恐れられ泣かれる【黒騎士】

「ジ……ジルガさんっ!!」

 ガルガリバンボンの首筋を切り裂いた直後、レディルは視界の端でそれを見た。

 ジルガの黒い巨体が宙へと放り投げられ、そこへ無数の刺突が叩き込まれるその瞬間を。

 まるで削岩機──ジルガが所有する遺産の一種で、小人ドワーフ族が岩を砕くために使う道具だとレディルは以前見せてもらったことがある──が放つような破壊音が、ジルガの体から地下の世界に響き渡る。

 下からの強烈な突き上げをくらい、ジルガの体はいまだ宙に縫い留められたまま。

 そして、しばらく続いていた破壊音が、一際大きく炸裂する。

 同時に、今まで以上に上へと突き上げられ、ジルガの体が天井の岩盤へと激突する。

 下からの強烈な突き上げと、天井に激突した衝撃。

 更には天井から落下して地面に叩きつけられてしまう。

 ここが地底の空間であるとはいえ、天井までは相当な高さがある。そこから地面へと落下した際の衝撃の大きさは、考えるまでもないだろう。

「ジルガさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」

 どがしゃん、という派手な金属音と共に落下した彼女を見て、思わずレディルが叫ぶ。

 普通であれば、間違いなく死んでいるだろう光景だ。

 どんなに堅牢な鎧であろうとも、衝撃までは防ぐことはできない。

 全身を鎧で固めた相手に対し、剣や槍よりも戦棍メイス戦槌ハンマーが使われるのはそれが理由である。

 骨槍による刺突自体は鎧で防ぐことはできた。だが、無数の突き上げの際に生じた衝撃と、天井に激突した際の衝撃、最後に地面に落下した衝撃。

 それらの強烈な衝撃の三連撃は、どんなに強固な鎧を着た者でも十分死へと誘う威力を有していた。

 だが。

 しかし。

 ジルガが纏う黒魔鎧ウィンダムは、到底普通とは呼べない。

 現に激しく地面へと叩き付けられたジルガは、何事もなかったかのように軽々と立ち上がったのだから。

「…………あのような攻撃の仕方があったとは……これはいい勉強になったぞ」

 くきくきと首を左右に傾げ、こともなげにそう言い放つ。

 対して、銀の大カエルはその巨大な眼を殊更大きく見開いた。

「げ……げこぉ……げ、げこここげこげこげろげろげぇ……(訳:ば……バカな……あ、あれだけの衝撃を受けて無事でいられるはずがねぇ……)」

「よし、早速真似してみるか!」

 と、ジルガが疾風の如き速度で、いまだ茫然としている銀のガルガリバンボンの懐へと飛び込んだ。

 そして、大きく足を開いて腰を落とし、両手で肩の高さで保持したハルバードを全力で下から掬い上げるように振るい、柄の部分で銀カエルの腹を殴打してそのまま宙へと打ち上げる。

 鎧を着たジルガよりも尚体重があるだろう銀のガルガリバンボンの、その巨体が見事に宙へと舞う。

「確か、こうだったな?」

 先ほどの銀のガルガリバンボンがしたように、ジルガは逆流星の如き刺突を無数に放った。

 彼女自身が食らった時と同じく、刺突によって銀カエルの巨体が宙へと縫い留められる。

 ただ、先ほどとは違う点もある。先ほどはウィンダムの驚異的な防御力により、銀カエルが放つ刺突は全て防ぎ止められた。しかし、ジルガが繰り出す突きは、逆に全て銀カエルの皮膚を突き破って体へと突き刺さる。

