第5章

次の目的地と【黒騎士】

「あっちゃあ…………」

 彼女は、目の前に広がる巨大な黒い大地を見下ろしながら顔をしかめた。

 今、彼女がいるのは空。魔術の力で大空に浮かび、眼下に広がる黒い大地を見下ろしていた。

「何となーく嫌な予感がして様子を見に来たけど…………まさかここまで『緩んで』いるとはねぇ。あの子が寿命を削り神々に嘆願して施した封印が、100年ともたないなんて誤算すぎだよ……」

 今、彼女が見下ろしている場所には、かつて湖があった。澄んだ水を湛えた広く美しい湖が。

 より正確に言えば、以前にここで彼女たちが繰り広げた激闘の末、大地が大きく抉れて湖になったのだが。

 それはともかく、かつてここに存在した湖の水は全て干上がり、跡地には黒々とした湖底が見えるばかり。

「今はまだ『黒い』からいいけど、これがアレと同じ色になったら……」

 その時こそが、かつて彼女たちがこの地に封印したモノが復活する。

 もしもアレが封印から解き放たれたら。

「今の私じゃ、前みたいにアレの生命力を吸い取ることなんてできないしね。以前、アレから生命力を吸い取ったせいで若返っちゃったから、この状態で同じことをしたら今の私の体なんてすぐにぱーんってなっちゃうよ。となると…………」

 自分以外の誰かに、アレと戦ってもらう必要があるだろう。

 かつて彼女たち三人が命をかけて戦い、辛うじて封印することに成功したアレ。アレと戦うことを押し付ける者たちにはどうにも心苦しいが、それも仕方ないというものか。

 このような事態を見据えていたからこそ、彼──【漆黒の勇者】は自分たちの後進を育てるための組織を作り出したのだ。

 しかしその組織、勇者養成相互支援組合に所属する者たちでも、彼女から見ればいまだ【漆黒の勇者】の領域に辿り着いている者は皆無だった。

「うーん……いんや、辛うじて一人いる、かな?」

 彼女の脳裏に浮かぶのは、漆黒の全身鎧を纏った少女。連綿と積み上げてきた武の名門に伝わる戦いの遺伝子とでもいうものを最も色濃く受け継ぎ、更には【獣王】の魂までも継承しているあの少女。

