在庫確認中の【黒騎士】

(あの時は、本当に死を覚悟したわね)

 それは、半年ほど前のこと。

 ジルガとの衝撃的な出会いを思い出し、ザフィーアははぁと息を吐き出した。




 【黒騎士】ジルガ。

 その名前は今の勇者組合に所属する者で、知らない者はいないと言ってもいいほどの有名人。

 曰く、

 で竜を狩るほどの実力者。

 その恐ろしい見かけや雰囲気からか親しくしている者は少ないが、確実に結果を出している。

 あいつと一時的にでも組んで仕事をした組合勇者で、命を落とした者は一人もいない。

 と、勇者組合内での評判はかなりいいらしい。

 だが、同時に正反対の噂も途絶えることはなく。

 あいつと目が合うと呪われる。

 近づくだけで寿命が縮む。

 影を踏まれると十日後に死ぬ。

 その姿を見ただけで失明する。

 などなど、どう考えても真実とは思えないような噂が数多く囁かれていた。

 だが、命をかけた依頼を請けることも多い組合勇者は、信心深かったりゲンを担いだりする者も少なくはない。よって、意外とこれらの噂を信じる組合勇者も数多く存在した。

 かくいうザフィーアもそんな一人で、どれだけ腕が立とうが一緒に組んで仕事をしたいとは思っていなかった。

 しかし。

 しかし、出会ってしまった。望んでいなくても、時に人は出会いを経験してしまうものなのだ。

 双頭岩蜥蜴という強敵に追い詰められ、もうここまでだと彼女とその仲間たちが覚悟を決めた時。

 噂の【黒騎士】がどこからともなく現れ、瞬く間に双頭岩蜥蜴を倒してしまった。

 双頭岩蜥蜴の返り血と臓物の欠片と肉片に塗れたその姿は、まさに悪鬼か悪魔か。

 その黒い兜の奥から見つめられた時、【蒼影】のメンバーたちは石化したかと思ったほど自分自身の体を動かすことができなかった。あまりの恐怖で。

 ──双頭岩蜥蜴の次は黒い悪魔か。これはもう、絶対に助からないな。

 と、【蒼影】の誰もが覚悟を決めた。

 だが、当の黒い悪魔から自分たちの安否を気遣うように声をかけられた時、彼らの意識は先ほどまでとは違った意味で真っ白になった。

「全員無事か? たまたま通りかかり、魔物に苦戦していると見て助太刀に入ったのだが……もしや、要らぬ世話だったか?」

 返り血と肉片に塗れながら、黒い悪魔はどこか戸惑った様子でそう質問してきたのだった。




 その後、目の前の人物が噂に名高い【黒騎士】だということはすぐに判明し、【蒼影】の仲間たちは再び震え上がるのだが、それはともかく。

 実際に出会った【黒騎士】は、噂よりも気さくで器の大きな人物だった。

 怪我をしていた【蒼影】のメンバーに、高価な治療薬を惜しみなく使ってくれただけではなく、

「なに、私は偶然通りかかっただけで、この魔物を狙っていたわけでもないからな。遠慮することなく素材の半分を持っていくがいい」

 と、倒した双頭岩蜥蜴の素材、その半分を譲ってくれたのだ。

 半分とはいえ、強敵であり高価でもある双頭岩蜥蜴の素材ともなれば、【蒼影】が半年近く活動するに余りある資金となるだろう。

 そして、獲物を半分ずつに分けた後、【黒騎士】は立ち去った。

 どんどん小さくなっていく黒い背中を、【蒼影】のメンバーは複雑な思いで見つめる。

「な、何か……随分といい人だったよな?」

「た、確かに噂に聞くほど恐ろしい人じゃなかったな」

「でもよ? 双頭岩蜥蜴をあっという間にばらばらにしたあの実力……絶対人間じゃねえだろ?」

「う、うん、あの見た目の禍々しさからして、鎧の中身は絶対に悪魔とかそっち方面の存在だと思うな」

「ま、まあ、いいんじゃね? あっちは組合でもかなりの上位者だ。今後、俺たちが一緒に仕事をすることもないだろうしな」

「だな」

 確かに、【黒騎士】は噂に聞くほど怖い人物ではなかった。だが、それでも彼──【蒼影】の仲間たちは誰一人として【黒騎士】が女性だとは思いもしていない──と自分たちが一緒に行動することは、もう二度とないと考えていた。

 だが。

 だが、半年ほど経ったとある日。【黒騎士】は突然、再び【蒼影】の前に現われたのだ。

「確か、君たちの中に『大森林』出身の妖精族がいたと記憶しているのだが」

 と、【黒騎士】ジルガがそう告げた時、仲間たちの視線は一斉にザフィーアへと向けられた。

 半年ほど前に【黒騎士】に助けられた際、「彼」とわずかながらも雑談をした時に確かにそんなことを話したな、とザフィーアは顔を青くしながら後悔したのだが、もう遅かった。