 銀のガルガリバンボンの皮下脂肪はかなり分厚いらしく、ジルガの刺突は致命傷には至らない。

 だが、突き刺さったハルバードの穂先を引き抜く、という行為が必要な分だけ、銀カエルを宙に縫い留めておくことはジルガの技量をもってしても難しかった。

 結果、数発の刺突を叩き込んだ時点で、銀のガルガリバンボンの巨体が地面へと落下してしまう。

「むぅ……私の時と同じように天井に叩きつけるつもりだったが、なかなか上手くはいかぬものだな」

 地面に落下し、ぴくぴくと痙攣している銀のガルガリバンボンを見下ろしながら、ジルガがちょっと不満そうに呟いた。



 その光景を見ていたのは、レディルだけではなかった。

 姉の後方から援護していたレアスも、「白鹿の氏族」の者たちを守るような場所に陣取っていたストラムとハーデも。

 怪我人の治療を施しながら、不安そうにの戦いを見つめていたエルカトと「白鹿の氏族」の鬼人族たちも。

 そして、自分たちの親分格である銀のガルガリバンボンが敗れたことが信じられないのか、他のガルガリバンボンたちまでもがその光景を見て動きを止めてしまっていた。

 唯一、例外なのは某白い魔術師。彼だけは呆れたように苦笑しながらひょいと肩を竦めてみせた。

 おそらく、彼はこの結果を予測していたのだろう。

 黒魔鎧ウィンダムの常識外の防御力を信じてか、それともジルガ自身の戦闘センスと強さを信じてかは不明だが、ライナスは彼女が負けるとは思ってもいなかったようだ。

「げ、げこげぇぁっ!! げげげげこげこげろげろげこげげぇっ!!(訳:く……クソがぁっ!! 毛なしザルの分際でよくもやってくれやがったなぁっ!!)」

 ふらつきつつ、骨槍を杖代わりにして銀のガルガリバンボンが立ち上がる。

 その巨体のあちこちにはジルガの刺突による穴が開き、そこからどす黒い血が流れ落ちていく。いくら巨体と怪力を誇るガルガリバンボンであっても、生物である以上は一定量の血液を失えば生きてはいられない。

