戦い後の【黒騎士】
「あ、あの……一体だけでも『白鹿の氏族』をあれほど苦しめたカエルの化け物を、三体同時に……しかも、これほどあっさりと…………」
「もしかして、私たちは夢でも見ているのかしら……?」
周囲に散乱するガルガリバンボンの骸を眺めながら、ストラムとハーデが呆然と呟いた。
かつて、たった一体でも「白鹿の氏族」を壊滅させかねなかった怪物──ガルガリバンボン。
氏族の戦士たちが総力で挑み、ようやく倒した化け物だが、ジルガにとっては大して脅威でもなかったようだ。
その事実に、ストラムとハーデの意識が思わず遠のきそうになる。
そんな鬼人族の夫婦のすぐ近くで、問題の黒い鬼神は腕を組んで洞窟の奥をじっと見つめていた。
「まだ奥に続いているな」
先程まで戦闘を繰り広げていた場所で。
ジルガは自分たちが入って来たものとは別の通路が更に奥へと続いていることに気づいていた。
この場所で彼女らを待ち構えていた、三体のガルガリバンボンと無数の大カエルたちは、全て【黒騎士党】によって倒されている。
レディルとレアスは倒した大カエルの死骸から、使えそうな素材を吟味中。その傍らには気を取り直した彼らの両親もいて、あれこれと指示と指導をしているようだ。
既に戦闘面では子供たちに追い抜かれてしまったストラムとハーデだが、狩人として、そして鬼人族の先達として教え導くことはまだまだ多いのだろう。
そんな家族たちの姿を兜の奥で微笑みながら見つめていた漆黒の騎士は、隣に立つ白い魔術師に問いかける。
「やはりこの奥……か?」
「だろうな」
この場に連れ去られたはずの鬼人族の姿はない。ならば、彼らは更に奥へと連れて行かれたと考えるのが妥当だろう。
「奥へ行くんだろう?」
「当然だ」
一切の迷いを見せずに、ライナスの問いに即答するジルガ。
そんな彼女を、ライナスはどこか優し気な目で見る。
「君ならそう言うと思った。だが、休息は必要だ。ここで少し休んでから奥を目指そう」
「うむ、心得た」
「水分の補給は忘れるなよ? レディル、毛布を持って来てくれ」
「はーい、分かりましたー!」
毛布を抱えて走り寄ってくるレディル。何をするかなどと尋ねる必要もない。
ジルガとレディルはそのまま部屋の隅の暗がりへと移動して鎧を解除し、露わになったジルガ……ジールディアの裸身に、レディルが素早く毛布をかけて覆い隠す。
そしてそのまま、レディルは侍女のようにジールディアの手を引いて、皆の所まで戻ってくる。
「お待たせしました。皆で少し休みましょう」
最近、事情を知っている者だけで行動する時、こうしてちょくちょく鎧を脱ぐようになったジールディア。
さすがの彼女とて、鎧を脱いでいる時の方が楽なのは間違いなく──肉体的な負担はないが、精神的にはやはり脱いでいる方が楽──、小休止の時に周囲に他者がいなければ、こうして鎧を脱ぐ機会が増えたのだ。
その間に、ライナスとレアスは飲み物を用意し、ストラムとハーデは軽く腹に入れられる物を準備する。
王都からここまでの旅の間、いつの間にかこのような役割が定まっていた。
こうして、しばしの間に休息を取った一行は、再び洞窟の奥へと歩き出した。
隊列は先ほどと同じ。慎重に先行するレディルの後ろを、ジルガたちがゆっくりとついていく。
「ここから先、階段になっています。かなり雑な造りの階段ですけど」
先行するレディルが振り返り、小声で告げる。
「ふむ、いよいよ人工的になってきたか」
「ここまでの道程とて、かなり人工的だったがな」
ジルガの呟きにライナスが応えた。
洞窟の入り口からここまでの道程は、ほぼ真っすぐな一本道だった。普通の洞窟であれば多少は歪曲しているものだが、この洞窟はそれがほぼ見当たらない。
当然、それはこの洞窟が人工的なものだという証であり、更に階段が現れたということは、いよいよ敵の本拠地が近いということの表れなのかもしれない。
今まで以上に、慎重に階段を降りていく一行。やがて、彼らの前に広々とした空間が現れた。
「ここは…………」
「地底湖……か?」
ジルガの呟きにライナスが応える。
そう。
彼らが言うように、一行の目の前には巨大な地底湖が存在していた。
暗いためその全貌を見渡すことはできないが、相当な面積の地底湖のようだ。
「おそらく……ここがカエルどもの拠点だろうな」
「どうしてそう思うのだ、ライナス?」
「カエルに水辺は付き物だろう?」
「なるほど、言われてみれば確かにそうだな」
生態など明らかになっていないものが多いガルガリバンボンだが、その外見上の特徴からカエルに似た暮らしをしているだろうと考えられている。
であれば、彼らの生活拠点が水辺にあると判断するのは妥当だろう。
「じゃあ、集落の人たちは水の中に……?」
