決まった結婚相手と【黒騎士】

 ごふ、とレメットの小さな口から多量の血が溢れ出る。

 同時に、材質不明──金属ではなく、おそらくは何らかの骨──の刃がずるりと彼女の体から引き抜かれ、腹と背中から同時に血が飛び散った。

「うぅ…………い、いつの間に……」

「空を飛べるのが巫女姫様だけと思ったが、うぬの敗因よ」

 レメットの背後に滲み出るように出現した異形が何かを言うが、それは【黄金の賢者】たるレメットでも理解できない言語で。

 意識が暗黒へと落ちかかっているレメットの耳には、それはある生物の鳴き声にしか聞こえない。

 彼女の背後に湧き出た異形。見た目は銀の巫女姫とよく似ているが、その体は倍近く大きい。

 身長はゆうに2メートルを超え、3メートルに達するかもしれない。

 銀の巫女姫と同じく銀色のぬめぬめとした質感の肌を、こちらも材質不明の鎧がその全身を包んでいた。

 長い右手には剣。先ほど、背後からレメットを貫いた剣だ。

 同様に長い左手には盾。剣、鎧、盾を装備するその姿は、異形ながら戦士か騎士と呼ぶに相応しい。

 ただ、その背中からはどこか禍々しい黒い翼が広がっている。翼は魔力で形成されているようで、間違いなく何らかの遺産か神器を用いて空を飛んでいるのであろう。

 そんな異形の姿を確認したレメットの体が、がくんと落下を始めた。意識を失いかけ、飛行の魔術の維持が疎かになった結果である。

「銀の剣よ。追いかけてあの耳長猿に止めを刺すのです」

「姉上様の命に従うがよいぞ、銀の剣」

「御意。ですが、その前にひとつだけご報告をば。そのために我はここに来た次第にて」

「報告……ですか?」

「ならば早く申すのじゃ!」

「は、どうやら槍めが敗れた様子」

「何ですって?」

「槍が敗れた……? あの槍がかえ?」

「逃げ帰ってきたきゃつの部下の報告にござりますれば、間違いはないかと」

「わかりました。槍に関しては戻ったという彼の部下から直接話を聞きましょう」

「それよりも、貴様は早う耳長の後を追うのじゃ!」

「御意。しからば御免」

 銀の巫女姫の命に従い、銀の剣と呼ばれた異形が黒い翼を翻して落下したレメットを追いかけた。




 今、ジルガとライナスの二人は、王城の裏手に広がる森の一角にいた。

 この森は王家の直轄地でもあり、普段は許可なく足を踏み入れることさえできない場所である。

 王城の近くまで馬車で来たジルガたちは、目立たない場所に馬車を駐めるとそこからは徒歩で森へと入った。

 王家が管理する森に勝手に入ってもいいのか、と疑問を抱くジルガだが、ライナスが何も言わずに森へと入る以上その後を追うしかない。

 先ほどライナスは王城に着いてから説明すると言ったのだ。ならば、今は黙って彼に従うのみ。ジルガは前を歩く白い魔術師を信じて、黙してその背中を追う。

 どれぐらい森の中を歩いただろうか。ライナスが灯した魔法光を頼りに森を進むジルガたちの先に、ぽつんと小さな小屋が見えてきた。

 小屋と言ってもそこそこの大きさがあり、手入れもしっかりと行き届いているようで薄汚れた様子は全くない。

 おそらく、王族がこの森に来た時に休憩にでも使うのだろう。

 ライナスは無警戒にその小屋へと近づくと、そのまま扉へと手を伸ばした。

 が、扉は開かなかった。ノブをどれだけ回そうとしてもまるで動かない。

「ふむ、誰かが何かを仕掛けた様子はない、な」

 満足そうに頷くライナス。

 そんなライナスの様子を見て、ジルガは首を傾げる。

「鍵がかかっているのか? だが、鍵穴らしきものは見当たらないぞ?」

 小屋の入り口の扉。そこにはドアノブこそあれど鍵穴らしきものはない。

「この場所のことを考えれば、安易な鍵を使うわけにはいかないからな」

「この場所……? そうか、おそらくここは王族の方々が利用される小屋。であるならば、鍵もそんじょそこらの物を使うわけにはいかないというわけか」

「まあ、そんなところだな」

 ライナスはドアに向かって片手をかざすと、ジルガには理解できない言語で何かを呟く。

 すると、それまで全く動く様子のなかった扉が、音も立てずにするりと開いた。

「今のは魔術か?」

「魔術的な仕掛け……合言葉で開く仕組みであって、正確には魔術で開いたわけではないな」

 よく理解できない、とばかりに首を傾げる【黒騎士】に、【白金の賢者】は柔らかな微笑みを浮かべると言葉を続けた。

「さあ、入ってくれ。これからいよいよ王城へと向かうぞ」

「王城……? ま、まさかこの小屋は──」

「そう、おそらく君が考えている通りだ。城に秘密の抜け道はつきもの。ガラルド王国の王城にも当然、秘密の抜け道がいくつかある。その内のひとつがここに繋がっているわけだ」