 ジルガが彼に与えた傷は、致命傷には至らぬものの遠からず怪物の命の炎を吹き消すに十分だった。

「げここここ! げろげろげげげげげころろろげっ!!(訳:なめんなよ! このクソザルがぁっ!!)」

 銀カエルが全身に力を漲らせる。その巨体が更に一回りほど大きくなるが、すぐに元の大きさに戻った。

 だが、先ほどまであった怪我が、全て消え失せていた。どうやら、今のは銀のガルガリバンボン流の回復術だったらしい。

「ほう、自らを回復させたか。だが、無限の回復などありえまい。果たして、どこまでその回復力が及ぶかな?」

 銀のガルガリバンボンの自己回復を目の当たりにしても、ジルガは特に動じることもない。

 彼女がこれまでに相対してきた敵たちの中には、これと同等かそれ以上の回復能力を持っていた魔物や魔獣がいたのだ。

 そのような敵たちも、無限の回復能力は持ち得なかった。回復した端から更なるダメージを与えて、結果的にはそれらの敵たちを打ち破ってきたのだ。

 何ともジルガらしい正攻法による真正面からの正面突破だが、その事実を知る者は幸いというか何というかこの場にはいない。

「私が飽きるのが先か、それともおまえの回復力が尽きるのが先か…………試してみようではないか」

「その台詞だけを聞くと、どっちにしろガルガリバンボンに勝ちはないように聞こえるぞ。まあ、実際に勝ちは揺るがないだろうが」

 遠く離れた場所で呟かれた某白い魔術師の言葉。その言葉は誰の耳にも届かなかった。



 そこに、悪鬼がいた。

 全身を覆う漆黒の鎧。その至る所に臓物らしき肉片がへばりつき、あちこちからどす黒い返り血を滴らせ、手にしたハルバードも同様に血と臓物で汚れている。

 そんな見るからに恐ろしい怪物が、地に倒れ伏して息絶えた銀の大カエルの横に立っている。

「げ、げここここここげろ……(訳:こ、このバケモノめぇ……)」

 という最期の言葉を残して、銀のガルガリバンボンは冥府へと墜ちていった。

「なかなか強かったな!」

 どん、とハルバードの石突を地面に打ち付け、黒い悪鬼は兜の奥からその視線を周囲へと飛ばした。

 今、戦闘をしている者は誰もいない。話している者も誰もいない。動いている者さえ誰もいない。

 レディルとレアスも。ストラムとハーデも。エルカトと他の鬼人族たちも。

 そして、いまだ生き残っている数体のガルガリバンボンと、その配下の大カエルたちも。

 黒い悪鬼が見せた圧倒的な強さに、ここにいる誰もが動きを止めて無言でその黒い姿を凝視していた。

 地面に横たわる銀のガルガリバンボンの骸もまた、その悪鬼が放つ鬼気に凄みを加えている。

 全身の至る所を穿たれ、斬り裂かれ、片目を潰され、片腕を斬り飛ばされ、両脚を失ったその姿は、まさに凄惨の一言。

 更には周囲に広がるどす黒い血の海と、そこに浮き沈みする臓物の欠片や筋肉の破片が、まるで邪教の宗教画のように悪鬼の姿に邪悪なる華を添えていた。

「え、えっと……さ、さすがはジルガさん…………かな?」

「う、うん、ま、まあ………………………………ジルガさんだしね……」

 これまでの付き合いでそれなりにジルガを知るレディルとレアスが、何とかそう言った。二人とも顔が盛大に引きつっていたが。

「………………………………」

「………………………………」

 ストラムとハーデは言葉もなかった。確かに二人もジルガの強さを知ってはいたが、ここまで圧倒的だとは思ってもいなかったのだろう。

 そして、「白鹿の氏族」の鬼人族たち。

 彼らは明らかに恐れていた。目の前にいる漆黒の全身鎧が、冥府から現れた悪鬼か悪魔であると半ば信じてしまっていた。

 子供たちはその姿を見て泣き出し、大人でも恐怖のあまり気絶したり腰を抜かしたり失禁したりする者が続出したほどである。

 族長であるエルカトも、大きく目を見開いて黒い悪鬼を見つめている。知らずがたがたと体を震わせながら。

「ば…………バケモノ…………」

 そう呟いたのは、エルカトか他の者か。

 そして、再びがしゃんというハルバードの石突を打ち付ける音が響く。

 それを契機にして、周囲に残っていたガルガリバンボンと大カエルが再起動を果たす。

 正気に戻った彼らは、生存本能の命じるままに動き出した。すなわち、逃走である。

 ガルガリバンボンたちを率いていた銀のガルガリバンボンは、既に息絶えている。

 である以上、彼らがここに残る理由はないのだろう。

 銀のガルガリバンボンの支配が及ばない以上、彼らは生き残るために本能の命じるままに動いたようだ。

 げこげこと騒がしく鳴きながら、地上──そこもまだ地下ではあるが──へと続く階段を目指すガルガリバンボン。

 その途中、「白鹿の氏族」たちが集まっている場所のすぐ近くを通ったが、カエルたちは彼らに目もくれずに鳴きわめきながら逃走していった。

「いいのですか? やつらをあのまま見逃しても?」

 追撃を行う素振りも見せないライナスに、ストラムが尋ねた。

「構わんよ。連中の小さな脳には、抗うことができないほど大きな恐怖が刻み込まれたことだろう。やつらは二度と、『白鹿の氏族』の集落には近づくまい」

 知能がほとんどないと思われるガルガリバンボン。その行動のほとんどが本能に根差している以上、大きすぎる恐怖には二度と近づこうとしないだろう。

「それに、唯一話が聞けそうな存在は、彼女が息の根を止めてしまったしな」

 と、呆れの篭った溜め息を零すライナス。

 その視線は、漆黒の悪鬼の足元に横たわる無残な銀カエルへと向けられていた。

「しまったな。殺さずに情報を引き出せと指示を出さなかった俺のミスだ」

 戒めの言葉を呟きながら、彼の視線はがしゃんがしゃんと金属音を高らかに鳴らして近づいてくる黒い全身鎧へと向けられている。

 その眼差しは、どこまでも優しくて。

 それに気づいたストラムは、これ以上は無粋なことは言うまいと、そのまま彼らの許を離れたのだった。


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