ジルガとライナスの会話を聞いていたレディルが、巨大な地底湖を見つめながら呟いた。
「で、では……『白鹿の氏族』の皆は既に…………?」
「ああ…………っ!! そ、そんな…………っ!!」
ストラムとハーデが悲壮な声を上げた。
もしもレディルの言うように氏族の者たちが水中に引き込まれたのであれば、当然全員が溺れて死んでいるに違いない。
「いや、それは違うだろう」
「どうしてだ?」
ライナスがレディルの考えを否定し、ジルガがその根拠を問う。
「鬼人族たちを水中に引き込む必要性がないと思わないか? もしも鬼人族たちを殺すつもりならば、わざわざここまで連れて来る必要がない。もっとも、溺死させて鬼人族が苦しむ様を楽しむつもりであれば話は別だが、連中にそこまでの知恵はないだろう」
「で、では、氏族の皆はまだ……?」
「俺の推測に過ぎないが、な」
ライナスの言葉を聞き、ストラムとハーデの
とはいえ、ライナス自身が言うように「白鹿の氏族」の鬼人族が無事だという確証はない。たとえ今は無事であったとしても、それがいつまでなのか全く不透明。
「ならば、急いで周囲を──」
と、ジルガがそこまで口にした時。
それまでずっと黙っていたレアスが、地底湖を指差しながら叫んだ。
「ジルガさん! ライナスさん! 地底湖の中央ぐらいの所に何かあるよ!」
人間よりも遥かに暗視能力が高い鬼人族。レアスは鬼人族の中でも特に視力が鋭い。
その彼の目が、暗く広大な地底湖の沖合に何かが存在していることを見抜いた。
「何が見えるんだ、レアス?」
「何だろう……遠いし暗いしで完全には見えないけど……多分、あれは建造物じゃないかな? 建造物がいくつも立っているように見えるよ」
「建造物だと?」
レアスの言葉を聞き、ライナスはその視線を地底湖へと向ける。
同時に、素早く詠唱しつつ白いローブの内側から取り出した何かを空中に放る。
放り投げられた「それ」──ひと掴みの藁束は空中で見る間に姿を変え、藁でできた小さな小鳥へと変化した。
「あれは何だ?」
「『ストローバード』と呼ばれる簡易ゴーレムだ」
「ストローバード」。その名の通りに藁から作られる簡易的な鳥型ゴーレムであり、戦闘力は全くの皆無。半面、藁でできた軽い体を活かして高速で飛ぶことが可能であり、偵察用としては優れた能力を有するゴーレムである。
暗視の魔術を併用しつつ、ライナスはその場に座り込んで目を閉じ意識を集中させる。
「ストローバード」と視覚を共有するためだ。そうすることで、レアスが見つけた建造物群を偵察しようというのだろう。
暗い地底湖の上を、「ストローバード」が高速で空を切る。すぐに目的地まで到達した「ストローバード」の目を通して、その光景がライナスは目蓋の裏に浮かび上がる。
「これは……街だな」
「街だと? こんな地底にか?」
「
「ストローバード」の目を通したライナスの視界に、とある物が映り込む。それは、街のほぼ中央にそそり立つように存在する一際巨大な建造物だ。
おそらく、この街の中でも重要な建造物だったのだろう。
その巨大な建造物の近くに「ストローバード」は羽を休めると、改めてその建造物を見つめた。
「入口らしき扉の上に、何か文字が見えるな……どうやら古代
「小人族? では、その街は小人族の街なのか?」
「おそらくそうだろう。『ストローバード』の目を通してだと実際の大きさが分かり辛いが、中央の建造物以外は全体的に小ぶりな気がする」
小人族。
身長1メートルから1.2メートルほどの小柄な種族で、主に地下や半地下の拠点を築いて暮らしている種族である。
男女共に髭を生やすことを誇りとしており、男性は長く豊かに伸ばした髭を複雑な形に編み込むことを好み、女性は短く様々な形に切りそろえることを好む。
総じて意思が強く頑固な者が多いが、気心の知れた友人には義理堅い一面も有する。一度友と認めた者は、決して裏切らず見捨てないことでも有名である。
「なるほど。確かに小人族であれば、地底に街を築いていても不思議ではないな。ところで、中央の建造物には何と書かれているのだ?」
「まあ、待て。経年によってか、文字がかすれて読み辛い……そ……ふぃ……あせい……ちょ……『ソフィア政庁』だとっ!?」
珍しく、ライナスが声を荒げる。
だが、それも無理はあるまい。今まで彼らが散々探していたものが、目の前にあるのだから。
「で、では、この地底の街こそがソフィア遺跡街なのかっ!?」
ライナス同様、ジルガの声も自然と大きくなる。
そう。
この地底湖に浮かぶ小人族の街こそが、彼らが探し求めていたソフィア遺跡街なのであった。
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