閑話─恋する王太子4

 ソレは、突然やってきた。

 まあ、ここ最近では、ソレが突然やってくるのはいつものことと言ってもいいのかもしれない。

 だが、今日のソレはいつにも増して勢いが凄かった……、いや、酷かった。

「サルマン師!」

 入室を許可するどころか、ドアをノックさえせずに部屋に飛び込んできたソレを見て、この屋敷の主にして筆頭宮廷魔術師のサルマン・ロッドは、はぁぁぁぁと深々とした溜め息を吐いた。

 おそらく、今と同じ勢いで屋敷の玄関も突破してきたに違いない。

 この家にも使用人や警備を担当する者はいる。だが、家の主人であるサルマンがいつも親しく付き合い、更にはこの国の王太子が相手となれば、そうそう無理に止めることもできなかったのだろう。

 家人たちの苦労を思い、今度特別手当でも支給しようと心に決めるサルマン。

「ジェイル……いくら君が今でも私を師と仰いでくれようと、加えていくら君が王太子であろうとも、守るべきマナーというものがあると思うのだがね?」

「それどころじゃないんですよ、サルマン師!」

 全く聞く耳を持たない様子の元教え子に対し、サルマンは再び溜め息を吐く。

 そして、「それでどうした?」と目で先を促せば、ソレ──ガラルド王国王太子ジェイルトール・シン・ガラルドは、とても大切そうに懐からある物を取り出してサルマンに見せた。

「遂に……遂にジールディア嬢からの返事が来たんですっ!!」

 てれってってててーという謎のファンファーレが聞こえそうな勢いで、ジェイルトーンがそう告げた。



「ジールからの返事だと?」

 喜色満面といった様子のジェイルトーンに対し、サルマンの表情は渋い。

 ジールディア──ナイラル侯爵家の令嬢であるジールディア・ナイラルの現状を知る彼にしてみれば、ジェイルトーンの元に彼女からの返事が来るとは思えない。

 だがしかし、封筒に記された筆跡は、間違いなくジールディアのものだ。幼い頃からの彼女とも付き合いのあるサルマンは、ジールディアの筆跡もよく知っている。

 実際、実家であるナイラル侯爵家のタウンハウスに戻ったジルガ……いや、ジールディアが、自室の机の上に山と積まれていたジェイルトーンからの手紙を見つけ、さすがに王太子からの手紙を放置してはおけないと、慌てて返事を一通のみ書いたのだ。

 その際、一度しか会ったことのないジェイルトーンから、どうしてこれほどの量の手紙が届いているのか理解できず、しきりに首を傾げていたのは彼女だけの秘密。

「どうやら、本人からの手紙に間違いないようだが……」

「当然です! これはジールディア嬢からの手紙に間違いありませんとも!」

 想い人たるジールディアからの手紙が心底嬉しかったらしいジェイルトーンは、始終笑顔である。

「それで、手紙には何と?」

「はい、いまだ彼女の病状は思わしくはないようです。ですが、治療を行う上で心強い仲間にも恵まれたそうで、今後も希望を捨てることなく仲間と共に病と闘っていくとのことでした」

 ジェイルトーンの言葉を聞きながら、サルマンは「ふむ」と零しながら考え込む。

 おそらく、呪いはいまだに祓えていないのだろう。だが、呪いを祓うことを決して諦めず、これからも呪いを祓う方法を探し続けていく、そんな意図が手紙から感じられる。

「ところで、手紙にあった仲間とは?」

「さて……私にも詳しいことは分かりません。彼女の言う仲間について、具体的なことは手紙にも書かれておりませんでした。ですが、ナイラル侯爵が娘のために高名な医師や薬師を手配し、ジールディア嬢は彼らと一緒に闘病していく、ということだと思います」

「…………おそらく、そんなところだろうな」

 口では同意を示しながらも、サルマンは全く違うだろうと考えていた。

 今、ジールディアは勇者組合に所属し、そこでかなり知名度が上がっているらしい。

 【黒騎士】ジルガについては、サルマンも調べている。その調査結果によると、【黒騎士】ジルガは今の勇者組合で最も勢いのある勇者の一人とのこと。

 更には、最近【黒騎士党】なる一党を組んだとか。おそらく、手紙に記されていた仲間とは、その【黒騎士党】のメンバーのことだろう。

「これは、是非とも彼女を元気づけるような贈り物をしなければ! まずは芳香を放つと名高いクッサバーナンの花束を二十ほど手配しよう! それに、クッサバーナンは薬草としても名高いらしいし、闘病する彼女に丁度いいと思いませんか?」

