王都に戻った【黒騎士】

 「大森林」を後にした【黒騎士党】は、ガラルド王国の王都セイルバードに戻って来た。

 ザフィーアとは、「大森林」で別れた。その際、彼女は涙を流して歓喜したという。

 喜ぶ彼女をジルガは、「仲間の元へ戻れるのが嬉しいのだろう」と何度も頷き、ライナスとレディル、そしてレアスはそんなジルガに生温かい視線を注ぎ。

 そんなこともありながら、【黒騎士党】は道中特に問題もなく王都へと帰還したのだった。




「ん? ライナスはどうした?」

 実家であるナイラル侯爵家、その王都屋敷タウンハウスに帰ってきた翌日の朝。

 朝から姿の見えないライナスに気づいたジルガは、居合わせた父トライゾン・ナイラルにそう尋ねた。

「ああ、あの方……いや、彼なら既に出かけたぞ。どこへ行ったのかまでは知らないが」

 登城しゅっきん前の一時をのんびりと楽しんでいたトライゾンは、娘に笑顔を向けてそう答えた。

 そして。

「あんななまっちろい奴、もう帰って来なくてもいい」

「兄貴の言う通りだな」

 父と同じく、登城前である二人の兄たち。トライゾンの言葉は穏やかなものだったが、イリスアークとアインザムの言葉は冷え冷えとしていた。

 だが、そんなことに気づくこともなく、ジルガはがっくりと肩を落とす。

「そ、そうか……もう出かけた後か……。今日は何の予定もないから、一緒にいられると思ったのだが……」

「よし、今日の仕事は休みにしよう」

「そうだな。今日は俺たちと一緒に過ごそうじゃないか」

「親父と兄貴に賛成!」

 娘バカと妹バカたちが、満面の笑みを浮かべる。

 が、その笑みはすぐに消えてしまった。彼らが最も愛する妹の後ろに、妻にして母であるエレジアがにっこりと微笑んでいるのが見えたからだ。

「あなた? それにバカ息子ども? わたくしの言いたいことは…………わかりますね?」

「も、もちろんだとも! さあ、今日も一日がんばって仕事をするぞ!」

「む、むむ、す、すっかり忘れていたが、今日は早めに登城せねばならぬのだった!」

「お、オレももう仕事に行かねえとな!」

 ばたばたと居間から飛び出していく三人。

 その背中に呆れを多分に含んだ視線を送るエレジア。

「まったく……ウチの男どもときたら……」

 大きな溜息を一つ吐き出すと、エレジアはたった一人の娘へと向き直る。

「さあ、うるさい男どもはいなくなったわ。今日はゆっくりとあなたのことを聞かせてくれるかしら? 今度は『大森林』へ行ったのよね?」

「うむ、その通りだ、お母さま。私とライナス、そしてレディルとレアスは『大森林』で──」

「まあまあ、そんなに慌てなくても、お茶でも飲みながらゆっくりと聞かせてちょうだい。ああ、今日はわたくしとジールしかいないのだから、その重苦しい鎧は脱いでしまいなさいな」

「それもそうだな」

「それに、わたくしもジールに話すことがたくさんあるわ。特にアインのことについて、ね」

「アイン? アインがどうかしたのか?」

「ふふふ。この前、アインったら女の子を連れて帰って来たのよ?」

「ほほう! アインが女の子を! それは実に興味深い! その話、詳しく聞かせていただこう!」

「でしょう? 早速お茶の用意をさせるわね」

 母と娘は楽し気に言葉を交わす。いくら黒鎧に呪われていようが、その鎧の見た目が禍々しかろうが、エレジアにとってジールディアはたった一人の娘であり、愛する存在であるのは変わりない。

 母と娘は、その日一日のんびりと、そして楽しく過ごすのだった。




「で? 朝っぱらから一体何の用だ? ここ数十年全く姿を見せなかったアンタが、最近は妙に俺の前に現われるよな?」

 不機嫌そうにそう言う男を、白い魔術師──ライナスはじっと見つめる。

 年齢は四十ぐらいか。極めて上質な衣服でその身を包み、ちょっとした所作でさえ実に洗練されていた。

 鎧を着たジルガほどではないが、大柄な体格の男だ。

 その大きな体は、相当鍛え込まれているのが衣服の上からでもよくわかる。

 年齢的に最盛期とは言えないだろうが、それでも目の前の男が相当な剣の使い手であることをライナスは知っていた。

「俺としても、あまりおまえとは関わり合いたくはない。いや、関わらない方がいいことは理解している。だが…………そんなことも言っていられないのでな」

「べっつに関わらない方がいいってこたねえだろ? 母親が違うとはいえ俺とアンタは……」

「単刀直入に言おう」

 目の前の男の言葉を遮って、ライナスはその言葉を口にする。

「非公式でいい。何も言わずに『アレ』を貸して欲しい」

「はあ? アンタ正気か? 『アレ』を貸すってことが、どういうことか理解していないわけじゃねえよな?」

 男は怪訝そうな表情でライナスを見る。目の前の魔術師が自分の地位を欲しているのか、それとも別の狙いがあるのか。男はそれを見極めんと、目の前にいるを改めてじっと見つめた。

「もちろん理解している。最初に言っておくが、お前の地位を奪うつもりは俺にはない」

「だろうな。もう三十年ぐらい前になるか? 突然アンタが俺たちの前から姿を消さなければ、『アレ』の所有者はアンタになるはずだったんだ。そのアンタが、今更俺の地位になんぞ興味を示すとは思わんよ」