 どのような城にも、緊急脱出用の通路はいくつか隠されているものである。

 だが、そのような秘密の通路は当然ながら極秘中の極秘。城の主たる国王とその家族である直系王族か、よほど信頼の篤い家臣にしか教えられない。

「お、王城の秘密の抜け道……ど、どうしてライナスがそんなものを知っているのだ?」

「それも後で説明する」

 ライナスはそれ以上何も言わず、小屋の中へと入っていく。

 いくつもの疑問を抱えて混乱するジルガ。だが、今はただライナスを信じて彼の背中を追うことにした。




「父上、こんな時間にお呼びとは、いかなるご用件でしょうか?」

 そう言いながら部屋に入ってきたのは、ガラルド王国の王太子であるジェイルトール・シン・ガラルドであった。

 場所は王城の奥にあるやや大きめの部屋。ここは国王やその妻である王妃、そして彼らの子供たちが気を張ることなく寛ぐための部屋だ。

 基本的に王族か王族に招かれた客しか入れない場所であり、護衛や使用人でさえ呼ばれるまでは部屋の外で待機しなければならない。

 それぐらい、この部屋は王族のためにだけ存在する部屋なのである。

 その部屋の中には、ジェイルトーンを呼んだ父、現ガラルド王国国王シャイルード・シン・ガラルドの他に数名の客人がいた。

「ナイラル将軍? それにサルマン師?」

 部屋の中にいたのは、現ナイラル侯爵であり、ガラルド王国第二騎士団を率いる将軍でもあるトライゾン・ナイラルと、筆頭宮廷魔術師にしてジェイルトーンの幼き頃の学問の師、サルマン・ロッドだった。

 この二人が国王シャイルードの幼馴染であり、今も親しくしていることはジェイルトーンも知っている。

 だがこの三人、若い頃はかなり「やんちゃ」だったらしく、当時のことを恥じているのかあまり家族にその頃のことを話さない。

 特にナイラル将軍はその傾向が強く、彼の妻はともかく四人の子供たちは父親と国王が幼馴染であり、悪友と呼べるような間柄であることを知らないほどだ。

 ジェイルトーンが父親たちの過去を知っているのは、やはり王太子という立場から当時を知る他の貴族たちとも接する機会が多いことと、師であるサルマンから当時の父親のことをよく聞かされたからだった。

 だが、時は既に深夜に近い。いくら親しい間柄とはいえ、こんな時間に王族以外の者が部屋の中にいるとは思ってもいなかったジェイルトーンは、二人の姿を見て目を丸くした。

「こいつらのことは気にするな。だが、おまえを呼んだ件に深く関わっている以上、この場に呼ばないわけにはいかなくてな」

「お二人が深く関わっている……一体、どのような用件なのでしょうか?」

「なあ、ジェイル。おまえ、トライの所の娘と婚約したいって言っていたよな? 今もその気持ちに変わりはないか?」

「は? はい、もちろん! 私はナイラル将軍のご息女、ジールディア嬢との婚約を今でも望んでおります!」

 それはまさに彼の言葉通り。ジェイルトーンは今でも、ジールディアとの婚約を、そして彼女を妻として迎えることを熱烈に希望している。

 当然、この場にいる者たちは、そのことを以前からよく知っていた。

 ジェイルトーンの父であり国王でもあるシャイルード・シン・ガラルド。

 ジールディアの父親であるトライゾン・ナイラル。

 ジェイルトーンが今も師と仰ぐサルマン・ロッド。

 この三人が、ジェイルトーンの気持ちを知らないわけがないのだ。

 だから。

 だからこそ、三人の表情が陰る。

「あー……あのな、ジェイル? ひっじょーに言いにくいんだがな? おまえのその希望を叶えるのは……そのな? ちょーっと無理っぽくなっちまってなぁ」

「え……? え? そ、それはどういう……?」

 それまでの喜色満面の笑顔から、一転して何とも不安そうな表情を浮かべるジェイルトーン。

 それも仕方ないだろう。

 この場にいるのは双方の関係者ばかり。ジェイルトーンの父、シャイルードとジールディアの父、トライゾン。

 そして、ジェイルトーンとジールディアの双方を、幼い頃からよく知るサルマン。

 公の場ではないとはいえ、いや、公の場ではないからこそ、この場はジェイルトーンとその想い人たるジールディアとの婚約話を進める場であり、そのために自分が呼ばれたのだと思ったのだ。

 だが、父シャイルードの口から出た言葉は、ジェイルトーンが考えていたものとは真逆のものであり。

 トライゾンもサルマンも、複雑そうな表情でジェイルトーンのことを見ている。

「実はですな、ジェイルトーン殿下。最近、娘には殿下以外からも婚約の打診がありまして」

 ジールディアに自分以外にも婚約の打診。

 それを聞き、ジェイルトーンの心の冷静な部分がそれも当然だろうと納得する。

 なんせ、ジールディアはガラルド王国の重鎮にして忠臣、武の名門としても名高いナイラル家の令嬢だ。

 家柄は言うまでもなく、彼女の父親も二人の兄も王国になくてはならない人物たち。

 加えて、最近では末っ子が特例を認められて勇者組合に所属し、なかなかの活躍を見せているらしい。

 そして、ジールディア本人のあの美貌。

 彼女を妻に迎えようと考える者が、ジェイルトーン以外にいても全く不思議ではない。

 それに、貴族の結婚は当人同士の気持ちよりも、両家の利益と当主の意見が優先される。

 ナイラル侯爵家の当主であるトライゾンが、利益を見出せると判断すれば娘をジェイルトーン以外の誰かと結婚させることも十分考えられるのだ。

 とはいえ、ジェイルトーンは王太子である。そのジェイルトーンと結婚するということは、将来は王妃になるということであり、普通に考えればジェイルトーンよりも条件がいい相手はいるはずがない。

「な、ナイラル将軍! い、一体誰がジールディア嬢との婚約を望んでいるのですかっ!?」

「それはですな、殿下……」

「あー、その相手だがよ? 実はおまえもよく知っているヤツなんだよ」

「え? わ、私がよく知っている人物なのですか……?」

 ジェイルトーンがこの場にいる三人を見回せば、三人は重々しく頷いてみせた。

「い、一体誰なのですかっ!? 誰がジールディア嬢との婚約を望んでいるのですかっ!?」

「その相手ってのは…………俺の兄貴、アーリバル公爵家の当主なんだわ」


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