる。

 ジェイルトーンが父へと目を向ければ、シャイルードは相変わらずにやにやと笑っている。

 サルマンやトライゾンも慌てる様子を見せないので、おそらく父たちはこの声の主たちに心当たりがあるのだろう。

 聞こえてくる声は徐々に大きくなり、声の出所もはっきりしてきた。

 ジェイルトーンは声の出所であろう、そこへと視線を向ける。

 彼の視線の先にあるのは本棚だ。

 この部屋は王族が寛ぐための部屋。華美に過ぎるほど装飾されているわけではないが、一国の国主とその家族が使う部屋である以上、それなりの調度品が揃えられている。

 本棚もそんな調度品のひとつであるが、王太子たるジェイルトーンはその本棚にとある秘密──そこが城の外へと繋がる隠し通路の入り口であることを知っていた。

 だから、彼は本棚から目を離さない。王族とごく一部の者しか知らない隠し通路を使って、一体誰がここに来ようとしているのか。

 やがて、本棚が音もなく横へとずれた。ずれた場所に存在するのは漆黒の通路。

 そしてその通路から、通路に蟠る闇よりもなお黒い、禍々しい巨漢が姿を現わしたのだった。



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