「確かにおまえの地位に……いや、地位というものには特に興味はなかった。だが、こちらも少々事情が変わったのでな」

「ほう?」

 男の視線が鋭くなる。それまでどこか飄々としていた男が、その地位に相応しい威厳と風格を一瞬でその身に纏う。

「無条件で『アレ』を貸せとは言わん。もしも『アレ』を貸してくれるのであれば、あの人が……父がおまえに預けていた『モノ』を、改めて俺が受け取ろう」

 ライナスがそう言った途端、男は目を見開いてその顔に喜色を浮かべる。

「ほう! ほうほうほう! ってことは何か? アンタが俺の配下になるってことか?」

「配下という言い方は…………まあ、あながち間違ってはいないか。正確には配下ではなくだがな」

 喜びに目を輝かせる男を、ライナスは苦笑しながら見つめる。

 おそらく、自分のはもうないと思っていい。今後は普通の人間と同様に年老いていくだろう。

 母親から引き継いだ種族的な特性で、普通の人間よりもやや寿命が長く外見的な変化も緩やかだが、今後はその特性も徐々に消えていくはずだ。

 加えるならば、最近嫌というほど痛感する体力のなさも、母親から譲り受けた種族的特性のせいだった。

 体力面が一般的な人間に劣る反面、魔力量や魔力操作、魔力運用といった魔法的な才能や技術には優れるのが彼の母方の種族特性なのだから。

「言い方なんざ、どうでもいい! アンタが今後俺に力を貸してくれるってんなら、喜んで『アレ』を貸すぜ! って、ホントに非公式でいいんだよな? さすがに公式に『アレ』を貸すってのは、非常時でもない限り周囲が納得しねぇからよ」

「ああ、非公式、極秘裏でいい。ただ、『アレ』を求めているのは俺じゃない」

「ほう? じゃあ、どこの誰が『アレ』を求めている?」

「『アレ』を求めているのは──」

 白い魔術師の脳裏に一人の女性の姿が浮かぶ。果たして、ここで彼女の名を告げてもいいものか。だが、ここで告げないのも不誠実というものだろう。特に極秘裏とはいえ「アレ」を借り受ける以上、こちらも誠意を見せるべきだ。

 ほんの一瞬だけ逡巡した後、ライナスは決意してその名を口にする。

「──ナイラル侯爵家が令嬢、ジールディア・ナイラルだ」

 ライナスが口にしたその名前を聞いて、男は僅かに目を見開いてからにんまりと実に楽しそうな顔をした。




 その日、ライナスが帰って来たのは日が沈んでからだった。

「あ、ライナスさん、お帰りなさい」

「今日は随分と遅かったんだね」

 ナイラル家の屋敷、その居間に足を踏み入れたライナスを、レディルとレアスが出迎えた。

 彼ら姉弟は今日一日、両親と一緒にいられたことで実に嬉しそうだ。

 まだまだ幼いと言ってもいいレディルとレアスには、両親と一緒に過ごす時間が必要なのだろう。

「ああ、二人ともただいま。ネルガディス殿、イリスアーク殿、ただいま戻りました」

 同じく居間に居合わせた、ジールディアの二人の兄たちに向けて、ライナスは小さく頭を下げる。

「何が『ただいま』だ。ここはおまえの家じゃねえっての」

「おい、イリス。面と向かってそういうことは……まあ、俺も同感ではあるがな」

 イリスアークとネルガディスが小声で何やら囁き合う。

 そんな彼らに少しばかり苦笑しながら、ライナスは目的の人物を探して居間の中を見回した。

「ジルガはここにいないのか?」

「ああ、ジルガさんならエレジアさんと一緒にいますよ。今日はお二人でずーっと楽しそうにお喋りしていたみたいです」

「ジルガさんに用があるなら、僕が呼んでこようか?」

「済まないが頼まれてくれるか?」

 ライナスにそう言われて、レアスはうん、と大きな声で返事をするとそのまま居間を飛び出して行った。

「わざわざ子供を使うなよ。そういうことには使用人を使え」

「全くだ。幼い子供に仕事をさせるな。我が家には優秀な使用人が数多くいるのだからな」

 小声でぶちぶちと何か言っている兄弟たち。

 ライナスにはしっかりと聞こえているが、彼はちらりとネルガディスたちを見ただけで何も言わない。

 彼にもネルガディスたちの気持ちはわからなくはないからだ。

 ネルガディスたちも、別にライナスを嫌いなのではない。彼ら兄弟は「妹と必要以上に親しくしている男」が気に入らないだけであり、ライナス以外の男性が妹と親しくしていても同じ態度を取るだろう。

 そうこうしていると、居間にジルガがやってきた。

 金属同士がぶつかるがちゃがちゃという重そうな音で、彼女が近づいてくるのがよくわかる。

「おお、ライナス! 帰ったのだな!」

 居間にジルガの嬉しそうな声が響く。

 愛する妹のそんな様子を見てネルガディスは不機嫌そうに眉を寄せ、イリスアークはあからさまに舌打ちをする。

 兄たちの様子に気づく素振りも見せず、ジルガは真っすぐにライナスへと歩み寄った。

「ジルガ。急で悪いが、明日の夜に少々時間をもらえるか?」

「明日の夜だと? 突然どうした?」

「話をつけてきた。明日の夜、『アレ』を……黒地剣エクストリームを極秘裏に、そして僅かな間だけだが借り受ける許可を得た」

 白い魔術師がそう言った途端、ネルガディスとイリスアークは目を見開いて驚き、ジルガでもさえもしばらく身動きひとつすることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る