 にこにこと笑みを絶やすことなく、ジェイルトーンがあれこれと贈り物の計画を立てていく。

 それらを傍らで聞いているサルマンの顔がどんどん引き攣っていくのだが、贈り物計画に夢中のジェイルトーンはそれに気づかない。

 なお、先ほどのクッサバーナンとは悪臭を放つことで有名な花で、「うん、まあ、クッサバーナンの臭いよりはマシじゃね?」とよくない方向の喩えで用いられる。

 また、クッサバーナンは確かに薬草でもあるが、その用途は水虫の治療である。

 ぶっちゃけ、クッサバーナンの花束を女性に贈れば、いや、女性じゃなくても受け取った側は何の嫌味かと勘繰ること間違いない。

 ジェイルトーンは次代の国王として、申し分ない人物だとサルマンは思う。

 慈悲深く、剣の腕も立ち、王として必要な最低限の知識もある。

 さすがに経験だけはまだまだ浅いと言わざるを得ないが、それも王として正式に即位すれば徐々に積み上がっていくだろう。

 なのに。

 なのに、どうして贈り物に対するセンスだけ壊滅的なのだろうか。

 以前も同じように感じたサルマンだが、今日もどこか遠い目をしながらそう思う。

「そもそも、クッサバーナンを意中の女性に贈ろうとするか? しないだろ?」

「サルマン師? 何かおっしゃいましたか?」

「いや、何でも……ああ、待て待て。君がジールに贈り物をするというのであれば、私も少しは助言できよう」

「師が女性への贈り物の助言……ですか?」

 不思議そうな顔でサルマンを見つめるジェイルトーン。

 確かに、サルマンは女性に対して経験豊富というわけではない。今は結婚してはいるが、それも貴族によくある政略結婚。

 もちろん、今の妻に不満はないし、家族として、女性として愛してもいる。

 だが、他人の恋愛にアドバイスできるほどの経験はないと言っていい。

 そのことを知っているジェイルトーンなので、不思議そうに彼の顔を見つめているわけだ。

「確かに、私も女性に関することは疎い。だが、ジールに関しては、彼女が幼い頃からよく知っているからな。彼女の好みなども心得ているさ」

「ああ! なるほど! さすがはサルマン師です!」

 心から尊敬しています! といった熱い視線をサルマンへと注ぐジェイルトーン。

「例えば……そうだな、ジールは花なら白い花を好む。彼女に花を贈るのであれば、白い花をメインに選ぶのがいいだろう」

「おお! 確かに清楚で可憐なジールディア嬢には、白い花がよく似合いそうだ! うーむ、白い花と言えば…………やはりタマゴシロシロタケか、カスミヨレヨレバナでしょうか?」

「…………どれをどうしたらその二択になるのだ……?」

 タマゴシロシロタケもカスミヨレヨレバナも、どちらも有名な毒草だ。加えて、名前から分かるようにタマゴシロシロタケはキノコであり花でさえない。

「女性に贈る白い花なら、ユキシタホノカかスズノネコユリあたりがベターではないのか? 私でもそれぐらいは分かるぞ?」

 サルマンの言うユキシタホノカとスズノネコユリは、どちらも白くて小さな花を一杯咲かせることで有名な花だ。

 花束を作る際、この二つのうちのどちらか、もしくは両方を必ずアレンジに加えるぐらいなのだから。

「タマゴシロシロタケか、カスミヨレヨレバナか……どっちにするか悩むな。ん? 別に悩まずとも、両方を使ったアレンジを作らせればいいのでは? おお、そうだ! そうしよう!」

「そうしよう、ではないわ、このバカ者が!」

「え? え? え? さ、サルマン師?」

 これ以上ない名案だ、と自画自賛していたところへ、突然怒鳴られたジェイルトーンは、目を白黒させながら敬愛する元師を見る。

「ああ、いや、すまん。少々考え事をしていたのだ。まあ、そう慌てて結論を出す必要もあるまい。白い花と言っても何百もの種類がある。その中でも女性が好むものはと言えば……そうだな、ここは女性に直接聞いてみるのはどうだろう?」

「女性に直接……?」

「私の妻に聞いてみるのだ。妻とジールとでは好みも違えば年も離れているが、同じ女性であれば我々男とは別口の意見をもらえるやもしれんぞ」

「た、確かにその通りです! さすがはサルマン師! 是非、奥様の意見を参考にさせてください!」



 よし、誘導成功!

 と、心の中で拳を握りしめるサルマン。

 元とはいえ、教え子があまりにも常軌を逸した行動を取るのを黙って見ているわけにはいかない。

 しかも、その元教え子がおかしな贈り物を届けようとしているのは、サルマンとは腐れ縁のあの男の娘なのだ。

 もしもジェイルトーンの変なセンスで選んだ贈り物を、あの男が知ろうものならば。

「おまえ、自分の教え子に何教えてんの? もしかして、贈り物のあの変なセンスはおまえ譲り? だとしたら感覚がいろいろと腐ってね? ぷぷぷ」

 とか煽ってくるかもしれない。

 お互いに結婚し、子供も生まれて落ち着いた今では、さすがにそんな子供じみたことはしてこないとは思う。だが、幼い頃や若かった頃ならば、あの男は絶対にそういう態度を取ってきたに違いないのだ。

 もちろん、もう一人の長馴染みにして悪友である、現国王も同じであろう。

「それだけは……それだけは何としても回避せねば……」

「サルマン師? 何かおっしゃいましたか?」

「いや、何でもない。それよりも早速妻に相談してみよう」

「はい! よろしくお願いします!」

 サルマンジェイルトーンと共に、それまでいた執務室を出る。そして、妻に応接室まで来るようにとの伝言を使用人に頼みながら、とあることを考えていた。

──ジールの現状を、一度はっきりと確認してみる必要がありそうだ。それにはまず、彼女の実家であるナイラル侯爵邸に行って、直接あいつから……トライゾンから話を聞いてみねば。

 同時に、隣を歩くちょっとだけセンスのズレた元教え子には、これからも注意を払う必要があるな、とも考えながら。



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