「申し訳ないが、ザフィーア殿に頼みがある!」

 がしっ、と彼女の両肩にその漆黒の篭手に包まれた両手を乗せ、間近でじっと見つめてくる【黒騎士】。

 そんな【黒騎士】に対し、ザフィーアが否と言えるはずもなく。

 一時的に【蒼影】の仲間たちと別れた彼女は、【黒騎士党】と共に故郷である「大森林」へと向かうことになったのだった。




 最初の衝撃的な出会いから、【黒騎士】が普通の人ではないと思っていたザフィーア。だが、彼女はどうやら「彼」を見誤っていたようだ。

 それも、かなり現実を下回る方向で。

 ザフィーアの目の前で、次元倉庫に繋がる扉から次々に運び出されてくる、禍々しい神器や遺産の数々。

 もちろん、中にはまっとうなシロモノもある。だが、その数はあまりにも少なかった。

 ザフィーアが案内した森の中の広場は、かなりの広さがあった。それこそ、中隊規模の軍が全員で模擬戦を行うことができるほどの面積があった。

 あったのだが。

 今や、その空き地は神器や遺産で埋め尽くされている。

「ライナス、倉庫内にはあとどれぐらい残っている?」

「まだ半分も運び出してはいないし、目的である通信系の神器や遺産も見つかっていないな」

「先ほど言っていた例の検索機能とやらで、通信系の道具を探せないのか?」

「それなら既に試みた……残念ながら、通信系は一つも存在しないようだな」

「では、どうして他の神器類を運び出したのだ?」

「次元倉庫の中身は一度確認しておいた方がいいと、以前話しただろう? ま、その結果がこれだが」

 と、ライナスは森の広場を埋め尽くす神器や遺産を見回して、はぁと大きな溜息を吐き出した。

 そんなライナスに、ジルガはあからさまに視線を泳がせる。

「……………まさか、自分の次元倉庫にこれほどまでに大量の品物が入っていたとは……」

「君が使っていたのは、自分が手に入れた品物を収めるだけだったからな」

 完全に呆れた様子の白い魔術師。その傍らで、鬼人族の姉弟も同じように呆れていた。

「今日はこれぐらいにしておくか」

「そうだな。定められた期限があるわけでもないし、また時間のある時に確認すればいい」

「…………それはいいけどさ」

 ジルガとライナスの会話をじっと聞いていたレアスが、首を傾げながら問う。

「この広げに広げた道具たち、また倉庫の中に運び込むの?」

「…………」

「…………俺も倉庫内にこれだけの数が収められているとは思ってもいなくてだな…………」

「ライナスさんでもそういうミスをするんだ」

 珍しそうにライナスを見つめるレディルに、当の白い魔術師は苦笑を浮かべる。

「俺だってだからな。時にはミスぐらいするさ」




 【黒騎士党】の面々がそんなやり取りをしているのを、ただ茫然と眺めていることしかできなかったザフィーア。

 それも仕方がないというものだろう。なんせ、今彼女の目の前に並ぶ神器や遺産は、下手をすれば「大森林」全体を……いや、この大陸全てを一瞬で荒野に変えてしまうだけの力を有するものばかりなのだから。

 目の前に並ぶ神器や遺産の中から小さめなものを、ひとつやふたつこっそりと自分の懐に入れてしまえば、巨万の富を得ることもできたかもしれない。

 だが、もしも不用意に触れた瞬間、神器や遺産に秘められた恐ろしい力が発動してしまったら。

 そう考えるだけで、彼女はこれらの神器や遺産に触れることさえできなかった。

 そもそも、そんなことをすれば【黒騎士】ジルガを敵に回すということで。

 目の前に広がる恐ろしい神器や遺産さえも、ごく普通に扱う【黒騎士】ジルガとその仲間たち。そんな彼らのことを、ザフィーアは改めて恐ろしいと思った。

「ジルガ様には絶対逆らわないでおこう。でも、少しでも早く『大森林』から出て行ってくれないかなぁ。そして、早く私を解放してくれないかなぁ…………」

 ジルガが【大森林】に滞在する間、ザフィーアは「彼」の世話役に任命されている。これは彼女が属する集落だけではなく、「大森林」に暮らす妖精族全体の意思だと、先ほど族長から聞かされた。

 それはつまり、もしもジルガが問題を起こせば、ザフィーアもまたその責任を負わされるというわけで。

 もっとも、仮に【黒騎士】が問題を起こせば、責任うんぬんを言い合う間もなく皆消滅する可能性が高いのだが。

「…………早く仲間たちのところへ……【蒼影】のみんなのところへ帰りたい…………」

 彼女のその呟きが、広げた神器らを再び次元倉庫へもくもくと運び込んでいる【黒騎士党】の面々には聞こえることはなかった。


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