 あの少女に自分と自分の弟子が力を貸せば、あるいはアレと互角に戦えるかもしれない。

 それでも、アレを倒すことはできないだろう。なんせ、かつて【三英雄】と呼ばれた自分たちでさえ、封印することしかできなかったのだから。

「あいつってば、女の子を見れば口説いてすぐに寝台を共にしちゃうような奴だったけど、戦いに関してだけは人間離れしていたよねー」

 あの酷いナンパ癖はともかく、戦いに関してだけは人間の範疇を大きく逸脱していた【漆黒の勇者】。

 まあ、そのナンパ癖も彼女たち二人が一緒にいるようになってからは、随分と大人しくなったものだ。いや、彼女たちが大人しくさせたと言ってもいい。

 彼女たちがその身を以て、あの男の欲望の全てを受け止めてきたのだから。

「そのあいつでも倒せなかったんだから、彼女でも多分無理だろうなー。となると、あの子──ミラが使ったものとは別の封印方法を探す必要があるね、こりゃ」

 以前は【真紅の聖者】とまで呼ばれた聖職者、ミラベル・ペイズリックがいた。だが、今の時代に彼女ほど神々に愛され、恩恵を与えられた者はいない。

 となると、ミラベルが行使した神々に嘆願して封印を施す方法は使えないと考えるべきだろう。

「はぁ……神々への嘆願以外でアレを封印するなんてどうやって………………おっとぉ?」

 すぐに訪れるであろう未来のことを考えながら見下していた黒い大地の中央部より、何かが空へと昇ってくることに彼女は気づいた。

 その何かは瞬く間に彼女のいる上空まで来ると、皮膜状の翼を羽ばたかせつつ彼女の前で停止する。

「懐かしい気配を感じて来てみれば…………あなたでしたか」

「ありゃりゃ。あんた、まだ生きていたの? てっきり、アレとの戦いの時に余波を喰らっておっんでいたとばかり思っていたよ、【銀の巫女姫】サマ?」

 目の前に浮かぶ、ヒトの言葉を流暢に操る異形を前にして、彼女は納得したとばかりに何度も頷いた。

「なるほどー。アレの封印が思ったよりも早く綻んできたのは、あんたのせいってわけね?」

「いかにも。我らが創造主様を、いつまでも不快な封印の下に置いておくわけにはいきませんゆえに」

「そうじゃ! 姉上様の言う通りじゃ! 我らが創造主様を封印したにっくき者の唯一の生き残りめ! ここで出会った以上は生かして帰れぬと思うことじゃ!」

 目の前に浮かぶ異形は一体。だが、そこから聞こえる声は二種類。そのことに、彼女は特に顔色を変えることはない。

「所詮、毛のない猿など100年も生きられぬ短命な生き物。あなた以外の二人は既に寿命が尽きていることでしょう」

「かかか! 貴様一人で我と姉上様の相手をすると? 己惚れるも大概にせい!」

「我ら【銀の一族】の悲願……我らが創造主様のご復活の贄となる栄誉を、あなたに授けましょう」

「ほーん。そっちこそ、この私を見くびってんじゃないのー?」

 彼女は不敵に笑うと、傍らの空間を操作してそこから一振りの杖を呼び出す。

 その杖──黒聖杖こくせいじょうカノンを構えた彼女、【黄金の賢者】レメット・カミルティは全身に魔力をいきわたらせ、戦闘の準備を整えた。




 彼らがこの地に到達するまで、相当な苦労があった。

 まずは再び情報収集から。前回のことを踏まえ、人間だけではなく他種族からも情報を集めた。

 また、長い年月が過ぎ去っていることから、地形の変化などで目的地の名称が変わっている可能性も考慮し、様々な角度からの情報収集を行った。

 その結果、彼らの次の目的地である「ラカウ大湿原」は、現在では存在していないことが判明する。

 理由はやはり地形の変化。長い年月の末に大湿原とまで呼ばれた土地が荒野に変わっていたのだ。

 なお、情報収集の際に、とあるの女性魔術師が行使した魔術の影響で、大湿原が一瞬で完全に干上がって荒野と化したという不確定な情報もあったが、彼らは──特に白い魔術師は──それを気にしないことにした。

 それはともかく。

 情報収集の結果、ラカウ大湿原という名称は、隣国に住まう妖精族に伝承として残っていることが判明。

 妖精族の古い言葉──古代妖精族語で、「ラカウ」とは「輝く」という意味であり、以前は美しい水を豊富に湛えた大規模な湿原が広がっていたそうだ。

 余談だが、古代妖精族の言葉では、正式には「ラカウ」ではなく「ラァカゥ」と発音するらしい。

 古代妖精族がほぼほぼ存在しない現在において、その古代妖精族の言葉まではさすがの白い魔術師も知識が及ぶところではなかったようだ。

「師が『ラァカゥ』を『ラカウ』と読み間違えたことがそもそもの原因だろう。あの人は古代妖精族の血を色濃く受け継いでいるはずなのに、どうしてそこに気づかない? …………ああ、いや、きっと深く考えることもしなかったのだろうな…………ん? 師が古代妖精族語を俺に教えなかったのかって? 古代妖精族語は魔術師にとってそれほど重要な言語ではない。あの人がわざわざ必要のないことをすると思うか?」

 と、白い魔術師がぶつぶつと零していたりした。

 なお、例の五黒牙について書かれている資料は古代妖精語ではなく、当時の共通語であり現在では古神語と呼ばれる言語で書かれていた。

 こちらの言語はライナスも修得していたため、資料を読むことは彼にも可能であった。




「ふむ……あれが例の塔か」

 漆黒の全身鎧に身を包んだ戦士──【黒騎士】ジルガが前方に小さく見える塔を見つめる。

 かつてはラカウ大湿原……いや、ラァカゥ大湿原と呼ばれ、後に荒野と変じたこの土地も、今では更なる月日の流れの中で木々に飲み込まれ、「大森林」と呼ばれる広大な森林地帯の一部と化している。

 その「大森林」の木々の間から天へと向かって伸びる塔。その塔こそが彼ら【黒騎士党】の今回の目的地であった。

「は、はい、お、おっしゃる通りです、ジルガ様」

 その塔を見つめるジルガの呟きに、彼女の隣に立つすらりとした体形の妖精族の女性がおどおどとした様子で応える。

 彼女の名はザフィーア。この「大森林」出身の組合勇者であり、以前、ジルガに命を助けられたことがあるという妖精族である。

 ここ、「大森林」はガラルド王国に隣接する、いくつもの妖精族の里が点在する巨大な森林地帯だ。

 この「大森林」だけでもガラルド王国と同等の面積を誇り、事実上ここは妖精族が支配する彼らの「国」である。

 ザフィーアからラァカゥ大湿原……いや、今では「再生の大地」を意味する妖精族の言葉で、「ジョカ・ルク」と呼ばれるこの地へ【黒騎士党】がやって来たのは、もちろんここに封印されているはずのこくらいフェルナンドを探し出すためだ。

