閑話─ナイラル家の末っ子3
「えっ!? ジール姉上が帰って来ていたんですかっ!?」
とある日のこと。
勇者養成相互支援組合──通称「勇者組合」──に所属する組合勇者にして、ナイラル侯爵家の三男でもあるアインザム・ナイラルが、久し振りに実家に帰って来た時のこと。
「ああ、ジールの奴、突然帰って来て、しばらくこの家にいたぜ?」
「まあ……相変わらず呪いは祓えていなかったけどな」
双子の兄たち、ネルガティス・ナイラルとイリスアーク・ナイラルが、先日数年ぶりに帰宅した妹のことを、これまたしばらく顔を見ていなかった末っ子に教えた。
「そ、そうですか……そ、それでジール姉上は今どこに?」
大好きな姉が帰って来た。その事実にもしや彼女を縛る呪いが祓えたのか、と一瞬期待したアインザムだったが、続く兄の言葉を聞いて明らかに落胆の表情を見せる。
だが、それでも姉がこの家に帰って来たことは喜ばしい。
アインザムは気持ちを切り替えて、姉がどこにいるのかを二人の兄に問う。
「あー、それなんだけどな……」
「ジールの奴、数日前にまた出かけちまったんだよ。何でも……ナントカって遺跡を探しにいくってんで、あいつが連れてきた仲間たちと一緒にな」
「そ、そんな…………」
先ほど以上に、落胆の表情を見せるアインザム。
数年ぶりに姉に会える。そう期待したのに、それが打ち砕かれてしまったのだから、彼が落胆するのも当然だろう。
たとえ呪いがいまだ祓えず、あの不気味な黒い鎧を着たままだったとしても姉は姉だ。久し振りに姉と直接話がしたかった。
だけど、それも叶わず。僕はなんて運が悪いんだ……と、自分の間の悪さを嘆いたところで、ふとアインザムは兄たちの会話に聞き捨てならない言葉が含まれていたことに気づく。
「え、えっと……兄上たちは今、姉上の仲間といいましたか?」
「おう、そう言ったぜ」
「確か、【黒騎士党】だっけか? 最近、勇者組合でも相当名前が売れているらしいじゃねえか。おまえも組合勇者なんだから、聞いたことぐらいあるんじゃね?」
【黒騎士党】。確かにアインザムはその名前を聞いたことがある。
現勇者組合最強とも言われる【黒騎士】ジルガを筆頭とした、数人の勇者たち。
その中には組合の規定年齢に満たないものの、アインザムと同じく特例で組合に認められた者たちが含まれているという。
つまり、自分と同じぐらいの年齢の者が、姉と一緒に行動しているということだ。
その事実に、なぜか無性に腹立たしくなるアインザム。
「そ、その姉上の仲間というのは、どんなヤツでしたっ!?」
「お、おお? そ、そうだな……レディルとレアスは素直でいい子たちだったな」
「ああ、兄貴の言う通りだ。あの子たちはホントに素直だったよな。俺たちの指導を真面目に聞き入れていたし、腕もあの年齢にしては十分すぎるだろ?」
「うむ、確かレディルはアインと同い年だったか? レアスも年齢ゆえにまだまだ未熟だが、見どころはある。二人とも実にいい子たちだった。問題は……」
「そう、問題はあのヤローだ!」
憎々しい表情を浮かべるネルガディスとイリスアーク。彼らの脳裏に浮かび上がるのは、一人の白い魔術師。
ふてぶてしくも、常に自分たちの妹と一緒に行動し、更には何とも親しそうにしていた魔術師を思い出して、ネルガディスとイリスアークはふつふつとした怒りを覚える。
いくら三英雄が一人である【黄金の賢者】の弟子とはいえ、あの魔術師がジールディアに接する態度はまるで恋人のようだった。
ジールディアも満更ではなさそうだったことで、更にあの魔術師には腹が立つ。
もう一つ不満を加えるならば、彼らの父親であるトライゾンが、なぜかあの魔術師に丁寧な態度で接するのだ。
あのいけ好かない魔術師が、まるで侯爵である父よりも高い身分であるかのように。
「あいつだけは許せん」
