かつての都市と【黒騎士】

「どういうことだ? ソフィア遺跡街は湖に沈んでいるという話ではなかったか?」

 兜で覆われていても困惑していることがはっきりと理解できる様子で、ジルガはストラムへと振り返った。

「た、確かに氏族の伝承では、ソフィアという街が集落からほど近い湖の底に沈んでいると言われておりますが……」

 ストラムもまた、よく理解できないといった様子でジルガの問いに応じる。その彼の隣では、妻のハーデもしきりに首を傾げていた。

「おそらくだが……長い年月の間に伝承が変化してしまったのではないか?」

 簡易ゴーレムの目を通して地底湖上の都市を観察しながら、白い魔術師が言葉を零す。

「このソフィアという場所が、小人ドワーフ族の都市として機能していたのは相当昔……それこそ神代の時代のことだろう」

 ライナスが師から譲られた、ヴァルヴァスの五黒牙に関する情報をしたためた資料に、ソフィアという街は既に「遺跡街」と記されていた。

 神代の時代──「神月の闘争の時代」の末期、既に「遺跡街」と呼ばれていたことから、このソフィアという街が機能していたのは相当昔であると推測できる。

「『神月の闘争の時代』、【獣王】率いる邪神悪神との戦いの中で、このソフィアという街が攻め落とされ、放棄された可能性もあるな」

 ゴーレムを通したライナスの目には、都市の半分ほどの建物に破壊の痕跡が残っていることが映っている。少なくとも、かつてこの街で戦闘があったのは間違いあるまい。

「その時代から今日まで、悠久と言っていいほどの時が流れた。その時代の流れの中で、少しずつ伝承が変化したのではないだろうか」

 ライナスの説明を聞いても、ジルガはよく分かっていない様子。腕を組んだまま、不思議そうに首を傾げている。

 それは彼女だけではなく、レディルとレアス、そしてストラムとハーデも同様だった。

 そんな彼らの様子を敏感に感じ取りながら、ライナスは「あくまでも俺の推測に過ぎない話だが」と続けた。

「初期の頃の伝承は、『集落のすぐ近く、地下に存在する湖の上にある街』といったものだったのだろう。だが、世代が重なっていくに従い、伝承が少しずつ変化したのだと俺は思う。それが結果的に『地下の湖の上にある街』が、『集落近くの湖の底にある街』に変化したのではないだろうか」

「おお、なるほど! そういうことなら分からなくはないな!」

 ようやく納得できた様子のジルガが、ぽんと──いや、がしゃんとその重厚な手を打ち合わせた。

 そしてそれは他の面々も同様のようで、それぞれ何度も頷いている。

「その辺り、所詮は俺の推測だ。それよりも今はカエルどもの動向を問題にすべきだな」

「うむ、ライナスの言う通りだ。それで、あの遺跡にカエルや鬼人族の姿はあるのか?」

「ガルガリバンボンと鬼人族の姿は見えないが……大カエルなら街のあちこちにいる」

 水辺が近く、周囲に天敵も少ないだろうこの地底湖は、カエルどもにしてみれば絶好の繁殖地なのだろう。

 簡易ゴーレムの目を通した先、かつて小人族の都市であった遺跡のあちこちで、大カエルが気ままに生活している。

 その大カエル以外に動くものの姿はなく、ガルガリバンボンや連れ去られたと思しき鬼人族の姿は見えない。

「…………考えられるとしたら、中央の政庁の中か?」

「ふむ、ともかくガルガリバンボンの姿がないのであれば、今の内に街に上陸しよう」

「上陸するのはいいですけど、どうやって湖を渡るんですか?」

「船らしきものはなさそうだよね」

 ジルガの言葉にレディルとアレスが尋ねる。彼らの言うように、今【黒騎士党】がいる岸側に、船やそれに類するものは見当たらない。

「あちらの岸に大きな筏らしきものがあるな。おそらくあれで何往復かして、鬼人族を都市跡まで運んだのだろう」

「では、その筏をこちらに寄せることはできるか?」

「無理だ。『ストローバード』に大きな物を運ぶ力はない」

 簡易ゴーレムの「ストローバード」は、藁束から作られる小型のゴーレムである。体が軽いので飛ぶのは速いが、非力なため何かを運ぶことには向いていない。精々、その体に小さな手紙を括り付けて運ぶのが精一杯だろう。

「さて、どうするかね、【黒騎士】殿?」

 ゴーレムとの接続を一旦停止して、白い魔術師は黒い全身鎧にどこか楽しそうにそう尋ねた。



「何とか、ここまでは来られたな」

 今、【黒騎士党】の面々は地底湖上に浮かぶソフィア遺跡街の端に上陸していた。

 彼らがどうやって地底湖を渡ったのかと言えば、それほど難しくはない。

 レディルたち親子には次元倉庫に入ってもらい、ジルガ自身は淡水魚竜との戦いの際にも用いた、水上歩行を可能にする魔道具を使って歩いて地底湖を渡ったのである。

 ライナスは独自で空を飛び、湖上の遺跡街へと渡った。彼が使う飛行の魔術は術者自身にしか付与できないため、このような方法を取った次第である。

「さて…………」

 遺跡街の端っこで、ジルガは改めて周囲を見回す。

 ライナスが使用した魔法の灯りで、限定された範囲だけがぼんやりと明るい。その限られた視界の中、ジルガの目は水中にとぐろを巻くように存在する「それ」を見た。

「大カエルの卵か……ガルガリバンボンは昔からここを根城にしていたのだろうか?」

「それは違うのではないか? ストラム殿、『白鹿の氏族』はガルガリバンボンを知らなかったのだな?」

「はい。俺たちがあの怪物を見たのは、十数年前……俺が氏族を追放されたあの事件が初めてです」

「では、ガルガリバンボンがここを根城にしたのは、つい最近ということになるか」

「なるほど。もしあのカエルの化け物が昔からここに棲みついていたのなら、もっと前から鬼人族に知られていただろうからな」

 ただ単に、偶然ガルガリバンボンの群れがここに棲みついて、「餌」を求めて鬼人族の集落を襲ったのだろうか。それとも、何か目的があってこの遺跡街を「前線基地」にしたのだろうか。