「いや、ザフィーア殿が道案内を引き受けてくれたおかげで、ここまで迷うことなく辿り着くことができた。改めて礼を言わせてもらおう」

「い、いえ、お、お礼など不要ですわ」

 と、わずかに震えながら答えるザフィーア。

 【黒騎士党】がこの地に来るまで、彼らを導いてきたのはザフィーアだ。

 この「大森林」出身の彼女が一緒でなければ、ここまですんなりと辿り着けなかったのは事実である。

 「大森林」に住まう妖精族たちは、排他的で有名だ。そんな場所に他種族で余所者であるジルガたちが突然訪れて、すんなりと森の中へ入れてもらえるわけがない。

 そこで、ジルガが頼ったのがザフィーアだった。以前彼女とその仲間の組合勇者を助けた時、ザフィーアが「大森林」の出身だと言っていたのを覚えていたのである。

 ある日突然、自分を訪ねてきた【黒騎士】。そしてザフィーアがその【黒騎士】からの頼みごとを引き受けた理由は──かつての恩を返すためと、ちょっぴりの恐怖心。

 その後、ザフィーアの尽力で何とか【黒騎士党】は、「大森林」に存在すると彼女の故郷の里には入れたものの、いつものように黒い全身鎧の人が恐れられたり、驚かれたり、泣かれたり、逃げられたりして人知れず落ち込んだ場面もあったものの、何とか妖精族の里で情報を改めて集め、ここまで来ることができた。

「ザフィーア殿の助力がなければ、ここまで来られなかったのは紛れもない事実だ」

「わ、私がジルガ様のお力になれたのであれば……う、嬉しい限りですわ」

 相変わらず、ザフィーアがジルガを見つめる視線には、恐怖が見え隠れしている。

「ねえ、あのザフィーアさんって、どうしてあそこまでジルガさんを怖がるんだろうね?」

「それは仕方ないんじゃないかなぁ? 僕たちだって最初はそうだったし」

「まあ……ねぇ。確かに無理ないかぁ……」

 前方に小さく見える塔を見つめるジルガとザフィーアの後ろで、鬼人族の姉弟が小声で会話する。

 そんな彼らのすぐ傍では、白い魔術師──ライナスが地面に座って目を閉じていた。

「どうだ、ライナス。何か見えたか?」

「…………あの塔以外には、周囲に人工物は存在していないな。その塔にも窓の類は一切なし。あるのは一階部分にある扉が一つきりだ」

「ふむ……つまり?」

「塔の中の様子は分からんということだ」

 今、ライナスは以前にも使用した使い魔──ストロー・バードの目を通して、問題の塔を偵察していた。

 だが、彼が言うように、外からでは中の様子は一切不明。周囲には他に目立つ物が一切ないので、彼らの目的である黒雷斧があの塔に封印されている可能性は高いだろう。

 現在、この地にいるのは本来の【黒騎士党】の四人のみ。

 レディルとレアスの両親であるストラムとハーデは、王都のナイラル侯爵家の屋敷で子供たちの帰りを待っている。

 前回の一件で、自分たちではジルガらの足手纏いにしかならないことを痛感したストラムとハーデ。

 彼らとて大恩あるジルガの手助けをしたいという思いは強いが、それ以上に足手纏いになるという事実を甘んじて受け入れていた。

 なんせ、既に彼らの子供たちの方が戦闘面では優れているのだ。確かにストラムたちだってジルガの手伝いはできるだろうが、ジルガの傍らにライナスもいる以上、やはり彼らの出番は少ないだろう。

 そんな思いから、ストラムとハーデは王都でジルガたちの帰りを待つことにした。

 本来であれば、彼らの家があるリノーム山に帰るところだが、ジルガの母であるエレジアに強く引き留められた──エレジアとハーデはいつの間にかすっかり仲良くなっていた──ため、王都に残ることにした次第である。

「外から分からんのなら、中に入るまでだ」

「まあ、君ならそう言うと思ったよ」

「私もレアスも準備ばっちりです!」

「うん、姉さんの言う通り!」

 特に気負う様子もなく、塔への突入を決定する【黒騎士党】。

「で、ででで、では、わ、私は里にてみなさんのご無事をお祈りしておりますわ……」

「うむ。ザフィーア殿の今回の尽力、心より感謝するばかりだ」

 ジルガが先頭に立って、遠目に見える塔へ向かって歩き出し、その背中を彼女の仲間たちが追う。

 そうして森の中へ【黒騎士党】が姿を消した時、ザフィーアははぁぁぁぁと深く安堵の息を吐き出すのだった。




 この時、【黒騎士党】の一行はまだ知らない。

 あの塔の中に、彼らが求める黒雷斧フェルナンドは既に存在しないことを。

 彼らがそれを知るのは、もう少し先のことである。








 ~~ 作者より ~~


 お盆休みのため、コメントの返信などは少し遅れます。


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