「ああ……あいつだけは許しちゃだめだな」
何やら暗い炎を燃やす兄たちを見て、アインザムは思わず数歩後ずさった。
「え、えっと……そ、その……姉上の仲間のレディルって人は、僕と同い年なんですか?」
得体の知れぬ迫力を見せる兄たちに、アインザムは少々怯えながらも訊ねた。
「あ? あ、ああ、確かそう言っていたぜ? なあ、兄貴?」
「レディルが13歳、弟のレアスが10歳だったはずだ」
「僕と同い年……」
自分と同い年でありながら、自分ではない者が姉の傍にいる。
アインザムにとっては、兄たちが嫌う白い魔術師よりもそちらの方が心にひっかかった。
確かに、兄たちが言うように姉と必要以上に親し気だったという魔術師のことは気になる。だが、それ以上に自分と同じ年齢の者が姉と一緒に行動しているという点が、彼には大きな問題だった。
もしかすると、「弟」というポジションを見知らぬその者に奪われる、という気持ちがアインザムの中にあるのかもしれない。
なお、アインザムはこの時点でレディルが女の子であることに気づいていない。人間からすると、鬼人族の名前は男女の判別がしづらいし、彼が完全にレディルのことを男の子だと思い込んでいる、ということもある。
自分は姉と一緒に行動できないのに、自分と同い年の者が姉の傍にいて彼女の力になっている。
それは簡単にいえば嫉妬と羨望。アインザムが組合勇者になった理由は、いつか姉と一緒に活躍して彼女の力となり、姉を縛るあの忌々しい呪いを祓うためだ。
だが、そのポジションにはもう他の誰かがいる。しかも、自分と同じ年齢の者が。
「くそ……っ!! もしかして僕は、回り道をし過ぎたのか……っ!?」
ばん、と両手をテーブルについて、悔しそうに言うアインザム。
【雷撃団】に所属せずに直接姉の下へ駆けつけ、姉と一緒に行動すればよかったのではないだろうか。
今、アインザムが組合勇者として活躍できているのは、【雷撃団】のサイカスとジェレイラが彼を特例として推薦してくれたからだ。
姉の下へ直接行った場合、推薦を受けられず勇者組合に所属することはできなかったかもしれない。
だが、それがどうしたというのだ。
何も組合勇者にならずとも、姉の力になることはできたはずだ。
「いや、アインが【雷撃団】に所属したのは間違いではないだろう」
「だな。俺も兄貴と同じ思いだな」
ネルガディスの言葉に、イリスアークも賛意を示す。
どういうことですか、という弟の問いに、二人の兄は優しく微笑みながら答える。
「アインがジールと一緒にいたら、絶対ジールに甘えるだろう?」
「だよな。おまえって結構甘えたがりだからな。それに、ジールもおまえには相当甘いしな。おそらく、一緒にいたらいい結果にはならなかっただろうぜ」
「確かにアインには才能がある。今はともかく、あと数年もすれば俺たちを追い抜く実力を身に付けるだろう」
「だが、それも今後しっかりと鍛錬を積み上げた場合の話だ。変なところで甘えや怠けを覚えてしまえば……後はただ転がり落ちていくだけさ」
兄たちにそう言われて、アインザムは思わず言葉に詰まる。
確かに、自分は甘えたがりだ。姉だけではなく、二人の兄や両親にもついつい甘えてしまう傾向が強い。
そして、家族たちは総じて、末っ子であるアインザムには優しかったりする。
確かに、実家にいても父や兄たちは厳しく武の指導をしてくれる。だが、そこに家族であるという甘えが一切ないと言えば嘘になるだろう。
そして、【雷撃団】に加入してから体験した紛れもない実戦が、アインザムの実力を一気に押し上げた。
家族を相手に鍛錬しただけでは絶対に得られない、命をかけた戦いの経験。そこに甘えは一切なく、まさに真剣勝負の繰り返し。
「自分でも分かっているのではないか? おまえは【雷撃団】に加入してから、どれだけ強くなったのかを」