 さすがのライナスも、現状ではそれを知ることはできない。

 そもそも、人間社会でもガルガリバンボンの目撃例はとても少なく、その生態などは詳しく分かっていないのだ。

「…………今は鬼人族の救出を優先させねばな」

 ついつい余分なことを考えてしまうのは、賢者という立場の弊害だろうか。余計な考えを頭の隅へと押しやり、ライナスは暗視の魔術で強化された目で中央にそびえる巨大な建築物を見やる。

「やはり、あそこを調べるべきだな」

「私もそう思います」

「僕も」

 ライナス同様、夜目が利くレディルとアレスも中央の建築物を見つめる。

 そんな一方で。

「むぅ。私だけ暗闇で何も見えないのは寂しいな。……………次元倉庫の中に、暗闇でも目が見えるようになる道具はなかったかな?」

「そういえば、前々から気になっていたのだが……」

 ライナスがジルガへと振り返った。

「あの無限倉庫に収められている神器や魔道具の数々は、全て君が集めたのか?」

「いや、全てではないぞ。私がとある竜から倉庫の鍵を受け取った時、既に相当な数の道具があの中に収められていた」

「ということは、次元倉庫内には君も知らない物が、まだまだ眠っているわけか?」

「うむ。だから、倉庫内を探せば暗視の魔道具が見つかるかもしれないと思ったのだ」

 これは一度、次元倉庫内を調べてみる必要がありそうだ、とライナスは考えた。

 あの倉庫内にどれだけの物が収められているのかは不明だが、今後に何か役立つ物があるかもしれない。

「近日中に、一度倉庫内を調べさせてくれないか?」

「うむ、ライナスであればいつでも構わないぞ」

「あ、私も調べるのを手伝います!」

「僕も!」

 何が収められているか分からない、次元倉庫の中。それは宝探しのよう──実質、宝探しだが──で、まだまだ幼い鬼人族の姉弟をわくわくさせるに十分なものだった。

「だが、それも今は後回しだ。今は目の前の問題を解決しよう」

 ライナスはそう言うと、再び中央の建物へと視線を向けた。



 中央へと向かう【黒騎士党】一行は、身を隠すこともせずに堂々と都市跡の道を進んでいく。

 ライナスは一行の周囲に複数の魔法の灯りを浮かべ、暗闇を駆逐して周囲を可能な限り照らし出す。

 暗視の魔術は他者へも付与できるのだが、黒魔鎧ウィンダムがその効果を無効にしてしまう。よって、ライナスは遠慮することなく魔法の灯りを複数灯すことにした。

 どうせ鎧の音が響いて敵に知られるのは防ぎようがないのだから、と開き直った結果である。

 余談だが、音を遮る遮音効果のある魔術も存在はする。

 この魔術は一定の範囲に効果を与えるため、ウィンダムの能力でも無効化できない。だが、一度設定した効果範囲を移動させることができないし、音を遮ってしまうとライナスも魔術が使えなくなってしまうので、現状では全く意味がない魔術である。

 移動の途中、何体もの大カエルに遭遇したが、カエルたちはジルガの姿を見た途端に逃げ出していく。

 どうやら、ガルガリバンボンの支配が及んでいない時の大カエルたちは、ジルガが放つ鬼気に耐えられないらしい。

 逆を言えば、ガルガリバンボンは大カエルたちの本能をも凌駕するほどの命令権を有しているということでもある。

 廃墟となった街の大通りを、誰はばかることなく堂々と進む一行。

 すぐに目的地である中央の建造物──古代小人族の言葉で「政庁」と書かれた石製の看板らしきものが掲げられている──へと到着した。

 ストラムが周囲を調べたところ、まだ新しい足跡──ストラムの見立てではおそらく一日以内──がいくつも発見された。石で綺麗に舗装された大通りには、泥が付着したばかりの足跡が数多く残されていたのだ。

 足跡は何らかの履物の跡。大カエルやガルガリバンボンが履物を履くわけがないので、これは間違いなく鬼人族の足跡だろう。

 足跡は政庁正面の扉へと続いている。

「今更だが、これが罠という可能性は?」

「まず、その可能性はないな。罠を張るほどガルガリバンボンの知能は高くないはずだ」

「だが、連中の背後には黒幕がいるのだろう。その黒幕が罠を張っているとしたら?」

「それもあるまい。俺たちが今日、『白鹿の氏族』の集落へ来たのは全くの偶然だ。連中の背後にいるであろう黒幕どころか、『白鹿の氏族』の者たちでさえ俺たちのことは知らないのだから、罠などあるはずもないさ」

「うむ、確かに」

 ライナスの言葉に、ジルガが何度も頷く。

「では、急ぐとしよう。ここに連れ込まれたであろう鬼人族たちを救い出すために」

 そう告げたジルガは、政庁の正面の扉へと手をかけ、そのまま勢いよく押し開いた。



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