「家族から離れてみて、初めてわかるってこともあるものさ。まあ、それはおまえに限ったことじゃなく、オレたちやジールにも言えることなんだけどな」
変わらず優しげな笑みを浮かべながら、二人の兄は最愛の弟の成長を喜ぶ。
「だから、おまえはもう少し【雷撃団】にいるといい。今よりももっと強くなれるだろう」
「オレたちだって、そう易々とはおまえに追い抜かれたりはしないぜ? オレたちにだって兄としての矜持ってものがあるからな」
二人の兄は、弟に向けて拳を突き出した。
その拳に、弟はごつりと自分の拳を打ち当てる。
「わかりました! 僕は僕なりの方法で強くなってみせます! そして、いつか姉上の役に立てるようになります!」
と、ナイラル侯爵家の末っ子は、さっぱりとした表情で兄たちに告げた。
「ところで、今日はどうしたんだ?」
「突然家に帰って来たけど、何かあったのか?」
前触れもなく、突然実家に帰って来たアインザム。
もちろんここはアインザムの家なので、いつ帰って来ても問題はないし、家族も大歓迎だ。だが、それにしても本日の帰宅は突然すぎる。
「あ、ああ、そうだった! 姉上のことを聞いて、すっかり頭の中から飛んでいました!」
アインザムは慌てて、それまでいたリビングから駆け出していく。
本日、兄たちは非番で家にいたが、父であるトライゾンは城に詰めている。
母も家にいるので、兄たちに帰宅の挨拶をしたら次に母に会いにいく予定だった。
だが、兄たちに帰宅を告げた時、姉であるジールディアがしばらく家にいたことを知り、全ての予定がアインザムの頭から飛んでしまったのである。
そして、二人の兄がリビングで待つことしばし。
戻ってきたアインザムは、一人の少女を連れてきた。
「お、おい、アイン……? ま、まさか……」
「おいおいおい、いくらなんでもちょーっと早すぎじゃねえかぁ?」
ネルガディスは驚愕に目を丸くし、イリスアークはおもしろそうににまにまとした笑みを浮かべる。
「こちら、僕と同じ【雷撃団】に所属するアルトルさんです。貴族の家というものを一度見てみたいとのことなので、今日は我が家にお招きしました」
「え、えっと、そ、その……あ、アタイ……い、いえ、私はあ、アインく……じゃない、アインザム様と一緒に組合勇者をやっている、アルトルと言います……きょ、今日はアインザム様に誘われて……じゃなくて、お誘いいただきましましてお邪魔様させていただきまする?」
「言葉遣いが変になっちゃってますけど、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ、アルトルさん」
がちがちに緊張している様子のアルトルに、アインザムは苦笑する。
だが、それも無理はないだろう。
庶民でしかないアルトルにとって、貴族の屋敷など別世界にも等しい。確かにお貴族様のお屋敷がどんな所か興味はあったし、一度でいいから屋敷の中を見てみたいとも思っていた。
なので、【雷撃団】が王都に戻ってきた日に「一度アインくんのお家に行ってみたいなー?」と冗談でアインザムにそう言ったところ、アインザムはそれを真に受けてしまったのだ。
「ま、まさか、言ったその日にお屋敷に招かれるなんて、普通は思わないでしょ……しかも、冗談で言ったのに……アタイ、ドレスとかじゃなくて普段着なのに……本当に大丈夫……?」
既に、緊張を通り越して涙が出て気分も悪くなってきたアルトル。
果たして、今回の突発的な「お貴族様のお屋敷訪問」が彼女のこれからの人生にどう影響を及ぼすのか、それとも及ぼすこともないのか。
それは、もう少し未来にならないとわからないことだった。
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